■自分の居場所は、社会と精神のどちらにも必要で、そのために関わりを捨てられないのだと思います


■オススメ度

 

自分の居場所探しをする物語に興味のある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.10.29(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:A Human Position(人の位置)

情報:2021年、ノルウェー、78分、G

ジャンル:病気から復職した新聞記者の居場所探しを描いたヒューマンドラマ

 

監督&脚本:アンダース・エンブレム

 

キャスト:

アマリエ・イブセン・ジェンセン/Amalie Ibsen Jensen(アスタ/Asta:復帰する新聞社の社員)

マリア・アグマロ/Maria Agwumaro(ライヴ/Live:アスタのガールフレンド)

 

Lars Halvor Andreassen(ゲイル・オージュ/Geir-Åge:カメラマン)

 

Anita Valderhaug(編集者)

Pål Bakke(アスタの同僚)

 

Karoline Isaksen(市役所の受付)

Per Dagfinn Kvarsvik(難民申請窓口の部長)

Kjetil Dyb Lied(ラース・トーレ/Lars Tore:水産加工工場の職員)

Kornelia Melsæter(デモをする人)

Per Jan Vinje(スウェーデンの道路管理局の職員)

 

Gordon Bergh(難民支援者のリーダー)

Kjell Sandli(ラドセット/Rádhuset:官僚)

Monica Berstad(旅行代理店)

 


■映画の舞台

 

ノルウェー:ロムスダール

オーレスン/Ålesund

https://maps.app.goo.gl/uryEfn59QGotrhsQ9?g_st=ic

 

ロケ地:

上に同じ

 


■簡単なあらすじ

 

ノルウェーの港町オーレスンに住んでいる新聞記者のアスタは、仕事に復帰するものの、どこか自分の場所ではないような感じがしていた

これまで通りに色んな場所で取材をするものの、どこかしっくり来ていなかった

彼女にはルームメイトで恋人のライヴがいて、彼女は椅子のメンテナンスをしたり、自由に作曲活動などをしていた

 

ある日、ノルウェーで10年間働いていた難民が、会社の倒産によって強制送還されたという新聞記事を目にした

そこでアスタは、その事件に関わった先を取材し、難民申請の実態へとふれていく

 

そんな折、アスタはとある場所にて、強制送還された男の椅子を発見する

それを譲り受けた彼女は、それをライヴにプレゼントしようと考えた

 

テーマ:体と心の居場所の違い

裏テーマ:居場所を得るのに必要な時間

 


■ひとこと感想

 

ノルウェーの映画ということで、物珍しさも相まって鑑賞

タイトルが意味深ながらも、色んな解釈ができる作品となっていました

 

映画は、かなり長回しの多い作品で、オーレスンの街並みを固定カメラで切り取っていくのですが、冒頭の港の様子は写真なのかなと思うほどに動きがなかったりします

登場人物はかなり少なく、ほとんどの場面でアスタが登場し、プライベートエリアにてライヴが登場していました

 

その他は取材相手と同行するカメラマンばかりなのですが、取材の内容と被写体が取るポーズの違和感が凄かったですね

アスタがピースはやめときましょうとか、カメラマンに写真を送らないでと小言を言ったりと、妙なテンションの笑いがある作品になっていたと思います

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

ネタバレというほどのものはありませんが、あるとしたらアスタの病気が何なのかというあたりだと思います

映画内で明確には描かれませんが、お腹に手術の痕があったんで、おそらくは子宮の全摘手術か何かだと思われます

 

アスタは職場に復帰を果たし、それなりの仕事を始めることになるのですが、自分がいなかった間にも新聞は普通に発行されていて、それによって自分の存在価値というものに疑問を持つことになりました

そこから、紙面を飾る記事のための取材をしていきますが、それでもまだしっくり来ない部分があったりします

 

最終的に、ライヴに椅子をプレゼントすることになるのですが、それが部屋の壁に飾られていた図面の椅子だったのですね

それによって、なんとなく足りないものが埋まった感じになっていました

また、ライヴの歌による自分の居場所の確認にも大きな意味があったことは言うまでもないと思います

 


同じ場所に戻っても募る違和感

 

仕事や学校などで長期休養があって、その場所に戻ると言う経験をした人ならわかると思いますが、復帰後には馴染めない期間があって、その理由があんまり明確にわからない場合が多いと思います

単に、組織の成長について行けていないと言うのはありますが、それだけでは説明がつかない部分があります

個人的には長期離脱をした経験はありませんが、イメージとして感じているのが「自分不在でも何ら変わらない日常が過ぎていたこと」を実感するからのように思います

そこには自分の居場所があったはずなのですが、誰かがそのポジションを肩代わりしていたり、そのポジション自体が不要になっていると言うこともあります

 

映画のタイトルがこの現象を示していて、主人公のアスタが感じている違和感というものを描いていきます

彼女は自分の存在感を示すためにこれまでとは違った行動を取り始めるのですが、それでは埋まらない何かというものがまとわりついていました

これまでの行動パターンを再現できないこともありますが、何かしら違和感を感じていて、それを的確に表しているのが、被写体のピースポーズとかだったりします

これまでの取材でも同じようなことが起こっていたのかはわかりませんが、アスタはそれに過剰に反応していきます

それが起こるのは、離れていた間に募った仕事観が現実と空想の中でバランスが崩れてしまったからのように思います

 

これまでの日常にて、相手がピースをしていようが気にせず、使えるものを使ってきたとして、そう言ったものが許せなくなっているという感じなのですね

休養前とカメラマンが同じなのかはわからないのですが、アスタの指摘に対して違和感を感じているような仕草があって、そのアスタの行動が以前とは違うと思っていたのかも知れません

このあたりは前後の比較ができないので想像の部分になるのですが、アスタは社会記事を見て、その重ね取材をしていく中で、これまでは許せてきたものが目についてきたように思います

この心理状態が起こるのは、復帰に先駆けて「ちょっとだけ初心に戻ったから」だと言えるのでしょう

 

空白期間があると、初めてその組織にふれた時のような感覚になって、ちゃんとしなければみたいなことを思ってしまうのですね

周囲の人間は、徐々にそう言った硬さが崩れてきたところを知っているので、逆に違和感に感じてしまいます

そう言ったものはいずれ元に戻るのですが、一定期間をおいて、自分が崩れてくるまではそう言ったものが募るでしょう

また、その人の変化が「休養期間に何かあったから」と周囲には思われているので、そう言った部分のぎこちなさを含めて「いつも通りでいいよ」と思ってしまう部分があるように思えました

 


存在証明に至る客観視の確認

 

本作では、社会の立場を休止していた女性記者を描いていて、彼女が日常を取り戻すまでを描いていました

会社の中がしっくりこなくて、精力的に取材活動をしてもなぜか満たされない

そんな活動を続けているうちに、とある一つの椅子を手に入れることになりました

この椅子はアスタの部屋の壁に貼ってあった設計図の椅子で、アスタのパートナーのライヴはその椅子と出会うことを夢見ていました

 

ずっと部屋の中に貼ってあったけど、その実物を手にしてもそれとはわからない

それは、平面と実体の合致性を認識できていなかったということになり、それが発見の時の無感動につながっていました

もし、アスタがあの図面を立体化してイメージを持っていたら、あの椅子に出会った時に別の感情が湧き出ていたと思います

すでに目の前にあったけど、それを認知できていないというもので、これが映画の象徴的な出来事となっていました

 

アスタに椅子へのこだわりがあれば違ったでしょうし、ライヴなら椅子を見たときに「これだ!」と思えたかも知れません

でも、わからなかったアスタでさえ、その椅子に何らかのものを受け取っていて、それを持ち帰ることになります

そして、図面と実体が一緒になることで、これまで一緒に見てきたけど頭の中では違っていたものというのが共通言語になりました

 

この出来事によって、椅子の存在は証明されることになります

結局のところ、実体を伴いつつ、想像と実体を対比することでしか、合致性を持たなかったということになります

アスタの日常もこれと同じで、彼女の中にある想像上の自分と現実の自分には乖離があります

客観視する周囲の人にはわからないものがあるのですが、やがてはその乖離というのは消えていきます

そして、その乖離は「脳内妄想が現実に同化されること」によって、埋没していくのではないでしょうか

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作では、何らかの理由で休職していたアスタを描いているのですが、彼女がどのような病気であったかは描かれていません

唯一の手がかりはお腹の傷で、位置を考えると子宮の全摘か何かのように思います

体の中にあったものが無くなっているという意味だと思うので、それ自体がアスタのアイデンティティに影響を与えているのだと考えられます

 

アスタとライヴはパートナーの関係ですが、彼女たちは恋人同士のまま過ごしたいという思惑があるように思います

ノルウェーのLGBTQ+事情は詳しくありませんが、ざっくり調べたところだと2009年の1月1日から同性婚がOKになっていました

当初は同性婚反対の立場でしたが、30年かけてその考えが変わったことになります

映画の舞台はおそらくそれ以降なので、彼女たちの関係は法律で保障されているものだと考えられます

 

ライヴはアスタに歌を贈りますが、その歌をざっくりと紐解くとするならば「感情の赴くままに自由に生きていけば良い」という感じになると思います

「そのままのあなたでいて」とも読み取れ、元の自分を取り戻す必要はないとも言えます

アスタは元の自分探しをしていくし、そこに社会的な居場所を求めようとしています

でも、自由人であるライヴにはそのこだわりがありません

 

それでも二人は生活をしていかなければならず、今の現状だとアスタが社会復帰しないと金銭を稼げないでしょう

いくら気のままにと言っても、経済社会で生きていくにはそれ相応の富は必要になってきます

ライヴの椅子の修理とか、アーティスティックな活動がどのような恩恵をもたらすかは分かりませんが、生活のベースにはならないように思います

なので、気持ちはわかるけどという感じで、アスタは今後も社会的な活動の中で、折り合いのつく自分の居場所と存在価値を探すのかな、と感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/101907/review/04416633/

 

公式HP:

https://position.crepuscule-films.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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