■どんな人生も、語られるべき人生になるし、墓標に刻まれるものがあるように思えます


■オススメ度

 

濃密な一生を体感したい人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.7.16(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:Ein Ganzes Leben(一生)、英題:A Whole Life(一生)

情報:2023年、ドイツ&オーストリア、115分、G

ジャンル:ある過酷な運命を背負う男の一生を描いたヒューマンドラマ

 

監督:ハンス・シュタインビッヒラー

脚本:ウルリッヒ・リマー

原作:ローベルト・ゼーターラー/Robert Seethaler『Ein Ganzes Leben(邦題:ある一生)』

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キャスト:

シュテファン・ゴルスキー/Stefan Gorski(アンドレアス・エッガー:孤児として農園に連れて来られる少年、成人期)

   (老齢期:アウグスト・ツィルナー/August Zirner

   (少年期:イヴァン・グスタフィク/Ivan Gustajik

 

アンドレアス・ルスト/Andreas Lust(ユーベル・クランツシュトッカー:エッガーを預かる農場主)

Marianne Sägerrecht(アーンル:ユーベルの母)

Tobias Ablaber(ユーベルの8歳の息子)

Lilian Mattersberger(ユーベルの10歳の息子)

Lucia Elisa  Bierbaumer(ユーベルの10歳の娘)

   (20歳時:Natalia Wurnitsch

Lilli Steinbichler(ユーベルの11歳の娘)

   (21歳時:Larissa Rogl

 

ユリア・フランツ・リヒター/Julia Franz Richter(マリー:エッガーの恋人、宿屋のバーの店員)

ロバート・スタッドローバー/Robert Stadlober(宿屋の主人)

 

Thomas Schubert(トーマス・マトル:ロープウェイ作業員、エッガーの同僚)

 

ルーカス・ウォルヒャー/Lucas Walcher(1918-1934の司祭)

 

ペーター・ミッタールッツナー/Peter Mitterrutzner(へルナー・ハネス:山羊飼いの老人)

 

マリア・ホーフテッター/Maria Hofstätter(アンナ・ホラー:小学校の先生)

 

Wolfgang  Rauh(ロープウェイの雇用主?)

Hannes Perkmann(アロイス・カンメラー:?)

Robert  Reinagl(権限のある署名者、少佐)

Hanno Waldner(ドイツ国防軍の将校)

Wolfgang Oliver(老いたドイツ国防軍の将校)

 

Andreas Steiner(馬車の御者)

Matthias Saffert(不機嫌そうな男)

Peter Wurm(長距離バスの運転手)

Gerhard Kasal(へーベン・シュトライター:エッガーの上官)

Alexander Helm(兵士)

Jere Pircher(ロシアの兵士)

Michael Schonborn(司教)

 


■映画の舞台

 

1900年代、

オーストリア:

東チロル州マトレイ

 

ロシア:コーカサス地方

 

ロケ地:

オーストリア

マトレイ/Matrei

https://maps.app.goo.gl/LSD3K8hXV5ibRQQR7?g_st=ic

 

オーストリア:

リエンツ/Lienz

https://maps.app.goo.gl/wViKSkKW2Mrz3M238?g_st=ic

 

ドイツ:

キームガウ/Cheimgau

https://maps.app.goo.gl/sHXASrimpGBxtA8D8?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

1900年代、孤児となったアンドレアス・エッガーは親戚のユーベルの家に預けられることになった

ユーベルは家族と同じ食卓に着くことを許さず、半ば奴隷のような扱いで、農場でこき使う日々を過ごしていた

 

第一次世界大戦が勃発した頃、エッガーも徴兵の対象になった

だが、ユーベルの息子二人がジフテリアで亡くなっていて、彼は働き手がなくなると軍に訴えて受理されてしまった

 

その後もエッガーは寡黙に働き続けるものの、とうとう我慢の限界が来て、脅すようにユーベルのもとを去ることになった

エッガーは山に登り、ロープウェイの建設作業員として働き始める

そこの宿屋にはマリーという若い女がいて、二人はいつしか恋に落ち、一緒に生活をするようになった

 

だが、ある日、幸せの絶頂にいたエッガーは、奈落の底に突き落とされてしまうのである

 

テーマ:平凡という名の特殊

裏テーマ:「在る」一生

 


■ひとこと感想

 

ポスタービジュアルぐらいしか見ている時間がなく、勢いそのままに鑑賞

孤児になった少年が親戚の家に連れて来られるものの、そこで奴隷扱いされるという導入からして、幸せな人生にはならないんじゃないかなあと思わされます

 

それでも、その預けられた家は不幸続きで、少年を頼るしかないのに、結局は見捨てられてしまうのですね

日頃の行いに依るとは言いますが、これもまた因果応報というものなのかもしれません

 

その後、ロープウェイを作るという仕事に就き、そこでマリーという女性と出会うのですが、そこからも苦難の連続でしたね

どこまでがネタバレかは微妙なところですが、マリーとの生活あたりからは知らない方が良いと思うので、このあたりで止めておこうかと思います

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

人の一生には色々とありますが、どんな人生でも紆余曲折というものはあり、他人と比べたり、他者からみると、その差というものが見えてくると思います

エッガーの人生も、幸せそうな他人の人生と比べると不幸に見えますし、その生涯で何かを成し遂げたということもありません

子孫ができたわけでもなく、最後は一人で死んでいったので、それは寂しい人生だったように思えます

 

でも、実際にエッガーが不幸だと思っていたかは別の話で、彼の晩年は愛するマリーに捧げたもので、誘惑さえも跳ね返していきます

彼女が亡くなってから、ほぼ毎日のように手紙を書いては溜めていましたが、その手紙は意図せずに一緒に埋葬されることになりました

この思いはマリーに届くはずもないのですが、エッガーが死んだ時に一緒に持っていくもの、というふうに神様が定めたようにも思います

 

映画は、人生の価値は何によって決まるかというものを描いていて、それを端的に言えば、死ぬ時にどんな想いを抱えて死んだかということになるのでしょう

どんなにお金を稼いで贅沢三昧しても、暴漢に襲われて死んだら意味はないですし、豊かではないけれど一生を共にできる存在と出会い、その人のことだけを考えて死ねるというのは幸せのように思えます

この映画を観た人がエッガーの人生をどう総括するかによると思いますが、個人的には良い人生だったのではないか、と感じました

 


人生のターニングポイント

 

本作は、ある激動の人生を終えた男の一生を描いていて、両親の死によって親戚の家に預けられるところから始まりました

母の兄ユーベルに預けられることになりましたが、ほぼ奴隷のような扱いになっていました

ユーベルは妻を亡くしていて、自身の母と息子2人、娘2人と一緒に暮らしていました

同じテーブルに着くことを許さず、その距離感が最後に跳ね返る格好となっています

 

エッガーの最初の転機は、ユーベルの家からの脱出で、彼はわざと体罰を仕向けるように粗相を起こします

ユーベルは老いて、エッガーは肉体労働にてたくましい体になっていて、その逆転現象がこの時期に見られるようになりました

不幸にも、ユーベルの息子2人はジフテリアで亡くなっていて、エッガーを抑え込める人間は誰1人いない状態となっていました

ここで、自分の人生を変えることを厭わなかったことで、エッガーには次のステージが訪れることになりました

 

エッガーは、その後山へ登り、そこでロープウェイの仕事にあり付きます

そこは住み込みで働けるところで、宿舎にあったバーで働いていたマリーと恋に落ちることになります

ロープウェイで働くことを決めたのも、マリーとの関係を深めようとしたのもエッガーの意思によって行われていて、彼自身の人生はほぼ彼の決定で動いていたように思えました

 

それでも、運命には逆らえず、両親の死と同様にマリーとお腹の中の赤ん坊の死は彼にはどうすることもできませんでした

その後も彼の人生は続くのですが、この時点で彼は人生の選択としてのターニングポイントを持たないようになっていました

たどり着いた場所でマリーへの手紙を書き続け、教師アンナの誘惑も拒絶します

この時点の彼は、亡きマリーの最後の人生を捧げているようにも思えます

そうして、彼はこの世を去ることとなり、偶然、彼の書いた手紙と共に土に還ることになりました

 

人生がどのように動くかはわかりませんが、ターニングポイントと呼ばれるものは全て「自分の選択と行動である」と言えるかも知れません

流されている人も「流されることを選んでいる」ので、どんなに指示待ちの人間でも、その人生は選択の連続で、その都度、ターニングポイントが存在したことになります

親の言いなりになっている人生も、自分で選択し続けている人生も、そこまで差異がないように思えます

それでも、人生を生き抜いた感覚は「自由意志によって選択を行使したことを自覚している人生」なので、そう言った感覚で死にたい人は、恐れることなく動き続ける方が良いと言えるのではないでしょうか

 


最期の瞬間をどう迎えるか

 

本作のエッガーの死因はわかりませんが、命ある限り動き、そして力尽きたように思えます

彼の死体が発見されたということは、周囲との断絶はなく、彼が不在であることに気を止めた人が近くにいた、ということになります

家族や親族に恵まれておらず、友人関係もさほど広くはないのですが、家を手配した不動産屋とか、ロープウェイ時代に仲良くなったトーマスなどとの交流はあったのかも知れません

 

人は多くの人に囲まれて生まれますが、人によっては1人で死んでしまう場合もあります

エッガー自身も死の間際は1人でしたが、その後、彼の葬儀には幾人かの人が集まっていました

彼の死は親族などによって流布され、盛大な形で人集めをしているわけではありません

でも、彼の死を知った人から自然に伝わっていて、ある程度の人がそこに集うことになりました

ある意味、彼の人柄を示していて、取っ付きにくく、孤独のように見えても、彼の死を惜しむ人はいた、ということになります

 

自分自身の死を想像した時、形式的な呼びかけがなかったとしたら、どれぐらいの人が死を惜しみ、集まるでしょうか

それを考えるのは不毛ではあるものの、家族以外に誰かその場に来るのかなとか、家族がどうしても知らせたい人がいるのかな、などと想像してしまいますね

おそらくはそんなに多くの人は集まらないと思いますが、こればかりは全くわからず、自分自身では確かめられないものではありますね

幽体になって、もし可視できるとしたら、意外な光景が映るのか、想像以下の景色になるのかはお楽しみと言ったところなのかも知れません

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

エッガーの人生を俯瞰的に総括した時、彼は幸せだったのかどうかは気になってしまいます

家族も持てず、愛する人は自分よりも先に亡くなって、それは非業の死ばかりだったと思います

一般的には、家族が繁栄し、次世代へと命を繋ぐことが最上のように思われますが、実際には理想的な家族はほとんど存在せず、人が多ければ多いほどに軋轢を生んでいるように思えます

誰かが何かをしでかしただけで、一族が路頭に迷うということもあり、これまでにどんな成功を収めても、たった一つの過ちで自分以外の家族も全員巻き込んで落ちてしまう場合もあります

 

現代では孤独死が問題になっていて、結婚しない人もたくさん増えています

最終的に一人暮らしになってしまう老人も多く、配偶者がいても、どちらかが先に死んでしまう可能性の方が高いでしょう

そうなった時に、家族の世話になれる人もいますが、自分の生活のリズムを変えたくないとか、思い出のある家から出たくないという人は、家族との距離を取って1人になることも多いと思います

 

このような場合、それは本当に不幸なことなのかは何とも言えないでしょう

子どもや孫と一緒に暮らす人生も良いと思いますが、好きなものや思い出に囲まれて余生を過ごすことも悪くないと思うのですね

そして、結婚とかそう言った社会的なものを抜きにして、それぞれの思い出を大切にして語り合える人たちと一緒にいる、という選択肢もあるのだと思います

 

映画は、ある意味において、孤独死は不幸なのか?を問うているようにも思え、それが決して不幸には見えないし、憧れのようなものであるように思います

個人的には、エッガーの死に様は素晴らしいし、最終的には神様に愛されていたように思います

ひとつ間違えば、彼はあの家で誰にも発見されないまま、自然と同化するような感じで存在が消えていた可能性もありました

でも、最後は強制的に自然の養分になることなく、人としての尊厳の中で死を迎えることができています

それを思うと、あまり良いことは起こらなかったけど、人として死ぬことができた良い人生だったのかな、と感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/101403/review/04044790/

 

公式HP:

https://awholelife-movie.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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