■私たちが光と想うすべて


■オススメ度

 

インド現代の闇いついて興味がある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2025.8.14(京都シネマ)


■映画情報

 

原題:All We Imagine as Light(私たちが光だと想像するすべてのこと)

情報:2024年、フランス&インド&オランダ&ルクセンブルク、118分、PG12

ジャンル:インドのムンバイに生きる女性たちの現在を描いたヒューマンドラマ

 

監督&脚本:パヤル・カパーリヤー

 

キャスト:

カニ・クルスティ/Kani Kusruti(プラバ/Prabha:マラヤリ族の看護師)

ディビヤ・プラバ/Divya Prabha(アヌ/Anu:プラバのルームメイト、看護師)

 

チャヤ・カダム/Chhaya Kadam(パルヴァティ/Parvaty:病院の調理師)

 

リドゥ・ハールーン/Hridhu Haroon(シアーズ/Shiaz:アヌと秘密の関係を持つイスラム教徒、ヴィトゥラ在住)

アジーズ・ネドゥマンガード/Azees Nedumangad(マノージ先生/Dr. Manoj:プラバに好意を抱く医師)

 

Lovleen Mishra(スプリヤ先生/Dr. Supriya:病院の女医)

Madhu Raja(カキ/Kaki:老いたスリプヤ先生の患者)

Shweta Prajapati(薬を欲しがる若い母親)

Tintumol Joseph(シャネット/Shanet:看護師)

Ardra K.S.(看護師)

Sisira Anil CK(看護師)

Aparna Ram(看護師)

Kashish Singh(若い看護師)

Nikhil Mathew(男性看護師)

 

Bipin Nadkarni(デサイ/Desai:弁護士)

Snehalata Siddarth Tagde(居住権協議会のリーダー)

 

Saee Abhay Limaye(海辺のお店の少年)

Anand Sami(溺死しかける男)

Shailaja Shrikant(医師の家にいる老女)

 

【声の出演】

Rahul Dev Prasad

Swapnil Dhondge

Swaradha Karandikar

Ekta Singh

Gaurav Kamble

 

【ドキュメンタリーの声】

Hasmukhbhai Jethva

Vinay Chandra

Pekha Bidi

Anita Shidas Sonawala

Vishupriya M

Geetha Rathode

Jita Chkroborty

Gangubal

Pooja Venkatesh

 


■映画の舞台

 

インド:ムンバイ

 

ロケ地:

インド:ムンバイ

 

インド:ラトナギリ/Ratnagiri

https://maps.app.goo.gl/m7hVcFtZXEFLMhRT9?g_st=ic


■簡単なあらすじ

 

インドのムンバイにて看護師をしているプラバは、生真面目な性格が災いして、仲間の看護師からは浮いている存在だった

彼女には同僚でルームメイトのアヌがいたが、彼女は逆に奔放とした性格をしていて、噂ではムスリムの男性と交際をしていると言われていた

いつも金欠気味のアヌはプラバに甘え、プラバはキツく言うものの、結局はお金を用立てていた

 

職場には、プラバのことを気にかけている医師のマノージがいた

彼はタミル語圏から来ているようで、ヒンドゥー語には長けていなかった

だが、それ以上に都会暮らしに馴染めず、プラバと会うことが清涼となっていた

 

ある日のこと、マノージはプラバに詩を認めたノートを手渡した

大会に出すつもりと言うものの、そこには彼自身のプラバへの想いが綴られていて、既婚者であるプラバは困惑してしまう

彼女には見合い結婚をした夫がいて、彼はドイツに出稼ぎに行ったままだったが、帰国を心待ちにしていた

 

そんな折、病院の調理師パルヴァティの住んでいるアパートが取り壊されることになり、プラバはその相談に乗ることになったのである

 

テーマ:光と感じるもの

裏テーマ:人生を変える勇気

 


■ひとこと感想

 

踊りも歌もないインド映画ということで、かなりドキュメンタリーに近いトーンを感じました

冒頭の数人のモノローグがあって、それらは劇中の登場人物の声ではないという構成になっていました

物語の主人公は一応はプラバということになりますが、アヌ、パルヴァティも同様の視点で描かれていたと思います

プラバが変化する物語ではあるものの、そのためにアヌとパルヴァティの変化が必要となっていて、そのパートの意味を見出せるかによって評価も変わってくるように思いました

 

村から都会に出てきた3人の女性がメインとなっていて、プラバは生真面目に都会で生きていこうと考えているし、アヌは村に帰りたくないから固執しているように思えます

パルヴァティは亡き夫とずっと暮らしていて、息子はどこかの土地で過ごしているようで、お互いの生活の干渉というものを嫌がっていました

アパートの立ち退き問題でやむなく村に帰ることになりましたが、村で生きていくことを嫌がっているという感じではありませんでした

 

映画は、彼女たちが「光(希望)」と想うことについて言及していて、この3人が光と感じているものは違うのだと思います

それぞれの光をざっくりと言えば「希望」ということになりますが、それが年齢によって変わってくるとも取れます

若いアヌ、中年のプラバ、壮年のパルヴァティは人生に対して持っている希望というものが違い、それは未婚、既婚、死別と相手との関係が違うことからも比較のために設定されていると言えます

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

未婚のアヌは結婚に対して憧憬があり、恋愛結婚を考えている世代であると言えます

彼女が好きになった相手がムスリムということで、結婚が家族間のつながりであることを考えると、宗教的な対立というものが障壁になっています

プラバの場合は、お見合い結婚というもので、いわゆる慣習が障壁になっていて、さらに別居中であることが最大の悩みとなっていました

プラヴァティの場合は長年連れ添った相手は死別していて、夫との間に子どもがいるのですが、すでに結婚も子育ても終えた第二の人生を歩んでいる最中となっていました

 

アヌは宗教的な価値観を超えたところにいて、プラバは道徳的な縛りを受けていて、プラヴァティは相続も含めた法的なものの影響を受けていました

アパートの立ち退きに対して、権利を盾に活動を始めますが、あの部屋が彼女のものであるとか、生活をしている証明がないというところに普通の生存権を訴えることすらできない状態となっていました

弁護士は話にならないと言うし、権利団体も彼女を守ることはできないでしょう

なので、彼女にとっては村に帰ることが唯一の手段だったと言うことになっていました

 

プラバは既婚者と言う状況をどうするかという悩みを抱いていて、夫のことも恋しいけれど、それ以上のことはできません

離婚もしくは死別というものがなければ動くことはできず、自分に好意を向けてくれている相手がいても動くことはできません

愛されているかどうかを確かめる術がないことが辛く、そんな彼女にとって「光」が「妄想の中で夫との縁を断ち切る」というものになっていました

実際にはできないけど、せめて心の中ではという感じになっていて、変わりようのない現実の中で見ることができる「唯一の光」のように描かれていたのは印象的だったと思います

 


■3つの視点で見えてくる光の正体

ただいま、鋭意考察中にて、今しばらくお待ちください

 


■都市と田舎における光の意味

ただいま、鋭意考察中にて、今しばらくお待ちください

 


■120分で人生を少しだけ良くするヒント

ただいま、鋭意考察中にて、今しばらくお待ちください

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/101594/review/05447017/

 

公式HP:

https://watahika.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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