■漠然とした感覚が言語化される時、意味不明に思えたものが突然繋がり出すのだと思います


■オススメ度

 

少女期の喪失感を描いた作品に興味がある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.7.17(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:Àma Gloria(グロリアとの時間)

情報:2023年、フランス、83分、G

ジャンル:乳母との別れを惜しむ6歳の少女を描いた青春映画

 

監督:マリー・アマシュケリ

脚本:マリー・アマシュケリ&ポーリーヌ・ゲナ

 

キャスト:

ルイーズ・モーロワ=パンザニ/Louise Mauroy-Panzani(クレオ:乳母に育てられた6歳の少女)

イルサ・モレノ・ゼーゴ/Ilça Moreno Zego(グロリア:クレオの乳母)

 

アルノー・ルボチーニ/Arnaud Rebotini(アルノー:クレオの父)

 

アブナラ・ゴメス・バレーラ/Abnara Gomes Varela(ナンダ/フェルナンダ:グロリアの娘)

演者不明(サンディエゴ:ナンダの赤ん坊)

 

フレディ・ゴメス・バレーラ/Fredy Gomes Tavares(セザール:グロリアの息子)

 

ドミンゴス・ボルゼス・アルメイダ/Domingos Borges Almeida(ヨアキン:グロリアの夫?)

Stephen H.W Barbosa Fernades(オリヴィエ:グロリアの友人?)

 

Marc Lafont(眼科医、クレオの主治医)

Bastien Ehouzan(クレオの学校の先生)

 

Delfi Rodrigues Dos Sanches(漁師)

Mario Eleseo Varela Fonseca(起業家)

Manuel José Sovares(投資家)

Denis Ortega Acevedo(婦人科医)

Sidney Cardoso(セザールの友だち)

 


■映画の舞台

 

フランス:パリ

 

カーボベルデ:サンディエゴ島

 

ロケ地:

フランス:パリ

 

カーポ・ベルデ/Cape Verde

https://maps.app.goo.gl/EmLsNyExF4hjQBGq5?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

6歳の少女・クレオは、ナニーのグロリアに育てられてきたが、ある事情によって、グロリアは故郷のカーポ・ベルデに戻ることになった

父・アルノーと二人暮らしになったものの、グロリアが恋しくてたまらない日々が続いた

アルノーは仕方なく、夏休みにクレオをグロリアの元に預けることになった

 

クレオはカーポ・ベルデに来たものの、グロリアの家族は快くは思っていなかった

グロリアがクレオを家族扱いすることにも反発し、幼少期を放っておかれた彼女の息子セザールは、かなり反抗的な態度を見せていた

 

ある日、グロリアの娘ナンダの赤ちゃんが産まれ、彼女はそちらに付きっきりになってしまう

寂しさを募らせるクレオは、その地にまつわる伝統の一部だけを解釈し、悪魔にお願い事をしてしまう

 

テーマ:寂しさからの自立

裏テーマ:乳母の限界

 


■ひとこと感想

 

ナニー(乳母)に育てられた少女が乳母離れをする物語ではありますが、実質的には乳母側もそこから離れる過程を描いていました

ナニーのグロリアは出稼ぎでフランスに来ているだけで、彼女自身はお金を溜めて、現地でビジネスをしたいと考えていました

そんな中で、グロリアの母が他界し、娘が出産を控えるということになります

 

クレオの父も多忙で任せっきりなのですが、グロリア自身も一線を越えているところがあって、それが乳母離れを困難にしていましたね

仕事だと割り切るのもどうかと思いますが、フランスでの接し方を変えられない以上、実の息子や家族が反発するのも無理はないと思います

 

映画は、クレオのひと夏の体験ではありますが、まだ善悪の区別もつかず、自分本位なところがありましたね

それを咎めることもないのですが、情操教育の一環として、大人たちがクレオを追い詰めてしまっている側面も否めないのかな、と感じました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画のポスターヴィジュアルなどのイメージだと、もっとほんわかした内容なのかと思っていましたが、6歳の少女が闇堕ちするというとんでもない展開になっていましたね

何かしらの大人の儀式を見て、そのさわりを真似した悪魔にお願いをするシーンなどはゾッとしてしまいました

 

その一連の出来事がグロリアにバレてしまうのですが、何をしたかをちゃんと言えて、その理由もきちんと説明できたのは良かったと思います

育て方を間違えると、そこで誤魔化したり、嘘をついたりして、さらに悪い方向に進む懸念もあったと思います

 

物語性はさほどないのですが、闇堕ちからの海へのダイブの流れがスムーズ過ぎて、それを自然に演技して繋げていくというのが凄いことだなあと思いました

映画のラストには「L・P・コレイアに捧ぐ」と書かれていたのですが、おそらくは監督の幼少期の体験がベースにあるのかな、と感じました

 


カーポ・ベルデについて

 

クレオのナニーであるグロリアの母国は、カーボベルデ共和国と言い、アフリカ大陸の北西の沖合にある島国のことを言います

母国語はポルトガル語で、人口55万人ほどの小さな国となっています

もともとは無人の群島でしたが、15世紀頃に探検家が立ち入って、そこに入植の計画が立ち上がることになりました

熱帯地方における初期のヨーロッパ人入植地であり、1975年まではポルトガル領になっていました

 

1462年から植民地化が開始され、当初のポルトガル人はマデイラ諸島やアソーレス諸島で行ったように、西アフリカから奴隷を移入させて、砂糖の生産をしようと考えていました

でも、この島の厳しい気候や土壌の不毛さによって失敗してしまいます

それでも、インドやブラジルなどのを結ぶポルトガル船の寄港地として成功し、この役割のために植民地として存続することになりましたが、これが海賊を引き寄せることになってしまいます

フランスやイギリスの海賊の襲撃が行われ、カーボベルデの防衛のために要塞が建設されることになりました

 

16世紀から17世紀にかけて、奴隷貿易の中継地として栄え、島の中では、ポルトガル入植者と黒人奴隷の間で混血が進み、今日まで続くクレオール的な社会が形成されるようになりました

クレオールは「植民地ないし副王領生まれ」を意味する言葉で、人種を問わず植民地で生まれた者はクレオールと呼ばれるようになりました

19世紀になると、今度はカーボベルデから人が移住するようになり、その行き先はアメリカのマサチューセッツ州、ロードアイランド州をはじめとしたニューイングランド地方でした

20世紀になり、ポルトガルは各植民地にて、ポルトガル語とポルトガル文化を身につけた同化民とそれ以外の原住民と言う区分けを行います

これによって、ポルトガル市民と同等の権利を認められる同化民がいる一方で、原住民はそのまま奴隷的な生活を強いられることになりました

それでも、カーボベルデの住民にはこの「同化民」のカテゴリ分けをせず、ポルトガル市民と同等の権利が与えられたとされています

 

そして、1974年に起きたカーネーション革命によって、ポルトガルの左派政権が植民地戦争を終結させ、1975年には独立のための国家建設を行うようになっていきます

1975年6月30日の選挙にて、ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党が84%の得票を得て独立を果たします

その後もギニア=ビサウとの国家統一問題などがあったものの、両者間の対立が激しく、統合の動きは下火になっていきます

現在は、2007年に後発開発途上国から脱し、現在の体制に至っているとされています

 


ナニーの距離感の難しさ

 

本作は、母親が亡くなったために乳母(ナニー)に育てられた少女を描いていて、クレオの反応を考えると、実母の記憶はほぼないように思えます

グロリアはそんなクレオに対して、本当の母親のように接していて、この距離感というものが後々に問題になってしまいました

乳母との関係というのは非常に難しいのですが、母性を学ぶ上では母親として接する必要があるし、年齢を重ねていくうちに乳母であることを理解させていく必要があります

でも、クレオの年齢ではまだ乳母とは何かを理解できないので、そこまで至っていないという感じになっています

 

グロリアの帰国は急なもので、本来ならばクレオの精神的な成熟を以て乳母と母親の違いというものを理解させる時間があったと思います

でも、その機会を得られぬまま、急遽帰国することになってしまい、クレオからすれば理解が追いつかず、ただただ喪失感を募らせることになりました

この時に父親がフォローできれば良かったのですが、彼は多忙で、夏休みということもあって、ほとんど相手をしてあげることができませんでした

それでも、いち早くナニーを見つけようと動いていて、グロリアの帰国から1週間程度で次のナニーを見つけるに至っていました

 

次に来るナニーは母親的な要素が皆無のナニーで、いわゆるメイドに近い存在であると思います

クレオがそれで満足するのかはわかりませんが、おそらくは母親というよりは姉妹もしくは友達のような感じになっていくのでしょう

もし、グロリアがそのスタンスでナニーとして接していたらどうなったかはわかりませんが、おそらくは結果は同じようなものになったと思います

それぐらい、日々の関係性よりも、喪失という現実の方が先走ってしまうものなのかな、と感じました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、喪失感を抱えるクレオのために、父は彼女をカーボベルデに向かわせるのですが、そこでクレオが闇落ちをする、という展開を迎えます

グロリアの家族はクレオを娘扱いしていることに反発し、グロリアの息子セザールは、自分を放って置いて、異国の子どもに愛情を注いでいることに怒りを覚えていました

この歪な関係がクレオをさらにおかしくさせていて、そこにナンダの子どもが生まれたことで、さらに闇落ちを加速させることになりました

クレオは現地の迷信のようなものを自己解釈し、赤ん坊を悪魔に連れ去ってほしいと願うまでに至ります

 

実に短絡的な思考で、赤ん坊がいなければ自分が相手をしてもらえると思うのですが、実際には赤ん坊の喪失は更なる疎遠を生み出すことになります

グロリアの家族は悲嘆に暮れ、クレオの相手をするどころではなくなります

また、クレオが思ったことが露見すると、家族は攻撃的になって、排除する方向に動くでしょう

まるでクレオが悪魔の使いのように思えて、ヘイトに晒されることになると考えられます

 

結局のところ、悪魔はクレオの願いを聞き入れず、クレオ自身が何かをしてしまう前に事態は収束に向かいます

家族たちは行動なくても思想があることから距離を置くことになりますが、グロリアだけはクレオの味方をしてくれました

でも、それが却ってクレオのしようとしたことの意味を増長させ、予期せぬ行動へと向かわせることになりました

彼女をここまで追い込んだものの正体は何か?

それこそが、ナニーとしてグロリアが教えていかなければならなかったことのように思えてしまいます

 

愛とは、ただ一点に注がれるものではなく、その対象以外にも注がれるものであり、その局所性というものはいずれ自分自身を傷つけることになります

クレオに愛について語る時、グロリアは自分自身の家族も愛していることを伝えるべきだったのでしょう

あなたと同じくらいに愛している人が海の向こうにいて、私は彼らのためにここにいるという

それを伝えた時にクレオがどんな理解をするのかはわかりません

でも、それを伝えることで、いずれは去っていく人であることは漠然と理解できると思うのですね

そうした感覚的なものは言語能力が備わると同時に言語化されていくものでしょう

その時に理解できないことでも伝えるべきことは伝える

そうした積み重ねが子どもを育てることになり、ある瞬間において結合して意味になるのだと思いました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/101211/review/04048081/

 

公式HP:

https://transformer.co.jp/m/cleo/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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