■見た目で距離を置くのは生存本能なので、それを解消するのは無理だと思う
Contents
■オススメ度
子ども向けのドタバタコメディが好きな人(★★★)
原作ファンの人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.10.12(TOHOシネマズ二条)
■映画情報
原題:The Bad Guys
情報:2022年、アメリカ、100分、G
ジャンル:見た目で悪党のレッテルを貼られてしまう五人組が、自身のイメージと戦いながら成長を果たしていくクライム・コメディ映画
監督:ピエール・ペリフィル
脚本:イータン・コーエン&ヒラリー・ウィンストン
原作:アーロン・ブレイビー/Aaron Blabey『バッドガイズ(2015年、辰巳出版)
キャスト:
サム・ロックウェル/尾上松也(ミスター・ウルフ:ハイイロオオカミ、スリの達人、「バッド・ガイズ」のリーダー)
マーク・マロン/安田顕(スネーク:ウルフの親友、イースタンブラウンスネイク、金庫破りのプロ、ウルフの親友)
オークワフィナ/ファーストサマーウイカ(タランチュラ/ウェブ/マタ・フェアリー:メキシカンレッドニータランチュラの天才ハッカー)
クレイグ・ロビンソン/長田庄平(シャーク:ホホジロザメの変装の達人)
アンソニー・ラモス/河合郁人(ピラニア:ピラニア・ナッテリーの肉体派野郎)
リチャード・アイオアディ/山口勝平(ルパート・マーマレード4世教授:バッドガイズに更生プログラムを提案する慈善家)
バーバラ・グッドソン/京田尚子(ウルフが助ける老婦人)
ザジー・ビーツ/甲斐田裕子(ダイアン・フォクシントン:ウルフたちを挑発する新任知事、アカキツネ)
アレックス・ボースタイン/斉藤貴美子(ミスティー・ラギンズ署長: 短気な性格の人間の警察署長)
リリー・シン/高橋真麻(ティファニー・フラフィット:大袈裟な報道をするニュースキャスター)
■映画の舞台
アメリカ:カリフォルニア州ロサンゼルス
人間と動物が一緒に暮らしている世界
■簡単なあらすじ
オオカミの見た目で怖がられてばかりのミスター・ウルフは、普通に人間たちと接することができずにいた
親友のスネークも同じように見た目で阻害されていて、ウルフの元にはそんな連中が集っていた
いつも通りに銀行を襲って金を盗んでは、ラギンズ署長に追いかけられる日々を過ごしている
だが、彼らは一度も捕まることがなく、好き放題やってきたのである
ある日、街に新らしく知事ダイアンが赴任してきた
彼女は「善の祝祭で渡される黄金のイルカ像は誰にも盗めない」と豪語し、テレビを通じてウルフたちを挑発するのである
ほどなく、祝祭に紛れ込んだウルフたちだったが、そこでウルフが一人の老婦人を助けたところから物語は展開を迎えていく
善行によって心が満たされることを知ったウルフは自分の行動に悩み始め、やがてスネークたちとの心の距離になってくる
そして、善人になりたがるウルフを捨てて、スネークは一人悪党と手を組み始める
その相手は、誰からも慈善家として愛されるマーマレード教授で、彼には裏の顔があったのである
テーマ:レッテルの愚かさ
裏テーマ:貼っているのは自分
■ひとこと感想
子ども向けの原作がベースで、カワイイキャラがドタバタしているのを眺めるタイプの映画でしたね
大人への教訓というのはさほどなくて、子どもなら楽しく観られるのかなと思います
普段は吹き替えは観ないのですが、字幕で鑑賞できる映画館がほとんどなく、時間帯ま合わなかったのでやむを得ずという感じでしたね
お笑い芸人が起用されているハズレ感を覚悟していましたが、ことのほか皆さんうまくて、世界観にも合っていましたね
芸人起用だから行かないというのは少しもったいない気がします
とは言え、やはり完全に子ども向けで、見た目で怖がられているので、捻くれて悪をやっているという設定なので、かなりスッカスカな感じになっています
人間と共存している世界なのか、単に見た目でハンデを負っている人を誇張している世界なのかよくわかりませんでした
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
主人公が台詞でテーマを話しちゃう系なので、メッセージ性はストレートすぎて笑えてしまいます
何よりも、見た目が怖い設定なのに、全てのキャラがかわいい系に寄せているという謎ビジュアルで、彼らを怖がる方が問題あるんじゃないかと思わせてくれます
実は良い人が悪い人だったという古典的な展開を迎え、その流れはあまりスムーズではありません
というか、出オチでラスボス感がモロバレなので、予定調和として楽しむ方が良い感じでしょう
作画的には動きまくるのですが、表情があまり動かない不思議な感じになっていましたね
キャラの表情が乏しいけど、声優さんの演技は全力という、なんとも奇妙なバランスになっていたと思いました
■見た目というレッテル
本作に登場する「バッドガイズ」の面々は、自然界において怖い存在になっていて、共通するのは「捕食する側」と言うことになります
オオカミ、タランチュラ、シャーク、ピラニア、スネークと肉食系で獰猛と言うイメージがありますね
見た目はデフォルメされていると可愛くもなりますが、実物は怖いものが多い
彼らに恐怖を感じるのは、単純に人間が襲われる可能性があるからでしょうか
このあたりはそれぞれの習性を詳しく見ていくことになりますが、あえて人間を襲うと言うイメージはありません
映画では「見た目で他の人(主に人間)から怖がられている」のですが、この5人以外に動物の見た目をしているのはアカキツネの知事とモルモットのマーマレード教授だけだったりします
アカキツネは人を騙すイメージで、モルモットも犠牲になってしまう対象になっていて、これらもかつての古典で培われたイメージを踏襲しています
ある意味、動物たちには迷惑な話ですが、人類の共通認識として育ってしまっているものをそのまま捻らずにトレースされていると言えます
そして、物語はその見た目と言う名のレッテル(イメージ)と真逆に変化していく様子が描かれています
怖いイメージの5人は悪者から善人になろうとしますし、ずる賢い知事は自分の姿を見て変化します
また、教授はそのイメージを利用して、人を操るキャラになっていて、すべてを裏返らせようとしているために、物語の顛末というものが読めてしまいます
この映画で不思議だったのは、彼らがもともと動物で人間界に溶け込んでいるのか、人間なんだけど見た目が動物に似ているから「人間からすればこのように見えている」というものを誇張しているのかどちらなのかということなのですね
また、彼らの天敵になるような動物は出てこないので、彼らが恐怖の最高潮みたいな感じになっています
『ズートピア』みたいに様々な動物が人間と共存している世界ならその中でもさらに疎外感を感じるというのは理解できます
でも、マイノリティ側になっていると、どうしてもバランスが欠けてしまうような気がします
また、主要キャラしか動物の見た目がいないという世界で、この世界の人間は署長以外はただ怖がる市民だけでした
なので、もともと人間の姿をしているのだけど、「彼らの行動があのような姿に見えている」のかなと思ったりもしました
■更生プログラムという闇
慈善家であるマーマレード教授は「バッドガイズ」を更生しようと考えますが、実際には「彼らを利用して汚いことをすべて押し付ける」という陰謀がありました
教授の更生プログラムは「胡散臭さ全開」で、彼が慈善家であるところも皮肉が効いていますね
いわゆる善意を持って他人を変えようと考えるのですが、そもそも人の行動の原理や原因を無視して、その表面化した行動だけでそれを正そうと考えるのが間違っているのですね
ウルフたちがなぜあのような行動を取っているのかという深いところには立ち入らずに、彼らの悪しき行動だけを取り上げていきます
まるで、公共的な利益になると言わんばかりなのですが、彼らを社会から追い遣っているマジョリティ側の決めつけというものはスルーしていきます
でも、これには教授なりの思惑があって、彼は「自分のイメージを最大限利用して、裏で隠れてコソコソする」というものがありました
また、見た目的なものからほとばしる「常に被害者に見える」というものがバッドガイズたちの対比になるので、それによって罪をなすりつけやすいというものも利用していました
すべての慈善活動がこのような構造になっている訳ではないのですが、他者のマインドを変えることで利益が発生する仕組みというのは昔からたくさんあります
現在の日本で問題になっているものも、「良かれと思って信念を持っている人」を隠れ蓑にした経済活動があるからで、彼らの論理だと神と正義の行いなのですね
でも、それに興味のない人がその活動に遭遇すると、それは人格否定という攻撃に通じるものなので、大体の人は拒否反応を示します
そんな中でも活動が広がり続けるのは、人生に意味を考えようとする人が多いことと、自分自身に自信が持てない人が多いからだと思います
慈善といえばチャリティー関連のテレビ番組などもそうですが、わざわざ他人の人生に土足で踏み込んで、それを見せ物にして経済活動をしているように見えます
企業から広告費を収入にし、参加するタレントにお金を流すというのが経済活動でないというのなら、それは詭弁というものでしょう
この映画では「慈善家の裏の顔」という皮肉をガッツリと込めていて、それにNOを突きつける内容になっているのは痛快だと思います
そして、この顛末が痛快に感じるのは、そのような活動によって対象者が救われるとは思っていないからだと思います
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作では、バッドガイズがグッドガイズになる物語でもあり、教授が転落する物語でもあり、見た目の逆転というものが主軸になっています
これに対して反応する人間は署長になるのですが、それほどまでに彼らの変化を受け入れてはいません
それは、署長が「疑うことを前提に人を見る警察官」だからだと言えます
ずっと悪いことをしてきたバッドガイズには、それ相応の罪が必要なわけで、最後の善意で帳消しになるものではありません
本作では、それをちゃんと描いていたのは常識的だったかなと思いました
世の中には「普段の素行が悪ければ悪いほど小さな善行がよく見える」ということがあり、普段の素行はその人物のイメージを形作っています
そのイメージが強ければ強いほど、ふとした善行はものすごい良いことをしたかのように見えるのですが、実際にそれが大きな変化であるとイメージを覆すまでには至りません
でも、信用は一瞬で地に落ちるように、善行の積み上げもたった一つの些細な悪行ですべてが台無しになることもあります
積み上げてきたものは善行というよりは、その行動によって培われるその人のイメージで、悪行はその裏側を指しているものだと言えるでしょう
普段、自分がどのように見えているかはわかりませんが、ある程度誰もがセルフプロデュースをしているものなのですね
幼少期の「良い子でいよう」というところからそう言ったセルフプロデュースが始まっていて、それは「周囲の視線に自分を迎合させることで、相手の落胆を生まないこと」につながるからです
落胆は時に怒りになり、人は自分が見たいように対象物が見えないと機嫌を損ねる生き物だったりするのが厄介なのですね
それくらい、人は対象をイメージ化しないと認知できないのですが、それはある種の生存本能の表れなのだと思います
映画ではオオカミ、シャーク、ピラニア、タランチュラ、スネークが「見た目が怖い」という理由で人間から距離を置かれるのですが、見た目で判断するというのは人間の本能的なものなのですね
なので、ぱっと見で危険だとわからないと距離を置けなくなってしまうので、生存本能が脅かされることになります
でも自然界にはもっと厄介な生き物がいて、見た目はそうでないけど食べると死ぬみたいなものもたくさんあります
また、一撃では死なないけど、徐々に蝕んでくる系というものがあって、これが本作では慈善家になっていましたね
イメージを利用して本能を隠し、それによって相手に知られぬままに利益を得る
これが現代の最も深い闇の一つで、ある程度の知識と知能があればその犠牲にはなりにくいものです
私の家にもたくさんの祈り人がきますが、単純に「興味がない」と切り捨てる時もあれば、「断られることも試練ですかね」と嫌味をいうこともあります
言ったことはないですが、一番きついのは「この本を買ったらいくら手元に入るのですか?」みたいな「ビジネスお祈りなんでしょ」ということのように思います
おそらくは否定するのでしょうが、「この本で得た利益は誰の懐を温めて裕福にするのか考えたことがありますか」と言ったらどんな顔をするか見てみたかったりします
実際には、それで生命の危機が訪れることも起こり得る現代なのでやりませんが、自分の信仰をビジネスと捉えられることが一番嫌なんじゃないかなと考えています
某団体もビジネス路線だけは頑なに否定しますが、寄付にしろ購入にしろ「消費税ぐらいは徴収したらどうか(してるのかな? しているとしたら領収書必要ですよね)」と思います
宗教を利用したビジネスでも適正に課税をすれば、お金の流れを管理しなければならないと思うので、単純に「どんな手段であれ団体に入ったお金」に関して課税するで十分だと思うのですね
100万円の本の裏に「税込」って書いているだけで現実に戻れると思うので、それで救われる人もいたりするんじゃないでしょうか
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/381763/review/f84df84b-d088-4cce-9a51-aeef551a2d1b/
公式HP: