■シュールなダンスシーンがすべてを持っていく、デュアルのないデュアル映画でした


■オススメ度

 

クローンを扱った映画に興味がある人(★★★)

カレン・ギランさんを堪能したい人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2022.12.13(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:Dual

情報:2022年、アメリカ、95分、G

ジャンル:余命宣告を受けた若い女性がクローン技術の弊害に巻き込まれていくSFスリラー

 

監督&脚本:ライリー・ステアンズ

 

キャスト:

カレン・ギラン/Karen Gillan(サラ:余命宣告をされ、クローン・プログラム「リプレイスメント」を利用することになった女性)

カレン・ギラン/Karen Gillan(ダブル:自我が目覚めるサラのクローン)

 

アーロン・ポール/Aaron Paul(トレント:サラを鍛えるトレーナー)

Hulda(コナー:トレントが飼う犬)

 

テオ・ジェームズ/Theo James(ロバート・マイケルズ:デュアル(決闘)を行ったオリジナル&ダブル)

 

ピューラ・コアレ/Beulah Koale(ピーター:サラの恋人)

Maija Paunio(サラの母)

 

Sanna-June Hyde(サラに余命宣告をする消化器医)

Rea Lest(救急病院の受付)

 

Andrei Alén(「リプレイスメント」を行う「ファシリティ」の技術者)

Amira Khalifa(「ファシリティ」の受付嬢)

 

Kris Gummerus(トム:「ファシリティ」のメディア・リレーション担当者、動画に登場する男)

Elsa Saisio(トムの妻)

Remu Valissari(トムの子ども)

Minca Valissari(トムの子ども)

 

Elina Jackson(「デュアル」を取り仕切る女)

 

Nico Siekkinen&Jani Sikkeinen(映像教材に登場する青年)

Katarina Havukainer(バーバラ:映像教材の叫ぶ女)

 

Darren McStay(サラのダブルにつく弁護士)

 

Ellen Hölttä&Irmeil–Unelma Hyde(双子の少女とそのダブル)

Sophia Heikkilä(双子の少女の母親)

 

Robert Enckell(カール:セラピーの代表)

Paul V.Brown(ダリル:セラピーの参加者)

 

Tiia Ennala(遺体安置所の遺体)

Yuko Takeda(検死官)

 


■映画の舞台

 

フィンランド:タンペレ

タンペレ

https://maps.app.goo.gl/QB4hBWswkpQWm1oi6?g_st=ic

 

ロケ地:

フィンランド:タンペレ

 


■簡単なあらすじ

 

余命宣告を受けたサラは、恋人ピーターと離れていることを寂しく想っていた

病気のことはピーターにも母にも内緒で、彼女は密かに「リプレイスメント」を受けて、ダブルを作ることになった

 

だが、ダブルを作った途端に担当医から「症状は寛解した」と告げられ、ダブルは廃棄処分にすることになった

ダブルは自我を持ち、合衆国憲法で定められた方法に則って、オリジナルに決闘(デュアル)を挑むことになった

 

そこでサラはトレントという名のトレーナーに鍛えてもらうことになり、様々な特訓を始めていく

 

ピーターもサラの母もダブルを好意的に受け止めていて、サラの居場所がとうとうなくなってしまう

そして、運命を決める「デュアル」の時が刻一刻と近づいてきたのであった

 

テーマ:愛着と逃避

裏テーマ:クローン技術の問題点

 


■ひとこと感想

 

カレン・ギランさんがオリジナルとクローンで奮闘という映画で、どうやって撮ったのかと思わせる映像も随所にありました

基本的には会話劇で、小難しいことから日常会話まで、そのどれもが説明的になっています

 

あまり表情が豊かではないキャラ設定になっていて、油断するとどっちがオリジナルかわからなくなってしまいます

 

映画はラストシーンで解釈が分かれるとのことですが、解釈は一択のように思えます

冒頭のデュアルのシーン以外に動きが少なくて、睡眠不足だと眠ってしまう可能性が高いと思います

 

設定やシーンでクスッと笑えるシーンもたくさんあるので、シュールさというものを好意的に見られるかどうかで評価が分かれるような気がしました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

ラストシーンはどっちが生き残ったのかで解釈が分かれる感じになっていますが、ピーターと母の落胆を考えると、「オリジナルだと嘘をついているダブル」であることは明白だと思います

この二人がクズ中のクズで、オリジナルよりもダブルを愛し、オリジナルが死ぬことを待望していたりします

結局のところ、オリジナルがダブルが用意した毒入りの水を飲んだ死んだというオチなのですが、ちょっとわかりにくいかなと思います

オリジナルが死ななければダブルは廃棄というのが定められていますが、相当オリジナルの過去がアレなのか、実母と恋人がダブルを選ぼうとしているのは洒落になりません

 

ダブルはクローンではあるものの、どこまでがクローンとして完成されているのかはよくわからない感じになっていました

映像としては面白いのですが、物語が暗くて単調で、ダンスレッスンのシーンだけが異彩を放つという、こちらも意味不明な展開が滑稽でもありました

 


クローン技術について

 

クローンとは「同じ遺伝子情報をもつ生物集団」のことを指し、「核はその生物の全ての遺伝情報をもつために、核を取り除いた卵細胞に別の個体の細胞から取り出した核を移植すると、威嚇を提供した個体を全く同じ遺伝情報をもつクローンを創ることができる」とされています(東邦大学:生物分子科学科のHPから引用

クローンの語源はギリシア語の「κλών klōn」で、「小枝の集まり」を意味しています

1903年にハーバート・ウェッパー(Herbert John Webber)によって「栄養生殖によって増殖した個体集団を指す生物学用語として「Clone」という言葉が使われ、その意味は「挿し木」となっています

 

クローンはもの凄い科学技術に思えますが、実際には自然界に存在するもので、例えば無性生物は原則的にクローンを作ることになります

もちろん、単細胞生物の細胞分裂はクローンであり、有性生殖をするまでの生物はすべてクローンだったりします

有性生殖が起こると異なる遺伝情報がミックスされるため、純粋なクローンにはなりません

 

クローン技術に関しては、植物の挿し木などで行われていて、体細胞を材料とするクローン技術を「メリクロン栽培」として確立されています

この他には「胚分割」を利用したクローン技術によって、人工的なクローン動物の作成がなされました

また、「核移植」に関しては「生殖細胞(胚細胞)移植を胚細胞核移植」と言い、「体細胞由来を体細胞移植」と言います

1998年に若山照彦らのグループによって、細胞融合を行わずにクローン個体を作成する「ホノルル法」というものを開発し、現在のクローン技術の標準となっています(若山照彦さんといえば「STAP細胞はありまあす問題」を思い出してしまいますが)

 


サラのダブルは本当にクローンだったのか

 

映画では「唾液で1時間で作成できるクローン」となっていて、物語はそれが「本当にクローンである」という前提で進んでいきます

私が不思議に思ったのは、クローンはクローンなんだろうけど、実はあらかじめ用意されていたものなのかなと思ったことですね

できるの早すぎる問題もさることながら、性格も少し違うし、骨格も少しばかり違う感じになっていました

なので、実は「幼少期とか赤ん坊の時に作られたクローン」で、それを社会で浸透させるためか、デュアルという見せ物を維持するために生産されたものかなと思っていました

映画的にはどっちでも問題ないように作られていましたね

 

冒頭のロバート・マイケルズはダブル(クローン)が勝ったことによって「オリジナルを名乗ることが許される」となっていましたが、サラのダブルはなぜか「オリジナルである」と偽装していました

これが家族と恋人の落胆を生み、さらにはダブルを苦悩させる結末になっていましたね

彼女がなぜ嘘をついたのかはよくわからなかったのですが、自分自身がオリジナルであると思い込んでいて、その言葉が出てしまったのかなと思いました

 

本来ならば「デュアル」を行った上で「オリジナルを継承」というのが筋だったのですが、アクシデント(もしくは故意)によってオリジナルは毒殺され、デュアルは行われませんでした

でも、デュアルへの不参加はそのまま敗戦扱いになるはずだったので、そこでダブルがダブルであることを告げれば、彼女の思いのままにオリジナルを踏襲できたでしょう

問題はデュアル以前に起こったことがデュアルにどんな影響をもたらすのか(資格の取り消しになる?)がかよくわからなかったところでしょうか

 

映画ではサラ(ダブル)の苦悩を描いているというよりは、これらの技術のある世界観というものを描いていたように思えました

特にデュアルに向かうまでの過程が綿密で、洗脳VTRからのトレントのとの特訓はシュールすぎて「笑ってはいけない」みたいな感じになっていましたね

この時のサラの体の動きのもっさり感がすごくて、お金が払えなくなった時にダンスを教えるシーンは、体を張ってるギャグにしか思えませんでした

あのシーンではサラの方が教えているはずなのですが、どう見ても「トレントの方がダンス上手いんだろうなあ」と思わせる体幹の使い方などがあって、さらにコミカルなシーンになっています

サラの方が体を大きくて手足が長いので華麗に踊っているように見えますが、意外なほどに動きは散漫でリズムもうまく取れていません

おそらくは狙っているのでしょうが、下手に踊ることを強要されているかのようなトレントのダンスは役者だなあと思ってしまいます

 

これらのシーンに見られるように「デュアル」が最高地点になるはずだなのですが、映画は「デュアル」を描かずに終わります

これは狙っているのだと思いますが、観たいものが寸止めで終わった感があって、賛否を生んでいるのかなと思ったりもしますね

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

この映画では「ダブルの方が彼氏と家族に好かれる」という物語になっていて、それに対して憤りを感じているサラが描かれていました

ピーターはゲス野郎で、自分に都合の良いダブルを選びますし、母も同様で、オリジナルが彼らとの関係をもつ意味もあまり感じません

なので、ダブルにピーターと母をあげても良かったんじゃないのとさえ思ってしまいます

 

サラと彼らの関係が悪いのはどちらにも問題があるわけで、サラの異常なまでの執着からピーターは離れたかったのだと思いますし、その執着さの原点は母親にあったりします

悪いところを受け継いでいる感じで、それがダブルにはないところに「ダブルは実はクローンではない」のではと思わせるところがあるのですね

映画に出てくるオリジナルとダブルは記憶が正しければすべてダブルが勝ってオリジナルになっていました

なので、入れ替えることを目的としている謎の勢力があるのかなと思ってしまいます

 

映画では背景はほとんど描かれず、「ファシリティ」がどんな存在なのかは曖昧になっていました

これが国家的な陰謀なのか、一企業の暴走なのかもわからないまま終わるので、考察以前に不穏さだけで突っ走った感が強かったですね

個人的な好みによって分かれるとは思いますが、背景知りたい派にはウケが悪いかもしれませんし、このシュールな世界観を楽しめた人にとってはアリなのかなと思ってしまいます

個人的には「面白かったけど色々と投げ過ぎやろ」と言うのと、「展開が単調で眠気との戦いになる」ので評価は低めでした

カレン・ギランさんが好きで鑑賞したのですが、ほとんどが無表情なシーンが多かったので、ちょっと残念かなと思ってしまいました

ダンスシーンが観れたのが収穫ですが、ガチであの実力なのかは気になってしまうところですねえ

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/384252/review/b51a4d3f-a40f-4bf8-a822-4d6cc60447f3/

 

公式HP:

https://dual-movie.jp/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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