■健全な男子なら絶対にしそうなことをしないのは何故なんだろう
Contents
■オススメ度
イケメン無罪系の少女コミックが好きな人(★★★)
キャストのファンの人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.3.15(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
情報:2024年、日本、108分、G
ジャンル:妄想を呟く女子に訪れるリアルな恋愛を描いたラブコメ映画
監督:三木康一郎
脚本:おかざきさとこ
原作:藤もも『恋わずらいのエリー(2015年、講談社』)
Amazon Link(原作コミック:1巻) → https://amzn.to/3Tez1Bs
キャスト:
宮世琉弥(近江章:学校イチのモテ男子、テニス部)
原菜乃華(市村恵莉子/恋わずらいのエリー:妄想を匿名で呟く高校生、卓球部)
西村拓哉(要陽一郎:恵莉子のクラスメイト、園芸委員)
白宮みずほ(三崎沙羅:恵莉子と仲良くなるコスプレ妄想系女子)
綱啓永(高城礼雄:沙羅の幼馴染、近江の友人)
藤本洸大(青葉洸:近江の中学時代の同級生、テニスのライバル)
宝積千紘(青葉の友人)
小関裕太(汐田澄:恵莉子の国語の先生、近江の叔父)
NiziU(ラストに登場する同級生)
小手伸也(沙羅が傾倒する肖像画)
山本藍(近江の追っかけ)
斉藤里奈(尾上:近江の追っかけ)
葉山さら(恵莉子のクラスメイト、下駄箱)
大平萌笑(恵莉子のクラスメイト、下駄箱)
道北陽菜(恵莉子のクラスメイト、球技大会)
村山朋果(恵莉子のクラスメイト、球技大会)
糸瀬七葉(恵莉子のクラスメイト)
浜田野乃華(恵莉子のクラスメイト)
安達木乃(文化祭実行委員)
川道さら(文化祭実行委員)
横田真子(文化蔡実行委員)
喜納唯(文化祭実行委員)
萩沼榮音(文化祭実行委員)
山口夏弥(文化祭実行委員)
兒玉宣勝(園芸部の先生?)
増田怜雄(卓球の審判?)
樋之津林太郎(卓球部の部員?)
奥屋敦士(ハンドボール部、文化祭の委員)
山崎雄大(テニス部?)
八神慶仁郎(テニス部)
高橋紗良(卓球部の先輩)
徳永智加来(卓球部の先輩)
松永幸士(恵莉子のクラスメイト)
■映画の舞台
藤桃学園高等学校
ロケ地:
千葉県:松戸市
光英VERITAS中学校・高等学校
https://maps.app.goo.gl/jnEnCzKXwBrBRX4i8?g_st=ic
東京都:日野市
明星大学
https://maps.app.goo.gl/oMZvBgz2YEJ4Xcwq6?g_st=ic
神奈川県:藤沢市
新江ノ島水族館
https://maps.app.goo.gl/dXWjmyQCWset6QcZ6?g_st=ic
東京都:江東区
有明テニスの森公園
https://maps.app.goo.gl/ugpJwNPimR1fDVzr5?g_st=ic
東京都:立川市
立川ルーデンステニスクラブ
https://maps.app.goo.gl/FXhAFq8KgmXng9KY9?g_st=ic
神奈川県:鎌倉市
七里ケ浜海岸公園
https://maps.app.goo.gl/tiUGgAjvFae9DFCG6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
学校イチのモテ男子・近江との妄想をSNSで呟く恵莉子は、距離を縮める努力もせず、遠くから望遠鏡で眺めては、あらぬことを考えまくっていた
ある日、廊下で近江の声を聞いた恵莉子は、その声の先にある国語教師・汐田の部屋の前へとやってきた
恵莉子はそこで、追っかけからもらったお菓子を乱暴に扱い、悪態をつく近江の本性を知ってしまう
故障したドアが倒れて盗み聞きがバレた恵莉子は、慌てて逃げるものの、スマホを落としてしまい、彼に「妄想していること」がバレてしまった
近江は本性をバラさなければ「妄想を叶えてやってもいい」と言い出し、恵莉子の妄想はさらに膨れ上がる
恵莉子はクラスの中では透明人間のような存在だったが、球技大会での活躍が認められて、文化祭の実行委員に選ばれてしまう
奮闘する恵莉子は、さらに色んな雑用を押し付けられるようになり、そこで園芸委員の要と出会う
要も目立たない存在で、友達もいない男だったが、彼はある「妄想」を面白がっていて、それをフォローしコメントを返す存在だった
そして、ある日を境に、要は恵莉子が「恋わずらいのエリー」であることを知ってしまうのである
テーマ:妄想と現実
裏テーマ:自分の世界を拡げるコツ
■ひとこと感想
ジャニーズ系王子様が登場して、一般女子と恋仲になるというタイプの映画だと思って観ていましたが、案の定、主演のファンの女子高生たちの黄色い声援とため息が飛び交う異様な空間になっていました
お約束のように主人公の周りに徐々にイケメンが集まってきて、取り合いになる系の物語かと思っていましたが、予告編から感じるドロドロ感というものはなかったように思います
映画は「仮面男子と仮面女子の邂逅」ということで、SNSでの裏の顔を持つJKと表だけイケメンの男子が恋愛騒動に発展する様子を描いていきます
いわゆる「本当の私を知っているのはあなただけ」状態で、秘密の共有によって接近していくことがわかります
そして、これまた案の定といった感じで、秘密を知るライバルが登場するのですが、この男は「恋愛ではなく友情を求めている」という不思議な存在になっていました
とは言え、異性に近づく同性というところからライバル心と嫉妬心が芽生えという感じになっていて、それが恋愛の障壁になっていたように思えました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
SNSで妄想を呟くというアブないタイプの主人公ですが、脳内妄想の可愛らしさからセーフのように描かれています
おそらくは低年齢向けの原作だと思いますが、後半の妄想は肉体関係を思わせるものまであって、なかなか攻めたものだったように思えました
基本的に主演のファンの人がヒロインに自分を重ねる系なので、それ以外の層には響きようがないシナリオになっていましたね
ツッコんだら負けという感じの学園ドラマで、今も昔も変わらないのだなあと思わされます
イベントごとに距離を縮めるタイプの映画で、それがないと動かしようがないというのがネックで、それゆえに特徴がないように思えます
SNSでの妄想を知っている近江が彼女のアカウントをフォローして、という感じにならないのは不思議でしたね
そこで彼女に執着するペロリーナと場外乱闘になっても良かったように思えました
■ぼっちなのは瞬間か、永遠か
本作は、ぼっちがあらぬ妄想をしていたら、それが現実になってしまったという物語になっていました
妄想は恋愛小説のようにも思え、それによって結構なフォロワーがいたりします
そのうちの一人が近いところにいるというあるあるで、エリーという名前から想像がつかなかったのは、ペロリーナの眼中になかったから、だと思います
彼が共感したのも「属性が同じ」と感じたからで、この映画には「リア充に見えてぼっち」というキャラクターが多く登場していました
彼らは「心理的ぼっち」という状況になっていて、本当の自分とは違う自分を演じている、ということになります
それが起こっているのが「他人には自分のことはわからない」という思い込みですが、同時に「こう見られたい」「このような人間関係を築きたい」というものを具現化したものになっています
人間関係が面倒だと思っているけど、ある程度の繋がりが欲しいというもので、このあたりの微妙な匙加減が難しい年代にもなっています
大人になれば、人と人は分かり合えないものだという結論にいたり、役割によって求められる自分を隔離し、本当の自分が生きていける場所というものを探していきます
ありのままでいたいけど、それを認められたいと思うのは若気の至りのようなものですが、嫌われることにためらいや怖さがあると、このような心理に陥ってしまいます
ドライな言い方をするようですが、誰からも愛される人もいなければ、誰からも嫌われる人もいないのですね
人生というスパンにおいて、出会う人の5%ぐらいが物凄く親しくなれる人、15%が仲良くなれる人、60%ぐらいが興味がない人、15%がどちらかと言えば嫌っている人、最後の5%が恨むほど嫌う人、ぐらいの割合だと思います
好かれているなあと思える人は、その割合の多さだけ「嫉妬」などを買っていて、嫌われていたりするのですね
また、人生のスパンにおいてということなので、自分と親しくなれる5%が今は近くにいないということも起こります
その5%と長く付き合える人もいれば、物凄く瞬間的なんだけど、強い絆が生まれては切れるということもあるのですね
なので、自分から見えている人も同じような人間関係のカラクリで生きているだけだったりします
羨ましく思えても、それはあなたがその人を見ている時だけに見える人間関係なので、総括すると自分とさほど変わらないというふうに考えると楽になると思います
■勝手にスクリプトドクター
本作は、いわゆる王道系学園ドラマになっていて、クラスのモブが役割を与えられて認知される、という内容になっています
その中心となる人物が一風変わった人物で、その特性として「なりすまして妄想を語るアブナイ人」ということになっていました
もう一つの人格を作るのに多くの人がさまざまなことをします
恵莉子のように文字を使う人、コスプレなどで別人格に変わる人、別の役割を求めて違うコミュニティに通う人、などがいます
今回の場合は、文字と使って理想の自分を作り出し、そこに愛すべき対象を強引に入れ込んでいます
それが暴露された時、秘密の共有という建前で「妄想を実現する」ことになるのですが、近江目線だと「チャンス到来」のような感じになっています
二人がしっかりと目を合わせたのは「球技大会のチラシを取った時」なのですが、男目線だと「あの瞬間に近江は恵莉子に恋に落ちた」ように見えるのですね
そして、きっかけが生まれたことで「彼女の妄想に便乗して、自分のしたいことをしている」のですが、それが恵莉子にはわかっていないということになります
その後、イベントごとに二人の仲は親密になるというのを繰り返すのですが、並行して「恵莉子がクラスの仲間に認知される」という関係性の変化というものを描いていきます
これに対する「近江の心情」というものがそこまでうまく表現できていないのですね
秘密の共有から、無理やり自分のペースに持っていったけど、恵莉子自身がそのことで自信を持って変わっていってしまう
近江目線だと、嬉しくもあり、寂しくもあるのですが、彼女の人生の充実を考えると、その変化を阻害する存在にはなりたくない
こうした過程を経ていくうちに、近江は自然と「やりたいことをやらなくなってしまう」のですね
そして、恵莉子が気づいた時には、近江との距離感が絶望的なものになってしまっている、というストーリー展開が必要だったように思います
でも、映画は男の嫉妬をくすぐって、恋愛モードによる心の疎遠を描くだけになっていて、それは一般的な恋愛映画と変わらなくなってしまいます
本作の本懐は、「恵莉子がなぜSNSで妄想を呟いているのかを近江が知る」というところなのですが、最終的には「それが趣味だから」みたいな感じで投げられてしまっているのですね
近江がモテキャラを演じている理由もさらっとふれるだけで、この状況に追い込んでいるものの正体までは届きません
それを描くともっとダークになってしまうのかもしれませんが、そのなりすましが「本当の人生を影に隠している」というところがあるので、そこから抜け出してこそ、物語は終わりを告げるのではないか、と感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作の原作は未読なのですが、不思議に思ったことがひとつだけあります
それは、近江の方にも恵莉子への好意があるのにも関わらず、彼は恵莉子のSNSの掘り下げを行わないことなのですね
彼女をフォローもしないし、彼女の過去の妄想がどんなものかも探りもしない
さらには、近江が恵莉子を好きになっていく過程というものもあまり明確には描いておらず、気がつけばライバル登場で嫉妬するようなキャラクターになっていました
男目線だと、球技大会のチラシの段階で「他の女子とは違う何か」を感じていて、そこから偶然の再会で運命的なものを感じていると思います
また、SNSの妄想を眺めていくうちに「別人格を作っていること」がわかり、それが自分と同じ人種なんだと思わせていきます
彼女に対する興味がどんどん募っていっていると思うので、この段階まで来ると、青少年の妄想はヤバい方に突入しまくると思うのですね
しれっとSNSをフォローして、過去のツイート(ポスト)を読み漁り、彼女自身を理解しようと考えていく
その先に「恵莉子にとっての理想」を演じていくことになって、それが自分自身と乖離して苦しくなってくるのだと思います
その苦しさから恵莉子との距離を置き始めることになり、そこにライバルが出現して、手放したくないと思い始める
執着が生まれることで、飾らない自分が突出し、それが恵莉子の理想とかけ離れてくるのですね
でも、近江は恵莉子がどう思おうが、理想から遠ざかろうが、彼女を離したくないという一心から、気持ちをぶつけることになります
この状況は恵莉子を変えるきっかけになり、それは同時にSNSからの卒業を意味していくでしょう
映画では、そのような展開にならず、結局は何も変わらないまま関係性だけが変わっているように思えます
それで良いという人もいると思いますが、本作は少年少女への恋愛の道標にもなる作品なのですね
なので、泥臭くてカッコ悪くて惨めに見えるけど、その先にあるものを取るためには必要な通過儀礼である、ということを伝えてもよかったかもしれません
そういった奥深い面があれば、本作の印象はもっと変わったものになったのではないか、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100834/review/03604712/
公式HP:
https://movies.shochiku.co.jp/lovesickellie/