■子どもが見える世界の狭さは、どの国のどの世代も同じようなものだったりするのですね
Contents
■オススメ度
子どもの頃の不安定さを思い出したい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.4.11(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Lill-Zlatan och morbror Raring(小さなズラタンと親愛なる叔父)、英題:Mini-Zlatan and Uncle Darling(小さなズラタンと親愛なる叔父)
情報:2022年、スウェーデン&ノルウェー、81分、G
ジャンル:少女期の不安定さを描いた青春映画
監督:クロスティアン・ロー
脚本:エラ・レムハーゲン&ヤンネ・ビエルト&サーラ・シェー
原作:ピア・リンデンバウム『Lill-Zlatan och morbror raring(2006年)』
キャスト:
アグネス・コリアンデル/Agnes Colliander(エッラ/ミニズラタン:友達のいないサッカー好きの少女)
シーモン・J・ベリエル/Simon J. Berger(トミー:エッラが唯一心を開いている叔父、ヘアドレッサー)
ティボール・ルーカス/Tibor Lukács(スティーヴ:トミーの恋人、オランダ人)
ダニヤ・ゼイダニオグル/Danyar Zeydanlioglu(オットー:エッラを気にかける発明大好き少年、転校生)
マリア・グルデモ=エル=ハイエク/Maria Grudemo El Hayek(オットーの母、花屋さん)
ウィリアム・スペッツ/William Spetz(マイサン:トミーの同僚、美容師)
インゲル・ニルセン/Inger Nilsson(エッラのおばあちゃん)
ミカエル・ハーデンボルト/Mikael Wadenholt(おばあちゃんと一緒に住む三つ子)
パトリック・ハーデンボルト/Patrik Wadenholt(おばあちゃんと一緒に住む三つ子)
ロビン・ハーデンボルト/Robin Wadenholt(おばあちゃんと一緒に住む三つ子)
テレース・リンドベリ/Therese Lindberg(エッラの母)
ビョーン・エーケングレン・アウグスツソン/Björn Ekegren Augustsson(エッラの父)
エーダ・フィエルスタード/Eda Fjeldstad(ファニー・グレーン:花の届け先のカップル)
カスペル・ベルリンド/Casper Berglund(ダーヴィッド・スコット:花の届け先のカップル)
Mikael Melson(グレン:サッカー場のおっさん?)
ニルス・フィエルスタード/Niels Fjeldstad(バスの青年)
メロディ・ガンバディ/Melody Ghanbati(サッカー少女)
ミヌー・ティーゲル・トランデル/Miou Thiger Tholander(サッカー少女)
レデッカ・ウンディーン/Rebecca Undin(サッカー少女)
Petter Lindblad(サッカーで殴られる禿げた男)
デニス・クローグ=ベンネモ/Dennis Krogh-Vennemo(ステイン:カラオケ参加者)
フィーリップ・クオ/Philip Kuo(レストランのウェイター)
ローベット・ペリスコーグ/Robert Perlskog(サッカーの解説者)
ライラ・シェーストロム/Laila Sjöström(犬を連れた女)
■映画の舞台
スウェーデン
ロケ地:
スウェーデンのどこか
■簡単なあらすじ
スウェーデンのある街に住む少女エッラは、サッカーが大好きだが、気が合う同世代がおらずに一人ぼっちで過ごしていた
彼女には叔父のトミーがいて、エッラはトミーにべったりだった
エッラを気にかける近所の花屋の息子・オットーがいるものの、エッラは彼とは距離を置こうとしていた
ある日、両親が旅行に出かけるとのことで祖母の家に預けられたエッラだったが、そこには居場所がなく、抜け出してトミーのところに行ってしまう
エッラにとって最高の1週間が始まると思われたが、その日の昼過ぎに、オランダからトミーの恋人スティーブがやってきてしまった
二人きりの時間を邪魔されたくないエッラは、あの手この手でスティーブを追い出そうとするものの、それが裏目に出て、トミーを怒らせてしまう
トミーは週末にショーを控えていて、そこでスティーブに求婚しようと思っていたが、エッラの行動によって、いろんなものがおかしくなってしまうのである
テーマ:友達とは何か
裏テーマ:孤独を作るバリアの正体
■ひとこと感想
可愛い女の子が悪さをする系の物語で、叔父さん大好きエッラが騒動を巻き起こすという内容になっていました
原作にはオットー的な存在がおらず、これは映画オリジナルになっています
映画は、エッラが巻き起こす騒動を描いていますが、劇中ではトミーは彼女のことを「ミニ・ズラタン」と呼んでいるのですね
このズルタンはスウェーデンのサッカー選手ズラタン・イブラヒモヴィッチ(Zlatan Ibrahimović)のことを指します
彼女はとてもサッカーに詳しくて、大人に混じってもその会話ができるほどで、精神年齢がやや周囲よりは高めとなっています
それゆえに同世代とは馴染めないのですが、俯瞰してみると、自分勝手な面が多いように思えてしまいます
この辺りは環境が作り出したもののように思えました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作は、子ども向けの絵本が原作で、その世界観をそのまま映像にしたような感じになっていました
道徳的な部分もあり、少女期の特有の悩みを描いていますが、かなりコミカルな感じに仕上がっていました
出オチのようなキャラクターがたくさんいますが、キャラが立っていて面白かったと思います
トミーとスティーブが同性愛者ですが、普通に溶け込んでいる世界観になっていて、エッラもそのことを気にも留めていません
それよりも、友達が奪われると思い込んでいて、トミーを独占するためにどうしようかとあれこれ考えているように描かれていました
スティーブの居心地を悪くさせようと思っていたら、自分の方が居心地が悪くなってしまうのですが、好きな人が悲しむ姿を見るのが一番辛いことだと悟るのですね
そうして、彼女の行動力というものが、二人を後押しすることになります
エッラにとってのトミーの役割がオットーになるのかはわかりませんが、彼も同じように同世代からはみ出しているキャラクターなので、そのうち気が合ってくるのかもしれません
■ズラタン・イブラヒモヴィッチについて
本作の主人公エッラは、トミーからは「ミニズラタン」と呼ばれていて、これはスウェーデンのサッカー選手ズラタン・イブラヒモヴィッチ(Zlatan Ibrahimović)が由来となっています
1981年生まれのスウェーデン人で、主にストライカーとして活躍した選手でした
彼はそのキャリアにおいて570以上(クラブ所属で500ゴール以上)の記録を持っています
1989年の若年期に3つのクラブを渡り、1999年から2023年のプロ所属時に637試合出場で405のゴールを決めています
ユベントス、インテル・ミラノ、バルセロナ、ACミランなどの著名なチームでも大活躍した選手でした
国際的には、スウェーデン代表としてU18、U21と2021年〜2023年まで代表を務めていて、国際試合で122試合出場で62のゴールを決めています
この記録によって、彼はスウェーデンの歴代最高得点者となっています
エッラはズラタンが大好きなのですが、おそらく現役時代をそこまで知っている年齢ではないと思います
でも、スウェーデンの国民的英雄なので、ストライカー希望のエッラが彼のようになりたいと思うのは当然の流れなのでしょう
ほとんどの人は「エッラ」と呼ぶのに、トミーだけが「ミニ・ズラタン」と呼ぶのですが、彼にはエッラがしてほしいことがわかっているのだと思います
エッラは友達がいない少女で、人と仲良くすることができません
唯一、気が合うのがトミーだけで、彼がいなくなると本当の孤独に陥ってしまうのですね
エッラは「自分が気持ち良い」と思うことをしてくれる相手を望んでいるのですが、この性根が変わらない限り、友達は増えそうにありません
ある意味、孤高と言う言葉を違った解釈で理解していそうなところがあるので、それが第一の壁なのかな、と感じました
■エッラがトミーに傾倒する理由
エッラはトミーが大好きなのですが、それは単純に気が合うからと言って良いのかは悩んでしまいます
どこか友達と言うものに対してこだわりがあるように見え、オットーと仲良くなっても「友達じゃないからね」と言うし、オットーも「わかってる」と返していました
ある種の友達の概念と言うものがエッラにはあって、それがこだわりとなって、彼女を孤立の方向へと向かわせています
これは、友達と言うものを神聖視していて、気軽なものではないと考えているからでしょう
エッラは友達がいない理由を自覚していて、他人に対して自分を曝け出せないし、相手のことを深掘りもしません
オットーとの会話の中で、ようやく等身大の悩みを開示し、それに対するレスポンスというものを聞くようになります
これまではトミーとだけこのような会話ができていて、それは彼がだけが「エッラ目線で的確な答え」を出してきたからだと思います
気が合うとは、多くを語らなくても分かり合えることを言い、自己開示が苦手なエッラに対して、トミーは察する能力が高いことで、その関係性を補完しているように思えます
トミーがこの能力に長けているのは、彼自身が周囲を察して生きてきた人間であることが要因のひとつであると思います
彼は表現者でありながら、相手の内面を表現するという仕事に就いています
自分の自己主張よりも、対象を際立たせるための仕事をしていて、言語化されないものをビジュアルに反映させようと考えています
その習慣がトミーの察する能力を伸ばし、さらに相手の喜ぶことを瞬時に把握する力を育てていきます
また、トミーだけが「ミニ・ズラタン」と呼び、彼女の内なるものをガードした状態で接することができています
おそらくエッラは自分のことが嫌いで、エッラと呼ばれるたびに自己嫌悪に陥るのでしょう
「ミニ・ズラタン」という呼称は、それを緩和する役割があり、なりたい自分を連想させることができます
それゆえに、その名前で呼んでくれるトミーは自分のことをわかってくれている、と感じて、親しくできるのではないかと感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、友達を作れないエッラのトミー離れが描かれていて、親はどちらかと言えば放置気味に描かれていました
どこかに旅行に行くために祖母の家に預けていき、そこでのエッラは無視される存在だったりします
三つ子との仲も悪いわけでなく、彼らも自分のペースで生きている存在で、いざという時には「車に乗せてもらうこと(頼ること)」に抵抗がない関係性でもなかったりします
エッラは、何か困り事があった時に人に相談できないタイプで、それでもトミーとの関係という目的があれば、手段を問わないという性質も持っていました
スティーブにトミーを奪われるのではないかと不安になるエッラですが、これは自然派生してできた関係を自我がある状態で1から作ることへの不安があるのだと思います
友達とは作るものではなく、勝手になるもので、いろんな人と付き合いながら、そのような関係が生まれては消えていきます
一生の付き合いになる友達と言うものはそこまで多くなく、社会のしがらみを取っ払って、自分の葬式に来そうな親族以外というのは、指折り数えるぐらいしかいなかったりします
でも、これは大人になるとわかるもので、子どもの間は「目の前の世界が全て」になってしまうのですね
そして、その世界が壊れてしまうことを異常に不安がるものだと言えるのでしょう
私個人も友達はほとんどいないタイプで、それぞれの区切りで何人かの深い付き合いがあっても、今まで継続しているものはほとんどありません
それが自分の性質だとわかっていて、何かの特別なことに対して、一緒に向かい合える仲間と言うものはたくさん存在します
そのほとんどが仕事であるとか、クラブ活動であるとか、趣味などの「活動」を通じたものになっていて、プライベートでずっと続く交友関係と言うものはそこまでありません
それを寂しいと思う人もいれば平気な人もいるわけで、根本的に群れるのが嫌いなタイプなので、心が楽な方向に向かった結果、このような人間関係になっているのだと思います
結局のところ、自分がどうありたいかとか、どのような状況が自分にとって良いのかと言うものは、考えるよりも感じるものだと思います
そして、それは人生のあらゆる場面において常に変化していくものだと思う方が良いと思います
自分も他人も変わる部分と変わらない部分はあって、人間関係は瞬間的な良好さの連続の上で成り立っているものなのですね
なので、刹那的に見えても、必要であれば意図せずとも連続性と持ってしまうものなので、深く考えることなく、心の赴くままに過ごしていければ良いのではないか、と考えています
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100797/review/03704847/
公式HP:
https://culturallife.co.jp/little-ella/