山女はいずれ、山男を欲して下界へと姿を現すだろう


■オススメ度

 

山田杏奈さんのファンの人(★★★★)

民族伝承系の物語が好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.7.5(京都シネマ)


■映画情報

 

情報:2023年、日本、100分、G

ジャンル:飢饉に喘ぐ農村を舞台に、山男と遭遇する村の娘を描いたヒューマンドラマ

 

監督:福永壮志

脚本:福永壮志&長田育恵

原案:柳田國男『遠野物語』

 

キャスト:

山田杏奈(凛:先代の罪を背負う女)

森山未來(山男:山に住む謎の存在)

 

二ノ宮隆太郎(泰蔵:凛を慕う村の男)

三浦透子(春:治次郎の孫、泰蔵と結婚させられる女)

 

山中崇(寅吉:村の住人)

川瀬陽太(角松:村の住人)

周本絵梨香(シゲミ:赤子を殺される村の女)

 

赤堀雅秋(マタギの親方)

白川和子(巫女のお婆)

品川徹(村長)

でんでん(治五郎:村長の補佐)

 

永瀬正敏(伊兵衛:凛の父)

込江大牙(庄吉:凛の弟)

 

小野ゆたか(村の男)

須森隆文(吾作:村の男)

中崎敏(村の男)

山村崇子(村の女)

 


■映画の舞台

 

18世紀末の東北のある村

 

ロケ地:

山形県:鶴岡市

金峯神社

https://maps.app.goo.gl/PC292wHqisp218o17?g_st=ic

 

出羽三山神社

https://maps.app.goo.gl/V71et6cmrdkx8pAo8?g_st=ic

 

鶴岡市大鳥自然の家

https://maps.app.goo.gl/o81vJQvFpjir9qTk7?g_st=ic

 

山形県:高畠町

https://maps.app.goo.gl/MJXyJ9D9czctudnV7?g_st=ic

 

山形県:戸沢村

https://maps.app.goo.gl/szK5Wh6kxvUSoU2e7?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

1700年代後半の東北地方のある村では、日照り続きで農作物が育たずに飢饉に見舞われていた

赤ん坊が生まれても間引きせざるを得ず、嬰児は布に包まれて川に流されていた

その忌み役をさせられていたのが「先代からの罪」を背負う伊兵衛で、娘・凛はそれを始末する役割を 担っていた

 

ある日、伊兵衛が米を盗んだという騒動が勃発し、凛は咄嗟に父を庇う

父も凛を犯人だと印象付け、それによって凛は村を追われることになった

 

凛は誰も立ち入らない深い森に足を運ぶ

するとそこには背中まで伸びた白髪の謎の男が動物か何かをむしゃぶり食っていた

男は「山男」として恐れられている存在だったが、凛は彼を忌み嫌うこともなく、距離感を縮めていくのであった

 

テーマ:外側から見る内側

裏テーマ:内側にある感情の出口

 


■ひとこと感想

 

柳田國男の『遠野物語』を知っているかどうかで評価が分かれそうな感じはありますが、映画は「天明の大飢饉」を背景にしたある農村の出来事という感じになています

年代をざっくりと18世紀と濁している意味はわかりませんが、村社会の閉鎖性とか大自然の強大さというのがテーマなので、細かなところは拘らない感じでしょうか

とは言え、どこかの集落に行けば、このような風習が残っていそうな感じがするのが不思議なところですね

 

映画は、村八分の理由が先代の罪ということになっていて、一族がその業を背負っているという設定になっています

それが波及して罰ゲームのようなことになっているのですが、飢餓に喘いでいるのにセックスしている意味がわかりません

無駄に体力も使うし、リスクもあるしと考えるのは現代人だからなのでしょうか

 

物語性はそれほどなくて、村を出て行った凛がそこで人間らしい生活を手に入れるというもので、でもその暮らしは長く続かないという流れになっていきます

ラストシーンをどう捉えるかですが、素直に自然に愛された女という解釈で良いのではないでしょうか

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は、自然光を利用しているために室内は暗く、照明の無い時代なので、こだわりの暗さということになっています

一応、顔が識別できる程度の照明を当ててはいますが、全体的に暗く感じるのはやむを得ない感じになっています

 

冒頭から間引きとその処理になっていて、育てられるかどうかを判断するのは早いなあと思ってしまいます

少しでも人手がいると思うのですが、そんなことを言ってられないほどに、農作物は枯渇しているということなのでしょう

 

現代的な考えで行くのはアレですが、自然も豊富で、魚もいるだろうし、山菜などもたくさんあるように見えます

なので、農作物だけに頼っているというところに、知識と経験と行動力のなさというものが浮き彫りになっていますね

そして、最終的に辿り着くのが先代からの教えである生贄という短絡的な思考になっていました

 


原案『遠野物語』について

 

本作のモチーフになった『遠野物語』は、1910年(明治43年)に柳田國男によって書かれた「岩手県遠野地方に伝わる伝承、逸話などを記した説話集」のことを言います

遠野地方は岩手県の真ん中やや南側に位置する場所で、この土地の出身者でもある民話蒐集家の佐々木喜善による伝承を柳田國男が筆記・編纂したものになります

この他にも『後狩詞記』『石神問答』という作品があり、この3つを「初期三部作」と呼んだりもします

 

柳田國男によれば「山男」と遭遇する山は限られていて、多くの逸話に登場するとされています

先住民の子孫であるとされ、山人を鬼と関連づけることもあったと言われています

恐ろしいものの象徴として登場し、山に入ると帰ってこないという現象が続いたため、誰も入らなくなってしまったのですね

それで、いくつかの不思議な現象が「山男」と関連づけられるようになっていました

 

映画が引用したのは、「非日常としての山」であり、そこに向かわざるを得なかった凛が、山男に遭遇する様子が描かれていきます

山男は実在しましたが、それは伝承のような怪物ではなかったのですね

凛は村の外に出ることによって、山男の本当の姿に遭遇するのですが、そこで見たのは「自分の村の異常性だった」ということになります

 

『遠野物語』では、数々の「村人が体験した非日常」が描かれていますが、実際には「村社会の方が非日常になりうる」のですね

他の世界を知ることによって、土地の慣習などの妥当性というものはわかるのですが、『遠野物語』などでは「こういう話を聞いた」という感じに綴られています

あくまでも、そこに住む人の主観を大事にしていて、その見たままの世界というのは、その人にとっての本当だったりします

伝承などに登場する「鬼」と称されるような非日常は、自分の生活を脅かすかもしれない大きなものに思えます

それゆえに、勝手な想像が暴走して、山男を殺してしまうなんてことが起きてしまうのです

 


天明の大飢饉について

 

映画は、18世紀末というざっくりとした時代背景になっていますが、歴史を知っている人なら、「天明の大飢饉」のことを思い出すでしょう

あえて、天明何年とか、江戸中期などの表記を外したのは限定させたくないのだと思いますが、あまり意味がないように思えます

天明の大飢饉は1782年(天明2年)から1788年(天明8年)にかけて発生した飢饉で、日本近世で最大の飢饉とされています

 

東北地方では、1770年代から悪天候や冷害によって農作物の収穫が激減していて、農村部を中心に疲弊が見られていました

天明2年からの3年間の間、暖冬が続き、かつての宝暦年間(約30年前)の凶作時の天気と酷似していました

その後、天明3年3月12日に岩木山、7月6日に浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせてしまいます

成層圏に達した火山噴出物の影響にて、日射量の低下が起こり、農作物には壊滅的な被害が出ることになりました

 

被害は東北地方を中心に、全国で数万人規模(推定2万人)の餓死者が出たと、杉田玄白の『後見草』にて伝えていて、死んだ人間の肉を喰らい、人肉に草木の葉を混ぜて犬肉と騙して売るなどの惨状がありました

農村部から都市部への人口流入も起こり、治安も悪化し、1787年には江戸や大坂で米屋と商家が襲われるという事態に行き着きます

この騒動は3日間続き、全国へと波及していきます

映画の背景には、このような異常事態が起こっていて、それゆえに「人間の暴力性」というものが如実に現れていると言えます

いわゆる「生存の欲求」が脅かされている状態なので、それぞれが自分の生命を守るために、何者かをターゲットにするしかない状態に追い込まれていたのだと考えられます

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作の主人公は凛なのですが、実際には「自然」ということになります

凛は先代の罪を背負い、父の罪をも背負うことで、村から退場するのですが、それはある種の「解放」であるようにも見えます

でも、山男と暮らしていても平穏は訪れず、村のための生贄になってしまいます

それでも、凛は自然に助けられ、自然は村人たちを見捨てていきます

 

凛を助けることになった雨は、彼女を助けると同時に上がってしまい、農作物を育てるだけの雨量を与えません

神様に生け贄を支えたのに、神様から帰ってきた言葉は、生け贄を用意した人間に対する怒りなのですね

これが起こったのは、凛が山男との交流を果たしたからだと考えられます

山男との生活は瞬間的なものではありますが、そこには人としてあるべき姿がある

そして、それをも壊すのが、惨めで哀れな人間でした

 

山の神は山男を殺した罪、凛を生贄にしようとした罪を村人に払わせます

天明の飢饉の流れを考えると、この後に火山の噴火があるのかもしれません

僅かに食料を蓄えていてけど、それすら出来なくなる未来

そう言った、人間の醜さと愚かさという物が凝縮されています

 

映画は、淡々として寓話として完成されていますが、神様に好かれなければ、自然の恩恵を受けることができないと紐解いています

凛をいたぶり、山男を殺した業を背負い続け、山女となった凛によって村は統治されるように思います

山女が村人の中で助けるとしたら庄吉しかいないわけで、彼はいずれ導かれるように山に入り、山男となってしまうのかもしれません

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/384859/review/35626d53-df45-4b9c-a9df-014be2a8cb23/

 

公式HP:

https://yamaonna-movie.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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