夜明け前が一番暗くても、その闇から逃げ出してしまうことで、さらに深い闇へと追い詰められていく


■オススメ度

 

雰囲気映画が好きな人(★★★)

人生における喪失の意味を考えたい人(★★★)

詩的な映画が好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日2022.11.30(京都シネマ)


■映画情報

 

原題아무도 없는 곳(誰もいない場所、英題:Shades of the Heart(心の色合い)

情報:2021年、韓国、85分、G

ジャンル:妻との関係に悩む小説家が出会う人々の人生にふれていくヒューマンドラマ

 

監督&脚本:キム・ジョングァン

 

キャスト:

ヨン・ウジン/연우진(チャンソク:妻との関係性に悩む小説家)

 

イ・ジウン/이지은(ミヨン:時間を失くした女、カフェでチャンソクと話す女性)

ユン・ヘリ/윤혜리(ユジン:思い出を燃やす編集者、チャンソクの大学の後輩)

キム・サンホ/김상호(ソンファ:希望を探す写真家、病気の妻を抱え、あらゆる手を尽くそうとする夫)

イ・ジュヨン/이주영(ジュウン:記憶を買うバーテンダー、事故で記憶を失った女性)

 

ムンスク/문숙(チャン・ソクモ:チャンソクの母)

イム・ソヌ/임선우(ヘギョン:チャンソクの妻、声の出演)

 

キム・グムスン/김금순(路上で独り言を叫ぶ女)

 


■映画の舞台

 

韓国:ソウル

 

ロケ地:

韓国:ソウル

 


■簡単なあらすじ

 

イギリス在住だった小説家のチャンソクは、妻との関係が拗れてソウルに戻ってきていた

彼はあるカフェで待ち合わせをしていて、彼の前にはうたた寝をしている女性ミヨンがいた

 

ミヨンと噛み合わない会話が続いたのち、チャンソクが読んでいた本の話題になった

チャンソクは「小説を読んでいた」と言い、ミヨンは「小説なんでくだらないものをなぜ読むのだろうか」と疑問を呈する

 

チャンソクは「よくできた物語なら信じてしまうよ」と言い、ミヨンは「聞かせて」と言った

そこでチャンソクは「ある高級ホテルのドアマンとホームレスの物語」を話し始めた

 

テーマ:喪失との向き合い方

裏テーマ:よく出来た物語の正体

 


■ひとこと感想

 

公式サイトのキャラクターの紹介が洒落ていて、どんな話なのか興味があって参戦

う〜ん、雰囲気&会話劇という最も苦手なジャンルでしたね

 

映画は小説家チャンソクが4人の人物と会って、それぞれの話を聞くというもの

イギリスに妻を残して帰省しているようで、その理由というものが最後にわかるようになっていました

 

テーマは「喪失との向き合い方」なのですが、チャンソクが実際にあった人物が誰なのかは判別つきませんし、その辺にいる人をモチーフにして、チャンソクが物語を作ったようにも思えました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は「時間を失くした女」「思い出を燃やす編集者」「希望を探す写真家」「記憶を買うバーテンダー」の順に登場していました

それぞれはチャンソクと会話をしますが、そのどれもが「喪失」がテーマになっています

 

「時間を失くした女」は認知症の母で、喪失すら忘れているという状態

「思い出を燃やす編集者」は人工中絶をした編集者で、誕生の前に喪失を経験しています

「希望を探す写真家」は末期癌の妻のためにあらゆることを試し、喪失への心の準備ができていない状態

「記憶を買うバーテンダー」は事故によって記憶を失い、喪失が記憶の奥底に隠れてしまっていました

 

彼らと会うことでチャンソクはイギリスにいる妻へ電話をかけることができるようになるのですが、妻は喪失(=子どもの死)をまだ受け入れられずに、チャンソクとの別れを決意していました

 

チャンソクは物語にふれることで喪失の整理をしていきますが、それは同時に妻との乖離を生んでしまったという結末になっていると言えます

 


喪失の受容と共有の必要性

 

映画のラストはチャンソクが妻と別れるというものになっていて、その理由が「亡き子どもに対する感情のズレ」というふうに描かれていました

チャンソクはイギリスから帰省してソウルで様々な人と出会い、その中で心理的な喪失というものを埋めていきます

でも、イギリスに残った妻はそう言った需要の旅を経験していないし、この時期に夫が自分の前から姿を消したことや、夫だけが心理的な抑圧から解放されているので、心の乖離というものが生まれています

 

映画では声しか出てこない妻ですが、名前が「ヘギョン」なので韓国人夫妻であることは間違いないと思います

この夫妻がイギリスに渡った理由はわかりませんが、考え得るのは夫の仕事場の拠点が「英語圏になった」というものでしょう

この前提を考えると、母国に一人で戻ったチャンソクは表面上よりは鬼なのかなと思ったりもします

 

子どもの喪失に関しては、産んだと実感がある分、妻の方がキツいと推測できます

実際に子どもを失ったことも無いし、女性でもないので、その感覚を断定することはできません

あくまでも一般論ならそうだろうという前提で話を進めますが、子どもの喪失で塞ぐ妻と距離を取ったチャンソクが、自己完結的な喪失の受容を果たしているのは、やや一方的かなと思います

彼自身が喪失にどう向き合うかがわからないまま母国に戻ってきているのですが、そこで彼が喪失と向き合うために行ったのが「物語を語る」というものだったのではないでしょうか

 


物語が喪失を癒す理由

 

映画の中でチャンソクは4人の人と出会い、それぞれから物語を聴きました

ひとつめはミヨンで、ソウルの喫茶店で待ち合わせをしていたという設定で、「小説を読む人の気がしれない」とミヨンは言い放ちます

それに対して、「よくできた話だと信じてしまうだろう」と言って、高級ホテルのドアマンとかつてそのホテルの客だったホームレスとの話をしていました

その後、ミヨンは認知症を患っている母に変わり、チャンソク自身も老人に変わってしまうショットがありました

この映像的な構図は「両親を見ているチャンソク」ということになります

 

二つ目の物語は大学の後輩スジンで、彼女がインドネシアの留学生との間にできた子どもを堕したという衝撃の告白がありました

この章では「先輩の描く小説はフィクションだと思えない」とスジンは言っていて、彼の描く小説がプライベートを内包した告白であると考えていました

彼女はチャンソク夫妻とは違って、子どもを産まないという決定を下したカップルで、スジンが喪失したのは「母親になる自分」ということになります

 

三つ目の物語は写真家ソンハとの再会で、彼は病気の妻を抱えていて、チャンソクと話している間に亡くなってしまうことになりました

そこで不思議な話がありまして、と前提を置いて、妻が見た小鳥の夢を語ります

ソンハは妻のためにあらゆる治療を模索してきましたが、結局は実ることはなく、妻の死の瞬間にそばにいなかったという事実を受け止めることになりました

 

四つ目の物語は、記憶喪失のバーテンダーで、彼女は客からいろんな記憶を「買う」というと言います

その対価は「面白い思い出ならお酒を奢る」というものでした

ここでは待ち人とは何か、という話になっていて、「待つ」と宣言することで、「待ち人になる」という哲学的な話になっていました

彼女は記憶を無くしていて、これは喪失を何で補うかという物語になっています

でも、最終的には「他人の記憶」では「自分の記憶の変わりにはならない」ということになっていて、喪失というものは自分の内面の変化以外には回復に至らないという結論を導き出すことになっていました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

これらの物語によって、チャンソクは喪失と向き合いながら、喪失とは何かということを考えていきます

この内面の変化を促すために彼が取った手法は「物語を創る」ことで、おそらくはミヨン以外の物語は彼の創作であると考えられます

作家というのは、あるキーワードから物語を想起しつつ、自分の内面の変化を投影する人種であると言えます

なので、チャンソクの作家的アプローチが向かうべき道を示しますが、それが彼の脳内だけで起こっているという現実がそこにはありました

 

残りの3つが創作であると考えられるのには理由があって、ミヨンの物語は「両親を俯瞰して見たままを描いている」ので、両親の関係性がチャンソクから見ればそうだったということになります

結局のところ、両親の間で存在した事実というものはチャンソクからすれば伝聞にしか過ぎず、その伝聞から脳内補完をしているとも言えます

なので、この物語だけは「本人」というものが登場していました

 

これに対して残りの3つは、さほどチャンソクとは関わりの深い人物ではありません

これまでの過去で出会った断片的な記憶があって、そこから「喪失を検索ワードにした結果、導き出された対人記憶」であると思います

チャンソクの喪失は「子どもを失った」というもので、そのワードに最も近いのがユジンの堕胎になるでしょう

これは「喪失を自分の意志で行った」というもので、喪失にどこまで人智が介在するのかということを考えるきっかけになったのだと思います

 

次にソンハとの会話では「これから起こり得る喪失」ということになっていて、その喪失の現場に自分がいなかったことを示唆しているのではないでしょうか

子ども死に対して、その予後を看取らなかったのか、何らかの事故に巻き込まれたのかはわかりませんが、ソンハの物語の劇性というのはそれまでの治療に関するもがきではなく、ソンハが妻の臨終の場にいなかったということの方が強い印象をもたらしています

 

ラストのチュウンの物語は「喪失が日常となった世界」であると言えます

チュウンがいつ記憶を失ったかは定かではありませんが、その状況をゲームにできているほどに時間は経っています

逆に言えば、ゲームにしないと耐えられないとも言え、喪失の代替案を探す中で、何らかの想起を期待していたのかもしれません

記憶というのは、近しい記憶がぶつかった時に回復に向かう可能性もあり、本人が行ったことがある場所などに行ったりすることがあります

そこにある漠然とした環境はあまり記憶の回復に役は立たず、個人的なエピソードに類似する状況によって想起されることがあります

チュウンはそれを考えてやっていたのかはわかりませんが、少なくともチャンソクはある仮説を用いて、この物語を描いていたのだと感じました

 

これらの3つの物語を通過したチャンソクは妻との復縁へと向かいますが、ソウルには喪失を回復する材料がなかったことが示唆されています

そこでチャンソクはイギリスに戻ってやり直そうと考えますが、妻はそのマインドについて行けていません

この二人がどのような状況になれば同じような歩幅で回復に迎えたのかはわかりませんが、少なくとも「チャンソクの脳内妄想」では補えないという現実があるのだと言えます

それが妻の決断につながっていて、チャンソクはソウルの路地で様々な過去を見ていきます

それは、おそらくは彼自身であると思えて、それが時間を遡っていることが、チャンソク自身の失敗の認知になっているのかなと感じました

あくまでも個人的な解釈ではありますが、当事者のいない世界の中で紡がれた物語は、現実的な問題を解決しないとも言えるので、その思想からこの結末に至ったのかなと感じました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/383488/review/3e74d278-e48c-460d-968c-5ff61b44bea9/

 

公式HP:

https://synca.jp/yoakenouta/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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