■期待に応えるために自分を殺すことで、人生そのものが終わってしまう場合もあるってことかな
Contents
■オススメ度
クリステン・スチュワートさんの美しさを堪能してい人(★★★)
英国王室の裏側を覗いて見たい人(★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.10.14(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
原題:Spencer
情報:2021年、ドイツ&イギリス、117分、G
ジャンル:ダイアナ妃が離婚を決意することになったクリスマス前後の3日間を描いた伝記系ヒューマンドラマ
監督:パブロ・ラライン
脚本:スティーヴン・ナイト
キャスト:
クリステン・スチュワート/Kristen Stewart(Diana、Princess of Wales/ダイアナ妃:イギリス皇太子妃)
(10代後半:Greta Bücker)
(9歳時:Kimia Schmidt)
ジャック・ファーシング/Jack Farthing(Charles, Prince of Wales/チャールズ皇太子、チャールズ3世:ダイアナの夫)
ティモシー・スポール/Timothy Spall(アリステア・グレゴリー:新しくダイアナのお目付け役になる少佐)
ジャック・ニーレン/Jack Nielen(Prince William of Wales/ウィリアム王子:ダイアナの長男)
フレディ・スプライ/Freddie Spry(Prince Henry “Harry” of Wales/ヘンリー王子:ダイアナの次男)
ショーン・ハリス/Sean Harris(Royal Head Chef Darren McGrady/ダレン・マクグレディ:王室料理人の料理長)
サリー・ホーキンス/Sally Hawkins(マギー:ダイアナのドレッサーであり唯一の話し相手)
ステラ・ゴネット/Stella Gonet(Queen Elizabeth II/クイーン・エリザベス2世:チャールズ皇太子の母)
リチャード・サメル/Richard Sammel(Prince Philip, Duke of Edinburgh/フィリップ王配:クイーン・エリザベス2世の夫)
エリザベス・バーリントン/Elizabeth Berrington(Anne, Princess Royal/アン王女:チャールズ皇太子の姉)
Niklas Kohrt(Prince Andrew, Duke of York/アンドルー王子:ヨーク公爵、チャールズ皇太子の弟)
Olga Hellsing(Sarah,Duchess of York/サラ:アンドルー王子の妻、ヨーク公爵夫人)
Mathias Wolkowski(Prince Edward, Earl of Wessex and Forfar/エドワード王子:チャールズ皇太子の弟)
エイミー・メイソン/Amy Manson(Anne Boleyn/アン・ブーリン:ダイアナの前に現れるペンブローク侯爵夫人、ヘンリー8世によって処刑された妻)
Thomas Douglas(Edward John Spencer/ジョン・スペンサー:ダイアナの父)
Oriana Gordon(Lady Sarah Armstrong-Jones/レディ・サラ・アームストロング=ジョーンズ:ダイアナの姉)
Emma Darwall-Smith(Camilla Parker Bowles/カミラ・パーカー・ボウルズ:チャールズ皇太子の不倫相手)
John Keogh(マイケル:チャールズ皇太子の従者)
James Harkness(ポール:王室使用人)
Ben Plunkett-Reynolds(ブライアン:王室使用人)
Laura Benson(アンジェラ:マギーの代わりを務めるドレッサー)
Wendy Patterson(マリア:年老いたメイド)
Libby Rodliffe(パメラ:若いメイド)
Marianne Graffan(バーバラ:乳母)
Ryan Wichert(ウッド軍曹:王室の警備責任者)
Micheal Epp(ジェイコブス伍長:ウッド軍曹の部下)
James Gerad(フィールド:警察官)
Tom Hudson(トーマス:巡査)
■映画の舞台
1991年クリスマス前後のイギリス王室
サンドリンガム・ハウス
イギリス:ノーフォーク
サンドリンガム・ハウス
https://g.page/Sandringham1870?share
ロケ地:
ドイツ:クロイツベルク
https://goo.gl/maps/1wpMSZrpfoTgfcDK9
ドイツ・ポツダム
シュロス・マルカート
https://goo.gl/maps/ztSxNjcnB6PvWTey5
ノルトキルヘェン城
https://goo.gl/maps/wfNp2kTzfxprxNk66
■簡単なあらすじ
王室に入ってから10年目を迎えるダイアナ妃は、二児の母でありながら、その奇行はパパラッチたちの格好の餌食になっていた
クリスマスを控えたダイアナは単身で愛車をぶっ放し、田舎町で道に迷ってしまう
だが、そこは生家から近い場所で、ダイアナはどうしてもクリスマス・パーティに参加したくなかったのである
ダイアナは夫のチャールズ皇太子がカミラ夫人に同じパールのネックレスを贈ったことに気づいていて、二人が不倫関係にあると疑っている
チャールズ皇太子もそれを隠すことなく、ダイアナにも誰かいるのではないかと訝しがっていた
だが、そんなことよりも、英国王室にふさわしくない行動ばかりするダイアナに手を焼いていたのである
ダイアナは女王よりも後に会場に来ることはザラで、せっかく作られた食事も全部吐いてしまう
王室のしきたりにどうしても馴染めない彼女は、唯一の話相手であるドレッサーのマギーにだけ心を許していた
だが、マギーは新しく目付け役になったグレゴリー少佐によってロンドンに帰されてしまい、ダイアナはさらに孤独になってしまうのであった
テーマ:適性
裏テーマ:自由と束縛
■ひとこと感想
予告編を見た時に「えらいそっくりさんを連れてきたなあ」と思っていましたが、本編でもそれっぽさというものが滲み出ていましたね
王室のスキャンダルといえばダイアナ妃みたいな時代が懐かしく、今でも海を渡った人々が火種になっていたりしますね
本作は「離婚を決意したクリスマス」ということなのですが、決意に至った決め手というのはよくわかりませんでした
チャールズ皇太子とビリヤード台を挟んで対決するシーンがピークになっていますが、チャールズ皇太子の方が正論だよねえと思ってしまいます
映画は冒頭で「事実を元にした寓話」と出てくるように、かなりの誇張があって、皮肉っぽさを内包させていると思います
実際にダイアナ妃がどう思っていたかというのはわからない話なので、映画的には「不倫と子どもの教育方針を巡って対立し、その関係を解消させた」というふうに描かれていましたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
史実なのでネタバレも何もないのですが、本作の特徴はグレゴリー少佐が用意した「アン・ブーリンの本」とマギーのカミングアウトでしょうか
さすがにそこでLGBTQ+を無理やり突っ込みますかと思いましたが、グレゴリー少佐は二人の(特にマギーの気持ち)関係に気づいていたのかなと勘繰ってしまいます
ダイアナにその気がなくても、カーテンを開けちゃうマギーなので、英国王室最大のスキャンダルは避けたいと考えるのは自然なことかもしれません
王室というのはチャールズ皇太子が言うように「別人格」の集まりみたいなもので、国家の統治のためにロイヤルファミリーは英国の代表として、行動に規範を示さなくてはなりません
それが伝統というものなのですが、それを理解しながら入ってきているはずなのにダイアナがそれをできないのは適性がなかったと言わざるを得ないでしょう
365日ほぼプライベートのない人生で、建物の外に出ればマスコミやパパラッチが今か今かと「他人の失敗を探している」のですね
これでは気が休まりませんが、スペンサーとして一般人になっても、その状況はあまり変わりはないのかなと思ったりもしましたね
■ダイアナ妃についてあれこれ
ダイアナ妃は1961年生まれの現チャールズ3世のウェールズ王子時代の最初の配偶者でした
また、ウィリアム王子とヘンリー王子の母でもあります
ダイアナの生家はサンドリンガム・ハウス(映画の舞台)の近くにあって、貴族の出となっています
1981年に保育士として働いていた彼女は、そこでエリザベス2世女王の長男であるプリンス・オブ・ウェールズと出会って、同年に婚約、結婚式はセント・ポール大聖堂にて行われました
二人にはウィリアム王子とヘンリー王子がいて、王位継承としては2番目と3番目でしたね
その後、婚外活動に苦しんでいたダイアナは1992年に別居状態になり、1996年に離婚に至っています
映画の舞台は1991年なので、別居を決めたクリスマスということになりますね
夫婦の不和については、映画では夫とカミラの問題にフォーカスされていますが、当時はダイアナの方にも元乗馬のインストラクターであるジェームズ・ヒューイットという男性の存在がありました
これに関して、ヘンリーは実はヒューイットとの間の子どもではないかという憶測が走っていましたね
ヘンリーはヒューイットと関係を始める2年前に生まれたので、当時の報道は完全に否定されています
彼女の死に関しては、1997年にフランスのパリにあるアルマ橋にて起こった事故が原因となっています
運転手はアンリ・ポールで、同乗していた当時のパートナーのドディ・フェイドも死亡、ボディガードのトレバー・リース・ジュオーンズだけが生き残っています
事故の原因はパパラッチの常軌を逸した行動であると報道されましたが、運転手のアンリ・ポールからアルコールが検出されていて、飲酒運転と処方薬の影響によって車のコントロールを失ったとされています
2008年のイギリスの審問機関パジェットでは、「ポールとそれに続いたパパラッチの車による重大な過失運転が原因の違法な殺人である」という報告をあげています
ダイアナ妃の功績は多数あり、「チャリティー活動」「Great Ormond Street Hospitalの院長」「自然史博物館のパトロン」「王立音楽アカデミーの会長」「英国赤十字社の後援者」「脳損傷協会Headwayの後援者」「チェスター出産アピールのパトロン」「Child Bereavement Ukの設立」「対人地雷キャンペーンへの参加(HALOトラスト)」「HIV患者の治療補助(南ロンドンのランドマーク・エイズセンターの開設」など数え上げればキリがありません
その功績もあり、彼女の死に関しては世界中で波紋を呼びました
葬儀のテレビ中継を3210万人もの人が見て、さらに数百万人が海外でこの葬儀を見たとされています
■王室人としての適性とは
映画ではチャールズとダイアナの間で「英国王室人としての心構え」をぶつけ合うシーンがありました
チャールズも「嫌で演じている」と言い、オンオフを分けることが重要だと考えています
これに対してダイアナは常に自分自身でいたいという思いがありました
でも、それらはパパラッチの格好の餌食になり、様々なスキャンダルっぽいものが拡散されています
彼女の死に関しても、パパラッチの異常な執着というものがあり、間接的にそれらの記事を待望している大衆が彼女を殺したことにつながっています
実際にそれに加担したと読者は思わず、単に異常な行動を起こしたパパラッチが悪いと断罪しているのですが、それが金になるから彼らは行動を起こすわけで、それは否定できないものであると思います
王室のみならず、人の前に立つ人は必ず他者の妬みに晒されます
「何かを持っている人が転落する映画」があるように、その地位の逆転というものが、終着点にいる人々の精神を宥めるといういびつな構造があることは人間としての業であるように思います
その覚悟があるものだけが表に立つべきという考えもありますが、表だけでなく裏側も探ろうとするのは行き過ぎた問題だと言えます
こう言った裏にフォーカスすることが経済活動になっている現在では、このような抑圧を産んでいくのですが、その構造はSNSの発達などによって変化しつつあると言えるでしょう
これまではメディアは広告媒体で、いわゆる表の顔のイメージを浸透させるものでした
それが誇張されてくると、人はそれに懐疑的になり、裏側を求めていきます
それがメディアが後追いになっている現在では、裏側すら自己発信する人が増え始めたのですね
こうなると、裏側をほじくり返すことから、明示しても良い裏側の調整につながっていて、それでも秘匿なもの以外は意味が成さなくなっています
今はそのような時代に変わってきたという認識があって、パパラッチが撮るスキャンダラスなものよりも、素の配信の方が価値がある時代になったように思えます
でも、そうなると彼らの経済活動が失われるので、さらに行動が過激になってきます
ここまで来ると人間性の問題だけではないと思うので、本人が意図しないプライベートな情報の流出はいずれは犯罪扱いにして抑制する時代になってくるのかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作では「考え方の違う夫婦が関係を解消する」という内容になっていて、その多くはダイアナ目線で語られています
ダイアナの奇行も彼女の内面の問題のように描かれ、まるで事実かのように脚色されています
映画の冒頭では「事実を元にした寓話である」と明記されていて、これは一種の御伽噺なのだと強調しています
となると、この物語は「ある種の教訓を帯びた創作」であると言えるのですね
この映画から感じる教訓は「適性のない場所で人は生きられない」というもので、「伝統に生きる覚悟のないものは去れ」という英国王室の姿勢を批判しているとも思えます
ダイアナ妃がスペンサーに戻る物語で、最終的にはファーストフードを食べるシーンになっているのは皮肉以外の何物でもないでしょう
劇中では「英国王室料理人」たちの奮闘が描かれていて、ダイアナはほとんどそれを食しませんし、それを食べてもトイレですべて吐いてしまいます
唯一料理長のダレンは彼女の苦悩を理解していて、彼女が夜中に忍び込んで食べていることを知っています
このシーンがあることで、王室を支えている料理人のすべてを否定しているのではなく、「場」を否定していることがわかります
彼らが作る料理は彼女を満たせるものですが、あの「場」ではそれが逆効果になっています
基本的に料理は「食べる状況」によって味が変わるのもので、空腹に勝る調味料はないとまで言われています
彼らが作る料理には「英国王室人が食べるべきもの」という前提があって、それは「イギリス人が王室の人に食べていてほしいもの」と同義だったりするのですね
その料理があのテーブルに並び、そこで王室人が優雅に食事をするというイメージが望まれているのですが、そこに集う人はほぼ全員がそのイメージを維持しようとしているように思えます
実際には素の状態で王室人をやれる人もいますが、そうではない人もいるわけで、なんとか見えるところだけは頑張るというのがチャールズだったのかなと感じました
なので、チャールズはその努力を無駄にしたくないのですが、ダイアナはそうは考えていません
このあたりの考え方の違いは映画に描かれていないダイアナの慈善活動からも読み取れています
ダイアナが王室を変える可能性はありましたが、それは許されないまま彼女が王室を去るという結末になっていました
英国王室は「適性のある人によって厳格な威厳が保たれ続けている場所」であり、それを誰もが望んでいるのでしょう
現在進行形で諸問題も発生していますが、それらの伝統がどこまで維持される続けるのかはわかりません
その辺りは気質の問題かもしれませんが、イメージを守る続ける意味があると考えているうちは変わりようがないと思います
なので、彼女が去ることは、出会った時から決まっていたので、愛ではなんとかならない問題(早い段階でともに消えてるけど)だったのではないでしょうか
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/378667/review/c8f6b657-113d-4406-8820-c47766d4b56e/
公式HP:
https://spencer-movie.com/