■鉄の爪が傷つけてきた歴史が、その名前に宿っているのかもしれません
Contents
■オススメ度
フォン・エリック一家の物語に興味のある人(★★★)
プロレスが好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.3.9(T・JOY京都)
■映画情報
原題:The Iron Claw
情報:2023年、アメリカ、132分、G
ジャンル:呪われた一家と呼ばれたプロレスラー一家を描いた伝記映画
監督&脚本:ショーン・ダーキン
キャスト:
ザック・エフロン/Zac Efron(ケビン・フォン・エリック/Kevin Von Erich:フリッツの息子、次男)
(幼少期:Grady Wilson)
ジェレミー・アレン・ホワイト/Jeremy Allen White(ケリー・フォン・エリック/Kerry Von Erich:フィッツの息子、四男、オリンピック円盤投げ選手)
ハリス・ディキンソン/Harris Dickinson(デビッド・フォン・エリック/David Von Erich:フィッツの息子、三男)
(幼少期:Valentine Newcomer)
スタンリー・シモンズ/Stanley Simons(マイク・フォン・エリック/Mike Von Erich:フィッツの五男、バンド活動)
Romeo Newcomer(ジャック・ジュニア: フィッツの長男の幼少期)
ホルト・マッキャラニー/Holt McCallany(フィッツ・フォン・エリック/Jack “Fritz” Von Erich, Kevin, David:ケリーとマイクの父、WCCWのオーナー、引退したレスラー)
モーラ・ティアニー/Maura Tierney(ドリス・フォン・エリック/Doris Von Erich:フィッツの妻)
リリー・ジェームズ/Lily James(パム・アドキンソン/Pam Adkisson:ケビンのガールフレンドで後の妻)
Leo Franich(ロス・アドキンス/Ross Adkisson:ケビンの息子)
Sam Franich(マーシャル・アドキンス/Marshall Adkisson:ケビンの息子)
マクスウェル・フリードマン/Maxwell Friedman(ランス・フォン・エリック/Lance Von Erich:フリッツの弟ワルドの息子)
マイケル・J・ハーネイ/Michael J. Harney(ビル・マーサー/Bill Mercer:プロレス解説者)
ブラディ・ピアース/Brady Pierce(マイケル・ヘイズ/Michael Hayes:プロレスラー、ファビュラス・フリーバーズ)
Brady Pierce(ファビュラス・フリーバーズ)
Silas Mason(ファビュラス・フリーバーズ)
Devin Imbraguglio(ファビュラス・フリーバーズ)
アーロン・ディーン・アイゼンバーグ/Aaron Dean Eisenberg(リック・フレアー/Ric Flair:プロレスラー、ケリーの対戦相手、デビッドの追悼試合)
ケヴィン・アントン/Kevin Anton(ハーリー・レイス/Harley Race:プロレスラー、ケリーの対戦相手)
ライアン・ネメス/Ryan Nemeth(ジノ・ヘルナンデス/Gino Hernandez:プロレスラー:タッグの対戦相手)
キャジー・ルイス・セレギーノ/Cazzey Louis Cereghino(ブルーザ・ブロディ/Bruiser Brody:プロレスラー、ケビンの対戦相手)
チャボ・ゲレロ・ジュニア/Chavo Guerrero Jr.(ザ・シャーク/The Sheik:プロレスラー、タッグの対戦相手)
スコット・イネス/Scott Innes(リングアナウンサー)
Mike Dell(1950年のフィッツの試合のレフリー)
Benjamin Lee Smith(1950年のレスラー、フィッツの対戦相手)
Garrett Hammond(スポルタトリウムのレフリー)
James Beard(スポルタトリウムのレフリー)
Brian Hite(スポルタトリウムのレフリー)
Jullian Dulce Vida(マイクの友人、バンドメンバー)
Michael Papajohn(オリンピックのコーチ)
Kristina Kingston(仕立て屋)
Jim Gleason(ケリーの医師)
Chelsea Edmundson(タニア:ケリーの恋人)
Terry J. Nelson(ジェリー:買収を打診するレスリングのプロモーター)
Chad Governale(ゲイリー・ハート/Gary Hart:アメリカの上院議員)
Brett Beoubay(フィッツの友人)
Jackie Andrews(エミリー:ケビンのファン)
Bobby George(レスリングのファン)
Ronnie Yelverton(レスリングのファン)
Todd Henry(「Pizza Inn」の店員)
Timothy Hinrichs(カメラマン)
Dane Alexander Peplinski(カメラマン)
Mark Alan Jaeger(会場の警備員)
Ernest Marsh(カウボーイ)
Christina Michelle Williams(レストランの客)
■映画の舞台
1980年代、
アメリカ:テキサス州
ダラス
https://maps.app.goo.gl/YnrcMPLhXLBbBkk5A?g_st=ic
ロケ地:
アメリカ:ルイジアナ州
バトン・ルージュ/Baton Rouge
https://maps.app.goo.gl/WXQiZtRCeDHndFLv6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
「アイアンクロー」という技で一世を風靡したフィッツ・フォン・エリックは、息子たちを鍛え上げ、プロレスの世界王者に育てることを夢見ていた
長男ジャック・ジュニアが幼少期に亡くなり、その希望を一身に受けていた次男のケビンは、メキメキと力をつけ、NWAミズーリのヘビー級王座へと上り詰めた
彼には円盤投げでオリンピックを目指している弟のケリー、同じようにレスリングで鍛えあうデビッドがいて、五男のマイクは大学の友人たちとバンド活動にのめり込んでいた
ある日、ソ連のアフガニスタン侵攻への抗議としてアメリカのモスクワ五輪のボイコットが決まり、ケリーは帰国を余儀なくされる
ケリーもプロレスに打ち込むようになり、さらにフリッツはマイクにもレスリングをさせていく
兄弟たちは徐々にデビューを果たし、人気者になっていき、そんな中、ケビンは弟たちの活躍に埋もれていくようになって行った
テーマ:家族の絆
裏テーマ:不幸の連鎖は呪いなのか
■ひとこと感想
アイアンクローという技はとても有名で、少年時代に友達とプロレスごっこをする時には必ず登場する技だったように思います
派手な投げ技などはできないので、必然的に握力比べのようなものになるのですが、40年ぐらい前のプロレスブームでは普通に浸透しているものでした
映画は、そのアイアンクローを武器にするフォン・エリック一家を描いていて、「呪われた一族」と呼ばれる所以を描いていきます
残された家族の目線によるもので、それがケビンになるのですが、内容はとてもハードなものになっていましたね
伝記映画じゃなかったら、作り込みが激しすぎるファンタジーにしか見えないように思えてしまいます
物語は、一族に起きる負の連鎖を描いていて、それが「呪い」であるように描かれていきます
アイアンクローは「鉄の爪」という意味ではありますが、「共倒れになる」という意味もあったりします
鉄の掟に縛られて、全員が巻き込まれるという意味にもなるのですが、これを運命と言って良いのかは微妙な感じに描かれていました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画には、六男にあたるクリスという人物が登場せず、エンドクレジットの「~に捧げる」のところで唐突に出てきました
一瞬、見落としたのかなと思いましたが、実際にはあの兄弟の末っ子としてクリスという弟がいて、彼もプロレスをさせられたものの、身体的に成熟しておらず、それを苦にして自殺をしているのですね
このエピソードまで入れると重すぎるので、あえて割愛したと監督がインタビューで語っていました
映画は、勘の鋭い人ならば感じられる「死の予兆(いわゆるフラグ)」というものが立ち込めているので、「ああ、この人は亡くなってしまうのか」と分かりますが、その後もフラグが続きまくるので、全滅してしまうのではないかと不安になってしまいます
生き残った人が語り口になっているとしたら、ケビンの妻のパムから見た物語みたいになってしまうのかと思ってしまいました
一応は、ケビンがたくさんの子どもと孫に囲まれて暮らしていることがわかるのでホッとしますが、最後のエピソードがないとあまりにも過酷すぎてキツい映画だったように思えました
現代だと「毒親」と片付けられそうですが、自分にはできることが誰にでもできると思い込みがちな指導者というものは恐ろしいものだなあと思ってしまいます
■家族の絆が呪いになる瞬間
本作は、プロレス一家を描いていて、文字通り栄光の歴史と悲劇というものを描いていきます
父親が成功したプロレスラーということで、息子たちにもプロレスをさせるのですが、ケリーだけは陸上競技でオリンピックを目指していました
大学生だったマイクも練習に付き合っていて、バンド活動よりもプロレスの方を優先させられるようになりますが、これはケリーのオリンピックが無くなってからでしたね
偉大なる父が息子たちをプロレスの王者に育てるという漫画のような世界で、それぞれにチャンスが巡ってきます
年功序列だったのはデビューの時期ぐらいで、その後は能力と活躍によって、前後するという感じになっていました
ケビンはそれによって、デビッドやケリーよりも扱いが悪くなるのですが、それは「プロレスだったから」という感じに思えました
もし、ケビンがショービジネスではなく、オリンピックのレスリングだったらどうだったのか、というのは「たられば」の話ですが、そちらの方が適性があったように思えてなりません
映画は、家族の団結というものが時には困難を乗り越える様を描いていきますが、同時に「呪い」になっている部分もありました
父親絶対主義のみならず、母親も父親のしていることを全肯定しているので、子どもたちは逃げようがないのですね
綻びが見え出して、負の連鎖が起こってから、ようやく母親が間違いに気づくのですが、遅すぎたように思えました
物語は、生き残ったケビン目線にならざるを得ませんが、彼から見た家族(特に父親)というのは、このような感じだったのでしょう
愛すべき存在であると同時に、プロレス愛が強すぎる故の残酷さがそこにあって、弱音を見せる場面がない
それでも、ケビンは弟たちを命懸けで止めることができた存在でもあったので、その後悔をずっと抱えてきた、ということになるのかな、と思いました
■不幸の連鎖はなぜ起こったのか
本作は、ケビン目線の物語になっていて、彼の視点による家族の顛末というものが描かれています
わかりやすく言えば「スポーツ狂の父親に逆らえない」という構図になっていますが、プロレス自体が嫌いとまでは描かれていません
兄弟で戦うことを喜びとしつつも、彼らの顛末は「孤独になった時」に起こっているように思えます
ケリーはリック・フレアーに勝利したのちに「一人になって暴走し事故に遭う」し、デビッドも「日本に一人で行ってしまった」という経緯がありました
こんなに近くにいるのに孤独に思うのかと思うこともありますが、実際には「本当に孤独」よりも、「誰かがいるのに孤独感を感じる」という方が心への負荷が強いのですね
誰もが弱音を吐けないのですが、それは父親に言いつけられるからとか、連帯責任で迷惑をかけるから、というものでもないのですね
強さを磨きあった仲だからこそ、そういった面を見せることに抵抗があったようにも思え、プロレス以外に何もないという背景もあったように思えます
映画では、ケビンにはロスとマーシャルという息子がいて、ケリーにはレイシーという娘がいるのですが、みんなレスラーになっているのですね
なので、レスリングをしていたから悲劇が起きたとか、呪いにかかったとは誰も思っていないことになります
実際に、彼らの不幸がどうして起きたかと言えば、映画を見る限りは「子どもたちの声を聞かない親」「SOSを出している兄弟に手を差し伸べられなかった兄」というものになっています
あの時止めていればとか、あの時親に言っていればなど、起こってしまってからわかるものがたくさんあって、映画としては「同じような瞬間を感じた人に後悔をしてほしくない」というメッセージがあるのかな、思いました
嫌な予感とか、不穏な予感というのは意外と当たるのですが、それはそのマインドだから呼び寄せるというスピリチュアルな面もあると同時に、感覚的に悪い結果が出るだろうということを予測してしまっているのですね
この感覚による結果の予測というのは、瞬間的に弾き出されるものだったりします
このような感覚になった際に、それを信じるかどうかとか、行動を阻害する何かというものを考えることは、どちらかと言えばロジカルだけに傾倒しがちなのですね
フィーリングにはロジカルシンギングも組み込まれていると考えれば、後追いのロジカルの方が外れることが多いのは頷けるものかもしれません
人の感覚というものは些細な情報からでも多くのことを想像し、一見無関係に見えるものも繋げていく力があります
脳にはそのような作用があると知ることで、自分の五感に降りてきたものの正体をきちんと把握できれば、あとはそれに従って行動できるかだけだと思います
これは、日頃の何気ない出来事の繰り返しによって習慣化されていくと思うので、騙されたと思って、本能に従ってみても良いのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
彼らが「フォン・エリック」にこだわっていたのは、父フィッツがヒール(悪役)、ルールブレイカーを演じていたことに由来します
ヒールがいてこそのプロレスなのですが、フリッツが演じたのが「極悪なナチス支持者」だったのですね
当時の世界情勢から、ナチス=悪者という構図になっていて、それによって大成したことで、その名前を息子たちに継がせることになりました
「Erich」はドイツ語のエーリッヒのことで、「唯一無二」「常に強力である」という意味があって、ギリシャ語の「大地を揺るがす者」という由来があります
言葉だけだと悪い意味ではなく、強いレスラーになって欲しいという願いは見て取れると思います
問題は「ナチス」を演じたということで、名前にその怨念のようなものが染み付いてしまっていることでしょう
言霊信仰は一部地域に限られるように思いますが、諸外国でも聖人の名前をつける人もいるし、そう言った名前に付随する情報にあやかるということは普通に起きています
もし、フリッツが悪役でもなく、悪役だとしても「愛される悪役」のようなもので成功していたら、もしかしたら名前に刻まれた怨念のようなものは種類が違っていたかもしれません
言葉には本来の意味があり、言霊とはそれに付随するものではありますが、実際には後付けの意味でも、それが乗っ取ってしまう場合もあるのですね
なので、今回の場合も本来の意味よりは、何万もの人の中にある意味というものが「フォン・エリック」に乗り移ってしまい、その効力が発揮されてしまったのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100922/review/03698893/
公式HP: