■第二の人生の肯定探しの末にあったものは、永遠に残したい答えだったのかもしれません
Contents
■オススメ度
ホン・サンス監督の映画が好きな人(★★★)
映画の中で映画を作る映画が好きな人(★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.7.4(アップリンク京都)
■映画情報
原題:소설가의 영화(小説家の映画)、英題:The Novelist‘s Film
情報:2022年、韓国、92分、G
ジャンル:筆を置いた小説家が演技を辞めた女優との出会いを経て、映画を作ろうと考えるヒューマンドラマ
監督&脚本:ホン・サンス
キャスト:
イ・ヘヨン/이혜영(ジュニ:筆を置いている小説家)
キム・ミンヒ/김민희(ギルス:映画から離れている女優)
ソ・ヨンファ/서영화(セウォン:書店の店主)
パク・ミソ/박미소(ヒョヌ:手話を習っている書店のお手伝い)
クォン・ヘヒョ/권해효(ヒョジン:ジュニと面識のある映画監督)
チョ・ヨンヒ/조윤희(ヤンジュ:ヒョジンの妻)
ハ・ソンクク/하성국(ギョンウ:ジュニの映画を手伝うギルスの甥)
イ・ウンミ/이은미(ジェウォン:映画館のプログラマー)
キ・ジュボン/기주봉(マンス:詩人)
キム・シハ/김시하(食堂を覗く少女)
■映画の舞台
韓国:河南
https://maps.app.goo.gl/RxtJuUN575dPgUvD7?g_st=ic
ロケ地:
韓国:河南
ユニオンタワー
https://maps.app.goo.gl/pfUhSXqth95FQdbG6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
かつてベストセラーとして活躍していた作家のジュニは、ここ数年筆を置いていて、後輩セウォンを探しにソウル郊外のハナムを訪れていた
彼女が経営している古本屋はこじんまりとした小規模の店舗で、手話を習っている店員ヒョヌと二人で店を切り盛りしていた
セウォンは誰にも行き先を告げておらず、ジュニの来訪に戸惑っていたが、少しずつ打ち解けていき、昔話に花を咲かせていく
セウォンの店を出たジュニは近くにあったユニオンタワーに足を運ぶ
そこには偶然彼女と面識のあるパク・ヒョジン監督とその妻が来ていて、さらに地上に降りると、女優業から離れていたギルスと対面することになった
映画談義で時間を費やす中、ジュニは先輩に呼ばれてしまう
一緒についていくことになったジュニは、そこで再びある人物と出会うことになった
テーマ:思いつきで作る映画
裏テーマ:評価と才能
■ひとこと感想
ほぼモノクロームで撮影された映画は、長回しの多用による会話劇の面白さが凝縮されています
アクシデントや偶然をフィルムに刻むことで、想定外の絵が撮れる手法ではありますが、面白いかどうかは意見が分かれるところかもしれません
映画の中で映画を作る内容ですが、その製作立案の手法が、本作のメタ構造になっていましたね
このあたりはパンフレットの監督のインタビューで書かれているので割愛しますが、配役を決めてから物語を作るというジュニの手法は興味深いものがありました
創作と評価の織りなす妙というものがあって、小説家が作る映画がどんなものになるかという興味は尽きません
このあたりは小説と映画の作り方の違いがあるのですが、ホン・サンス監督の手法は小説家に近いのかな、と思ってしまいました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
どこまでがネタバレか分かりませんが、「小説家が映画を作ろうとする」というシークエンスが意外なほどに後半に用意されていました
ジュニとギルスが会うシーンも結構中盤に差し掛かっていて、「書店の気まずさ」「タワーの気まずさ」「立ち話の気まずさ」「再度書店での気まずさ」「映画鑑賞前後の気まずさ」という感じに物語が展開して行きます
作家を辞めたことにモノをいう後輩、女優を辞めたことにモノをいう映画監督など、「才能の封印」をもったいないと表現することに対する反発が描かれています
「才能」というものは人生を豊かにするものだとは思いますが、それが本人を幸せにするかは分かりません
大衆に求められているものと自分がやりたいことの間に乖離がある時、ジュニとギルスはキッパリと離れることができるのですね
それが共感性へとつながっていました
ジュニがギルスを撮りたいと思ったのは、そこに自分が映ることがわかっていたからだと思います
映画を観終えたギルスは複雑な表情で外に出ますが、そこには誰もいませんでした
通常の鑑賞とは違って、意見を求められる鑑賞は見方も変わってきますね
あの短編の出来がどうだったかは何とも言えない部分がありますが、ハマる人にはハマるというところが本作と似通っていたように感じました
■小説家による映画手法
本作では、小説家が女優と出会ったことによって、そこでインスピレーションを感じて映画を撮ろうと考える流れが描かれています
ギルスと会ったジュニが彼女の人生から何かを汲み取っているのですが、それが「世間のイメージから脱却した本当の生活」という共通点がありました
パク監督を交えた映画談義の中で、「もったいない」という監督の発言に反発するジュニですが、これは書店での後輩セウォンたちとの会話に通じるものがあります
要は、「人とは違う類まれなる才能があるのにどうして使わないのか」ということになっていて、責めているつもりはなくても「そう聞こえてしまう」という感じになっていました
この一連の会話から、ギルスを通じて見えたものは「ギルスと同じ状況になっているのに自分とは違うもの」ということになります
そして、ジュニは頑なに「ギルスの夫が出演すること」を条件にしていました
これらの流れから、「才能<生活=愛情」という図式になっていて、ジュニ自身が仕事よりも優先したものが「夫婦生活」であると考えているのでしょう
それは同時に「自分ができなかったこと」とも言え、ギルスを通じて、自分自身の願望を投影しているようにも思えます
小説家による映画手法は映画監督のアプローチとは違うという観点で描かれていて、それを「緻密」と表現していました
それは設定や撮影手法が細かいという意味になっていますが、小説家が文字に起こす情景描写と、脚本家が記す情景描写の違いに現れていると思います
脚本で描かれる人物の構図、背景、表情などは、言ってしまえばざっくりしたものですが、小説の場合は「それを読んだ読者が小説家の意図するものと一致する」という前提のもと、かなり細やかな表現になっていると思います
これらの違いは、原作小説のある脚本を比べてみるとわかりますが、映画脚本の場合は「撮ってみて良いものを採用する」というものがあるので、そのアプローチの違いが現れているのかなと感じました
■物語が先か、配役が先か問題
本作では、主人公としてのギルスを先に設定し、そこから物語を作っていくという手法が取られています
映画がややドキュメンタリーっぽくなっているのも、ギルスと夫の物語というものがすでにあって、その一部分を切り取るという形になっているからですね
なので、ジュニが撮りたかった映画とは、仕事よりも夫との生活を選んだギルスの人生がうまくいっている、というものになります
この映画に対するギルスの感想はとても難しく、フィルムを通した先に「本当があったのかどうか」に言及することになるからだと言えます
映画を見た後にギルスが複雑な顔をしていたのは、そこに本当があったのか嘘があったのかというものと、ジュニが同じ悩みを持っていて、そこに後悔があることが感じ取れたからかもしれません
映画の肯定は賛辞になると同時にジュニの過去を否定することになるし、批判寄りだとジュニの撮影動機を否定することに繋がりかねません
本当に難しい問題を映画にしているのですが、その良し悪しを理解できるのがジュニとギルスしかいないというところも面白いと感じます
映画を手伝ったギルスの甥のギョンウは意味深な評価をしていて、それは彼が素のギルス夫妻を知っているからでしょう
それゆえ、全ては理解できないけど、なんとなくわかるという感じになっていて、プログラマーのジェウォンとは違った感覚で観ていることになります
物語を紡ぐ際に「物語とキャラクターのどちらを先に作れば良いのか」問題がありますが、かつて小説を書いた経験からすれば、作りたい物語の質による、と考えています
例えば、社会啓発のようなテーマが決まっている場合は物語が先になりますし、キャラクターの変化を描く場合はキャラクターが先になります
今回の場合は「テーマが根底にあるが、キャラクターの内面を描く」という形になっているので、「テーマ=キャラクター」の配分になっています
なので、キャラクターが先になっていて、その動きの中にテーマ性を内包させるという方式になります
ジュニの映画は「映画を離れたトップ女優の選択」というテーマがありましたが、映画自体は「イ・ヘヨンさんが小説家で、彼女が映画を撮る話」というプロットがありました
監督の持つイ・ヘヨン像というものがあって、彼女ならば「キャラクターを決めて映画を撮る手法」を採る小説家にピッタリだろうと考えたのでしょう
物語の根幹が決まれば、あとは「起こることは偶然に任せる」という手法を決めて、長回しによる演者たちの本音と間を切り取るという流れになっています
ある程度「こんなテーマでやりとりして」ぐらいのことはあると思いますが、映画を観た感じだと「放置したら何が起こるかを楽しんでいるのかな」という印象がありましたね
このあたりを楽しめると、本作は神映画だと思えるのかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画に対する率直な感想は「面白いことするなあ」というもので、その感じたことが正解なのかはわかりません
目立つ長回しよりも印象的だったのが創作手法論の方で、映画の作り方と映画内映画の作り方が同じで、メタ構造になっているところがありました
このあたりを面白いと感じたのですが、かなり特殊な感覚であるように思います
映画としては、何も起こらない系に見えるのですが、ジュニの行動原理を考えると面白い見え方がするのですね
それは、なぜ「ジュニは後輩に会いに行ったのか」という理由で、彼女はそれについては明言はしませんでした
ジュニもセウォンも文筆業から離れて第二の人生を送っているという点は同じで、ジュニ自身はその選択が正しいのかを迷っていたのだと思います
そんな中、セウォンはそれなりに楽しく生きているけど、それ自体はジュニの理想と重なることはありませんでした
また、セウォンは同じ立場なのに「もったいない」と思ってしまう人で、このあたりの感覚もズレていたことがわかります
その先で出会ったギルスは、ジュニにとって理想の第二の人生を歩んでいる人で、彼女の答え探しがそこにあったことを示しています
そして、この肯定を何かに残したいと思った時、彼女は小説ではなく映画を選びます
このあたりがジュニの意地悪なところで、小説だと自己否定になるけど、映画だとギルスの方の否定に近づいていきます
ギルス自身はそこまで考えていませんが、ジュニが脚本を書いて、パク監督がメガホンを取っていたら、たぶん出演していないと思うのですね
なので、あくまでも小説家ジュニが自分を映したらどうなるんだろうという興味によって、出演を決めたのだと思います
映画には3人の第二の人生を送る女性が登場し、その理由も様々でした
セウォンは「違うことをしたい」でしたし、ギルスは「映画よりもしたいことがある」でしたね
そんな中、ジュニは「なんとなく違和感」みたいなところがあって、それを埋める旅に出たのだと感じました
その先にどうやら答えはあったようですが、それは同時に第二の人生を歩んでいた人を引き戻したということにもなるので、複雑な心境のままタバコを蒸しているのかなと思いました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/388706/review/4cbc833f-8215-4c46-85ec-14bef86032bb/
公式HP:
https://mimosafilms.com/hongsangsoo/