■別の家庭を知る中で見えてくる、家族内の自分の役割


■オススメ度

 

少女の成長譚に興味のある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.1.29(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題An Cailín Ciúin(無口な女の子)、英題:The Quiet Girl(無口な女の子)

情報:2022年、アイルランド、94分、G

ジャンル母の出産の際に親戚に預けられる少女を描いた青春映画

 

監督&脚本:コルム・パレード

原作:クレア・キーガン/Claire Keegan『Foster(2010年)』

Amazon Linkhttps://amzn.to/490qpFq

 

キャスト:

キャサリン・クリンチ/Catherine Clinch(コット:田舎の移り住む9歳の少女)

 

キャリー・クロウリー/Carrie Crowley(アイリン・キンセラ:コットを迎え入れる叔母、コットの母方の親戚)

アンドリュー・ベネット/Andrew Bennett(ショーン・キンセラ:アイリンの夫、農場経営者)

 

マイケル・パトリック/Michael Patric(ダン:コットの父、アル中のギャンブル狂)

Kate Nic Chonaonaigh(メアリー:4人目を身籠っているコットの母)

 

Joan Sheehy(ウナ:シンニードの隣人)

Killian McAniff(ウナの息子)

Alishia McAniff(ウナの娘)

Bernadette O’Sullivan(ウナの母)

 

Tara Faughnan(ソルチャ:コットの姉)

Neans Nic Dhonncha(グライン:コットの姉)

Eabha Ni Chonaola(アオイフェ:コットの姉)

 

Breandán Ó Duinnshleibhe(オーケーシー:ショーンの友人)

Sean Ó Súilleabháin(オーフロイン:ショーンの友人)

 

Carolyn Bracken(車ですれ違う女)

Nicole Berson Browne(グレインの友人、廊下の女学生)

Isabella Hamilton(グレインの友人、廊下の女学生)

Aine Hayden(服屋の店員)

 

Elaine O’Hara(キアン:アイリンの子連れの友人)

Elena Walshe Gleeson(キアンの赤ん坊)

 

Roise Crowley(シヴォーン:コットの隣の席の生徒)

 

Grainne Gillespie(シンニード:父を亡くすアイリンの友人)

Martin Oakes(ジェラルド:シンニードの父、故人)

 

Aidan O’Sullivan(郵便屋)

Zach Wymyslo(ママの赤ん坊、コットの弟)

 


■映画の舞台

 

1981年、

アイルランド:

ウォーターフォード州:リン・ゲールタハト

https://maps.app.goo.gl/K5B7vSv6jv8fLKkm9?g_st=ic

 

ロケ地:

アイルランド:ダブリン

 

ミース州

サマーヒル/Summerhill

https://maps.app.goo.gl/F8jaZe5LKJ6bxZGf7?g_st=ic

 

モイナルベイ/Moynalvey

https://maps.app.goo.gl/5Agjoh1vi3i8VP8Z6?g_st=ic

 

カラタウン/Curraghtown

https://maps.app.goo.gl/5T9vKUgPU9ck1KZW6?g_st=ic

 

ガーロウ・クロス/Garlow Cross

https://maps.app.goo.gl/ATbdxscJHeFCWGFu6?g_st=ic

 

トリム/Trim

https://maps.app.goo.gl/LvdTkBGNHTV3nSUAA?g_st=ic

 

クロニミース/Clonymeath

https://maps.app.goo.gl/xQirJGcP7CPgyTvo7?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

アイルランド在住の9歳の少女コットは、家族の中で浮いた存在で、両親も彼女の不可解な行動に呆れ果てていた

コットには姉が3人いて、母メアリーは出産を間近に控えていた

そこで両親はメアリーの親戚アイリンを頼り、「出産するまでの数週間」を限度として、コットを預けることになった

 

コットは父に連れられて、郊外の農場へと連れて来られる

そこには寡黙なショーンと面倒見の良い妻アイリンがいて、彼女は多くのことをコットに教えることになった

コットはいまだにおねしょ癖が治らず、アイリンは敷地内にある井戸には特別な効果があると、彼女にその水を飲ませていく

 

ある日、アイリンの友人シンニードの父ジェラルドが亡くなったという知らせが入る

そこでアイリンはコットを葬式に連れていくことになるのだが、コットは無関係だったために居場所に困ってしまう

そこで、シンニードの隣人ウナがコットを預かることになったのだが、彼女はアイリンたちの隠された家族の話をしてしまうのである

 

テーマ:投影

裏テーマ:成長と自立

 


■ひとこと感想

 

主演のキャロリー・クロウリーが注目されている作品で、若干9歳ながらにして、その美貌と存在感が際立つ映画となっていました

透明感のある少女性と、どこを切り取っても絵になるところは圧巻で、彼女を眺めるという分には最高の映画だと思います

 

映画は、コットが田舎の親戚の家に数週間泊まるという内容で、劇中でカウントされるのは「井戸の水を飲んだ回数」なのかなと思いました

1日3回飲んでいたら、合計100回なので1ヶ月程度の期間預けられたのかなと思いました

 

物語としてはかなり淡々としたもので、コットの出現によって、アイリンたちが抱えている問題が炙り出されるという展開を迎えます

二人に子どもがいない理由はそれとなく言及されていて、ウナが暴露してしまうことで、これまでに二人がコットに接してきた距離感というものがわかるようになっていました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

物語の核はアイリンとショーン、コットの3人の物語で、コットの大家族にはほとんど出番がありません

姉はどうやら3人くらいいるみたいですが、明確に姉だとわかるのが同じ学校に通っているグレインだけでした

あとは画面内にグレインよりも年上の女性がいて、コットと同年代っぽい子どもがいるという印象で、クレジットとしては姉が3人ということになるのだと思います

 

原題、英題ともに「静かな女の子」「無口な女の子」という意味になりますが、邦題は思い切ったものに変えていましたね

意味としては通じますが、ある種のネタバレに近いような印象も受けてしまいます

 

物語は、コットの一夏の体験による自立というもので、無口な女の子はアイリンたちとの生活の中で自主的に動くことを学んでいきます

ネグレイトに近い両親との暮らしを考えると、愛情たっぷりに接してもらえた時間は貴重で、彼女が帰りたくない理由というものもわかります

映画では言及されませんが、もしかしたらアイリンたちが引き取るという未来もあるように思えました

 


ひと夏の経験が変えてくれるもの

 

本作は、ネグレイトを受けている少女が環境が変わったことで成長するというもので、その先は「かつて子どもがいた家庭」でした

コットの服や靴が汚れていたことから、アイリンは児童虐待を疑いますし、ショーンは「父親の躾がなっていない」と憤慨していました

父、母目線から「子育てがちゃんとできていない」ことがわかっていますが、それはかつての自分たちの子育てを投影し、足りなかったところを想起しているようにも思えます

この事情を知らないままコットは預けられることになるのですが、コットの両親がそれを知らないはずがありません

 

コットは大人の事情を知らないまま、母の出産のために預けられるのですが、家でもおとなしめのコットは、主体的に動くということをしませんでした

アイリンとショーンがどんな大人なのかを知らないということもありますが、この反応は普通のことだと思うのですね

こういった場合、いかにして大人側が「やっていいこと」の範囲を広げてあげるかによって、子どもの動きというものが出てきます

アイリンの場合は「いろんな家事を手伝わせること」でコットが動ける範囲を作っていきますが、その範囲が広がったことで、ショーンの前から姿を消すということをしてしまいます

 

この時のコットは、ショーンが指示を出さないために、退屈になって色々と見て回るようになっていました

この後の葬式のシーンでも退屈さというものを人が見てもわかるように出してしまうところがあり、それがコットの本質だったように思います

これまでの家庭では出せなかったものがここでは出せるようになっているのですが、彼女自身が役割を得ようとしていたことが後半になって如実に現れるようになっていました

 

本作では、受動的だったコットが徐々に能動的になる様子が描かれていて、それによって事故を引き起こすことになります

事故の詳細は綿密には語られませんが、子どもが自由に動いたことで悲劇を生んだという過去があり、アイリンたちからすれば同じようなことが起こったということになります

アイリンの事故は3人だけの秘密になりますが、これは一種の家庭内のバリアになるのでしょう

ネグレイトの両親は家庭内に関与されることを嫌うので、いずれはコットとの関係性が悪くなって、彼女が飛び出すということもあるかもしれません

その時に彼女がどのような行動を取るかは分かりませんが、コットの両親が彼女に固執しない可能性は高いでしょう

でも、この手の親は「自分たちの行動がバレることを嫌う」ので、無意味な執着を持って阻止するのではないかと感じました

 


家族のふれあいの重要性

 

コットの家庭内の様子は冒頭でサラッとふれられるだけなのですが、姉が最低は2人はいて、彼女と同年代っぽい子どもたちもいました

家族関係がわかりにくい作品で、同じ学校に通う姉もいれば、その姉よりも年上の姉がいるという感じになっています

キャスト欄を見て演者の名前でググってもわからないことだらけなのですが、コットが出かける際に10代後半の女の子が二人いて、この二人が長女と次女になるのだと思います

母親の出産が間近で、ギャンブル狂の父親は面倒を見たくないから預けるという感じになっていましたが、父親は対外的には態度はマシだけど、家庭内だとヤバいという感じが滲み出ていました

 

コットが預けられた先はその真逆のような感じになっていて、アイリンは面倒見がよく、ショーンはとっつきにくい感じになっています

おそらくは、アイリンは賛成で、ショーンは反対だったと思うのですが、この経緯はボヤかされていましたね

アイリンが能動的だったのは過去があるからですが、ショーンの態度も同じ過去が起因となっています

夫婦で反応が違うのですが、子どもに対する愛情の差というものは感じられません

むしろ、ショーンの方が息子を亡くした経緯に近い印象があって、それが言動にも現れていたように思います

 

家族との関わりは、そのまま他の家族との関わりの中で比較されるものだと思います

コットの母マリアとアイリン、コットの父ダンとショーンはそのまま比較される対象であり、幼いコットが両親の在り方というものを理解していくことになります

幼少期の頃に別の家庭に案内された場合など、隣の芝生は青いみたいなことになりますが、それは瞬間的な邂逅にて、ごまかせる部分があるからだと思います

招待した子どもに良い顔をする両親を見て憤りを覚える子どももいれば、自分の一部のように自慢する子どももいます

 

このように、普段の家族の関わりは「自慢にもなれば羞恥にもなる」という微妙な存在で、メアリーはもとよりダンは「羞恥=自分の父親としての欠陥」がわかることを恐れていると思います

メアリーはそれどころではないのですが、あの家庭のネグレイトの一端は父親の方にある(無計画さも含めて)ので、それが周知されることは懸念材料でしょう

あの後、「自分にはしないこと(積極的なハグ)」をコットがするのを見た父親が何をするのかはわからないのですが、おそらくは関係が悪化する方向に向かうのではないでしょうか

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、少女のひと夏の体験を通じ、その成長を見守る物語になっていました

抜擢されたキャリー・クロウリーの存在感が際立ち、世界の映画賞で60ノミネート、42受賞というとんでもないことになっています

この透明感はこの時期だけのもので、その細かな所作というものは演技よりも素のものがあって、何らかの映像表現をする天賦の才を有しているように思えます

ショーンがお菓子を机に置いた後にズボンのポケットにしまう動作であるとか、窓の外を眺めるシーンなども、ある程度の演技指導が入ると思いますが、それを演じていくには素養と思考と体現のどれもが必要になってきます

 

映画は、その瞬間にしか演じられないものがあり、それはどのような俳優さんでも同じだと思うのですね

特に成長期にある子役はその瞬間が本当に奇跡的で、1年後だと同じ画を撮ることができません

それくらい貴重な瞬間で、それに見合った題材があっても成功するとは限りません

本作は、文字だけで伝えれば「ネグレイトを受けている9歳の少女が親戚の家に数週間預けられる」というどんな絵でも想像できそうで、特別な感じはしないと思います

そんな中で「その親戚には秘密がある」「でも親戚は秘密を持つことは恥だと思っている」というダブルスタンダードがあるという設定になっていて、そこに9歳の女の子が入ったらどうなるか、という化学反応を描いています

 

これらの微妙な掛け合わせと、そこで戸惑いながらも変化する少女というものが生み出されたのは奇跡的なバランスになっていて、物語のほとんどが動かないのにラストだけ動くという構成になっていました

コットは劇中で何度も走りますが、走るたびに彼女の何かが削ぎ落とされていって、そして本当の彼女がどんな人間なのかがわかってくるのですね

役割を与えられること、ショーンに褒められることなどの後に、自分の意思でショーンの元に走る姿に感動を覚えない人はいないと思います

目的意識を持たせて、その成果を褒めるという流れの中で自発的な行動様式が生まれ、そして自立への行動へと向かう

この一連の子どもの成長の流れというものが自然に描かれていて、それを体現することができたキャリー・クロウリーという存在はとても貴重なのかな、と感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/100690/review/03430016/

 

公式HP:

https://www.flag-pictures.co.jp/caitmovie/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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