■コンテンツ時代がラストダンスを踊りつつあるように思います
Contents
■オススメ度
シリーズのファンの人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.11.1(MOVIX京都)
■映画情報
原題:Venom: The Last Dance
情報:2024年、アメリカ、109分、 G
ジャンル:逃亡中のバディが難敵に立ち向かう様子を描いたアクション映画
監督&脚本:ケリー・マーセル
原作:マーベルコミック『ヴェノム』
キャスト:
トム・ハーディ/Tom Hardy(エディ・ブロック/Eddie Brock=ヴェノム/Venom:シンビオートと融合したジャーナリスト)
キウェテル・イジョフォー/Chiwetel Ejiofor(レックス・ストリックランド/Strickland:インペリウムを監視するエリア55の将軍)
ジュノー・テンプル/Juno Temple(テディ・ペイン博士/Dr. Teddy Paine:インペリウムの研究者)
(若年期:Brooke Carter)
Clark Backo(セイディ・クリスマス/Sadie:テディの同僚)
Reid Scott(ダン・ルイス博士/Dr. Dan Lewis:テディの同僚)
Fflyn Edwards(タデウス/Thaddeus:テディの双子の兄、若年期)
アンディ・サーキス/Andy Serkis(ヌル/Knull:シンビオートの創造者)
リス・エヴァンス/Rhys Ifans(マーティン・ムーン/Martin:ヒッピーのエイリアン愛好家)
アラナ・ユーバック/Alanna Ubach(ノヴァ・ムーン/Nova:マーティンの妻)
Hala Finley(エコー/Echo:マーティンの娘)
Dash McCloud(リーフ/Leaf:マーティンの息子)
スティーヴン・グレハム/Stephen Graham(パトリック・マリガン刑事/Detective Mulligan:シンビオートに感染した元刑事)
ペギー・ルー/Peggy Lu(チェン夫人/Mrs. Chen:エディの友人、コンビニの店主)
クリスト・フェルナンデス/Cristo Fernández(メキシコのバーテンダー)
Jared Abrahamson(フォレスト/Forrest:軍の幹部、ストリックランドの部下)
Martin McDougall(軍の総司令官、ストリックランドの上官)
Elijah Cook(エリア51の兵士)
Angie Hsu(陸軍衛生兵)
Jack Brady(ジム/Jim:ラボのセキュリティ)
Otis Winston(ドナルド/Donald:ラボのセキュリティ)
Jade Nicholson-Lamb(ラボの技術者)
Ivo Nandi(ハビエル/Javier:メキシコのギャング)
Elizabeth Cook(ケイル・ルール/Keli Reule:ニュースキャスター)
Jake Allyn(ベガスのホテルのドアマン)
Jeremy Angel(ラスベガスの歩行者)
Jacob Tomuri(襲われるタキシードの男)
Norma Butikofer(機上の女)
■映画の舞台
メキシコ:
サラニモ(架空)
アメリカ:
ニューヨーク&ラスベガス&ネバダ砂漠
ロケ地:
スペイン:カタルヘナ
ロス・マテオス/Los Mateos
https://maps.app.goo.gl/sKG3g7NyfQz4nEaXA
スペイン:カルブランケ
カルブランケ国際公園/Parque Natural de Calblanque
https://maps.app.goo.gl/i8QH1d6BhtieiYLCA
スペイン:アルメリア
タバナス砂漠/Desierto de Tabernas
https://maps.app.goo.gl/CjsTwKZynsGw5Hby7
アメリカ:ロサンゼルス
アメリカ:ネバダ州
ラスベガス
イギリス:ロンドン
■簡単なあらすじ
前作にて、刑事殺しの汚名を着せられたエディは、相棒ヴェノムとともにメキシコに潜伏していた
二人のニュースは全米で流れていたが、NYの判事に会えば何とかなると考えたエディは、ネバダ砂漠を抜けて向かおうと考えていた
その頃、エリア51は封鎖の方向に向かっていたが、実はその地下数百メートルのところに新たなエリアを建設していた
そこには、ヴェノムと同じシンビオートの研究ラボがあり、他の個体の研究も行われていた
そこにエディたちが殺したはずのマリガンも運び込まれ、彼は同じように融合体となっていた
作戦の指揮官であるストリックラッド将軍は、融合体となったマリガンから話を聞き出す
それはこの世の終わりのカウントダウンとも呼べるもので、創造主ヌルがゼノファージを使って、エディだけが持つコーディクスを奪おうと考えていたのである
テーマ:心の中に残るもの
裏テーマ:バディの交代
■ひとこと感想
シリーズの最終章ということで、一応は「エディとヴェノムの物語は終わり」という感じになっていました
二人の続編を作ろうと思えば作れるし、新たなバディを描くこともできる感じに結んでいましたね
映画は、ヴェノムたちを作った神様のようなものが登場し、それが何らかの力で幽閉されているというものでした
そして、手下を使って、復活の狼煙を上げようと考えるもので、そのために「エディとヴェノムだけが持つコーディクスが必要」という感じになっていました
前作までの記憶がほとんどないのですが、とりあえずは「追われていること」さえわかればOKという感じで、前回で死んだはずのマリガンがシンビオートの力で生きていたという力技になっています
また、ヴェノムの仲間のような存在が研究者に取り憑いたり離れたりと自由な感じになっていて、その個体とヴェノムの関係性というのはいまいちわからない感じになっていました
ゼノファージが攻撃を受けたら、ヌルが苦しむ理由などはよく分かりませんが、その辺りを深く考えてはいけないのかなあと思いました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作はエディとヴェノムの最後の旅ということで、そのバディが解消される過程を描いていきます
ヴェノムは地球(エディたち)を救うために犠牲になるのですが、彼がスーパー酸溶解の機械の効能をどうやって知ったのかとかはよく分かりませんでした
あの装置は強力な酸をぶちまけることができますが、このご時世ならば、ドローンで液体の入ったシリンジを投下とかしたほうが効果があったりするのかなと思ってしまいました
ともかく、ヌルを復活させたらヤバいということで、それを死と引き換えにする感覚は少しばかり不思議でしたね
ヴェノムがエディとの関係でそれを思っても、試験管で幽閉されていただけの別個体まで人間側の味方をする理由はよく分かりませんでした
セイディあたりが「興味本位で合体してみた」みたいなエピソードがあれば良いのですが、そう言ったものがないままに流れで共闘しているのは不思議だったように思います
敵の目的はコーデックスなので、それを持たない別個体は逃げればセーフのように思えますし、そこでラボの人々を助ける義理はないように思えるのですね
テディも即席でヴェノム化して仲間を助けたりしますが、そんなにホイホイとヴェノム化できるものではなかったと思います
なので、エディの苦労とか関係ない感じに装脱着していたのは何だかなあと思ってしまいました
■ニエリカについて
ニエリカ(Nierika)は、映画内にてヒッピーのマーティン・ムーンが口にする言葉で、これはメキシコ・ラッチェル族にて使われている「スピリチュアルな世界に通じる境界域」のことを意味します
この領域のことを、白人としてシャーマンになったプレム・ダスは「光り輝く渦巻状のトンネル」というふうに表現していました
また、ウイチョル族の伝統的な儀式用のものとなっていて、こちらでは「形而上学的なビジョン、神または集団の祖先の側面」という意味になります
言葉の由来は「Neriya」という動詞で、「見る」という意味になります
ニエリカは儀式用品として使われ、「祖先を呼び起こし、血で供物で感謝し、恩恵を請う」際に使われます
ニエリカには様々な形があり、作り方も大きく異なるとされています
箸と毛糸でつくられるっものは「オホ・デ・ディオス(Ojo de Dios)」とよばれ、木製の十字架に糸で模様を編んで作ります
これは「神の目(God‘s Eye)」とも呼ばれ、メキシコ、ペルー、ラテンアメリカのコミュニティでよく見かけられるものとなっています
映画では、ニエリカがエディの夢に現れ、そこを通じたからなのかわかりませんが、目覚めるとどこかの施設のベットに横たわっていました
そこにいたのがストリックランドの将軍で、彼はインペリアム計画に関わっている人物をされています
彼はエディの行動に感謝を示しつつも、起こったことは口外しないように告げていました
これをそのまま考えると、人工的にニエリカを作り出すことができたということになります
インペリオム計画は、シンビオートの研究のことなので、ニエリカの向こうにシンビオートの世界があるとも考えられます
エディはシンビオートであるヴェノムとの融合を果たした人物であり、それが計画を促進させ、さらに人工ニエリカへの道を作ったという意味になるのかな、と感じました
■勝手にスクリプトドクター
映画は、前作にてマリガン刑事殺害の犯人に仕立て上げられたエディ&ヴェノムが逃避行を図るという内容で、そんな中でインペリアム計画の連中とシンビオートを作り出した創造主ヌルに追われるという流れになっていました
ヌルはコーデックスを探していて、それはヴェノムとエディが合体した時に感知できるというものになっていて、エディとヴェノムのどちらかが死なない限り残ってしまうというものになっています
そのためにヴェノムが犠牲になるというものなのですが、ラスボスはまだ宇宙の彼方にいるし、ヌルが放った刺客と戦って終わりになっていました
映画として終わっている感はないのに、これで完結みたいなことになっているのですが、それでどうなのよと思われても仕方のないことなのかなと感じました
率直な感想だと、最後はヌルと戦ってヴェノムが相打ちみたいな感じになるのかなと思っていましたが、まさかの手下と苦戦して一緒に酸に溶けて終わりとは思いもせず、何を見せられたんだろうと思っていました
そこで、とりあえず対ヌルは次回に持ち越すとして、この映画をどのように改変したら面白くなるかを考えたいと思います
以下、素人の考えた「ヴェノムの世界にあまり精通していない人の考え」なので、笑い飛ばしていただければ良いかと思います
個人的に次に繋がりつつも展開が面白いと感じたのは「ヴェノムとエディの立場の変化」であると考えています
今回は「逃亡者」であると同時に「捕食される側」になっていたので、その力関係が変わるということになります
逃げていることに関しては、ゼノファージの登場によって有耶無耶になっているので、勝手に立場が変わっていると思います
ヴェノムよりもヤバいのが出て暴れている中で、それを倒せばヒーローなので、世間一般の目はあっさりと翻るでしょう
もう一つの「捕食される側」というのは「ヌルとの関係性」であり、その力量差というものがどこまで埋まるのかということになります
ヴェノムとエディを分離させることが物語の目的なら、ヴェノムが単体で動く方が強くなるというのがありますが、それよりはエディとの融合で亜種になり、かつコーディクスの変異が起こったということにしておけば、ヌルも知らない特別なシンビオートが生まれることになります
コーディクスはヌルが再生するために必要なものではありますが、それ自体が融合によって強力な力を得て、コーディクス自体が捕食者となるというパターンでしょう
エディからコーディクスを奪って、目的を有したと思った途端、変異したコーディクスの力によってヌルが喰われてしまう
これがわかりやすい立場の逆転で、そこまで描かなくても、コーディクスの変異をヌルが知って脅威に感じるというものでOKだと思います
ヌルがそれを感じるには、エディ&ヴェノムがゼノファージをあっさりと殺してしまうほどの変異をすることなのですが、この流れになるわかりやすいものは「ゼノファージの捕食」になると思います
コーディクスは人類とシンビオートを取り込んでいますが、さらにヌルの純度の高いものがやってくる
これを捕食(融合)することによって、さらにコーディクスの力が増すということになります
そして、それ自体が脅威となり、たまたまエディと融合しているからコントロールできているという状態になる
エディとヴェノムの融合を終わらせるなら、エディの中に残ったままになるし、エディが新たなシンビオートと融合することで、さらに強大なものになると考えられます
映画は、ゼノファージと共倒れという何とも形容し難いモヤモヤしたラストになっていたので、いっそのこと、ゼノファージをボッコボコにして、ヌルが一旦撤退するという方が爽快感があったように思います
今回のラストではエディの中から完全にヴェノムは消えてしまっているのですが、エリア55で生きている可能性も少なからずあるのかもしれません
そうなると、今度はエディ以外の人類と融合することになるので、さらにコーディクス自体も進化することになるのかな、と感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作のタイトルには「ラストダンス」という言葉が使われていて、これはエディとヴェノムの掛け合いや戦いをダンスと表現しているのだと思います
ペアダンスとして、息の合った特別な関係を示唆しつつ、それが終わりを告げるという哀しみも表現されていたように思います
また、最後の酸で苦しむ様子を「踊っている」ようにも見えて、ダブルネーミングの意味合いがあるのかな、と思いました
映画は、かなりグロいタイプの映像で、個人的にはあまり好みではありませんでした
特に食い方が汚いとか、食べ物をぞんざいに扱うシーンが多いので、繰り返し見たくなるタイプの映画ではなかったですね
ペアのキャラは良いのだけど、コメディシーンが下品というのは致命的なように思えてしまいます
映画は、この後も大きな括りの中に組み込まれて、ユニバース的なものの一部になってしまうのでしょう
配信ドラマなどを含めた一大エンタメのコンテンツではありますが、もう乗り遅れた人には容赦がないという感じになっていますね
幸いMCUの創世記から映画を見てきたので、映画公開分は全て映画館で見てきましたが、さすがに配信が絡んでくるとどうしようもありません
コンテンツの奪い合いの中で顧客を囲い込むという戦略は理解できるのですが、元々視聴スタンスが違うものを行き来させるのはハードルが高いと思います
配信メインの人は、いずれ映画が配信になるのでダメージはありませんが、その逆の流れは起きません
なので、ある程度の人の流入はあっても、映画館で完結しないものは見ないという人も増えてくると思います
今後、どのように変化していくのかはわかりませんが、思った以上には行き来はされず、先細っていくように思います
MUCはさらに作品内の行き来も物凄く多いので、それを今から追いかけるのはキツいと思うのですね
なので、配信で見返せると言われても、一本の新作のために数十本のコンテンツを観ないと理解できないみたいなことになっています
その方針は変わらないのようなので、いずれは「ついていける人だけで存続する小さなコンテンツ」になっていくのかな、と思いました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101865/review/04426135/
公式HP: