■罪の先に罰があるとしたら、物語はまだ終わりを迎えていないと言えるのかもしれません
Contents
■オススメ度
韓国の一風変わったホラー映画が好きな人(★★★)
■公式予告編(韓国語版:音量に注意!)
鑑賞日:2024.12.5(アップリンク京都)
■映画情報
原題:씬(罪)、英題:The Sin(罪)
情報:2024年、韓国、103分、PG12
ジャンル:山奥の廃校にて行われる映画撮影現場を舞台にしたホラー映画
監督:ハン・ドンソク
脚本:ハン・ドンソク&キム・スヨン
キャスト:
キム・ユネ/김윤혜(ハン・シヨン/시영:オーディションに合格した新人女優)
(高校時代:キム・ミンソ/김민서)
ソン・イジェ/송이재(チュユン/채윤:共演女優)
パク・ジフン/박지훈(チャン・フィウク/장휘욱:映画監督)
イ・サンア/이상아(ユン会長/윤회장:フィウクの雇用主)
チョン・ジョンヒョン/변정현(キワン/기완:ユン会長の秘書)
パク・ガンラク/박건락(パク理事/박이사:ユン会長の部下)
イ・スン/이선(チョン・ヒョンナム/현남:シヨンの母)
ナム・ドユン/남도유(ジュニ:シヨンの高校時代のクラスメイト)
イム・ホジュン/임호준(ジュンヒ/준희:ジュニの父、ユン会長の部下)
コ・ナヨン/고나영(ジュニの母)
ユン・ハヨン/윤하영(ヨンウ/연우:バレエ少女、シヨンの回想)
【警察】
ソン・インヨン/손인용(ぺ・ギョンガム:/백경감:警視)
キム・ガンス/김건수(キム・スンギョン/김순경:巡査)
ヒョン・ヨンギュン/현영균(ナム巡査)
チェ・ユンビン/최윤빈(キム巡査)
【撮影スタッフ】
ユ・ヨンソン/유성용(ジョンリョン/공룡:助監督、パギョン捜索)
チャ・ソヒョン/차서현(パギョン/박영:助監督、地下室点検)
イ・テヒョン/이태형(ギョングン/경근:録音係、逃亡扶助)
シン・ジュンチョル/신준철(サノブ/산업:プロデューサー)
キム・ボンジョ/김봉조(ジェホ/재호:撮影監督)
チェ・ギソプ/최기섭(ジュソン/주성:特殊効果)
ナム・クァンウ/남광우(ドヒョン/도현:照明)
ヤン・ドンソン/양동선(スウォン/수원:照明)
キム・スギョン/김수경(ユヒョン/유현:衣装)
ユ・ヨンウ/유영우(ヘイン/혜인:衣装)
クォン・ヨンドク/권용덕(クァンヒ/광희:撮影)
キム・ヒョンラ/김빛나래(ギュリ/규리:美術)
イ・ジュンホン/이중헌(チョル/철우:美術)
ハン・サンチョル/한상철(マネージャー)
【シャーマン関連】
イ・ハンナ/이항나(キョンファ/경화:シャーマンのリーダー)
キム・スヒョン/김수현(ナム神父、キャンファの仲間)
キム・ランヒ/김란희(マホエ/매회:巫女)
パク・チャンウ/박찬우(司祭)
チェ・ジュヒョン/최주현(巫女)
パク・チャンギョン/박찬경(巫女)
【その他】
キム・ドンヒョク/김동혁(精神科医)
チョン・スンウク/정승욱(救急医)
ナム・グンスル/정찬을(男性看護師)
チョン・チャンウル/남궁수일(男性看護師)
ホ・ジェイン/허재인(女性看護師)
チャ・ゴンウ/차건우(タクシー運転手)
ハン・ソンヨン/한송연(シヨンの同級生)
キム・ダギョン/김다경(シヨンの同級生)
ハン・ヒョンジク/한현직(チャニョン/찬영:回想に登場する呼吸器をつけた患者)
チョン・ホング/정헌구(繋がれてる人?)
チャ・スンホ/차승호(繋がれてる人?)
ハン・ジアン/한지안(駅の少年)
イ・ユジュ/이유주(子どもの母)
パク・ソンヨン/박성용(高速道路の警察)
ソ・ビョンオプ/서병업(高速道路の警察)
キム・インウ/김인우(高速道路の警察)
ぺ・ジュワン/배재완(ユン会長の手下)
キム・ジンマン/김진만(ユン会長の手下)
イ・ソクジュ/이석재(ユン会長の手下)
ユン・ソンジョン/윤성준(ユン会長の手下)
パク・ジョンミン/박종민(ガソスタの従業員)
ビョン・ボンシグ/변봉식(オーデションの審査員)
イ・ジョンミン/이정민(オーデションの審査員)
ホ・ジュンヨン/허준영(救急隊員)
オ・ヒョングン/오현근(救急隊員)
イ・ジェホン/이재홍(消防士)
チュ・ヨンジン/주영진(消防士)
アン・チャンス/안창수(証言する管理人)
チェ・ウォンソク/최원석(証言するバスの乗客)
チョ・ヒョウン/조효은(証言するバスの乗客)
キム・ヨン/김영(証言する清掃員)
キム・ミンギョン/김민경(証言するシヨンの担任の先生)
パク・スンホ/박순호(記者の声)
■映画の舞台
韓国:
アウォン大学(架空)
ロケ地:
韓国:順天市
明神大学(廃校)
https://maps.app.goo.gl/wB6vMBsXXyPeETDL9?g_st=ic
■簡単なあらすじ
ダンス映画のオーディションに合格したシヨンは、山奥にある廃校に呼ばれていた
そこでは、映画監督フィウクが手掛ける作品の撮影の準備に入っていて、助監督のジョンリョン、パギョンは大慌てで設営の準備に取り掛かっていた
映画には、もう一人の女優・チュヨンが参加することになっていたが、シヨンだけはそれを聞かされていなかった
事前に用意されたダンスを完コピするという内容で、シヨンは演技指導がないと不安だと言う
だが、フィウクはそのまま踊ってくれたら良いと言って撮影に入ってしまった
何度かのリテイクを繰り返し、本番に向かうことになった
だが、換気扇の音が止まらないために、パギョンは校内に入って、そのスイッチを探し始める
だが、そこには見たこともない紋様が壁一面に描かれていて、彼女は何者かに襲われてしまった
その後、パギョンは屋上の撮影現場に戻るものの、全身血まみれの彼女を見てスタッフは慄いてしまう
そしてパギョンは、そのまま屋上から飛び降りてしまう
死んだと思われたパギョンだったが、いきなり動き出し、プロデューサーのサノブに噛みついて殺してしまう
一同はパニック状態になり、シヨンはフィウクとチュユンたちと共に逃げ道を探す
だが、一階はロッカーなどで道を塞がれていて、彼女達は得体の知らない何かに取り囲まれてしまうのである
テーマ:罪と罰
裏テーマ:野放しにされる悪鬼
■ひとこと感想
映画のジャンルは一応ホラーですが、どんな種類のホラーかはネタバレのような感じになっています
パンフレットには人物相関図があるのですが、思いっきりネタバレになっているので、鑑賞前に読むのはやめた方が良いと思います
映画は、巻き込まれ系のホラーではありますが、ひと工夫もふた工夫もしている感じになっていて、それゆえにわかりにくい部分もあったように思います
全5章の構成で、それぞれの章には「人物の名前」が使われていて、「シヨンの章」「チュユンの章」と言う感じに視点が切り替わっていく内容になっていました
物語としては、シヨンの過去に起因する物語になっていますが、その時に生まれたものか、予め在ったものなのかはわからない感じになっています
後半ではきちんとネタバレされていますが、それでもわからない人が多そうに思えますね
シヨンと鏡がキーワードになっていて、途中で登場する精神科医の診断もミスリードのように思えてしまいます
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作は、前半はゾンビホラーで、中盤からオカルトホラーになっていく展開で、ラストは呪術系ホラーだったと言うオチになっていました
「シヨンの章」では、彼女があの場所に来る経緯と映画スタッフの紹介のようになっていて、「チュユンの章」では本格的な撮影に入ります
さらに「フィウクの章」にて、映画撮影の起こりについて描かれ、「ユン会長の章」にてシヨンたちの過去がどのようなものになっていたのかがネタバラシされる展開になっています
「ギョンファの章」と呼ばれるエピローグがあるのですが、これは映画がどうなったかを指し示すもので、そこではチュユンの正体というものがわかるようになります
そして、この章によって、「ユン会長の章」のラストにあたる「リッチな部屋のシーンの意味」というものがわかるようになっていました
この流れから推測すると、シヨンの中に在った悪鬼と呼ばれるものが、嫉妬感情によって目覚めて人格を支配するという感じに見えますね
そして、悪鬼の力は自分の姿を別の人物に見せたり、乗り移ったように見せかけたりできるようですね
処刑の場では入れ替わってるように見せているし、ユン会長をはじめとして、自分の意にそぐわない人は精神をコントロールして自殺させたりしていました
最終的にシヨンは野放しになり、チュユンの師匠であるギョンファが仇を討つという感じのテイストで物語は終わっていました
なので、続編を作ろうとすれば作れる、という幕引きになっていました
■罪と罰を支配するもの
本作では、罪と罰がメインテーマとなっていて、悪鬼であるシヨンは「罪を犯したならば、罰を受けるべきだ」という言葉を口にします
シヨンの存在は人間の本質的な罪の象徴となっていて、彼女の周囲で起こることは「罰」であるように描かれていました
罪と罰は対になる言葉ですが、その定義となっているのは、以下の概念であると思います
ひとつめは「人間の良心、もしくは内的な道徳感」、ふたつめは「社会と法制度」、みっつめは「宗教及び神の意思」、そして最後は「権力者の意思」となります
人はこの行いが悪いことだと感じた時、その行動を罪だと感じてしまいます
そして、その罪を償おうとする心の動きが起きて、それが罰となって表面化します
内在する倫理観が罪と罰を引き起こし、この構造はドストエフスキーの「罪と罰」をはじめとした多くの作品に登場するものだと言えます
とは言え、現実的な罪と罰の関係性といえば、国家や社会が定めたルール(法律)と、それを破ったことによる罰というものがあります
社会をより良くしようとする概念で作られる法律は、それ無くしては人間は自己的で暴力的になるという側面があります
ある種の抑止力のようなもので、罰があるから罪が起きにくくなるという論理で構成されています
また、諸外国とりわけ宗教観の強い国家やコミュニティでは、罪は「神への背き」であり、罰は「神の裁き」であるという考え方があります
キリスト教では、人類の罪をキリストが贖ったとされているし、仏教には因果応報の考え方があります
イスラム教ではアッラーの裁きによって、来世で罰が下されるとされています
超越的な存在が最終的な裁き手となり、それは容赦のないものとなっています
これらの価値観とは少しズレるところで言えば、権力などによって「罪と罰の関係性を根底から覆す」ということがあります
罪というものが状況によって変わるというのが大きな特徴で、通常の生活だと殺人は罪でも、戦争だと善となるというような場合になります
現在は資本主義経済ですが、その達成のために罪を歪めるということもしばしば起きています
法の隙間を潜り抜けることで罰を交わすのですが、この手の歪みに対しても罰が下されることがあります
それが執行者の良心によるものもあれば、超常的な存在による因果であることもあります
そう言った意味において、権力構造が歪める罪と罰の相関関係の逸脱すらも、大きな概念には逆らえないのかな、と思えてしまいますね
■シヨンの中に居たのか生まれたのか
シヨンは悪鬼となり、人々に罰を与えますが、そもそも悪鬼はどこから来たのでしょうか
可能性が高いのは、元々シヨンの中に存在していて、それがある事象によって顕在化したというパターンでしょう
それ以外の可能性だと、外的誘因によるもので、シヨンの防御壁が破られたことによって、中に入り込んだもの、ということになると思います
どちらにせよ、シヨンという媒体が悪鬼が存在しやすい状況になっていた、ということになるので、その起点となるものが存在します
よく魔が差すという言われ方がされますが、その時に悪さをするものが先天的なものか後天的なものかという問題に似ていますね
潜在的にそうしたいという欲求があった場合と、何かしらの要因で可能性を見出した場合になると思いますが、最終的にはその人物の選択に依ると言えます
人には、人間界にある全ての業を起こす火種があると思います
それをどのようにコントロールするかというのは個別の問題で、時には大いなる時勢によって、露見するということもあるでしょう
悪鬼を抑え込めるかどうかというのは、今生きている社会でどれだけ満たされているかに依ると思うので、社会が荒めば荒むほど、悪鬼が顔を出す可能性が高くなると思います
映画では、詳細を知らされないシヨンが謎の舞踏をさせられるのですが、それによって悪鬼が生まれるという状況になっていました
ある意味、シヨンの中にある悪鬼を呼び起こしたのが、本人の意思のない行動ということになっていて、それが彼女以外の利益になるという構造がありました
人を貶めたり利用したりすることで利益を得るという行為は、悪鬼そのものを背成熟させる力があるように思います
そう言った外的要因が素養のある肉体の中で悪鬼を成熟させ、それが反射的にそれを仕向けた人々に降りかかっていくのですね
ある意味、神の裁きに近いところがあって、人智を超えたものがシヨンの体を悪鬼化させたようにも思えました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は章立てになっていて、5つの視点で物語を紐解いていきました
シヨンの章から始まり、チュユンの章、フィウクの章、ユン会長の章と続き、最後がギョンファの章となっていました
オーディションに合格した女優、共演をすることになった女優、映画監督、依頼主と続き、チュユンの師匠として、シヨンを罰する役を持つ象徴で結ばれます
元々シヨンの中にあった悪鬼を顕在化するための儀式があり、それを映画撮影と称して行うという背景があり、シヨンの悪鬼を始末するための流れを汲んでいました
それを5つの視点によって観客に提示する、という構成が取られていました
映画撮影を主体としているのは、シヨン自身の自己実現を利用することで、儀式の本質から目を背けさせる意味合いがあったと考えられます
そこに意図しない、不意の共演が起こることで、シヨン自身に不安を生じさせていきます
不安という感情が支配することでシヨン自身の精神的な防御壁が緩み、それによって悪鬼の出現というものが容易となります
それゆえに、これまで悪鬼を封じ込めていたのは、シヨン自身のアイデンティティであり、強固な意思のように思えます
その封印されていたものを解き放つというのは、これ以上閉じ込めておくと、その力がさらに強大になることを懸念していたのでしょう
人智で対応できる段階で悪鬼を顕在化されることで打破は可能と考えていて、悪鬼自身がシヨンの精神障壁を超えてくる段階になると手に負えないと考えたのでしょう
抑圧の度合いが高まるにつれて悪鬼の力は増大し、それが爆発力へと置き換わっていきます
そうしたリスクヘッジを取るための行動が一連の撮影を通じて行われたものと推測できます
いわゆるガス抜きのようなことを行なっているのですが、言い換えると内なる部分に生まれたものは外に出す必要があり、内部崩壊を起こすことのリスクは重大であるという意味になると思います
個人的な感情や欲望というものは溜めれば溜めるほどに肥大化し、抑圧は瞬間的な爆発力に比例していくと考えられます
自壊はコントロールできない爆発を生み出してしまい、その影響は甚大なものとなります
そう言った意味において、今回はそれを封じ込める最後のチャンスだったと捉えられていたのだと思います
でも実際には、それをコントロールできたとは言えず、悪鬼を人智で制御しようと考えたこと自体が愚かなことだったという風に見えてきます
なので、見方を変えれば、悪鬼の制御自体が「罪」であり、その罰は後世が払うことになる、と言えるのかもしれません
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/102366/review/04534750/
公式HP:
