■矢野くんの秘密は、母性と恋愛とどっちを生み出してしまうのだろうか

 


■オススメ度

 

子ども向けのラブコメが好きな人(★★★)

主演のファンの人(眼帯外すまで長いよ)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.11.21(イオンシネマ京都桂川)


■映画情報

 

情報:2024年、日本、106分、G

ジャンル:心配性と不運男子の恋愛を描いたラブコメ映画

 

監督:新城毅彦

脚本:杉原憲明&渡辺啓&伊吹一

原作:田村結衣『矢野くんの普通の日々(講談社)』

Amazon Link(原作:Kindle版)→ https://amzn.to/3O62dbC

 

キャスト:

八木勇征(矢野くん/矢野剛:毎日ケガばかりする高校生、美術部)

池端杏慈(吉田さん/𠮷田清子:矢野くんが心配で仕方ないクラスメイト、学級委員)

 

中村海人(羽柴雄大:学校イチのモテ男子、野球部)

白宮みずほ(泉まこと:清子の親友、羽柴の幼馴染)

新沼凛空(柚川メイ:清子の親友)

 

伊藤圭吾(田中晴人:クラスのお調子者、矢野くんの元クラスメイト)

筒井あやめ(岡本瑠璃:矢野くんの秘密を知るクラスメイト、転校生)

 

柳川るい(檜山幸太郎:クラスメイト)

久保千咲(谷朝子:羽柴の追っかけ)

松岡えみり(羽柴の追っかけ)

彩永あいり(黒川香澄:羽柴の追っかけ、告る女子)

 

宮崎莉里沙(𠮷田さやか:清子の妹)

   (幼児期:永谷咲笑

青木凰(𠮷田そうた:清子の弟)

   (幼児期:石塚錬

島村みやこ(清子の母)

 

レン杉山(林でメガネ探す老人)

横内亜弓(ファミレスの店員?)

松﨑謙二(?)

 

池田良(担任の先生)

藤本静(現国の先生)

五味多恵子(道端の老女)

森田甘路(路上警備員)

 


■映画の舞台

 

神奈川県:鎌倉市

旭星学園高等学校

 

ロケ地:

長野県:富士見市

富士見高原リゾート

https://maps.app.goo.gl/Kf5fY8TYq4B5DFBU9?g_st=ic

 

神奈川県:鎌倉市

報国寺

https://maps.app.goo.gl/v77cTiHxBk15Zwfz9?g_st=ic

 

千葉県:沼津市

延長寺

https://maps.app.goo.gl/33SiSY6TpnYqz8Se6?g_st=ic

 

長野県:原村

八ヶ岳中央実戦高校

https://maps.app.goo.gl/fs9myiPbdd7vrkvG6?g_st=ic

 

長野県:松本市

あがたの森文化会館

https://maps.app.goo.gl/hFiH3croYJSwZ5yq8?g_st=ic

 

群馬県:太田市

カラオケビッグエコー太田店

https://maps.app.goo.gl/SHskRkqVaAzkTX1w9?g_st=ic

 

千葉県:松戸市

光英VERITAS中学校・高等学校

https://maps.app.goo.gl/rW6GkN1XN1q22jZj6?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

進学して高校2年生になった清子は、度を越す心配性で、弟と妹にも過度な心配りをしていた

新学年では学年イチのモテ男・羽柴とクラス委員になるものの、同じクラスになったケガばかりする男子・矢野に気を取られぱなしだった

 

矢野くんは登校するたびに怪我をしていて、どうしてそんなにケガをするのか見になった清子は、親友のまこととメイと一緒に後をつけることになった

矢野くんは何もないところで躓いては転び、連鎖的にケガを増やしていく

そして、とうとうダンプカーに轢かれたと聞かされてしまう

 

清子は学校を飛び出して病院に行くものの、致命的なケガは避けていた

そこで清子は、矢野くんの手当をしたいと言い、一緒に過ごす時間を増やすことになった

矢野くんは「普通の学校生活がしたい」と言い、そこで清子は友だちと一緒に、矢野くんと高校生活を満喫することになったのである

 

テーマ:心配性の方向性

裏テーマ:恋の境界線

 


■ひとこと感想

 

少女漫画原作で、おそらくは主演のファンムービーとは分かっていましたが、かなり変な設定なので興味が湧いていました

ケガばかりする矢野くんと心配性すぎる清子との関係がどうなっていくのかという物語ではあるものの、近いところで三角関係がこんがらがっていましたね

原作だともっと尺を取っていると思いますが、映画だとかなり端折らざるを得ない感じになっていました

 

自分と一緒にいると巻き込まれて怪我をすると考えていて、それの発端というものが過去に隠されていましたね

そして、その理由を知る女の子が登場してという感じで、恋のライバルもたくさん登場していました

 

映画は、かなり拗れた関係になっていくものの、誰もが聖人君子のような感じになっていて、思った以上にひどい状態にはならなかったですね

恋がどのようなものか知らない感じに描かれているのですが、見た目大人の中身小学生ぐらいの印象が強くて、かなり頭の中を低学年寄りにしないとついていけないように思えました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

心配しているのは恋だったみたいな内容になっていますが、本当にこんな人がいるんだろうかと思ってしまうくらいにファンタジックな人間関係になっていました

清子が心配性なのは、かつて母親が事故死したことがきっかけで、それによって妹も一部記憶が欠損しているみたいなテイストで描かれていました

そこら辺は深くは掘り下げないのですが、現実を受け入れられなかったことがトラウマになっている、という感じになっていました

 

映画は、高校2年生という受験に縁がない青春を描いていて、イベントは林間学校とお祭りになっていましたね

恋だと分かってからのすれ違いとか、意識し始めてからのニアミスなども天然っぽさが全開になっていました

自分の世界に入ると周りが見えない人たちばかりで、それによっておかしな方向に行くというところがコミカルだったと思います

 

物語は、わかりやすい恋のすれ違いを描いていて、二人にはトラウマレベルの過去があるのですが、そのあたりはあまり深掘りしなかったですね

何となくわかる感じにはなっていますが、尺の都合とは言え端折りすぎなように思えました

眼帯をしている理由はわかりますが、結局のところ呪いがどうなったのかは分からず、中学時代の女の子とは恋愛関係だったのかどうかすら分からない感じになっていました

清子と矢野くんの恋だけではなく、まことと羽柴の恋愛も描いているし、メイと田中との関係に匂わせて終わっていました

かなり中途半端な感じになっていて、畳めないなら広げなきゃ良いのにと思ってしまいましたねえ

 


思い込みが引き寄せるもの

 

清子は思い込みの激しい性格で、矢野くんのことが心配でたまりません

矢野くんも自己暗示にかかっているかのようにトラブルを引き寄せていますが、彼のトラブルのほとんどは偶発的かつ注意不足のようにも見えてきます

実際にも、トラブルを引き寄せまくる人というのはいますが、何かしらのズレによって、連鎖的に引き寄せてしまうことは、人生で何度か経験すると思います

 

スポーツなどでも、ひとつのエラーなどで流れがガラッと変わり、そこから一気に形勢が逆転するというものをよく目にすると思います

特に一発勝負の甲子園などでこのようなプレイを見ることが多く、そこには精神的なものが作用していることがよくあります

客観的に見える「流れ」というものも、そこにある空気感というものを察知してしまっていて、それはほとんどの場合は集中してプレイを見ていることで起こる「第三者的な感覚」が見せているとも言えます

これが当事者には全く見えなくて、それによって悪い方向へと導かれてしまうことがあります

 

人の行動の結果は「思い込み」が引き寄せることが多く、「悪い予感が的中する」というのは、このマインドの矢印によって行動の結果を悪く思い描いてしまうことから起こります

形勢が優位な局面において、自分が失敗をしたらどうしようというマインドが体を硬直させ、それによっていつものプレイができなくなる

その原因となるのが、対戦相手との思い込みの強さの違いだったりします

良いイメージを持って戦っている人と、悪いイメージを持って戦っている人がいた場合、その思い込みは相乗効果として結果を生み出してしまいます

 

映画だと、矢野くんは危ないことに巻き込まれると思い込む清子と、僕にはよくないことが起きると思っている矢野くんがいることで、実際に悪いことが起きてしまいます

でも、清子の方が実は危ないことに巻き込まれたりするシーンも多く、彼女は矢野くんを見すぎるあまりに自分の危険に気づけなかったりします

この際に、ひとつの清子のピンチというものが矢野くんの「悪い予感」を増幅させることになります

それゆえに清子がピンチ、それに巻き込まれる矢野くんがピンチ、結果として両方が思い描いていた結果へと結びついてしまう、という流れになっていました

 


勝手にスクリプトドクター

 

本作は、矢野くんの不幸な出来事を心配する清子が描かれていて、その眼帯の秘密というのが最後のサプライズになっていました

この眼帯の中を見た人は不幸になるというオカルトチックなものがあって、それを知るかつてのクラスメイト瑠璃が登場する、という流れになっています

瑠璃と矢野くんの関係ははっきりと描かれていませんが、元カノのように見せかけて実は違うみたいな、そのエピ必要?という展開になっていました

清子の知らない矢野くんを知る人物という、わかりやすい恋敵の出現なのですが、恋愛関係がないのなら登場する意味があまりなかったように思います

 

かつて、矢野くんの眼帯の中を見た瑠璃はさまざまな不幸に見舞われるのですが、矢野くんはそれを自分のせいだと考えています

そこにある相関関係というのは示されず、ほとんど思い込みのようなものですが、それを外せないというのは矢野くんの過去に隠されていました

それを外せるかどうかというのは本作のメインエピソードになっていると思いますが、そこまでには至らないという感じになっていたと思います

 

結局のところ、清子の矢野くんへの想いは恋であるとはっきりし、矢野くんはそれを好意的に受け取っています

それでも、矢野くんが清子を好きなのかというのは微妙なラインになっていて、常に「僕と関わるとロクなことがない」の延長線上だったように思いました

清子の方はそれでも良いというスタンスですが、この関係は恋愛というよりは母性本能のように見えます

それで良いのかはわかりませんが、清子自身も恋愛感情が先走っている感じではないので、着地点としては良いのでしょう

一応は、少女漫画ラブコメの終着点であるキスシーンには辿り着きますが、何となく消化不良な側面が多かったように思いました

 

おそらくは、羽柴を好きなまことのエピソードとか、他にも色々と恋愛様子が絡むものが多すぎたからでしょう

矢野くん、羽柴、清子という三角関係がどうなるかというところが物語のメインなので、2時間弱で他の恋愛エピを挿入すると、落とし所が難しくなってしまうと思います

あとは原作ではどうなのかわかりませんが、瑠璃と矢野くんの関係と清子と矢野くんの関係の違いがもっと明確だったらと思いました

どうやら瑠璃の方は「単に心配だったから」というもので終わっていますが、それは清子の感情とは少し違うのですね

なので、清子はどうして瑠璃とは違うのか、というところを明確に描く必要があります

それは「心配から恋愛になった」のではなく、「恋愛から心配になった」という順序があったと思うので、それをはっきりと示せば、もっとわかりやすかったのかな、と感じました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作のメインは、矢野くんが眼帯を外すシーンで、そこにはオッドアイと呼ばれるものがありました

これが特異な体質の一つで、矢野くん自身はそれによって良くない人生を送ってきました

オッドアイ自体が不幸を呼び寄せるわけではありませんが、彼自身は良くないことが起こると、その目のせいだと思い込むようになっていました

これが瑠璃の時にも続き、自分自身の不幸体質というものが、オッドアイを見たことによって伝播すると考えるようになっていきます

 

人の不幸というものが連鎖するのかは何とも言えませんが、ネガティヴな感情がネガティヴな未来を引き起こすというのは良くあることだとされています

それは、そのモードによって見えるものが違うというもので、ポジティブモードでも同じことが起こります

何かしら事象があっても、その心の方向で感じ方が違うというもので、矢野くんのネガティヴマインドでは「すべての不幸は自分のせいに見える」というものになっていました

清子からすれば、矢野くんのピンチは自分が輝くときみたいな感じにも見えて、接点のなかった二人を繋ぐものとなっています

清子がそのことをネガティヴとは捉えておらず、かと言って「もっと不幸が起これば矢野くんと近づける」とも思ってはいません

あくまでもフラットに考えているのですが、実際のところは「頼られる自分」というものをもっと能動的に考えても不思議はないと思います

 

映画では、不幸の連鎖は続いてしまうけれど、それによって生まれる縁というものを描いていました

瑠璃の時はその縁は恋愛にはならなかったようですが、清子との間では違った感情を引き起こしています

おそらくは、瑠璃も清子も同じような献身と母性本能みたいなものがあったと思いますが、清子の方だけが恋愛に移っていったのには理由があると思います

映画では、そこまで言及することがなかったように思えていて、母性から恋愛感情になったのはなぜ?みたいに思えてしまいます

 

単純なストーリーだと、オッドアイを見たことによって、清子の中にあった恋心が全開になったという感じになると思いますが、映画ではそれ以前にラブモードだったように思えるのですね

なので、それよりは、オッドアイを見たために「恋愛感情が湧き上がってしまった」という感じに転換点をはっきりさせても良かったのでしょう

そして、不幸を引き寄せているのは別の要素である、と結んだ方が良かったように思います

 

瑠璃に起こった不幸な出来事も偶発的なもので、清子に起こることも同じである

でも、清子は矢野くんのオッドアイを怖いとは思わず、むしろカッコイイとさえ思っていて、それが矢野くんの自信に変わっていく方が良いのでしょう

映画の尺ではそこまでは描かれませんが、「私と一緒の時だけは目を見せて」みたいな展開になって、清子は少しずつ矢野くんのマインドを変えていくという道筋が見えても良かったのかな、と感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/102029/review/04490944/

 

公式HP:

https://movies.shochiku.co.jp/yanohibi-movie/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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