■ソルが願ったことは、執着ではなく、トーテミズムにおける祖霊への敬虔の重要性であるように思えました
Contents
■オススメ度
少女の精神的成長の物語に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.8.13(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Tótem(伝統的な家族や部族が信仰する、動植物や自然現象のこと)
情報:2023年、メキシコ&デンマーク&フランス、95分、G
ジャンル:少女が大人の事情を理解する様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本:リラ・アビリス
キャスト:
ナイマ・センティエス/Naíma Sentíes(ソル/Sol:疎遠の父に会いに来る7歳の娘)
モントセラート・マラニョン/Montserrat Marañon(ヌリア/Nuria:ソルの叔母、トナの姉、ケーキ作りをする次女)
サオリ・グルサ/Saori Gurza(エステル/Ester:ヌリアの娘、ソルの従妹)
マリソル・ガセ/Marisol Gasé(アレハンドラ/Alejandra:ソルの叔父、トナの姉、霊媒師を呼ぶ長女)
Galia Mayer(イサベル/イサ/Isa:アレハンドラの娘)
Lukas Urquijo López(チャバ/チャヴィータ/Chavita:アレハンドラの息子)
イアスア・ライオス/Iazua Larios(ルシア/Lucia:ソルの母、オペラ劇場勤務)
マテオ・ガルシア・エリソンド/Mateo García Elizondo(トナ/トナティウ/Tonatiuh :ソルの父、病気で療養中)
テレシタ・サンチェス/Teresita Sánchez(クルス/Cruz :ソルのヘルパー)
アルベルト・アマドール/Alberto Amador(ロベルト/Roberto:トナの父、カウンセラー)
ファン・フランシスコ・マルドナド/Juan Francisco Maldonado(ナポ/Napo:ソルの叔父、トナの兄、量子療法)
Marisela Villarruel(ルディカ/Lúdica:アレハンドラが連れてくる霊媒師)
José Manuel Poncelis(オクタビオ/Tío Octavio:ソルのおじ)
Alioth Gutiérrez(オーロラ/Tía Aurora:ソルのおば)
Georgina Tábora(クラウディア/Tía Claudia:ソルのおば)
Sylvia Littel(コーラル/Tía Coral:ソルのおば)
Ricardo García(ゼペタ氏/Sr. Zepeda:トナの高校時代の恩師)
Violeta Santiago(ゼペタ夫人/Sra. Zepeda:恩師の妻)
Rodrigo Lamas(アリエヒト/Arielito:トナの高校時代の友人)
Abel Sánchez(カユ/Kayú:トナの高校時代の友人)
Pepe Aguilar(イヴァン/Iván:トナの高校時代の友人)
Zuadd Atala(ルース/Ruth:トナの高校時代の友人)
Michelle Menéndez(ルル/Lulú:トナの高校時代の友人)
Daniel Primo(シーネ/Shine:トナの高校時代の友人)
Mariana Villegas(ジュリア/Julia:トナの高校時代の友人)
Alfonso Rodríguez(ポンチョ/Poncho:トナの高校時代の友人)
Francisco Pita(ウィウィス/Wiwis:トナの高校時代の友人)
Ana Ortíz(アナ/Ana:トナの高校時代の友人)
Miguel Vassallo(ヴァサロ/Vasallo:トナの高校時代の友人)
Omar Guzmán(アートコレクター)
■映画の舞台
メキシコのとある町
ロケ地:
メキシコ:メキシコシティ
■簡単なあらすじ
病気の父トナと離れて暮らしている7歳の娘ソルは、父の誕生日パーティーのために、母ルシアと共にメキシコシティを目指していた
父を喜ばせるための出し物の確認をしながら、久々に会えることを楽しみにしていたソル
だが、祖父の家に着いてもなかなか会わせてもらえず、もしかしたら自分は嫌われているのではないかと思い始めてしまう
誕生パーティーには家族、同窓生、恩師などが参加する予定で、ソルの叔母たちも準備に明け暮れていた
そんな折、叔母のアレハンドラは霊媒師を呼び込んで妙な儀式を始めてしまう
さらに、叔父のナポも量子療法なるものを始めてしまい、パーティーは混沌としたものになってしまった
ソルはようやく父と会うことができ、母と一緒に父のために歌を歌った
その様子を嬉しそうに眺める父を見て、ソルの顔にようやく笑みが溢れるのだった
テーマ:愛と絆
裏テーマ:悟りと受容
■ひとこと感想
なんらかの理由で離れて暮らしている父と娘が再会するというもので、離れている理由を知らない娘が「大人たちの会話を聞く中で悟っていく」という物語になっていました
印象的なラストシーンは、それまでにソルが理解してきたものが凝縮している内容になっていました
登場人物が結構多いのですが、主要人物に関しては公式パンフレットで家系図的なものが載っているので混乱はしないと思います
そのページだけでも先に見ておくと、人物相関がわかりやすいと思います
映画は、7歳の少女が父の状況を察していくという内容で、本当に家族内の日常的な会話が盛りだくさんでしたね
父には姉が2人、兄が1人いるのですが、これまた個性的で、彼らが父(弟)のために行うことにも愛が溢れていました
でも、次女のヌリアの心情が一番グッと来ますね
温度差があると言えばそれまでなのですが、それぞれがトナに対する愛情を持っていて、その表現方法が違っているだけで、彼女の愛も確かなものでしたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
事前の想像とは違う内容で、ソルが大人の事情を感じていくという構成に驚きました
本当に何気ない会話の端々を解釈して行くことになりますが、それらだけではソルの理解は進んでいきません
ラストのバースディケーキを前にした父のひと言が全てだったと思います
家族に愛されていた父ですが、彼の意思を尊重した結果、家族では支えきれないところまで来ていました
中盤あたりで金銭のことや治療方針のことで揉めるのですが、そこで隠語(略語)のようなものを使って、ソルにわからないように話していたのは印象的でした
姉兄たちはそれぞれ何かをしてあげたいと思っているし、なんとかしたいという気持ちはあるのですが、これ以上の苦痛をどうするのかという段階にきています
いわゆる終末期に差し掛かっているので、父が受けているのは緩和ケアということになっていました
これまでに抗がん剤などは試さなかったようですが、それらの経緯についてははっきりとは明言されていませんでしたね
なんとなくではありますが、見つかった段階で手遅れで、抗がん剤やホルモン治療の効果は薄いと判断されたのでしょう
そこからモルヒネを使った緩和ケアを選んでいて、どのような最期を迎えるのかというのが父の中で重要視されていたのだと思います
■タイトルの意味
映画の原題は『Tótem』で、これは「特定の集団や人物、部族や血縁などに宗教的に結び付けられた野生の動物や植物などをモチーフにした象徴」のことを意味します
有名なのはトーテムポールで、映画内ではソルと母がその格好をして歌うと言うシーンがありました
もともとこの言葉はアルゴンキン語族の話すノバスコシアのミクマク人もしくはその周辺の民族の言葉とされています
その後、英語の文献で「Totem」という表記がなされていて、これが1791年頃の話になっていました
1760年代に北米大陸のオジブワ人と交易したジェームズ・ロングという交易者の報告書に記載があったとされています
トーテムの信仰の基礎として、崇拝する信仰形態のことを「トーテミズム(Totemism)」と言い、これらは食のタブーと結びついています
また、トーテミズムはある宗教を指し示す言葉ではなく、宗教形態のことなので、広域の範囲でその形態を指し示す言葉であるとされています
ちなみに、日本でもこのトーテミズムは流れ着いていて、神道や自然崇拝と結びついています
その他にも、中国をはじめとしたアジア地域、オーストラリア、ヨーロッパ、アフリカなどにも「Totem」の概念が行き渡っています
映画における「Totem」の意味は、血縁に関するもので、故人が祖霊となって、家族や民族の標章として機能するものに変わっていくという意味合いになると思います
トナは祖霊となる準備が整いつつあって、その概念をソルが理解するという物語になっていて、その入り口を開けるものが「ロウソクの炎」のように感じていました
それ故に彼女は、それを自分の息で吹き消すことを躊躇ったのだと考えられます
■覚悟の伝播
本作のエンディングは、ソルが父の死を受け入れるというもので、命の灯火を眺めるという構図で終わっています
この直前のシーンにて、父は「何か願うことはないか?」と訊かれていて、そこで彼は「ないかな」と呟きます
ソルはこの言葉で父の覚悟を知り、そんな中で少しでも長く父と過ごしたい、生きてほしいという願いを込めて、ロウソクを消さずにずっと眺めていました
ラストシーンは、キレイに整えられた父の部屋が映り、彼が亡くなったことを端的に描いています
家族や近しい人の死に直面した人ならわかると思いますが、死に対する受容は当人と周囲の人とではタイミングが違います
本作でも、父の受容と周囲の受容のタイミングは違っていて、父の長女や兄は本人よりも受容の速度が速く、次女は遅いという感じに描かれています
長女は霊媒師を呼び、兄は量子療法を行うのですが、このような行動に至っている背景として、受け入れているが抗えないかと考えているのだと思います
これに対して次女は終始取り乱していて、まだそこまで達観はしていません
なので、常に感情的になっていて、誕生日を祝うことすらできない精神状態になっています
この兄弟姉妹の中でも覚悟の濃淡はあるのですが、これは個々の過去と価値観によって変わると考えられます
ソルの母はどちらかと言えば受容側で、ソルと一緒にトーテムの踊りを披露するのですが、これはトーテミズムを深く理解して、夫(ソルの父)に対するメッセージを込めているのでしょう
ソルはトーテムの踊りを深くは考えていませんが、それはまだ彼女が幼いからだと思います
でも、その概念というのはすでに根付いていて、ソルも「送る側」に向かいつつあったのだと思います
自分の体のことは自分がよく理解していて、父は病気と共に生きることを決めています
自然な流れの中、緩和的な意味でモルヒネで対処していて、これは予後の生活を重要視した結果なのでしょう
末期癌に対する治療は限りがあるのですが、そんな中で緩和を選んでいるという時点で、父の覚悟は一番早く優先されるもの、という感じになっていました
おそらくは、抗がん剤などの使用による苦痛の長期化を避けようとしていたのでしょう
本人が考えた末に決めたことなので、それに関して兄弟姉妹は色々と思うところはあるけど、本人の意思を尊重している、という感じに描かれていました
それでも、抗いたいと思うのは当然のことで、何とかして「治療」の方にシフトできないかを話し合っている場面もありました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作の骨子は、ソルが色んな大人たちの思考にふれる中で、彼女なりの結論に向かう様子が描かれていくというものでした
ソルは賢い子で、父への愛情に飢えているのと同時に、父に何が起きているかを大人たちの会話を通じて、少しずつ理解していきました
末期癌であるとか、緩和ケアが何かということはわからなくても、この誕生日会がおそらく最後になるのでは、ということは感覚的に理解しています
いわば、父との再会はお別れ会のようなもので、その正体について、彼女が知るという物語になっていました
死の概念が育っていない段階での近親者の死というものは、その需要に関しては、理解よりも先に感覚が捉えるものだと思います
これは対象者の生命力を敏感に感じられることと、それを否定したがる知能とのせめぎ合いが起こっているからなのですね
知恵や知識があるほど、概念の理解は早く、心理的な需要が遅くなります
逆に、そう言ったものが乏しいと、生命力を感じるセンサーが敏感になっていて、それを包括的に感じている状態となっています
子どもがどのようにして死の概念を理解するのかは諸説あり、個人差というものもあると思いますが、ソルの場合は「これまで会えなかった」という状況から、「なかなか会わせてもらえない」という状況になり、「ようやく会えた父から感じたもの」という感覚の段階を経ていることになります
この流れと同時に、近親者の状況に対する捉え方を加えていくことで、起こっていることに何かしらの感情のわだかまりを感じていくことになります
何かを許容しているもの、それを拒もうとしているもの
でも、実際には受容のタイミングの違いはあれ、誰もが父の予後に対して共通の概念を持っていることに気づくことになります
この共通の概念のひとつとして、「死」というものがあり、それに対して素直に従うべきとか、抗いたいとか、無力感を感じると言った大人の反応というものが見えてきます
そうした先にある、父の生命力の低下と覚悟を感じ取ることによって、これまでに培われた様々な概念というものが結びついていくことになりました
ソルの知るトーテムの教えは、これまでは意味のわからない抽象的なものだと思っていましたが、父の死によって「祖霊の生まれ変わり」の瞬間を理解することになります
生物の死に対するパラダイムシフトが起こり、そこに前向きな思想があると同時に、避けては通れない自分の感情や反応というものがあります
この映画は、そう言ったものを理解していく映画だ思うので、同世代の子どもがいて、このような場面に遭遇したことがある人ほど理解が深まり、子どもたちの受容のプロセスがリアルに感じられるのではないでしょうか
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/98824/review/04132362/
公式HP:
https://www.bitters.co.jp/natsuno_owari/index.html
