■春を通り越したところに、彼が待ち望んでいた未来があるのかもしれません
Contents
■オススメ度
中国の家庭事情映画に興味のある人(★★★)
■公式予告編
中国版予告不明のため割愛
鑑賞日:2025.1.7(アップリンク京都)
■映画情報
原題:夏來冬往(夏が来て、冬が往く)、英題:Hope for A New Life(新しい人生への希望)
情報:2023年、中国、98分、G
ジャンル:父の葬式で再会する里子に出された姉妹たちを描くヒューマンドラマ
監督:ポン・ウェイ/彭偉
脚本:シャン・ヤリ/単雅莉
キャスト:
シュエ・ウェン/雪雯(リン・チアニー/林佳妮:三女、貿易会社勤務)
(少女(14歳)期:リウ・グワンイー/劉冠宜)
(幼児期:シュエル/雪儿)
チェン・ハオミン/除昊明(チャン・シャオリー/張曉莉:次女、夫とビジネス)
ゼン・ユンジェン/曾韵蓁(チョン・ウェンフォン/鄭文鳳:長女、地元で専業主婦)
ムー・ウェンシュエン/牟玟萱(シャオユー/小雨:ウェンフォンの娘)
ジア・シーシン/贾志兴(シューハイ/寿海:ウェイフォンの夫)
ウー・チュンシャオ/吴春暁(シューハイの母)
ワン・ヤージュン/王亜軍(パン・サンシー/藩三喜:三姉妹の産みの母)
ワン・チー/王馳(チョン・ウェンロン/鄭文龍:チアニーの弟)
ヤン・ハンビン/楊涵斌(リン・シャオバオ/林小宝:チアニーの義父)
シー・リウ/石榴(リン・チアシュエ/林佳雪:チアニーの妹)
クー・ジアン/邱健(チェン/張:シャオバオの姉、チアニーの叔母)
スン・シューボー/孫序博(ヤオ・ジーユエン/姚志遠:チアニーの恋人)
ゾウ・シェンシャオ/鄒先生(アシュイ/阿水:叔父、父を知る隣人)
ワン・ハンビン/王海浜(靴屋)
ソン・ユミン/孫玉明(葬式の参列者)
チェンヤン/除洋(歌手)
テイ・ボーボー/鄭波波(ダンサー)
ヤンナ/楊娜(ダンサー)
ガオ・ペイペイ/高培培(麺を食べている親子)
チャン・フイクー/張会科(麺を食べている親子)
ゾウ・シャオリー/鄒暁莉(バスの車掌)
グオ・ジミン/郭普銘(マジシャン)
■映画の舞台
中国:広東省
深圳
ロケ地:
深圳&青島
■簡単なあらすじ
深圳にて貿易会社に勤めているチアニーは、恋人ジーユエンがいたが結婚観の違いから未だに恋人同士のままだった
チアニーは養父に育てられた過去があり、自分の家を持ってから結婚したいと考えていた
ある日のこと、尋ね人協会からチアニーの元に連絡が入った
それは実父が見つかったというものだったが、同時に父の死も知らされてしまう
明日は通夜となり、チアニーは父が住んでいた青島へと向かうことになった
実家に着いたチアニーは、姉のシャオリーと再会するものの、そのまま中へは入れてもらえない
そこで、チアニーとシャオリーの姉で、実家の近くに住んでいるウェンフォンの家に泊まることになった
また、彼女たちには弟のウェンロンがいたが、彼は姉たちを毛嫌いしていたのである
テーマ:国の政策と家族の事情
裏テーマ:家族のためにできること
■ひとこと感想
実家に帰ったら姉と弟と再会する三女を描いていて、複雑な家庭事情と中国の一人っ子政策の余波が描かれていました
チアニーの回想録では中学生ぐらいだと思いますが、そこでは「夫婦に子どもは一人!」みたいな横断幕が貼ってあって、現代パートでは「夫婦は二人以上の子どもを産みましょう」なんてスローガンに変わっていました
一人っ子政策は1980年〜2015年なのですが、チアニーたちの何歳くらいの時に政策がなくなったのかはよくわかりませんでした
でも、姉妹の全員が「一人っ子政策」について言及しなかったので、彼女たちの若い頃に終わって、その政策があったこと自体を知らない年代なのかなと思いました
映画は、三姉妹と弟、そして実の母との人間関係の修復のようなものが描かれていますが、チアニーには「母親が子どもを捨てる気持ち」が理解できません
シャオリーとの会話でも「脳性麻痺だったので」という不穏な会話がありましたが、今では「子どもが全て」と言い切れるほどになっていました
母は一人っ子政策の余波で娘を里子に出すことになっていましたが、「政策だったから」とは一言も言わないのですね
このあたりは潔く、自分の罪を認めていると思います
物語は、そこまで起伏の激しいものではありませんが、後半に唐突に登場する弟エピソードに対して「エピローグを文字で説明」していたのですが、何を思ったのか字幕表記されていませんでしたね
そこには「回去不久、佳妮、曉莉分別給大姐致申、希望提供骨髄給四弟治病。最后、在医生的建议下、由曉莉為四弟完成了骨髄移植手術。四姐弟的这份情谊、在当地传为佳话。(日本語意訳:家に帰って間もなく、チアニーとシャオリーは4番目の弟の病気を治療するために骨髄を提供したいと考え長女に手紙を送った。そして、医師のアドバイスの下、シャオリーは4番目の弟の骨髄移植手術のために提供を行なった。4 人の友情は地元の伝説になっています。)」と書かれていました
さすがにあのエピソードをぶっ込んでおいて、その顛末を翻訳しないのはナンセンスだと思います
ちなみに、この文言の後には中国のスローガンで「男女平等!」みたいなことが書かれていましたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画のタイトルは劇中のシャオリーの言葉で、チアニーはあまりしっくり来ていない感じに描かれていました
人生は移り変わり行くものだという意味ですが、あの時点でのチアニーにはピンと来ていなかったことになります
その後、許せない母、自分勝手な弟との決別をしますが、帰りのバスの中で「家族が一人ずつ自分を置いて降りていく」という幻想を見ます
それによってチアニーは何かを悟り、そして恋人の元に戻ることになりました
恋人とは「家が先か、結婚が先か」で揉めていて、それは5年前からずっと続くものとなっていました
その考えが今回の帰省によって変わるというものですが、どんな感じに変化したのかは「最後の字幕も含めたもの」となっていると思います
実話ベースなのかわかりませんが、そこでドナーになれたのが次女というところがなんとも言えない感じになっています
恋人との和解が済んで、二人で頑張ろうと思うようになるのですが、かつては役割分担の末に固定されていたように思えます
映画は、一人っ子政策の余波が描かれているのですが、子どもたちはそのような制度があったことを知らないという感じに描かれています
実際にはどうだったのかはわかりませんが、男を産めとプレッシャーをかけられる中で、女の子が3人というのは世間の目も大変だっただろうなあと思いました
長女は地元にいたけれど、女の子なので不遇な目に遭っていて、里子に出された方がマシだったという現実もありました
それにしても、養父の娘さんがどうなったのか全く語られないので、ちょっと心配になってしまいますねえ
■一人っ子政策と家父長制
一人っ子政策とは、中国において1979年から2015年まで行われていた人口抑制制度で、都市部の夫婦に対して、「子どもは一人まで」という制限を設けていました
歴史的な背景としては、1970年代に急速な人口増加があり、それは1950年の毛沢東時代に遠因がありました
この当時は「人口は国力」とされ、「産めよ増やせよ」的な政策が推進されました
それによって、1970年代に入ってから、食糧難や住宅不足を引き起こし、教育・雇用の問題が深刻化していきます
そして、1979年に国家計画生育委員会が発足し、「一人っ子政策」が正式に導入になりました
中国では「男児優先」という意識があり、女児だとわかると中絶や遺棄という問題がありました
リンの実母家庭は田舎だったのでそこまで厳しくはなかったようですが、三女を持つのは厳しくて、養子に出され、その後長男が生まれることになっています
2015年になって、「二人っ子政策」が導入、2021年には「三人っ子政策」が導入するも出生率は回復に至っておらず、現在は少子化が問題となっていたりします
これらの歴史を踏まえると、出生率を減らすことは無理やりできますが、増やすことは政策を導入しても無理ということになります
1950年代に「産めよ増やせよ」を実施して増えたけど、三人っ子政策では増えないのですが、その要因というものが現在の先進国で起こっている少子化対策へのヒントになるのかもしれません
人口増加には複合的な要因が必要で、まずは「増やす目的」であると言えます
毛沢東時代には「人口こそが資源だ」という考え方があり、それに多くの中国人が賛同したことが挙げられます
時代背景としても、1949年に中華人民共和国が成立し、これまでの内乱状態ではなくなったこともあったでしょう
また、国家レベルで避妊や中絶を抑制し、出産を奨励する宣伝活動というものも行われていました
これらを踏まえると「国家的な安定感」「国民の心理的な要因」というものがうまく噛み合わないと難しいと言えます
さらに、中国は家父長制があり、男の子を産むという命題が生じています
なので、男の子を産むまで出産するという行動が生まれるのですね
家父長制は儒教思想が根幹にあって、それが根付いている部分もありますが、中国では都市部は女性解放運動が広まっていても、農村部では根強く残っていました
これが長男(末っ子)の態度にも出ていて、戻って来ざるを得なかったリンに対してかなり強く当たっていく部分が描かれていました
■反発も迎合も親の背中次第
末っ子が強く出るのは儒教的な要素もあると思いますが、一番の影響は父親の教育方針だったと思います
映画は、その父親が亡くなるところから始まるのでわからない部分がありますが、リンは養父との生活を想起していくので、そこに大きな違いがあるように感じられます
リンと養父との思い出も断片的なものでしたが、「大切に育てられた」という思い出がたくさんあって、それが「育てもしなかった実の両親」との対比になっていると言えます
幼少期の思い出というのはとても大事で、それが親子関係を決定づけると言えると思います
反発を生む場合もあれば、感謝や尊敬を生むこともあり、それらは思春期にどうだったかよりも、もっと幼少期の時の関わり合いによって生まれていると思います
親に対する反抗というのは、「自我の発達」「過干渉への反発」「感情表現の未熟さ」「家族内のコミュニケーション能力」「周囲の影響」などの要因で生まれてきます
反抗の先には様々な感情が眠っていて、それは親へのサインであると言えます
対処としては、「話を聞く」「尊重する」「境界をなくす」などがありますが、そこには「子どものタイミングで話を聞く」とか、「子どものどの部分を尊重するか」とか、「どのような境界線がなくなればコミュニケーションがスムーズになるのか」などのように、「子ども目線で考えていくことが必要になる」と言えます
子どもの反抗というのは、いわゆる「心の成長」であり、それを見てほしいと思う子どもはたくさんいます
そこで親視点の多忙、価値観などを持ち出すのではなく、子どもの成長曲線に応じて対応していくことが必要なのでしょう
そして、それは直接的な対話のみならず、背中(雰囲気)にも現れるので、全方位で集中が必要だったりするのだとおもます
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、ラストの字幕にて重大なネタバレがあって、それが疎遠だった三女を呼び寄せた理由となっていました
私が観た映画館ではそこに字幕がなかったのですが、「回去不久、佳妮、曉莉分別給大姐致申、希望提供骨髄給四弟治病。最后、在医生的建议下、由曉莉為四弟完成了骨髄移植手術。四姐弟的这份情谊、在当地传为佳话。(日本語意訳:家に帰って間もなく、チアニーとシャオリーは4番目の弟の病気を治療するために骨髄を提供したいと考え長女に手紙を送った。そして、医師のアドバイスの下、シャオリーは4番目の弟の骨髄移植手術のために提供を行なった。4 人の友情は地元の伝説になっています。)」というものでした
帰った後に次女と三女が弟のために骨髄手術に必要な手続きを行ったというもので、最終的に次女がドナーになったとして、地元の伝説になっているのですね
映画からは全く読み取れない情報で、しかも何かしらの実話ベースだったのか!と驚いてしまいました
中国語にてChat GPTに聞いてみたり、ググったりもしてみましたが、中国の映画情報サイトにもそう言った情報は見つかりませんでした
配給会社がどこまで映画を詳細に観ているのかは知りませんが、重大なネタバレがラストにあったのにスルーというのは前代未聞のように思います
何かしらの制約に引っかかったのかはわかりませんが、翻訳者に字幕データが届いていなくて、音声データのみで翻訳していたらこうなってしまうのかもしれません
このあたりの経緯は全く不明ですが、鑑賞した人の手助けになれば良いなあと思います
本作は、歴史的な背景もさることながら、大家族の知らせざる秘密という部分もありました
映画のラストにおける記述が映画内で描かれない理由は不明ですが、弟がドナーが必要そうな患者に見えないところも不思議でしたね
でも、彼が難病を患っていて、外の家から会ったこともない姉が来るという情報だけだと、あのように反発しても無理はないように思います
それは、彼自身が家を継げないかもしれないという恐怖心があって、特に家父長制が根付く田舎では相当なレッテル貼りがされている可能性もあります
映画のタイトルも意味深で、夏が来てから冬が往くというもので、夏が来るまではずっと冬の状態であるというニュアンスに思えます
時の流れを表現していますが、「春去秋来」ではないところに意味があるのでしょう
それは、末っ子にとってはずっと冬だったところに、春を通り越して夏が来たということになります
春は芽吹で、夏には成長というイメージがあります
すでに芽吹いている状態(成人している)である末っ子をこれからも人として成長させていくものは何か、というところに「花ではなく太陽」を選んでいるのでではないか、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/102481/review/04643909/
公式HP:
https://natsugakite-fuyugayuku.com/#cast