■廃用身


■オススメ度

 

廃用身に関するケアに興味がある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2026.5.20(TOHOシネマズくずはモール)


■映画情報

 

情報:2026年、日本、125分、PG12

ジャンル:廃用身を抱えた患者に対する新しいサービスを試みる医師を描いたヒューマンドラマ

 

監督&脚本:吉田光希

原作:久坂部羊『廃用身』

 

キャスト:

染谷将太(漆原糾:「異人坂クリニック」の院長)

 

北村有起哉(矢倉俊太郎:医療誌の編集者)

 

瀧内公美(漆原菊子:糾の身重の妻)

 

六平直政(岩上武一:Aケアの第1症例の患者)

廣末哲万(岩上の息子)

亀岡園子(岩上の妻)

 

中村映里子(ケアマネージャー)

中井友望(内野:Aケアについて不安を覚える看護師)

吉岡睦雄(磯部:執刀医)

 

田村泰次郎(Aケアに反発する施設の利用者)

 

高橋かすみ(南かず子:Aケアの取材を受ける利用者)

 

仲野元子(引野コトエ:片腕麻痺の利用者)

正木佐和(Aケアを望むコトエの娘)

 

上岡紘子(小清水きくゑ:タバコで火傷をする認知症の利用者)

田中美登里(きくゑの娘)

 

飯田圭子(矢倉の母)

植吉(矢倉の父)

 

伊藤公一(矢倉の同僚記者)

 

ただのあっ子(改善を望んでAケアに同意するまさるの妻)

(まさる:寝たきりの老人)

 

蓮池桂子(とき枝:認知症の利用者)

平田敦子(介護疲れのとき枝の娘、集合住宅)

 

外海多伽子(大西マサ:冒頭のAケア後の老女)

松木大輔(大西正仁:母の手紙を読む息子)

 

並木愛枝(クリニックの看護師、後日取材)

宇乃うめの(クリニックの看護師)

影山祐子(村田:リハビリスタッフ)

黒澤怜慈(リハビリスタッフ)

オラキオ(介護士)

四條寛子(菅田道代:介護士)

おのさなえ(介護士)

笹本博子(介護士)

長田涼子(介護士)

内田紳一郎(事務員、送迎運転手)

白畑真逸(施設事務員)

太田いず帆(藤咲朱美:介護福祉士)

 

ザンヨウコ

藤村聖子

阿久沢麗加

矢彦沢清志(出版社の社長)

栗田芳宏

於保佐代子

針原滋

永島セバ

宮下阿佐子(踏切の献花親子の娘)

中村来夢(川口彩花:車椅子の選手)

小橋奏仁(クワガタを眺める少年)

相川稜

雨澤未

川崎綴

遙元杏(声の出演)

蓮見灯(声の出演)

近藤遥樹(声の出演)

 


■映画の舞台

 

デイケア「異人坂クリニック」

 

ロケ地:

千葉県:浦安市

やしの木会 浦安中央病院

https://maps.app.goo.gl/dcaiCLwSSuanUkG97?g_st=ic

 

神奈川県:海老名市

介護老人保健施設 アゼリア

https://maps.app.goo.gl/WurXVJHkb81ThSUt7?g_st=ic

 

東京都:世田谷区

松本記念音楽迎賓館

https://maps.app.goo.gl/M9aBe3BeUM19QWQq6?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

都内某所にて、「異人坂クリニック」の医師をしている漆原は、かつて外科医として働き、その後は海外留学を得て、雇われ院長の座に就いていた

彼は訪問診療、デイケア診療などを通じて患者と向き合い、様々なケアを施していく

彼には身重の妻・菊子がいて、彼女もそんな彼を支えていた

 

ある日のこと、テレビ番組で下肢欠損のスポーツ選手の特集番組を見た漆原は、下肢のないことが生活の質を下げるとは限らないことを知る

そして、褥瘡の治りの悪い患者などをケアしていく中で、廃用身となった四肢を切断することで、ADLの向上やケアの負担が減るのではと考え始めた

スタッフを集めて説明を行うと、「合理的」という声がある一方で、「怖い」という感覚的なことを述べるスタッフもいた

 

そんな折、敗血症の恐れのある患者の左下肢の切断を行うことになり、その説明の際に「廃用身の切断の効果」について患者と家族に説明することになった

家族も「動かないのなら」と理解を示し、実際に切断した後に体が軽くなったと感じた患者は、漆原の提唱する「Aケア」を行うことを決める

そして、大学病院の執刀医に協力を依頼し、患者のもう一方の足と腕を切断することになったのである

 

テーマ:論理的理解と非論理的不受容

裏テーマ:抜本的解決の方向性

 


■ひとこと感想

 

タイトルの言葉からすでに意味不明な感じで、説明を聞くと「そんな言葉があるのですね」と驚くと言った感じで、映画はその「廃用身」をケアのために切ってしまおうという流れになっていきます

確かに漆原の提唱する理由は合理性がありますが、看護師の内野が感じる「怖さ」というものも理解できると思います

漠然とした何かには様々なものが含まれると思いますが、その中には「四肢欠損」に対する個々が混じているものもあるのだと感じます

 

これらは脳の防御反応と言われていて、自分自身がその状態になったことを想像していまい、不可逆的なダメージを負うことを感じてしまうからだと考えられます

さらに自分自身を含めた社会全体が抱える偏見や無知に晒されるという恐怖感があって、これらは社会の成熟性も関係すると思いますが、いまだに根強くある可能性は否定できません

 

映画では、実際に行われているかのような錯覚を覚えるリアリティがあって、それでも「日本はこの方向には向かわないだろうな」と思わせるものがありました

確かに合理的であるとは思いますが、それを言い出すと歯止めが効かなくなる恐れがあります

動かないから負担軽減のために切断ということが社会的に認められ始めたとき、そこで起こるのは「なぜ、あなたはそれをしないのですか?」という支持者からの無言の圧であり、その空気そのものが「介護の現場の空気を変えてしまう」からなのですね

ただでさえ、誰かに負担を強いているという状況が自分を苦しめているのに、そこに更なるテーゼというものを押し付けてしまうことになります

それゆえに、論理性を持った概念は、非論理性を駆逐する途上で、新たな論理性によって崩壊に向かう、とも言えるのかもしれません

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画では、脳梗塞が固定化して、症状も固定したために回復の見込みがないと診断されています

それによって、負担になるから切除しようという考えが起きるのですが、この概念が行き過ぎたものなのかどうかが問われてしまうのだと言えます

いわゆる費用対効果(コスパ)を考える上での「最適解」を提示しているわけですが、この「最適解」が「最適解」だった試しがなかったりします

むしろ、非合理に思えることに対するハードルを下げることのほうが問題解決に向かう可能性もあります

 

廃用身を切断することと、何らかの原因で四肢欠損がある状態は同じとは言えず、映画では「スポーツ選手になれるほど身体能力のある人のニュースを見て、高齢者のそれを思いつく」という不可思議な流れになっていきます

漆原自身が椅子の上に正座してみるというくだりがありますが、この時点で彼にはリスクの面が見えていなかったと言えます

さらに、岩上が事件を起こしたことですら、「できなかったことができるようになった」と肯定する一幕もありました

 

さらに、動けるようになった人は「自分を始末する」という行動に向かうのですが、この心理状態に向かうステップを漆原は見逃してきたとも言えます

それが患者の遺書によって突きつけられ、「老人に対する優位性のもとで自己実現をした」というふうに自分自身を振り返ることになります

その結果としての「頭はわたしの廃用身」という言葉とその行動に至るのですが、廃用身というものを恣意的に使っているようにも思えます

結局のところ、論理性と非論理性の中でせめぎ合う価値観において、費用対効果というものを社会問題と混同させたことに問題があるように感じられました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

確かに老老介護が進んで、そのうち「介護できる人がいなくなる」という時代が来ると思うのですが、そう言った先にある日本の未来というのは、おそらくは「迷惑になる前に始末する」という方向に向かうと考えられます

他人に迷惑をかけることを極端に嫌がる民族性があって、そう言ったもののケアがビジネスになっているうちは耐えるかもしれませんが、そのうち介護施設の数も介護士の数も足りなくなって、物理的に介護自体が不能になる時代が来ると思います

 

そんな未来を考える上で、この映画のような方法論が支持されるのか、それとも機械化によって「効率的介護」というものが動き出すのかはわからないと思います

それでも、この映画の倫理を否定する非論理性を考えると、介護施設の国営オートメーション化の方向に舵を切るほうが現実的のように思います

その際には「個人の自由は制限される」ということになり、例えば認知症として診断された場合は、本人家族の意思を問わずに施設収容になる、という流れになるのでしょう

そこでは、全自動化された介護ロボットによる「延命介護」というものが行われ、いかにして「人の手をかけずに介護をするのか」という方向に向かうように思います

 

このような方向になると反対勢力が出て潰されるのがオチだと思いますが、おそらくは共産主義国家において、このようなモデルケースが実用化され、それがやがて自由主義国家を維持するためのコストとして導入される未来が来るのではないでしょうか

機械化は双方の身体的、心理的負担を減らすことになり、少ないリソースの中で「別のことをしたほうが良い」という風潮を産むことになるでしょう

理想的かどうかはわかりませんが、老老介護が可能となるオートメーション化というのが一番合理的であり、それが工場的なものからスタートして、やがてはコンパクト化して、家庭用の機械が生まれるというイノベーションを生み出していくと思います

それでも、その目的意識を共有しつつ、視野の広さでそれを行うのにはハードルが高いのですね

それを思うと、行くところまで行かないと方向性が変わらないと思うので、そう言った転換点の前に動ける人ほど、そのリスクを負わずに済むのかな、と感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/105287/review/06540926/

 

公式HP:

https://haiyoshin.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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