■猫を飼うことについての価値観の衝突の中で、少女が成長する物語にはできなかったのだろうか
Contents
■オススメ度
猫好きな人(★★★)
■公式予告編
https://youtu.be/uHdzOLFSHY8?si=k2zv9hQgtOp1J–Z
鑑賞日:2023.10.2(MOVIX京都)
■映画情報
原題:Mon chat et moi, la grande aventure de Rrou
情報:2023年、フランス&スイス、83分、G
ジャンル:屋根裏で見つけた猫と共に成長する少女を描いた青春映画
監督&脚本:ギョーム・メダチェフスキ
原作:モーリス・ジュニボワ/Maurice Genevoix『Rroû(1931年)』
キャスト:
キャプシーヌ・サンソン=ファブレス/Capucine Sainson-Fabresse(クレム:パリ在住の10歳の少女)
コリンヌ・マシエロ/Corinne Masiero(マドレーヌ:山に住む芸術家)
リュシー・ロラン/Lucie Laurent(イザ:クレムの母)
ニコラ・ウンブデンシュトニック/Nicolas Casar Umbdenstock(フレッド:クレムの父)
ジュリエット・ジル/Juliette Gillis(クレムの友達)
■映画の舞台
フランス:パリ
ロケ地:
フランス・パリ&ナンシー
ヴォージュ山脈
https://maps.app.goo.gl/eV5VvksuRGGhqXRs6?g_st=ic
フランス:グレート・イースト
Plainfaing/プレンフェン
https://maps.app.goo.gl/KxWHJES4s6cgWUkT8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
パリで暮らすクレムは、ある日屋根裏で複数の猫を見つける
その中から外に出て戻れなくなった猫を保護したクレムは、ルーと名付け飼うことになった
夏になり、山の別荘にやってきたクレムたちだったが、ルーはそこで白い猫に興味を持ち始める
迷子になった際には、そこで暮らすマドレーヌに保護されるものの、偏屈なマドレーヌはクレムにとっては魔女に見えた
夏が終わり、パリに戻ったクレムたちだったが、両親の不仲は決定的になり、離婚してしまう
別荘も引き払う必要があり、そこを訪れることになったクレムだが、そこである事件が起きてしまうのである
テーマ:動物を飼うと言うこと
裏テーマ:動物の選択
■ひとこと感想
猫を愛でる映画だと思っていましたが、少しばかりキツめの描写が後半にありましたね
物語もそうですが、人間キャラがあまり愛くるしくないので、これはわざとだったのかは勘ぐりたくなってしまいます
冒頭のはぐれた猫を飼う件でも、それってほぼ誘拐やんと思ってしまったし、元に戻してやれよとは思ってしまいましたね
両親の不仲騒ぎが必要だったのかは分かりませんが、ほとんど実態がない背景のようになっていました
森での生活もキャラが濃いのは良いのですが、なんでこの人はこんなところにいるの感が強くて、よくわからない設定になっていました
基本的に可愛い猫を眺める映画になっていますが、思った以上に劇伴がやかましく感じてしまい、もっと自然音主体でも良かったように思えました
猫の演技は神技級ですが、猫好きとしてOKなのかはよくわかりません
各種レビューでは猫好きほど酷評しているのですが、それがどう言った意味を持つのかはわからない部分が多かったですね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
個人的に猫はおろか犬すら飼ったことがないのですが、動物を飼うことに抵抗があるので、この先も飼うことはないでしょう
ペットマナーの悪さは世界随一のような日本ですが、ペットをお店で買うと言う行為そのものが疑問だったりします
売るために繁殖をさせると言うのが結構無茶なシステムで、それを全て飼い主に届けると言うのは無理難題なのでしょう
それでなくても、飼育放棄などの問題が絶えません
映画は、本当に可愛い猫を見るだけの映画になっていて、物語はあることはあるけど「いる?」と言うぐらいにあっさりしていましたね
子どもは全てを知っていると言う感じに結ばれていますが、猫は飼い主の全てを知っているのでしょうか
このあたりの関連性があってないようなものになっていて、ペットを飼った少女が成長したと言うほどには、物語は動いていないように感じました
■フランスの猫事情
フランスでは、2024年の1月から「動物愛護法」が施行され、ペットショップでの犬や猫の販売が禁止されることになりました
その背景には、フランスで相次いで犬や猫が捨てられるという現実があり、それは年間で10万匹以上とも言われています
飼い主がペットを捨てる理由も身勝手なものが多く、「旅行に行けないから」「お金がかかる」「アレルギー」「懐かない」「成長して可愛くなくなった」「噛んだり、吠えたり、引っ掻いたりする」などがあります
コロナ禍によって在宅時間が増え、それによって飼う人が増える一方で、制限解除から元の生活様式に戻る際に不要であると考えられてしまうことで、身勝手な理由での投棄というものが増えるようになりました
この傾向はフランスだけの問題ではなく、日本でも毎年数万匹の犬や猫が保健所に引き取られている現実があります
日本では規制の対象にはなっていませんが、フランスではペットショップによる販売を禁じる方向に向かいました
犬や猫以外はそのまま飼えるのですが、利益追求のショップだと、その購買を煽るためにさまざまな方法が取られてしまいます
これによって、買い手がつきやすい仔猫や仔犬の販売数を増やすことで利益の追求を行なっていきます
仔犬などの小さな存在だと、購入者が抱っこしたりして直接ふれさせることも容易で、それによって衝動買いというものが生まれます
店は「飼い主の責任能力を見極めて売るわけではない」ので、安易に飼う人は安易に捨てやすいという傾向を誘発することに繋がっていきました
仔犬などを売るために、親元から早く切り離されることも問題となっていて、正常な愛情を得ずに成長した動物への影響というものが浮き彫りになっていきます
それが攻撃性に繋がり、問題行動の多発化によって、さらに捨てるという行為を増長しているという指摘もあります
ペットショップ自体が利益優先になってしまうのは当然で、それによって「飼育の簡略化」というものが起こります
コストを抑えるために病気になっても放置する例があったり、環境整備を怠るということにあります
また、一定の成長を遂げて売り物にならなくなった動物が辿る運命というのも容易に想像つきます
ペットショップの業者がその辺に捨てるということはありませんが、いわゆる殺処分というものが起きてしまいます
それによって、誰に知られることもなく閉じる命があって、このあたりが動物愛護の観点から問題視されている部分になると言えます
個人的には動物は飼ったこともなければ飼うつもりもないのですが、その理由の一つとして「責任を持って飼える環境ではない」というものがあります
一戸建てで賃貸でもないので、環境的に飼えないことはありませんが、ペットの世話をする時間というものがありません
帰宅した際にだけ世話をして、あとは放置するというのでは飼っている意味がほとんどなく、単純な心理的な癒しを生命に求めるのはどうかという価値観があります
ある程度一緒にいる時間が多くて、世話をできるようになれば考えが変わるかもしれませんが、現時点では「十分な愛情を注げるとは思えない」という現状の方が優っているので、飼うという選択に向かうことはないと思います
ただでさえズボラな面があるので、生命を預かるという観点においても、困難であると考えています
■勝手にスクリプトドクター
本作は、いわゆる「猫の愛くるしい生態を眺めるヒーリング映画」に近い印象があって、そこに飼い主であるクレムを中心とした人間世界の描写が付随しています
この構成自体はさほど気にはなりませんが、描かれている内容がテンプレートで驚きがなく、感動的な部分もなく困惑していしまいます
冒頭から「猫を飼う価値観」で静かなバトルが勃発し、それが水面下で悪化していく様子を辿っていきます
クレムは両親の不和を感じながら過ごし、その悲しみをルーで癒していくことになっています
別荘に向かった際には、人間社会から断絶しているマドレーヌを描き、猫が自然に生きる動物であることを教えていきます
クレムは両親から猫を飼うことについて何も学ばず、猫についても何も学習しません
彼女の中にある愛玩としての猫の存在は大きくなって行きますが、同時に「元々野生の猫だったルー」の裏側の部分は全く観ていませんでした
それを修正するのがマドレーヌの役割になっていて、このメンター的な存在というのは意味があると思います
その後、野生に少しだけ戻りかけるルーを描き、パリでの生活へと戻っていきます
物語は「ルーを自然に帰すかどうか」という命題の元動いていくのですが、彼らをもう一度森に戻すために、あえてショッキングなシナリオを選択していきます
それが両親の離婚問題で、そこでクレムは子どもなりの両親の不和への理解というものを唐突に発言します
このセリフが年相応ではなく、大人が書いたシナリオを読んでいるだけに見えるのですね
そして、もう一度森に戻るための要因として、両親の離婚問題を浮上させていくことになりました
映画は、最終的に白猫と一緒になったルーが自然に帰っていくのですが、猫の世界は「自然が一番で自由意志を尊重する」という感じになっています
この対比として「人間関係」、特に両親の問題が付随していて、子どもへの影響とか生育環境などを無視して、別離が正解であると紡いでいきます
「愛情はあるけど離れた方が良い」という価値観の元、まるでルーとの別離にも意味があるかのように描いていくのですが、人間と猫の関係を一緒にしてしまうのはどうかと思いました
愛情以外の要素で関係性を構築しているのが人間という生き物なので、幼少期の子どもを抱えている両親が至る決断としては、かなり身勝手なもののように映ってしまいました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は一見して、可愛い猫に愛情を注ぎ、その自由意志を尊重するという方向に向かいますが、これはそのまま「動物を飼うこと」に対する皮肉のようになっています
人間関係でも感情を優先した自由意志を尊重するという描き方をしていて、それをペットとの関係にも持ち込んでいきます
とは言え、はぐれただけの猫を強引に飼い出したという経緯があり、この飼うという行為はルーの思い込みでしかありません
ルー目線だと、いきなり人間に拉致られて家族から引き離されたという状況なので、これで人間に愛着を持つという方が無茶なのだと思います
子どもが勝手に拾ってきた猫を飼ってもOkとする父親ですが、この思慮が深く熟成されたものにはなっていません
この判断は両親の不和を描く一つの要素でしかなく、猫を飼うことの安直さというものを描くことになっています
このあたりが現在のフランスのペット事情への皮肉になっているのかはわかりませんが、この夫婦が意見を戦わせずに終わってしまうので、皮肉ですらないというところがおかしくもあります
猫を飼うことに対する大人の熟慮はなく、単にその時の感情に左右されていて、今回の場合は「妻が反対だから、夫はOK」という喧嘩の材料になっているのが問題なのだと思います
この映画に両親の不和が必要なのかというのが根底にあって、クレムの安直さを戒める2本の舵としての機能があった方が良かったと思います
猫を飼うことに関する価値観の相違をちゃんと描くことで、クレムが動物を飼う学びの機会を得て、そこから実践の段階において、彼女の学習と価値観、責任感というものを成長させていく
その過程において、両極端な価値観を持つのが両親の役割でありますが、不和が生じているために、クレムのメンターを外部に求めることになっています
それがマドレーヌの存在なのですが、このマドレーヌの存在に対しても「両極端な価値観を示すのが両親の存在理由である」と言えます
映画は、この両親の関係を単なる不和として描いているだけなので、不和に至る価値観の相違にフォーカスしていないのは悪手と言わざるを得ません
単に子どもはわかっているだけで済まして良いのかはわからず、クレムの反応自体も作り物の価値観のように見えてしまいます
なので、そこまでこのドラマ部分が必要とは思えずに、それでも尺だけは取るので、無駄な時間が多いなあと感じてしまいました
マドレーヌとの出会いによって、猫の本当の姿を知ることの意味は大きくて、それによってクレムは「猫を飼う=所有する」ということの意味を理解していきます
このメッセージ性を強調するのであれば、マドレーヌの価値観と相対する存在が必要になってきます
それが母親の役割になっていて、ペットを飼うことに反対の立場である必要性もあります
安易にOKを出す父と、飼うことに対する責任感を感じている母親という存在がいて、そのありきたりなペット観を壊すのがマドレーヌの役割であると言えます
なので、この「自然であるべき」という価値軸のブラッシュアップこそが命題であると思うので、それにフォーカスする必要があったのではないでしょうか
クレムは大人たちの多くの価値観を知り、そして自分自身の感情と向き合うことになります
そうした先に決断があるからこそ意味があるのであって、本作ではそれが余計なものに埋もれてしまっているのが問題なのかなと感じました
安楽死問題についての価値観の相違も浅めになっていて、単なるショッキングなシーンで終わっているのもナンセンスで、それならばいっそのこと「猫の生態をひたすら見せる」という方向のヒーリング映画の方がマシだったのではないかと思いました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP:
https://gaga.ne.jp/parisnekorrou/
