■キレイな物語なのだけど、地域振興を目指す映画として、これで良かったのかは何とも言えないところがありましたね
Contents
■オススメ度
ピアノ映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.6.7(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
情報:2024年、日本、98分、G
ジャンル:芸大時代の元恋人の言葉を胸に、彼の実家を訪れるピアニストを描いた恋愛映画
監督&脚本:大谷健三郎
原作:あさのあつこ『透き通った風が吹いて(文春文庫)』
Amazon Link(原作小説)→ https://amzn.to/4c6sNv6
キャスト:
松下奈緒(青江里香:東京からツアーで訪れるピアニスト)
杉野遥亮(真中渓哉:元野球部の浪人生)
山村隆太(真中淳也:茶葉屋「まなか屋」の店主、渓哉の兄、里香の元恋人)
西山潤(実紀:渓哉の親友、市役所職員)
泉川実穂(栄美:渓哉の幼馴染、旅館の若女将)
たける(藤井:淳也の友人、医師)
池上季実子(真中初枝:淳也と渓哉の祖母)
小寺里奈(コンサートのヴァイオリン奏者)
今井香織(コンサートのチェロ奏者)
石原祐美子(茶香服の観覧者)
丸山純怜(茶香服の観覧者)
笑福亭銀瓶(茶香服の参加者)
中村味九郎(茶香服の解説者)
樺梅團治(校長)
立川茜(お茶の組合のメンバー)
フォーエイト48こたつ(お茶組合のメンバー)
■映画の舞台
岡山県:美作市
ロケ地:
岡山県:美作市
花の宿にしき園
https://maps.app.goo.gl/ra5uyrznB4om35NX9?g_st=ic
あんこやべ
https://maps.app.goo.gl/atJ75SWjyJybpRik9?g_st=ic
神山の棚田
https://maps.app.goo.gl/WbWi6edwWj5idxtYA?g_st=ic
天空の茶畑
https://maps.app.goo.gl/rSg49xLGf8TZS2hv6?g_st=ic
▪️簡単なあらすじ
東京にて、ピアニストとして活躍している青江里香は、大学時代の恋人・真中淳也のいる岡山県美作市にやってきた
淳也は両親の死去を経て、茶園を継いでいて、従業員たちと共に、町の茶をもっと宣伝しようと奮闘していた
里香はリサイタルショーの名目で美作を訪れていたが、コンサートが終わると同時に倒れ込んでしまう
過労が原因とのことで、しばらく療養に入ることになった里香は、淳也の弟・渓哉の計らいにて、使っていない母屋に住むことになった
淳也と里香の関係はすでに終わっていたが、里香には別の思惑があり、どうしても彼に会いたいと考えていた
だが、淳也は迷惑そうに振る舞い、渓哉は少しずつ里香に惹かれていく
里香は茶畑などにふれていく中で作曲のイメージが湧き、この地でしかできない曲を作ろうと考えるのである
テーマ:後悔のない人生
裏テーマ:音に込められる情念
■ひとこと感想
松下奈緒がピアニスト役で登場し、flumpoolの山村隆太が恋人役を演じるという、どうしたらこの組み合わせになったんだろうと思わせるものになっていました
わかりやすい三角関係ではありますが、兄弟の確執がメインになっていて、ほろ苦さも漂う作品でしたね
メインはリサイタルで、茶香服なる効き茶比べが独自性を放っていました
弟が暴走する中で、兄として戸惑いを見せていくのですが、その理由が最後にわかるようになっていました
詳細は描かれていませんが、才能に限界を感じ、付き合っていた恋人が成功していくのを間近でみてきた葛藤があったのだと思います
そんな時に家業という逃げ道があったのですが、幼い頃からお茶に親しんできただけあって、それなりの格好はつけていけました
お茶に関しては兄弟のどちらがという感じではありませんが、二人が共闘できるのが最も良い答えなのでしょう
でも、兄としては、大学を出てから手伝ってくれたら良いと考えていました
そこで学べるものがあって、渓哉が本気でお茶の道に進む気持ちがあるならば、行くべき大学というものもあったように思いました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画は、大学時代の挫折によって実家に引き篭もった彼氏の元に、元カノがやってくるという展開を迎えます
その姿に恋をしてしまうのが弟で、そこからの全力投球はなかなか見応えがあるものになっていました
一見して天才肌の兄貴で、弟としては誇らしさを感じていたのでしょう
でも、弟には見せない側面があって、それがずっと押し隠していたものになっていました
ラストリサイタルでは、中学校の体育館を借りて地元民の前で行うというものですが、淳也が聴いていなくても、この土地に音楽を残そうと決めたのだと思います
このシーンでは、彼女は一切彼を探そうとはしません
それだけ音楽に集中し向き合っているのですが、それは同時に淳也にものすごいものを突きつけているように思います
リサイタルにおける音楽への向き合い方というのは、芸術家としてのレベルの違いであり、瞬間を生きている人間だからこそ紡げる音楽だったように思います
美作の天空の茶畑など、ビジュアル的にも素晴らしいシーンが多く、良き地域アピールの作品になっていたと思いました
■逃避の先にあるもの
本作は、東京の芸大に通っていた淳也が実家を継ぐために帰省することになっていました
それらの行動を「逃げてきた」と感じていて、追いかけてきた里香を追い返すという行動に移って行きます
恋愛が破綻しているというよりは、里香の想いを淳也が受けきれないというものになっていますが、その本音というものは最後まで明確にはなっていません
淳也は「逃げた」「俺はクズだ」としか言わず、それが何を意味するのかまではわからないのですね
淳也が彼女の病気を知ったのはつい最近のことで、彼女がリサイタルの後に倒れた直後の検査内容を知ったからでした
本人に内緒で病状を知らせる医師というのもあり得ないのですが、学生時代に逃げたのは彼女の健康が問題ではない、ということになります
では、なぜ淳也は逃げざるを得なくなったのか?
それは、単純に考えれば、彼女の成功に耐えられなくなったから、ということになるのだと思います
里香はテレビの主題歌か何かを作るほどの有名な音楽家になっていて、その才能の片鱗を発揮していたのだと思います
そんな中、全く芽が出ない淳也は焦り、そして祖父が倒れたということが言い訳になってしまったのですね
そこからは芸術から離れ、渓哉が「忘れていた」というくらいに封印されたものになっていました
これらは映画内では全く描かれないもので、淳也が里香に向き合えないことを「クズ」という表現で留めてしまっているのですね
流石にこれでは淳也の行動に理由がわからずにモヤモヤしてしまいます
察してねというほどの情報もなく、彼に絵画の才能がなかったのかもわからないのですね
なので、彼が絶望して東京から帰ってきたという本懐というものがわからないので、まとまりのない物語になってしまっていました
■芸術家の成功
本作は、淳也に絵画の才能がなく、里香は音楽家として開花しているという前提で話が進んでいるように思えます
里香は全国でツアーを行えるほどに成功者で、その場所をゆかりもない土地を指名できるほどになっています
淳也が住んでいる街は都会というほどではなく、コンサートを行って採算が取れるのかはわかりません
それでも、彼女はコンサートができて、後半のリサイタルではチェロ奏者やバイオリン奏者が参加することができています
芸術家の成功というのは難しい基準になりますが、まずは「自分が思った作品を世に出すことができること」だと思います
里香は劇中で、他の予定を後回しにして楽曲制作ができるのですが、それを形にして発表する機会を得ることになります
前半のコンサートには多くの大人たちが絡んできますが、ラストのコンサートはほぼ単独公演で、有志による協力のもと成り立っています
とは言え、ツアーをできるほどの音楽家の新作発表に際して、事務所などが出てくることもなく、というあたりはリアリティを感じません
彼女ほどの存在ならマネージャーというものがいると思うのですが、それすらいないのは不思議でなりませんでした
本作は、芸術家の成功の是非が二人を引き裂いて見えるのですが、その成功の度合いが非常にわかりにくいものになっています
コンサート先で倒れたともなれば、所属事務所が心配して駆けつけるでしょうし、その後のスケジュール調整なども行っていかなければなりません
映画だけを見ると、里香がどれぐらいの成功者かわからない割には、わがままが通っているようにも見えるのですね
なので、このあたりに説得力を持たせるとすれば、余命幾許もないので、最後に自由に音楽活動ができている、というぐらいの設定が必要になります
そうすれば、ゆかりのない土地でのコンサートや療養に関してもスムーズに行えるでしょうし、この後の予定が白紙になっているというものがあれば、ラストのコンサートも行えると思います
駆けつけた2人の奏者は現地の人っぽくはないので、彼女と関わりがあって事情を知っている人が駆けつけたのだと思われますが、映画ではそれすらもスルーになっていたのは驚いてしまいました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、地方振興の一環で製作されている物語で、お茶に関するイベントとかがきちんと行われていました
その割には主人公となる里香はお茶と関わることがほとんどなく、そこに興味があるようには思えません
ラストの楽曲は淳也の言葉にあった茶畑の景色からインスピレーションを受けることになりますが、それはお茶ではなく茶畑の自然というものになっていました
渓哉は彼女のためにお茶を点てますが、淳也は何もしないのですね
迷惑な客人ということなのでしょうが、遠方から自分を訪ねてくれた人に対しては、随分と失礼な人間のように映ります
彼は地元の活性化を真剣に考えているのですが、里香への対応だけで人間としての底が知れていて、人におもてなしをできない者が地域振興を果たせるとは思えません
このキャラクターの造形が問題で、地域振興映画にはそぐわないと思うのですね
なので、このキャラのまま最後まで通すなら、淳也にキチンとバトンを渡して、表舞台から去るぐらいの劇的な展開が必要だったように思います
淳也には芸術に心残りがあって、しかも里香にも未練があるということなら、正式に渓哉に継がせて、それをサポートする側に回った方が良いと思います
お茶の世界でも渓哉の才能に及ばないとなると、どこも良いところがないように思えますが、命の瀬戸際で芸術に向き合う里香を見て、淳也の中にある「芸術への初期衝動」というものが蘇るという展開はありだと思います
全てがうまく鞘に収まるのは理想論ではありますが、地域振興映画には希望と説得力が必要になっていて、しかも後味の良さというものが求められると言えます
それを踏まえると、「俺はクズだ」で終わってしまうのは何とも言えず、もっと希望に満ちたエンディングを用意しても良かったように思いました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100903/review/03903136/
公式HP:
https://kazenokanade-movie.jp/