■「違国」というキーワードがどこにも出てこないのは不思議だったけど、原作もそんな感じだったのでしょうか?
Contents
■オススメ度
アイデンティティに悩む青春を送った人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.6.7(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
情報:2024年、日本、139分、G
ジャンル:姉夫婦の事故死によって行き場を失くした少女と同居することになった姉憎しの妹を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本:瀬田なつき
原作:ヤマシタトモコ『違国日記(祥伝社)』
Amazon Link(原作コミック)→ https://amzn.to/3Vh1KGG
キャスト:
新垣結衣(高代槙生:朝を引き取る少女小説家)
早瀬憩(田汲朝:両親を事故で亡くした中学3年生)
夏帆(醍醐奈々:槙生の友人)
瀬戸康史(笠町信吾:槙生の元カレ)
小宮山莉渚(楢えみり:朝の親友)
吉本菜穂子(楢美知子:えみりの母)
中村優子(高代実里:槙生の姉)
大塚ヒロタ(田汲はじめ:実里の夫)
銀粉蝶(高代京子:槙生と実里の実母)
染谷将太(塔野和成:弁護士、後見監督人)
伊礼姫奈(森本千世:朝の高校時代のクラスメイト、秀才)
滝澤エリカ(三森:朝と同じ軽音楽部の天才女子)
エマ・グレイス(中野:高校の友人)
小林櫂人(石田:軽音部部長、先輩)
松崎未夢(軽音部員、先輩)
増井湖々(後藤:軽音部員、同級生)
溝口元太(軽音部員、同級生)
川島潤哉(朝の高校の担任)
原扶貴子(朝の実家の隣人)
竹厚綾(朝の中学の担任?)
望月春希(吉村:朝の中学からの友人)
宮本和奏(?)
花岡すみれ(えみりの交際相手)
金田静奈(飛鳥:朝の高校の同級生)
酒井大地(坂本:朝の高校時代の同級生)
南龍和(朝の高校時代の同級生)
中山碧瞳(えみりの友人、高校の同級生)
上坂悠斗(高校の同級生)
竹下優名(高校の同級生)
喜納唯(キーナ:高校の同級生)
神林泰成(高校の同級生)
前田あおい(阿部:朝の中学時代の同級生)
栗本有規(神田:朝の中学時代の同級生)
山村崇子(親族)
徳橋みのり(親族)
小松留美(親族)
足立誠(親族)
立蔵葉子(親族)
高橋義和(親族)
■映画の舞台
関東周辺(ロケ地は横浜)
ロケ地:
千葉県:流山市
流山市立南流山中学校
https://maps.app.goo.gl/TuLu1geotnitqcnh6?g_st=ic
横浜高等学校
https://maps.app.goo.gl/sPWomFzHSbgFYPsUA?g_st=ic
神奈川県:藤沢市
遊行寺
https://maps.app.goo.gl/ehPocaoTthb4cqhB6?g_st=ic
東京都:世田谷区
本屋 B&B
https://maps.app.goo.gl/UyKwdWVQDr2rNtg27?g_st=ic
■簡単なあらすじ
両親を交通事故で亡くした中学3年生の朝を巡って、葬式の場にて、親族による押し付け合いが始まってしまう
朝の母・実里の妹・槙生は「あの人の娘を愛せるかはわからないけど、行くところがなかったウチに来なさい」と言い放った
その日から、槙生と朝の二人暮らしが始まるものの、槙生は朝の自主性を重んじていく
それでも、諸手続きが必要で、元カレの笠町を頼りながら、なんとか一緒に住めるようになった
朝には親友のえみりがいたが、彼女が担任に話したことでクラスメイトに広がってしまう
朝は卒業式を欠席し、えみりとの関係も最悪なものになってしまう
槙生は「無くしたら困るものもあるよ」と言い、朝はえみりと仲直りをすることになった
ある日、槙生の親友・奈々が自宅を訪れ、3人で餃子パーティーを開くことになった
朝は高校に入ってから軽音部に入り、クラスメイトにも友達が増えていく
そんな中、軽音部にてライブの歌詞を作ることになり、朝は思いついた言葉をスマホに書き留めていくのである
テーマ:悲しみの抱え方
裏テーマ:束縛からの解放
■ひとこと感想
原作は未読で、予告編の「いってらっしゃーい」という気の抜けた挨拶が気になっていました
両親を亡くした中学生を強引に預かるという展開で、結婚すらしたことのない女性が、憎き姉の娘と同居生活を始めることになりました
槙生は朝の母とは対称的で、家事はろくにできないし、社交的でもありません
槙生は小説家としては少し名が通っているようですが、交友関係も狭いし、社交的ではないのですね
唯一の親友は「悪い大人」ですが、こう言ったサバサバした関係だからこそ、朝も馴染みやすかったのかな、と思いました
映画では、朝の母が娘に託した日記というものがあって、さらに朝自身が色々と書く日記というものがありました
この違いが作品のメインだと思うのですが、そこまで深掘りされていなかったのは残念でしたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作は淡々とした日常系のドラマになっていて、悪く言えば何も起きないタイプの映画だったと思います
高校時代がメインで、そこで広がっていく人間関係が描かれていきますが、このパートは青春群像劇のように思えました
朝とは関係ないエピソードがたくさんあって、それが最後に絡んでくるということもなかったように思えます
映画は、亡き母が残した日記をどうするかというのがメインになりそうですが、存在していますよ、ぐらいのもので、そこから大きくは広がっていきません
あの日記は映画内ではあまりふれられないのですが、ある種の「呪縛」だと思うのですね
槙生があれを渡すのを躊躇っているのは、「もう居ない母親に縛り続けられて良いのか」という葛藤があったはずです
これを深掘りせずして、何を描くというのかはわからない部分がありました
槙生の自主性を重んじる方針は、姉の教育方針と相反するもので、朝の母親が亡くなった意味というのはとても大きいのですね
なので、姉から受けた圧力から朝を解放したいと考えていたと思うのですが、このあたりの内面的なものはほぼスルーになっていたのは残念だったと思います
■タイトルの意味
本作のタイトルは『違国日記』となっていて、これは劇中の2つの日記を意味するものだと思われます
ひとつは朝が書いている日記で、もうひとつは朝の母が残していた日記になります
この二つは、主人公・槙生の感性とは違う世界観で綴られるもので、それを「違国」と表しているのだと思われます
映画内では、このタイトルに意味に言及されず、二つの日記の内容もはっきりとは描かれません
朝は自分の夢や世界観を綴り、朝の母も自分の世界観と朝に伝えたいことを綴っていました
槙生にとって、朝の母(自分の姉)は許容し難い世界観を持っていて、それゆえに1ページも読めずに気分が悪くなってしまいます
この原因は槙生の人生を否定し続けたからなのですが、原作では「槙生の原稿を破り捨てた」というエピソードもあるようで、映画からは決定的な確執というものは伝わりません
朝の日記は、自分の世界観として存在し、それは誰から言われたものでもなく、というものになっています
彼女自身が感じたことを書き綴る内容になっていて、そこには劇中で描かれる歌詞もありました
その世界観から切り出したものを槙生に見せることになるのですが、この行為を母にできたのかは何とも言えません
もしかしたら、槙生がされたように否定され、それで朝自身が傷ついた可能性は否定できなかったように思います
槙生は、姉の価値観を知っていて、そのノートはそれが凝縮されたものであることを感じています
このノートを朝に見せることは、見えない足枷を嵌めるようなもので、それを自身の判断で是非を考えられるかはわからないのですね
それは姉も同じように感じていて、高校を卒業してから、という但し書きがありました
槙生はそのノートの存在を隠すのですが、それは「今知らせるべきか」「高校を卒業するまで預かるか」というタイミングに悩んでいたように思います
笠町の失言によって暴露されてしまうのですが、個人的には「母の申し伝え」のように高校を卒業してからで良かったように思えました
■呪縛になるか指針になるか
朝の母のノートは、言うなれば「呪縛」になるか、「指針」になるかのどちらかの効能があると思います
ノートに書かれた通りに生きなければと押し付けられるようなものか、自分の足りない部分を補うことになるのか
こればかりは、朝が読んでみないとわからないのですが、それを高校卒業のときと規定しているのには意味があると思います
朝の母が存命であれば、おそらくは大学に進学すると思いますが、母が不在の今でもそれは変わらないでしょう
違いがあるとすれば、行く大学の違いで、猛勉強をして良い大学に行くか、やりたいことを見つけて、それなりの大学に行くかという別れ道があります
母の不在はその進路に大きな影響を与えていると思うのですが、それは受験をどのように過ごしたか、というところに行き着くように思います
朝の母が存命ならば、苦しい青春になった可能性があり、槙生との日々は自主性を促す生活になったでしょう
それでも、朝自身がどうしたら良いかを聞く機会があり、それを槙生や奈々から聞くことになると思うのですが、それは朝の母がもっとも忌み嫌うアドバイスのように思います
そういった高校時代を経た後にあの日記にふれることは高校生活を否定しかねない部分があって、それも含んで渡すことに躊躇いが出るのかな、と感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、両親を事故で亡くした中学生を親戚が保護するという物語で、養子縁組をしないので後見人制度を使用していることになります
朝が成人するまで面倒を見るというもので、法律関係で詳しい人がサポートに入っているという感じになっています
映画では、この制度の説明は不要のように思いますが、姉の娘を引き取るという物語に整合性を持たせる意味では必要にも思えます
あの場面は、朝が自分でパソコンを買ったことがバレる場面になりますが、この関係の中で「朝が槙生に相談できない」というのは変な流れになっているように感じました
このシーンがおかしく感じるのは、いわゆる唐突性というもので、これまでの二人の関係性からするとおかしく感じるのですね
原作にあるエピソードだと思いますが、隠れてパソコンを買うほどに隠すものがあったのかは何とも言えません
それまでの関係性に、かなり気を遣っている部分であるとか、朝自身が槙生のいないところで、彼女が思いもしないことをしているというエピソードが連らないとおかしく思えます
また、そこそこ高額な商品なので、それを母の口座から勝手に引き出して買うという行為も、映画の中の朝がするのかは疑問に思えます
映画は、丁寧な作りになっていて、多感な少女期と接する気難しい大人というのは描けていたと思います
それでも、映画の中でタイトルに意味がわからないとか、思った以上に軋轢のないまま、同居生活が始まってしまうなど、リアルさを感じない部分が多いと思います
母親から「槙生は最低の人間だ」ぐらいに聞かされていて、近寄ってはいけない存在ぐらいに刷り込まれている割には、そこまで抵抗がなく、あっさりと友達のような関係になっているのは不思議でしたね
その緩衝材に奈々がなったとも思えますが、両親が突然死んで、それをクラスにバラされただけで過剰反応して、卒業式すら出席しないキャラの割には、その後の溶け込み方が不自然のようにも思えました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/99637/review/03903135/
公式HP: