■最後にもう一枚、音が鳴る写真が登場しても良かったように思いました
Contents
■オススメ度
写真にまつわる映画が好きな人(★★★)
キャストのファンの人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.6.8(MOVIX京都)
■映画情報
英題:Tomorrow in the Finder(ファインダーの中の明日)
情報:2024年、日本、104分、G
ジャンル:ある写真に感銘を受けた若手写真家が老齢写真家の弟子になるヒューマンドラマ
監督:秋山純
脚本:中井由梨子
原作:あるた梨沙『明日を綴る写真館(KADOKAWA)』
Amazon Link(原作コミック)→ https://amzn.to/4c8EiCs
キャスト:
平泉成(鮫島武治:無口な老齢カメラマン)
(若年期:米加田樹)
佐野晶哉(五十嵐太一:若き天才カメラマン)
(幼少期:石塚陸翔)
(少年期:山城琉飛)
嘉島陸(鮫島直哉:武治の息子、銀行マン)
市毛良枝(鮫島桜:武治の妻)
(若年期:杉崎あめり)
林田岬優(井上京香:直哉の婚約者)
咲貴(杉田景子:ケーキ屋の娘)
田中健(杉田:景子の父、パティシエ)
田中洸希(林透留:太一の理解あるマネージャー)
吉田玲(松原菜那:祖母の写真を探す瀬戸内の女性)
中井由梨子(菜那の母)
銚子利夫(菜那の父)
美保純(池雪代:菜那の祖母)
佐藤浩市(牧嘉太郎:武治に遺影写真を頼む老人)
吉瀬美智子(牧悦子:嘉太郎の亡き妻)
高橋克典(五十嵐彰:太一の父)
黒木瞳(塚本冴絵:太一の母、ウェディングプランナー)
泉道壮夏(冴絵の同僚のウェディングプランナー)
赤井英和(ラーメン屋の大将)
鈴木麻衣花(ケーキを買う親子)
松谷鷹也(写真サークルの仲間)
橋谷拓玖(写真サークルの仲間)
都築里佳(写真サークルの仲間?)
安藤渚七(写真サークルの仲間)
武田隼人(モデル)
川手祥太(モデルのエージェント)
小林知史(記者)
峯統哉(記者)
日影舘まい(?)
今村航(写真を撮る夫婦)
田島芽英(写真を撮る夫婦)
蛭子笑在(写真を撮る夫婦?)
椙山かりん(写真を撮る夫婦)
ランス(ゴローさん:鮫島家の愛犬)
Aurora Node(シュン&ミオ&リュウヤ)結婚式のバンド
内田恵理花(結婚式のサックス)
■映画の舞台
愛知県:岡崎市
広島県:
ロケ地:
愛知県:岡崎市
山手フォトスタジオ
https://maps.app.goo.gl/pLEiJNuacVetE2T88?g_st=ic
葵丘
https://maps.app.goo.gl/Sj3Qju9PDisFKjmu9?g_st=ic
スイーツショップ SHin-Ple
https://maps.app.goo.gl/cWb1R8eZAKdTr4ZQ8?g_st=ic
ララシャンス OKAZAKI 迎賓館
https://maps.app.goo.gl/nJEYhpAJxEKJ2DYb7?g_st=ic
広島県:福山市
旅館あぶと本館
https://maps.app.goo.gl/SAZLcK7GaaKmUkHu9?g_st=ic
■簡単なあらすじ
東京で賞を総なめにしている若手の天才カメラマン太一は、ある写真展の佳作作品に心を奪われていた
その写真を撮った人物に会いたくて、太一は愛知県の岡崎にある古き写真館を訪ねた
写真を撮ったのは鮫島という老人で、近くのケーキ屋の娘さんを撮ったという
太一は弟子になりたくて、強引に彼の元を訪れた
そこで助手をしながら、「音の鳴る写真」の撮り方を吸収しようと考えていた
ある日、ケーキ屋の娘・景子とその父と会った太一は、その写真が彼女の初めての勤務のものだと教えてもらった
その後、太一は少年期に見た写真を思い返しながら、思い出したくない両親のことを思い出していた
そんな折、鮫島の息子・直哉が帰宅し、彼も父との良くない思い出を抱えていた
直哉は近く結婚する予定だったが、婚約者の京子と話し合って、結婚式を挙げないと決めていた
テーマ:親の愛情
裏テーマ:被写体に写り込む自分
■ひとこと感想
天才カメラマンがしがない写真家の作品に感銘を受けて弟子入りするというもので、導入は無茶だなあと思いながらも、いつの間にか馴染んでいく感じは良かったと思います
撮りたい写真を撮るというのはとても大変で、個人的にもちょこっとInstagramをしていた時期があったので、その難しさというのは良くわかります
良い瞬間があるから、良い写真が撮れるというのはそのものズバリで、でもその瞬間にカメラを構えているということの方が稀なのですね
構えていれば撮れるというものでもなく、全てが絡み合ってこその瞬間なのだと言えます
奇跡の一枚を撮ろうとする番組の企画などがありますが、色々と準備をしまくって、数千枚撮って加工してようやくできるとぐらい難しいものでしたね
ベテランから写真について学んでいくのですが、心構えから姿勢などを徐々に吸収していくところは天才ゆえのもののように思えます
ユーモア要素も満載で、ラーメン屋の店主とか、太一の母の若作りファッションとか、ケーキちゃんの斜め上のファッションセンスなど、インパクトのあるものが多かったですね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
写真を通じて人々が交流する物語で、特に親との関係が変化していく流れになっていました
擬似的な親子関係になっていく太一と鮫島ですが、その関係が近づくほどに、息子の直哉が苛立っていくのもリアルでしたね
親子のわだかまりが解消する流れも自然で、思い込みが記憶を強化するとところも物語に深みを与えてくれました
涙のシーンでいきなり写真を取り出す鮫島と、良い写真が撮れましたねという太一、それが理解できない直哉という構図も面白かったと思います
子どもは親に似ると言いますが、太一も親に似た写真を撮るし、直哉も父と同じことをしようとしていました
それを解消するのが両親たちの現在と過去のつながりというところに説得力がありました
後半は結婚式の話になりますが、直哉の母の「50年後悔させるの? お父さんみたいに」という言葉がサラッとして重たかったですねえ
直哉がコンサートの時の写真を見つけたり、太一の母がインスタで写真を見つけたりと、いろんなエピソードがものすごく自然に描かれていたと思います
東京のマネージャーは可哀想ですが、一緒に働いたら面白いのになあと思ってしまいましたね
■写真とは何か
写真とは、連続した動きの中のたったひとつの瞬間を切り取るもので、連続撮影をしても、その瞬間を捉えられるとは限りません
映画では、両手で構えてファインダー越しに撮る鮫島と、片手でファインダーすら覗かずに撮る太一が描かれていました
どちらのスタイルだから良いものが撮れるかは分かりませんが、太一の方が偶然性を狙い、鮫島の方は意図的にその瞬間を切り取ろうとする意志を感じます
震災で家屋が無くなっても、残された写真だけは家族のもとに返そうと思う写真家の映画もありましたが、写真というのは薄れゆく記憶の中で、確かに残る貴重なものだと思います
ビデオ映像なども過去を残すことになるのですが、こちらは連続性、音声などがあるので、ある一瞬を切り取った写真とは残されているものが違うように思います
個人的にはあまり写真は好きではなく、おそらく死んだら遺影に困るタイプの人間だと思いますが、それでも数少ない残された写真を見ると、当時の記憶が蘇って、良いものだなあと思います
写真というのは、その当時を切り取るものなのですが、そこには被写体だけでなく、その空間にいる人をも写し込んでしまう力があると思います
例えば表情ひとつとしても、その場にいる人の影響で変わることがあって、見られたくない人もいれば、その場に誰かがいることで緊張がほぐれる場合もあります
被写体の自然な笑顔というのは、カメラマンとの対峙では生まれにくく、映画では妻の写真を見て笑う老人・牧の姿が印象的でした
カメラマンとの信頼関係というものも必要になるので、スタイリッシュな写真を撮るときに、カッコつけた撮り方をしているのもアリっちゃあアリなのでしょう
その場の雰囲気を高めることになっていて、モデルの撮影などはクールな感じに仕上げていくのも、それなりの意味があるように思えました
その後の関わりを持たないという徹底ぶりがありましたが、これは写真家のみならず、社会人としては問題があるように思えます
次に彼との撮影があるとしたら、その時にはその記憶が蘇るので、良い写真が撮れるとは限らないのですね
一期一会を大切にするには、まずは作法から学ぶ必要があるように思います
■太一はなぜ人物写真が苦手なのか
太一は人物写真が苦手という設定になっていて、モデルとの仕事以外のこと、授賞式での対応は「塩」と思われるようなものでした
彼がコミュ障なのかは何とも言えないのですが、自分が価値があると思っている人には普通に接しているので、潜在的に選民思想のようなものがあるのかもしれません
コミュ障だと、ケーキちゃんとも普通に話せないし、鮫島一家(特に息子)とは打ち解け合えないように思います
彼が人物写真が苦手な理由はいくつかあると思いますが、映画内で描かれていることで言えば、「自分自身が嫌いだから」だと思います
映画の終盤にて、写真には自分が写り込むという言葉があり、それを潜在的に感じてきたのでしょう
それ故に、そこに写っている自分への拒否反応が生まれていて、人物を撮りたくないのかな、と感じました
この辺りは映画の中では明確な描写がないので想像になりますが、かと言って、太一が自分嫌いだったのかは何とも言えないのですね
どちらかとナルシストに近いイメージがあるので、それだとしたら上記の理由ではないことになります
ナルシスト観点からすれば、被写体にそこまで魅力を感じることがないから、というもので、いわゆる「人物を撮っても音を感じなかった過去がある」ということなのでしょう
それが相手に伝わるのを恐れて、極力避けてきた、というものなのかもしれません
風景写真は自分のタイミングでシャッターを切ることができ、人物写真は相手との呼吸が必要になってきます
興味のない人に対して敬意を持てないのであれば、この呼吸を合わせるのはとても難しいように思えます
人に尊敬を持てるかどうかは、幼少期の経験が大きく影響します
彼の父は突然どこかに行き、母親との関係もよろしくありません
この環境で育つと、対人関係に影響が出るのはやむなしと思えるので、人として必要な教育を家庭で受けてこなかったのが原因のようにも思えます
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、写真家の成長を描いている作品なのですが、映画内でどのように変化したのかははっきりとは分かりません
太一が撮った写真の連続性というものがなく、コンクールの写真とインスタグラムの写真が登場するだけで、鮫島の教えの末に変化した集大成というものは描かれていませんでした
彼の成長は目に見えるようにわかるのですが、それは被写体との距離感の違いというものが変化しているところでしたね
でも、老人・牧の段階ですでに、その距離感の掴み方というのは取れています
あのシーンを見ると、彼が人物写真が苦手という設定が無意味に思えるのですが、これは鮫島と絡んでいるという状況がそうさせている、と解釈することができます
音が鳴る二つの写真は似て非なるもので、太一の父の写真は「撮影者から被写体に向けられた愛」で、鮫島の写真は「被写体内で届く愛」ということになります
太一の父の愛は主観的で、鮫島の愛は俯瞰的なのですが、その両方から同じ音が聞こえたというのは、そこにある無償の愛というものを感じ取れたのだと思います
この流れを考えると、太一は「主観的か俯瞰的かいずれかの愛をフィルムに収めることができる」というのがゴールになります
ラストの結婚式での写真がそれに該当するとしたら、「擬似親子としての鮫島への愛」「鮫島ファミリーから感じる家族愛」を撮れたというものになるのでしょう
このどちらをも太一はフィルムに収めているので、それが作品となって、誰かが音を聞くというのが、キレイなまとめ方であるように思います
鮫島も太一の父も、カメラマンとしてのキャリアは太一よりも長いものでした
なので、彼が数ヶ月修行したからと言って、いきなりそのレベルに到達することはないでしょう
でも、写真に音を込めるというのは、プロが切磋琢磨しなければ撮れないものではありません
それを考えると、結婚式にて「太一を撮ったある人物の写真」というものが作品を締めることになっても良かったのかもしれません
個人的には、ケーキちゃんが何気なく撮った太一の写真から音が聞こえそうな気がしたので、それが最後に描かれたら良かったのかな、と思いました
たくさんの結婚式の写真を整理していて、ふと自分の写真が見つかる
太一は、それを誰が撮ったのかはわからないけど、なぜか自分の写真から音が聞こえてくるのですね
この写真があることで、自分自身の価値を見つめなおすきっかけになって、また一歩ステージが上がるのではないか、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101532/review/03907248/
公式HP:
https://ashita-shashinkan-movie.asmik-ace.co.jp/