■天安門を扱っただけでは非公開にはならないと思うけど、映画全体から染み入るものを思えば、今は無理なのかもしれませんねえ
Contents
■オススメ度
中国の天安門事件前後の青春映画に興味のある人(★★★)
■公式予告編
(中国上映禁止のため予告編見つかりませんでした)
鑑賞日:2024.6.6(アップリンク京都)
■映画情報
原題:頤和園動の時代に自分の生き方を貫こうとした男女を描いた青春映画
監督:ロウ・イエ
脚本:ロウ・イエ&メイ・フォン&イン・リー
キャスト:
ハオ・レイ/郝蕾(ユー・ホン/余虹:図們出身の女学生)
グオ・シャオドン/郭晓冬(チョウ・ウェイ/周伟:ユー・ホンの大学時代の恋人)
フー・リン/胡伶(リー・ティ/李缇:ユー・ホンの親友、のちにベルリンに留学)
チャン・シャンミン/张献民(ロー・グー/若古:リー・ティの恋人、ベルリンの交換留学生)
ツゥイ・リン/崔林(シャオ・ジュン/晓军:ユー・ホンの高校時代の恋人)
ツアン・メイホイツ/曾美慧孜(トントン/冬冬:ユー・ホンの大学時代のルームメイト)
パイ・シューヨン/白雪云(ワン・ボー/王波:ユー・ホンの大学時代の友人)
ワン・ロンチェン/王泷正(ウー・ガン/吴刚:ユー・ホンの同僚)
ドゥアン・イーホン/段奕宏(ユー・ホンとカラオケで知り合う男、妻帯者)
フアン・ダイドン/黄太东(ユー・ホンの父)
イー・リー/乙力(大学でユー・ホンにちょっかいかける男?)
レン・シャオヘイ/任笑眾(ワン・タオ:大学時代のチョウ・ウェイの友人?)
トン・ユエ/佟悦(チェン・ジュン:大学時代のチョウ・ウェイの友人)
ホウ・ユー/侯燈(ソンピン:ルー・ホンの本泥棒のルームメイト?)
Agnieszka Piwowaska(ニーナ:チョウ・ウェイの友人のロシア人、ベルリン時代)
メイラン・チャオ/赵雪(チョウ・ウェイのベルリンの友人)
シャオ・チン/晓清(チョウ・ウェイのベルリンの友人)
デュ・イェーチン/杜野青(チョウ・ウェイのベルリンの友人)
チャン・ルーシャ/张露莎(シャシャ:チョウ・ウェイの同僚?)
フェン・バイ/封箱(チュー・ウェイ:チョウ・ウェイの古い友人?)
■映画の舞台
1987年、
中国と北朝鮮の国境付近
中国:図們&北京&重慶&深圳&北戴河
ドイツ:ベルリン
ロケ地:
中国各地
■簡単なあらすじ
1987年、大学受験を控えたユー・ホンは、恋人シャオ・ジュンと青春のひと時を過ごしていた
ある日、合格通知を受け取ったユー・ホンは、シャオ・ジュンに連れられて北京の大学の女子寮へと足を運んだ
ユー・ホンはそこでチョウ・ウェイと出会い、一目惚れをしてしまう
二人はそのまま恋仲になり、ユー・ホンはシャオ・ジュンを捨てることになった
二人は愛欲に溺れ、それは別れを決意させるほどに激情的になっていった
そんなある日、デモのために北京を訪れたチョウ・ウェイたちは、そこで天安門事件を発端とした、政府による弾圧に遭遇してしまう
なんとか逃げ出せたものの、チョウ・ウェイはそれを機にベルリンに渡り、二人の関係は解消されることになった
ユー・ホンはそのまま大学に残り、普通に就職をしていく
そんな中でも、チョウ・ウェイのことを忘れられず、バカなことばかりをしてしまうのである
テーマ:激情の果て
裏テーマ:自由の先にある束縛
■ひとこと感想
中国のタブーのひとつである天安門事件と、全裸女性が登場するという内容で、いまだに本国では未公開扱いになっているようですね
体制に不満を抱く若者たちが自由を求めて生きていく様子が描かれ、その中でも解放された性の象徴のような感じになっていました
よく言えば欲望に忠実ですが、人間としてはどうなのと思ってしまうほどに、行動がめちゃくちゃだったように思います
とは言え、これまでの抑圧に対する反発が出ている感じで、相手との相性を決めるのに体を使うというのは、この時代におけるエポックメイキングのようなものだったかもしれません
映画は、ある程度の中国の歴史と体制を知っておいた方が良いのですが、あまり詳しく調べる必要がないほどに「説明過多」の部分はあるように思えました
中国の中では「存在していない映画」扱いのようで、中国のウィキっぽいページにもあまり詳細が書かれていません
IMDBもほとんど役に立たず、意外なほどにアップリンクが作っているパンフレットは気合が入っている、という感じになっていましたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画のどこまでがネタバレなのかは分かりませんが、随分と貞操観念が緩い感じのキャラクターになっていて焦ってしまいました
これぐらいの年代だとやることは一緒という感じになっていますが、男性の方は、どこか社会情勢に不安を感じていて、どっぷりと浸かっているという感じにはなっていませんでした
映画は、中国の色んな場所を移動し、チョウ・ウェイの方はベルリンへと行ってしまいます
別れの理由は様々だとは思いますが、思想を優先するというのは時代ならではのようになっていました
最終的に求め合った二人は再会を果たすものの、これまでに生きてきた人生が刻んだものが別れを決意させます
わかりやすく言えば「時代がそうさせた」という感じになりますが、その時代背景において、異性に求めていたものが決定的に違ったように思えました
■簡単な時代背景
映画は、天安門事件(六四天安門事件)を扱っている作品で、この事件は1989年6月4日に起こった「天安門広場の民主化デモを中国人民解放軍が実力行使して鎮圧した事件」でした
「六四」と付いているのは、「四五天安門事件」と区別するためで、こちらの事件は「1976年4月5日に起きた天安門広場における周恩来追悼の花輪が北京市当局によって撤去されデモが起きた事件」のことを言います
1985年3月にソビエト連邦の共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは「ペレストロイカ」を表明します
ソビエト共産党一党独裁政治が続く中、言論の自由への弾圧などの歴史などがあって腐敗した官僚制度などを立て直す目的がありました
この動きを経て、同じように建国以来中国共産党の一党独裁下にあった中華人民共和国でも、胡耀邦が「百花斉放・百家争鳴」を再提唱して、言論の自由化というものを推進し始めるようになります
胡耀邦は国民から「開明の指導者」と支持され、政治改革への期待が膨らんでいくことになりました
これに対して、鄧小平らの長老グループを中心とした保守派は反発を起こします
1986年6月に行われた六中全会にて、胡耀邦の政策は棚上げされ、保守派主導の「精神文明決議」が採択されていまいます
この動きを受けて、同年12月から北京を始めとした都市部で学生デモが発生し、保革対立が激化することになりました
そして、1987年には胡耀邦は辞任を要求され、事実上の失脚になってしまいました
胡耀邦の後には、改革派で穏健派の趙紫陽が総書記代行に就任し、その後総書記に選出されることになります
その後、胡耀邦は1989年4月8日の政治局会議の出席中に脳梗塞で倒れて死去してしまいます(4月15日没)
その翌日には中国政法大学を中心とした民主化推進派の学生たちによって追悼集会が行われ、北京市内デモ民主化を求める集会を始めることになります
当初は小規模だったものも、18日には北京の複数の大学が中心として1万人程度の学生が集まることになりました
民主化を求めて、天安門広場に面する人民大会堂の前で座り込みのストライキを始めることになったのですね
5月に入った頃には、デモ隊の数は50万人近くになり、公安(警察)の規制が効かなくなってしまいます
そんな最中、5月15日ゴルバチョフ書記長が訪中することになります
中ソの関係性を改善することが目的でしたが、天安門広場を始めとした北京各地でデモ隊が溢れていて、ゴルバチョフ一行の移動に支障をきたすようになります
その後、5月17日には鄧小平は戒厳令を布告することになります
これに対して趙紫陽は戒厳令の発令を拒否し、その後、学生たちに演説をして解散を促すものの、それは叶わないものとなります
6月に入ってから、人民解放軍が地方から北京に集結しているとの報道がなされ、それらは西側メディアによって報じられるようになりました
6月3日の深夜に天安門周辺に走行兵員輸送車が集結し、完全武装した兵士が配置に就くことになります
そして、6月4日未明に李鵬首相の支持によって、部隊が投入されることとなりました
鎮圧の様子に関しては、ウィキなどをググっていただければ、その一部は理解できると思います(長すぎるので割愛致します)
■なぜ去ったのか?
本作は、ユー・ホンとチョウ・ウェイのラブロマンスが主軸となっていて、それが時代に翻弄されて、離れ離れになってしまう様子を描いていました
学生デモの最中で、運動に目覚めたチョウ・ウェイが行動を起こし、その後中国を出てドイツのベルリンに行くことになりました
一方のユー・ホンは国内に留まり続けて、その後普通の生活をして、結婚して家庭を築くようになっています
映画のラストでは、チョウ・ウェイはユー・ホンが結婚したと聞き会いに行くのですが、そこにいたユー・ホンはかつて愛し合ったユー・ホンではないことに気づき、別れの挨拶をすることもなく、チョウ・ウェイは去って行きました
チョウ・ウェイはベルリンにて、自分を想ってくれたリーティの自殺に動揺するのですが、リーティは彼の中にまだユー・ホンがいたことに気づいていました
自分の恋が叶わぬことを知って自殺をすることになるのですが、彼女の行動はかなり突発的なもので、それ以外にも理由があるように思えます
映画では、そこまではわからず、チョウ・ウェイはその答えを知らぬまま、ベルリンを離れることになりました
1989年のドイツと言えば、ベルリンの壁崩壊前夜になり、チョウ・ウェイとリーティ、ロー・グーが訪れた頃はそれが起こる直前ぐらいになると思います
目の前でドイツの統一が起こり、そこで過ごしてきたのですが、2000年になってチョウ・ウェイは中国に帰ることを決断します
2000年の中国は、天安門事件後も続く中国共産党の一党独裁政治がまかり通っている時代で、国民には自由があるとは思えない時代でした
なので、リーティはそこに帰ろうとするチョウ・ウェイが理解できなかったようにも思えます
それらの複雑な心理状態と、チョウ・ウェイの中に自分がいないことが衝動へと繋がっていったのだと推測できます
チョウ・ウェイはユー・ホンと会いますが、彼女はすでに中国の現行体制に埋もれている個人であり、若かりし頃に感じた輝きというものは感じられなくなっていました
それが彼の絶望になったとも言えますが、裏を返せばチョウ・ウェイと再び関わりを持つことで、彼女の安全が脅かされるとも言えるのですね
なので、彼は何も言わずに去ることになり、それは二人の学生時代の衝動というものが終わったことを確認するための再会だったと言えるのかな、と感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、いまだに中国では公開できないままになっていて、それは天安門事件を取り扱っていて、検閲に引っかかったからでした
理由は「音声と映像が非常に不鮮明」という意味不明なものになっていて、それでも2006年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に強行出席することになりました
この件を受けて、監督のロウ・イエとプロデューサーのナイ・アンは国家広播電影電視総局から5年間の映画制作禁止処分を受けることいなりました
それでも、ゲリラ撮影を行い『スプリング・フィーバー』という作品を製作しています
ちなみにこの作品は2009年に製作され、日本では2010年11月に公開されています
映画は、天安門事件を扱っているとは言え、この事件によって起こったことを批判しているものでもなく、その時代に翻弄された若者を描く舞台装置になっていました
なので、この内容で公開ができないとなると、天安門事件そのものを扱えないということになるでしょう
また、性的表現が露骨なので無理という方が理解できますが、「映像が不鮮明」は意味がわかりません
映画表現は様々ありますが、本作は「時代に翻弄された若者がいる」という中で、中国に織り込まれた主婦と諸外国で自由を満喫した元恋人という構図があるので、これが当局を刺激したのかもしれません
このあたりの真意は不明ですが、映画全体として見れば、若干当局批判にも映るし、中国の体制が人間を生かしつつ殺しているようにも見えるので、このあたりの意図が汲み取られたのかもしれません
一部の映画館では、中国では観られないので日本で観ているという中国人もいるとのことですが、そこまでして観たくなるほど、アンダーグランドでは反体制的な監督は需要があるのかもしれません
今後も色々と物議を醸す作品を製作しそうに思いますが、いずれは堂々と本国で公開できる日が来ると良いなあと思いました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/53698/review/03900130/
公式HP:
https://www.uplink.co.jp/summerpalace/