■生涯の友との出会いは、いつ起こるかわからないもの
Contents
■オススメ度
ジャッキー・チェンのファンの人(★★★)
映画のスタントマンに興味のある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.6.5(イオンシネマ久御山)
■映画情報
原題:龙马精神(龍馬の精霊)、英題:Ride On(乗馬)
情報:2023年、中国、126分、G
ジャンル:落ちぶれたスタントマンと愛馬を描いたアクションコメディ映画
監督&脚本:ラリー・ヤン
キャスト:
ジャッキー・チェン/成龙(ルオ・ジーロン/老罗:落ち目のスタントマン、武術家)
チートゥ/赤兔(チートゥ/赤兔:スタントに使われるルオの愛馬)
リウ・ハオツン/刘浩存(シャオバオ/小宝:ルオの娘)
(中学時代:ドウ・ミャオ/豆苗)
(5歳時:カイ・ミンシャン/蔡铭萱)
(赤ん坊:サニー・ヤン/杨晴天)
ラン・ユエティン/郎月婷(シャオバオの母、ルオの亡き妻)
【シャオバオの交友関係】
グオ・チーリン/郭麒麟(ルー・ナイホァ/乃华:シャオバオの恋人、新人弁護士)
チャン・シャンリー/张双利(ナイホァの父)
コン・リン/孔琳(ナイホァの母)
ファン・ヤンラン/黄嫣然(シャオバオの小学校時代の友人)
デン・シンシィ/邓信欣彝(シャオバオの小学校時代の友人)
チェン・ミン/陈铭(シャオバオの法学校のクラスメイト)
【ルオの交友関係】
ウー・ジン/吴京(ユエン・ウェイ/元威:ルオの弟子)
ジョイ・ヨン/容祖儿(インズ/樱子:ルオの弟子の女性武術家)
ユー・アイレイ/余皑磊(シアマオ/虾毛:インズの夫)
シー・シンユー/釋行宇(デビッド/大伟:ラオ・ルオの兄、格闘家)
【チートゥ関連】
ユー・ロングァン/于荣光(ホー総裁/何欣:訴訟相手の会社の社長、映画出資会社)
シエ・ホンシー/谢鸿鑫(ホーの秘書)
シャオ・シェンヤン/小沈阳(リー・ヤン/李岩:ホー総裁の弁護士)
リウ・ジャメン/刘佳萌(サン・ミン/孙明:司法書士)
チェン・ミン/陈铭(ホー総裁の弁護士)
レイ・ロイ/吕良伟(ワン/王海泉:ルオの友人、ホー総裁の知人)
ハオ・ジャンハ/郝江华(ワン・クー/王珂:チートゥの元飼い主)
シャオ・ティエシュー/肖铁树(ワンのアシスタント)
ワン・フィ/王辉(裁判長)
【映画関係】
イン・シャオティアン/印小天(ウーウェイ/吴飞:映画のプロデューサー)
ヤン・ジア/杨子骅(プロデューサー)
スタンリー・トン/唐季礼(映画監督)
ジア・ピン/贾冰(現場監督)
ルー・チュアンダ/卢传达(現場監督)
ハン・グァンハ/韩冠华(アクションディレクター)
ジョー・ディアオ/刁兆昱(若い監督)
ダニエル・サン/孙驰(アシスタントディレクター)
シャオ・レイ/曹雷(アシスタントディレクター)
ワン・ロンクー/王龙柯(キャスティング担当)
ヤン・チンユー/杨青雨(ステージのサウンドディレクター)
ウェスリー・ウォン/黄恺杰(ジエ/黄杰:スタントマン)
リウ・ボユウ/刘博宇(負傷したスタントマン)
ワン・ドゥオ/汪铎(若き皇帝役の俳優)
ユアン・ハイ/袁海(源海大法師役の俳優)
ジャン・ティン/张婷(花飾りの女)
【その他】
アンディ・オン/安志杰(ダミー/大米哥:借金取りの格闘家)
ガン・インシュアン/刚胤轩(ダミーの手下)
スー・ハン/苏杭(ダミーの手下)
リー・シンユアン/李志远(ダミーの手下)
マ・ヨンリ/马永立(ダミーの手下)
ジャン・ミン/张宁(ダミーの手下)
ジョウ・ジェンユー/周震宇(ダミーの手下)
パン・ビンロン/潘斌龙(親権を失う父)
チェン・ジェン/钱锦(離婚した家族の娘)
リー・ジーティ/李治廷(香港警察)
ジャン・リン/張琳(警官)
ワン・ジアン/王賢(警官)
リー・ヤンシー/李沿熹(記者)
チャン・グァンリン/张冠玲(アイスクリーム屋)
ソン・ヤンジン/宋彦锦(アイスクリームの少年)
バイ・ビン/白冰(獣医)
ユアン・ノン/袁农(獣医)
キャシー・チャオ/赵凯悦(獣医のアシスタント)
チェン・リャン/陈亮(模擬裁判の裁判官、大学)
オジャオ・ジャンゴ/乔江波(街角の衛生労働者)
チェン・ユーシー/陈羽汐(街角の衛生労働者の娘)
グオ・ジアン/郭子恒(怒る親)
ガオ・シュグェン/高曙光(レストランのオーナー)
スノー・シ/史悦(ウェイトレス)
カイ・チンリー/蔡沁怡(ウェイトレス)
マ・チェンチェン/马倩倩(インフルエンサー)
武漢京劇院(街角の劇団)
■映画の舞台
中国:香港
ロケ地:
横店影视城
https://maps.app.goo.gl/Nq8n2yf3xhKQ2MfM8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
かつて武術家として名を馳せたルオだったが、今では愛馬チートゥとともに街角でパファーマーをして過ごしていた
ある日、彼の元にチートゥの元持ち主の会社が破産し、財産整理を行なっているという
相手にしないルオだったが、法的には相手の言い分が通っていて、そこで法学校に通っている疎遠の娘シャオバオを頼ることになった
シャオバオは法学校の先輩で新人弁護士のナイホァを連れてくるものの、娘に彼氏がいたことを知ってショックを受ける
だが、そんなことは言ってられず、チートゥが奪われないように作戦を練ることになった
そんな折、弟子のユエン・ウェイに声をかけられたルオは、チートゥとともに映画のスタントマンを引き受けることになった
そして、その活躍は目を見張ることになり、チートゥの元持ち主の債権を持つ富豪のホー総裁の目に留まることになった
ホー総裁はチートゥを手に入れるべく秘書に相談させ、その債権問題に絡んでくることになったのである
テーマ:家族の絆
裏テーマ:スタントの魂
■ひとこと感想
ジャッキー・チェンのこれまでの映画を観てきた人なら必須の案件で、スタントマンとして活躍してきた男の最後の花道というものが描かれていきます
若い頃は仕事に入れ込んでいて、母のそばにいなかったことで娘とは絶縁状態になっていました
そんな絆を結ばせたのがチートゥであり、娘が父親の仕事を理解していく物語でもあったと思います
映画は、わかりやすい再生と挫折を描いていて、スタントマンの厳しい現実というものも描かれています
何よりチートゥの演技が素晴らしすぎて、どうやって撮ったんだろうと思うシーンがたくさんありましたね
馬に命を預ける演者も大変ですが、あそこまで細かい仕草を実馬でやるというのは相当なことだと思いました
物語はわかりやすい予定調和なので、涙腺弱い人は泣いてしまうと思います
コメディとハートフルがごっちゃになっていますが、とても鑑賞後感の良い作品になっていると思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
生まれた時に足が曲がっていて、その後の生育状態も良くないチートゥですが、まるで親子のような関係で育ったためか、ルオとの意思疎通が抜群になっていました
娘よりも分かり合えている感じになっていて、彼女としては怒り心頭な感じになっていたでしょう
妻が死んで、娘との疎遠になってしまったルオとしては、人生最後の生き様のようになっていましたね
その後、息の合ったコンビが動画でバズり映画に出るという流れになっていて、このあたりはイマドキな感じになっていました
娘が先輩を連れてきて、チートゥの話をするつもりが、結婚の許可をもらいに来ている感じになったのは笑ってしまいます
父親のこれまでの活躍が残ってあるUSBメモリが意外なところで活躍しましたが、馬のことをわかっているホー総裁の「生命の根源を超えた行為」というのは驚きでしたね
サラッと描かれていましたが、人間に育てられた馬は、人間っぽさを持ってしまうのかな、と感じました
■スタントの重要性
どの映画にも、アクションシーンに関してはスタントマンがいます
エンドロールのどこかにスタントマンについての記述があり、スタントではないボディダブル(替え玉)についても書かれていることがあります
また外国の映画に日本人が出演した際に「声の出演」として登場している人もいいます
楽器を演奏するシーンの手元とか、演奏した音楽自体が別の人が演奏しているとか、裸にならない俳優の代わりに濡れ場を演じるということもあります
そんな中で、スタントを使わずにアクションシーンを撮影する俳優もいて、ジャッキー・チェンはその中の一人なのですね(晩年はスタント使用していますが)
彼の昔の映画だと、エンドロールにNGシーンが挿入されていて、そこで痛々しい失敗などが観ることができました
最近ではグリーンのスクリーンの前で演じて合成したり、ワイヤーを使ってあり得ない跳躍などを見せたりします
カット割りが多く繋ぎ合わせるものや、一連のアクションを止めずに行う場合などもあって、アクションシーンひとつとっても、かなりの撮影期間を要する場合が多いとされています
複数台のカメラでひとつのアクションを多方向から撮るというのは難しく、それは背景やスタッフの写り込みが起こるからなのですね
なので、一台のカメラで演者の周りを回る形で撮り、それに連続性を持たせることになります
あまり、1カットを短くし過ぎると繋げるのも難しく、不自然になる場合もあるので、メイキングなどを見ると「ひと段落つくまで」ぐらいの尺でカメラを止めている場合が多いように思います
そのための練習量も半端ないのですが、ある程度の型が決まっていて、阿吽の呼吸でアレンジを入れたりできる間柄だと化学反応が起きています
また、相手を試すかのような不意なアレンジを入れている場合もあって、演者が本当に驚いている、というシーンを観ることもあります
映画は、安全を考慮して制作する必要があり、危険なスタントは訓練している人が行う方が良いこともあります
とは言え、アクション映画に出るのにアクションを全くしないというのは意味がないので、よほど危険なシーンでない限りは演者が演じる場合も多くなっているように思います
また、動きを俯瞰的に観るためにスタントマンが一度演じて、それを真似するなんて方法もあります
言葉や絵では伝わりにくいものもあるので、そう言ったお手本が目の前で見られるのはとても重要なことだと思います
■勝手にスクリプトドクター
映画は、ルオとシャオバオの親子の絆の復縁を主題としていますが、同時にルオとチートゥの関係も色濃く描く必要がありました
シャオバオが父の仕事を理解するためにチートゥとの日々が必要で、そこに娘としての不安などが重なっていくことになります
シャオバオは無頓着な父のマネージャーのような存在になって行きますが、危険なことをさせたくないと思うのは当然のことでしょう
特にルオはかなりの高齢であり、ルオ以外の人がスタントをしても良いと考えるのは自然なことだと思います
とは言え、チートゥとの関係を描くために、法律とか所有権の話を持ってきたのはナンセンスで、このパートがちょっとわかりにくいものになっていました
産まれた時に体が弱く、殺されるはずだったチートゥを譲り受けるような形で育ててきましたが、その所有権が母馬の持ち主のままになっていたのですね
そして、所有者が債務超過になってしまい、借金のカタにチートゥが取られてしまうという流れになっています
でも、その話はそこまで強硬に進むことはなかったのですが、チートゥの活躍が世に知れ渡るようになって、それを欲しがる人物ホー総裁が現れました
そして、総裁が秘書に調べさせると、その所有権がルオにないことがわかります
これらの一連のシーンはほぼ会話で示されるのですが、その流れが非常にわかりにくいものになっていました
シャオバオとナイホァが裁判が終わった後に気づくシーン(元々処分されるはずだったものを譲り受けた)も、法律用語でひらめき!みたいな感じになっていたので、もう少し丁寧に説明しても良かったように思います
個人的には、法的な争いは全て無くして、それ以外の方法でチートゥが奪われてしまう方が良かったように思います
ルオは借金の肩代わりに奪われそうになっていたので、ルオが作った借金をホー総裁が買う(債権譲渡)などで、金を返せないので持っていかれるというので良かったと思うのですね
借金の肩代わりになった段階で、チートゥが怪我をして価値が下がることは許されないので、スタントでお金を稼ぐこともできなくなってしまう
ルオ一人ではチートゥの維持費も稼げず、さらに牧場が賃貸だったために、ホー総裁が買い上げて、家賃を上げられてしまうなどの、小学生でもわかりそうな感じの意地悪をしていった方が良かったでしょう
住む家を奪われてはどうしようもないので、渋々手放さざるを得なくなってしまう
そこからの流れは映画と同じで、チートゥ自身が自分の価値を下げる行為(食事をせずに死んでしまうかも)を続けていくことで、強欲なホー総裁が手放すというものでも良いと思います
ホー総裁がどちらかと言えば善人に描かれているので、法的な問題を強調していますが、もっと悪質な成金みたいなキャラにした方が、喪失と回復が伝わりやすいのではないかと感じました(特別出演だから悪者にはできなかったのかもしれません)
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、ジャッキー・チェンの最新作かつ最後のアクション映画になりそうな印象のある作品でした
年齢を考えると、スタントを使わないアクションには限界があり、かと言ってスタントを必要する激しい動きを伴うキャラというのも限界点のように思えます
今後は後身育成や発掘などを活動の中心に据えるという発言もあり、スタントマンを指導する映画などが生まれるかもしれません
本作にも弟子にあたるキャラが数人出ていて、見事なアクションを披露していました
俳優業というものは面白いもので、加齢とともに演じる役柄が変わり、求められていくものも変わっていきます
私生活が直結する場合も多く、母親役には子育て経験者が抜擢されたりしていますね
日常が演技にどのような影響を与えるのかも興味のあるところで、細かな所作は経験者ゆえに出てくるものだったりします
なので、後身を指導するという現在の立場も、ジャッキー・チェンならば「その環境を映画にする」ということが可能だと思います
映画は物語の面白さだけではうまく行かず、演者の力、環境、付随するものなど、多くのしがらみというものがスクリーンに投影されます
この時の、この人にしか演じられないもの、というものが確かにあって、そのタイミングを逃すと一生撮れない作品だってあるのですね
そう言ったものを踏まえると、映画は瞬間芸のような一面もあるように思えます
物語を観にいくのだけれど、その役を誰がどのように演じるのかを観るという側面もあり、その高みに登っていくと、「誰が」という部分が消えていきます
その繰り返しの果てに、このキャラならばこの俳優という相関関係が生まれ、それが枷になってしまう瞬間が訪れるのですね
ジャッキー・チェンは長らく「この人ならば」という世界で生きてきましたが、本作を機に転換点が起きるのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101444/review/03897140/
公式HP: