■「わたくしどもは。」とは、誰に向けられたメッセージだったのだろうか


■オススメ度

 

雰囲気系映画が好きな人(★★★)

小松菜奈のファンの人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.6.3(アップリンク京都)


■映画情報

 

英題:Who Were We?(私たちは何者?)

情報:2024年、日本、101分、G

ジャンル:記憶を無くした男女が不思議な空間で再会する様子を描いたヒューマンドラマ

 

監督&脚本:富名哲也

 

キャスト:

小松菜奈( ミドリ:謎の空間に迷い込んだ女性、施設スタッフ)

松田龍平(アオ:ミドリと関係を持つ、謎の空間に迷い込んだ男性、警備員)

 

片岡千之助(向田透:引きこもりがちな高校生)

内田也哉子(向田透の母、聾者)

 

田中泯(館長:鉱山施設の責任者)

大竹しのぶ(キイ:鉱山施設の清掃員)

 

石橋静河(ムラサキ:アオを知る女性、バスガイド)

 

田中椿(アカ:施設に住む女の子)

三島天瑠(クロ:施設に住む女の子)

 

森山開次(爛れた男)

辰巳満次郎(能楽師)

 

難波空(透の同級生)

山内琉亜(透の同級生)

野崎耕太(透の同級生)

 


■映画の舞台

 

新潟県:佐渡島

 

ロケ地:

新潟県:佐渡市

史跡佐渡金山

https://maps.app.goo.gl/TDWyvEm7pF1tTpK79?g_st=ic

 

清水寺

https://maps.app.goo.gl/hfvbdiJDL6UGXaQH8?g_st=ic

 

喜八屋旅館旧館

https://maps.app.goo.gl/W34qH63GURUtPKDA6?g_st=ic

 

沢崎集落

https://maps.app.goo.gl/w5qGJ8QJNJHRQ2zcA?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

ある日、佐渡金山の施設にて、記憶を無くした女性が保護された

施設の清掃員・キイは彼女を家まで連れ帰り、彼女と一緒に住んでいるアカという名の少女が、ミドリという名前をつけるように提案した

キイはミドリを館長に紹介し、キイと同じように施設で働くことになった

 

ある日、猫の気配を追ったミドリは、そこで廃墟のような部屋にたどり着く

そこには警備員の男がいて、彼もミドリと同じように記憶を失っていた

そこでミドリは、彼にアオという名前をつけて、一緒に過ごす時間を増やしていく

 

一方その頃、地元の高校生の透は、部屋で自殺するための縄を編んでいた

彼は同級生にいじめられていて、それを苦に自殺しようと考えていた

母親は聾者で、家にはあなたしかしないと頼るものの、透の意思はとても堅く、彼は縄を持って森へと向かう

透は自殺を試みるものの、そこにアオが現れて彼に言葉をかけた

それによって自殺は失敗に終わり、透は母親の元へと帰ることになった

 

テーマ:境界

裏テーマ:彷徨える魂

 


■ひとこと感想

 

謎の山奥で男女が出会うという内容で、その2人が無理心中を図ったカップルであることがわかります

映画はそこから展開していくものの、2人は記憶を無くした状態で再会するに至りました

佐渡の景色が綺麗で、かなり雰囲気系の寄せている内容になっていました

 

佐渡島の鉱山がどんな場所かを知っていることが前提で、廃墟となった今では、そこは施設のようになっています

そして、そこで働いている人は「実は」という感じになっていて、その世界でどう過ごすかが描かれていきました

 

いわゆる死んだ人が魂となって再会したというもので、記憶を無くしているはずなのに強く惹かれ合う様子が描かれていました

アート系っぽさがあるので、万人受けはしませんが、そこは「来てはいけない場所」ということになるのでしょう

ある意味、そこに来てしまう人には何らかの事情があるので、そこで留まらない人生を探そうというメッセージがあるように思えました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

小松菜奈と松田龍平のダブル主演で、音楽が野田洋次郎なのに、なぜかひっそりとミニシアターで上映されていましたね

パンフレットもなく、監督の解説などが必要な映画ではありますが、自己解釈を色んな記事を読みながら埋めていくしか内容に思います

 

登場人物は少なく、彼らには単色の色の名前が付けられるのですが、そこに深い意味があるのかはわかりません

でも、生前に三角関係に近い人たちが「ミドリ、アオ、ムラサキ」という同系統になっているのは意図的なんだと思います

 

映画では、後半でバイクに乗って事故るシーンがあるのですが、トンネルに突入する前には二人ともフルフェイスのヘルメットを被っていたのに、倒れた時にはどこかに行っていましたね

それにどれだけの意味があるのはわからないのですが、冒頭と後半で二度身投げのシーンがあるので、そちらの方が「死因」としては正しいのかな、と感じました

 


あの場所は何だったのか?

 

わかりやすく言えば「生と死の世界のはざま」で、自殺をしたためにそこに流されたというものだと思います

冒頭で、若い男女が「生まれ変わったら、今度こそ一緒になろう」と言って、高台から飛び降りるところから始まります

その後、そこがかつて炭鉱だったことがわかり(観光客がゾロゾロ出てくる)、その施設内のどこかで、女性が倒れているところが発見されていました

発見したのが清掃員のキイという人物で、彼女は島のどこかにある自宅へと彼女を招くことになっていました

 

記憶を失くしているとのことで、その回復を待つ間に施設で働くことになるのですが、そこで再会(二人ともに記憶がないので初対面だと思っている)するのですが、元々恋人同士だったために惹かれあっていくことになります

二人が心中を図った理由などはわからないのですが、彼らのセリフからすれば「道ならぬ恋」だったのかもしれません

来世で恋人になろうというのは実現不可能なもので、それを証明することはできません

ある意味、死ぬ前の自己満足のようなもので、それを否定する場所があの空間であるように思います

 

明確な定義こそされませんが、佐渡島の歴史を考えると「自殺は罪人」という扱いになるのでしょう

そこで「49日」経ったらどこに行くかが決まることになるのですが、それで転生して、現世でもう一度会えるかどうかは難しいように思います

自殺に限らず、死んだ後にどこに行くかの裁判のようなものが49日目に行われるのですが、それは生前の罪によって決まるとされています

自殺に関しては有無を言わさずという感じなのですが、現世の記憶が裁判の時点で消えているということは、「裁かれることもない」という意味にも思えます

なので、いわゆる流刑地のようなもので、誰か後任が来るまでは、そこから出られないのかなと思いました

 


自殺をしたことで失くすもの

 

基本的には肯定されない行為とされる自殺ですが、それに囚われた人間からすれば、後のことは知らないものだと言えます

いろんなことを考えた末に決意をする場合もあれば、ふと心に落ちてきた衝動によって行為に及ぶ場合もあります

自殺をしても良いことはないとか、生きてこそという考えはありますが、そこに至ってしまった人に対しては、生とか執着に関するものを訴えても意味がないと思います

 

何かしらの問題を抱えてきて、それをうまく交わし続けられる人もいれば、交わせずに正面から受け止めてしまう人もいます

問題に対する抵抗をなくした場合もあれば、抵抗そのものを失くしてしまう人もいて、その要因は一言では片付けられません

自殺の衝動というのは、その手段があることを知ると起こるもので、その情報がどのように伝わるかというのが問題のように思えます

また、その情報をどのように受け止めるかで変わる部分もあって、例えば「自殺をしたら周りの人が苦しむ」という報道を目にした時、それで「それは困るな」と思う人もいれば、「それなら意味がある」と思い込む人もいるのですね

 

そこに行き着く要因はそれぞれありますが、結果的に「何らかの決意表明」である場合が多く、それは対外的なものに向けてのものだと考えられます

病院勤務なので、稀に入院患者の自殺に遭遇しますが、ひっそりとトイレで首を吊る人もいれば、窓から身投げをするように衆目に向かって首を吊る人もいます

内面にたどり着くことはできませんが、状況から推察されることはあると思うので、そのメッセージを受け取る人がいる、というのは確かなことだと思います

 

とは言え、その目論見が達成されても、受け手の人生は続いていく訳で、起点として連鎖する場合もあれば、メッセージがスルーされたり、曲解されたりして風化する場合もあります

日常というものは恐ろしいもので、喪失を組み込んで、いつの間にか走り出してしまうものなのですね

よほど、その行為のメッセージが強く、それが受け手を攻撃した場合はわかりませんが、それ以外の場合は日常の中に消えてしまうものだと思います

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作のタイトルは『わたくしどもは。』というもので、これには意図的なメッセージが隠されていると考えられます

発信者は「あの世界に行った人」であり、行為(自殺)に対する何かしらの意思表明のように思えます

この言葉に続くものが何なのかはわかりませんが、行為を後悔していないようなニュアンスに思えるのですね

結果として、流刑地に送られて、審判を待つ身であるとは言え、その行為自体を間違ったものとは捉えれていないように感じられます

 

でも、あの世界の住人は「他人が自殺しようとしたら止める」という不思議な構造になっていて、自身の行為を正当化しているのに、他人がその行為を及ぶと否定的になるのですね

これが本作の不思議なところであり、メッセージ性になっているのだと考えられます

行き着いた先が間違っていないと思っているけど、でも誰もがそこにたどり着いて良いわけじゃない

そこには問題の大きさが影響を及ぼす(少年の場合はいじめ問題)と感じている部分があって、少年の理由ではダメだよ、と言っているように思います

 

これらの心理を踏まえると、冒頭の男と女が自殺を選んだ理由というのが何となく読めてくるように思います

それは、冒頭の彼女の言葉にあるように、今世では結ばれない運命だったということを自覚して、その期待を来世に繋ごうと考えていたのでしょう

残りの人生を賭けても、その願いは叶わないという答えに行き着き、その行為(自殺)を周知させる意味合いがあったのだと考えられます

恋愛関係あるいは結婚関係が問題の根底にあるので、その関係を認めなかった人及び運命に対して、最後のカードを切ったのかな、と感じました

 

それでも、行為の果てにある世界は、それを一旦忘却の彼方に置き去りにしてしまいます

そこでも惹かれ合うというのは、魂レベルの結びつきを示しているのだと言えます

現実世界が否定し、引き裂こうとしたものが、境界線でも生き続いていることを示唆していますが、それは生物としての享受にはほど遠いのですね

それを考えると、とても複雑な気分になるなあと思ってしまいました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/100298/review/03890095/

 

公式HP:

https://watakushidomowa.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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