■最後まで亡霊の影に隠れていた、したたかな理知への反抗
Contents
■オススメ度
名探偵ポアロなら取り敢えず観る人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.9.15(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
原題:A Haunting in Venice(ベネチアの亡霊)
情報:2023年、アメリカ、103分、G
ジャンル:霊的要因と思われる殺人事件に挑む探偵を描いたミステリー映画
監督:ケネス・ブラナー
脚本:マイケル・グリーン
原作:アガサ・クリスティ『ハロウィン・パーティー(1969年)』
キャスト:
ケネス・ブラナー/Kenneth Branagh(エルキュール・ポアロ:ベネチアで静養する元探偵)
ケリー・ライリー/Kelly Reilly(ロウィーナ・ドレイク:降霊術を依頼する屋敷の女主人)
Rowan Robinson(アリシア・ドレイク:ロウィーナの娘)
(幼少期:Esther Rae Tillotson)
カミーユ・コッタン/Camille Cottin(オルガ・セミノフ:ドレイク家の家政婦)
ジェイミー・ドーナン/Jamie Dornan(レスリー・フェリエ:アリシアの主治医)
ジュード・ヒル/Jude Hill(レオポルド・フェリエ:レスリーの息子)
ティナ・フェイTina Fey(アリアドネ・オリヴァー:ポアロを降霊術に連れてくるミステリー作家の友人)
リッカルド・スママルチョ/Riccardo Scamarcio(ヴィターレ・ポルトフォリオ:ポアロの親友、元警部)
カイル・アレン/Kyle Allen(マキシム・ジェラール:降霊術に招かれるシェフ、アリシアの元婚約者)
ミシェル・ヨー/Michelle Yeoh(ジョイス・レイノルズ:招かれる降霊術師)
アリ・カーン/Ali Khan(ニコラス・ホランド:レイノルズの助手)
エマ・レアード/Emma Laird(デズデーモナ・ホランド:ニコラスの姉)
Dylan Corbett-Bader(パン屋)
Amir El-Masry(アレッサンドロ・ランゴ:ポアロの依頼人)
Fernando Piloni(ヴィンセント・デ・ステファーノ:?)
Lorenzo Acquaviva(食料品屋の店主)
David Menkin(人形劇の語り手)
Yaw Nimako-Asamoah(ハロウィンに参加する子ども)
Clara Duczmal(ハロウィンに参加する子ども)
Stella Harris(ハロウィンに参加する子ども)
Emilio Villa-Muhammad(ハロウィンに参加する子ども)
Vanessa Ifediora(マリア・フェリシタス:修道院のシスター)
Winnie Soldi(警察署長)
Richard Price(ゴンドラの船頭)
■映画の舞台
イタリア:ベネチア
ロケ地:
イタリア:ベネチア
■簡単なあらすじ
探偵を引退し、ベネチアで静養していたポアロはだったが、彼の事件解決能力を聞きつけて、多くの人が訪れていた
ポアロは来客は1日2名までと決めていて、彼らの相手をすることはなかった
ある日、一人目の客である友人ヴィターレと食事をしていたところに、二人目の客としてミステリー作家のアリアドニがやってきた
彼女は本物の降霊術を見たと言い、半ば強引に彼をその場に連れていった
屋敷には、数年前に娘を亡くした母ロウィーナが孤児院の子どもたちを招いてパーティーをしていて、その後に降霊術が行われるという
術師のレイノルズ夫人は助手を二人従えて来館し、そして亡くなった娘アリシアの部屋で降霊術を始める
だが、ポアロはそれがフェイクであることを見抜いてしまう
降霊術は中止となったが、突如レイノルズは何かに取り憑かれたように、窓から飛び降りて自殺をしてしまう
参加者は霊の仕業だと恐れ慄くものの、ポアロは霊など信じておらず、何かしらのカラクリがあるはずだと捜査を開始することになったのである
テーマ:悲しみの連鎖
裏テーマ:看過する賢者
■ひとこと感想
アガサ・クリスティによる原作本は読んだことがなく、これまでの映像化なども未鑑賞という状況で鑑賞することになりました
いつの間にか引退していたポアロが、殺人事件が起きた途端に撤回するという流れで、非現実的に思える殺人事件に挑む様子が描かれていました
ポアロのシリーズを知らなくても分かりますが、久々に見たのでヴィターレが誰かわからずに困惑してしまいましたね
アリアドニとの絡みもシリーズの醍醐味のような感じに演出されていたので、せめてケネス・ブラナー版の2作は観ておいた方が良いのかもしれません
映画は、降霊術のトリックと同じように殺人事件を現実的な側面から推理するという流れになっています
個人的には「犯人よりも黒幕が先にわかる」という感じになっていて、状況を利用する何者の目的は何なのかをずっと考えていました
何となくではありますが、その人物には本当の力とか、会話できる術というものを持っていたのかな、と思わされますね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作は、ネタバレはなしの方が良い作品で、ちょっぴりホラーテイストのある物語を堪能できればOKなのかなと思います
アリシアがいきなり背後に現れるシーンはマジでビビりましたし、ミステリーじゃなくてホラー映画なのかなと感じていました
黒幕が先にわかった件ですが、エドガー・アラン・ポーの小説を読んでいる少年との会話であるとか、ロウィーナがアリシアの部屋を避けて降霊術を行おうとしているなどから、この二人には何かあるんだろうなと思っていました
館には知られざる部屋がたくさんあり、わざわざ閉鎖空間を作り出していくロウィーナを観ていくと、その行動の不自然さというものが際立っています
父レスリーのカルテを観て毒物系とわかる智力は相当だと思いますが、この毒物系の流れも屋上庭園の不自然さとか、蜂蜜の効能あたりの会話から察することができます
結局のところ、ロウィーナの罪を暴く中で、その状況を支配していたのがレオポルドということになるのですが、彼自身の動機としては、ガチでアリシアが起点となっている感じに描かれています
霊的なものを否定するポアロですが、レオポルドが感じていたものを無視はできない感じになっていますね
でも、その流れも毒物使用による幻覚作用を熟知している彼による、一種の催眠のようにも思えてきます
■閉鎖空間ミステリーの面白さ
本作は、いわゆる「閉鎖空間ミステリー」となっていて、同じ空間に犯人がいるという状況になっています
緊張感があり、探偵の推理をリアルタイムで聞いているという構図になりますが、映像化すると途端に「場面がほとんど一緒」ということになってしまいます
舞台はいわくつきの屋敷ですが、基本的に建物の内装というのは統一されているものなので、どの部屋に行っても違いが分かりにくいというものがあります
居間、食堂、個室、浴室などの見分けはつきますが、人物がクローズアップされている場面などでは、今どこにいるのかというのは分かりにくくなっているのですね
良質な閉鎖空間ものは、はじめに全体像を説明する意味も含めて、すべての部屋をあからさまにするというものがあります
この場合に使われるキャラが子どもで、その好奇心が様々な部屋を探索して観客に見せるのですね
そして、行ってはいけない場所というものを先に提示するかのように、子どもたちはそこに誘導されていきます
これらの映像によって、観客側は舞台設定となる屋敷の全体像を知ることになり、それを前提として「色んな場所で色んなことが起こる」という感じになっています
本作の場合は、それよりも優先していたのが人物紹介なのですが、「〜夫人」の連発になっていて、その紹介の仕方は「混乱させるため」のように思えてきます
よく見ると、服装も髪型も髪色も違うので差別化はされていますが、観客が登場人物を把握する前に物語が動いてしまうのが難点だったかなと思いました
閉鎖空間の中で、ビジュアルの差別化がされているとは言え、照明が暗くて判別しづらい部分があるので、目が疲れる映画だったように思えました
衣装も助手こそレッドで明るめですが、ロウィーナと家政婦が紫被りで金髪なので、この二人がごっちゃになった人がいたのではないかと思ってしまいます
■犯人を見つけるための作法
映画は、亡霊など信じないというポアロが、様々な奇怪な現象に遭遇するというもので、犯人がわざわざ亡霊に何かされたという風に演出していたことになります
レイノルズ夫人のショーを演出する意味はわかりますが、犯行自体も同じようになぞらえていく意味というのはあまり感じません
毒物による幻覚作用でそう見えるというよりは、閉鎖空間の中にできる密室での殺人というものが行われていて、毒に関しては、判断力を鈍らせるという効果になっていました
ポアロが亡霊を信じないことを知っていたのかは分かりませんが、錯乱させて霊的なものを演出しても、推理は理性的に行われるので、彼に関しては意味をなさないのですね
超常的なことが起きても、それをロジックで証明するというスタンスにいるので、霊的な演出は彼の推理力に火をつけるような感じになっていると言えます
ミステリー映画は、犯人が最初からわかっていて追い詰める系と、一緒に推理をしていく系があるのですが、本作の場合はどちらかと言えば後者になると言えます
ネタバレ上等で書いていきますが、本作のトリックは「ロウィーナが自分の娘を殺したことをごまかす」という体になっていて、それをレイノルズ夫人の招聘によって裏付けをしようと考えたのだと思います
そこにポアロが招かれたことが彼女の誤算になるのですが、ポアロよりも先に真実に辿り着いていた人物がいました
それが少年レオポルドで、彼の知性が高いことは全編で強調されていましたね
読んでいる小説で知的水準を示し、エドガー・アラン・ポーを登場させていて、彼が理論的で物事を捉えるタイプであることを示しています
引き合いに出された本を子どもじみたものと言い切ってしまうのですが、この一連の会話にてポアロは彼が何かを知っていると確信したようにも思えます
どこまで気づいたかは、この段階ではわからないのですが、彼はいく先々で人物の行動を補足する役割を担っていました
特に、精神的に不安定な父を宥めるという行動が目立ち、それは場を混乱させないためだと考えられていたのですが、実際には別の目的がありました
レオポルドは父がアリシアを診察していることを知っていて、しかもそのカルテを読めるという設定になっています
それによって、アリシア自身の精神的錯乱が毒物であることを看過していました
そして、今宵も同じような手口で目的を果たそうとする犯人に対して、父の精神的錯乱によって阻害させないという方法に行き着きます
それによって、父を宥める良き息子を演じながら、誰が何を行うかを見ていたことになります
レオポルドの目線では、アリシアの治療の現場にいた人物以外には犯人はいないので、必然的に母ロウィーナ、主治医レスリー、家政婦オルガ、婚約者マキシムに絞られています
この中で、レスリーはカルテに真実を記載しているので除外できるとなると、アリシアの死に関して嘘を言っている人物は限られてしまいます
その場にいないマキシムは必然的に除外になるので、ロウィーナかオルガになるのですが、この二択はあってないようなものだと思います
そして、近くにいて冷静な目を持つレオポルドを観察することによって、ポアロも犯人へと近づいていきます
本作は、母ロウィーナが毒物を使って娘を錯乱状態にして婚約を解消させるという目的があって、それに近づこうとした者を始末するという流れを汲んでいるのですが、推理物としては「犯人候補が少なすぎる」ので微妙な感じになっています
レイノルズが死んだ後にポアロがみんなの話を聞きにいくのですが、レオポルド自身も「僕には聞かないの?」と言っていましたね
大体の人は、この時点でレオポルドの怪しさというものが見えてくると思うので、ヒントとして提示しすぎではないかな、と思ってしまいました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、古典の再映画化ということになっていて、数多ある作品の中から候補をピックアップしています
主演が監督をしているパターンなので、旧来からポアロを演じたかったんだろうなあということは推測されていて、主人公をかっこよく撮ってもOKのジャンルを選んでいるところはうまいなあと思ってしまいます
主演=監督の映画はたくさんあるのですが、自分をよく見せようとして過剰に出る機会を作ったり、改変をして台無しにすることもあります
でも、本作は監督だけに専念して脚本家は別の人が担当しているので、それゆえにバランスが取れているのかなと感じました
最終的にポアロは事件を解決しますが、人が死んでいるためにスッキリした終わり方にならないのは常だと言えます
そんな中でも本作の終わり方は特徴的で、ポアロとレオポルド以外には真相を知らないという流れになっているのですね
レオポルドが脅迫状を出したことで被害が増えているのですが、その意図は恐ろしい心理で構築されていることがわかります
彼はずっと父親を支える役割を担ってきましたが、それが全て嘘だったということなのですね
父が犠牲になったことでレオポルドは孤児になってしまいますが、そこで家政婦のオルガが面倒を見ることになっていて、レオポルドの自由度というものが格段に上がることになっています
これら全てを意図していたわけではありませんが、大人たちの暗躍を利用して目的を遂行していたわけで、それを見逃しつつもレオポルドの自由を少しだけ奪うという顛末になっていました
このあたりの判断がポアロのレオポルドに対する「悪者は自由にはならない」というところに繋がっていて、レオポルドの暗躍をこの場面で暴露する意味がないことを悟っていました
なので、レオポルドだけにわかるように、あなたの行動はお見通しですよという警告も含めて、縛りを与えたのかなと感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP:
https://www.20thcenturystudios.jp/movies/poirot-movie3