■母性の濃度の違いを、女性はTPOで使い分けていると思う
Contents
■オススメ度
母と娘の関係性について考えたい人(★★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.11.23(MOVIX京都)
■映画情報
情報:2022年、日本、116分、G
ジャンル:母と娘の歪な関係を描いたヒューマンドラマ
監督:廣木隆一
脚本:堀泉杏
原作:湊かなえ『母性(2012年、新潮社)』
キャスト:
戸田恵梨香(露木ルミ子/田所ルミ子:自分の母を愛し、母に褒められたい母親)
永野芽郁(田所清佳:母親から愛されていないと思う娘)
(幼少期:落井実結子)
三浦誠己(田所哲史:ルミ子の夫、清佳の父)
山下リオ(律子:哲史の妹)
高畑淳子(哲史の母、ルミ子の義母)
加藤満(哲史の父、ルミ子の義父)
大地真央(露木華恵:ルミ子の実母)
中村ゆり(佐々木仁美:哲史の高校時代の同級生、ルミ子の親友)
深水元基(黒岩克利:律子の彼氏)
吹越満(神父)
高橋侃(中谷亨:清佳の高校時代の彼氏)
山本愛香(マコ:清佳の高校時代のクラスメイト)
淵上泰史(清佳の同僚教師、国語)
さとうほなみ(清佳の同僚教師)
■映画の舞台
日本のどこかの地方都市
ロケ地:
兵庫県:神戸市
六甲アイランドリバーモール
https://maps.app.goo.gl/mc5pCTbwaEU99Uvd8?g_st=ic
群馬県:桐生市
cafe restaurant NILS
https://maps.app.goo.gl/psonY1pUybFpp51s5?g_st=ic
東京都:渋谷区
富士見丘中学高等学校
https://maps.app.goo.gl/u3YTKDtoR3d6zadk9?g_st=ic
千葉県:銚子市
一山 いけす
https://maps.app.goo.gl/u7tGBd8bmetGANAPA?g_st=ic
■簡単なあらすじ
上品な家庭に育ったルミ子は、母に可愛がられ、その寵愛を一身に受けてきた
ルミ子は母が喜ぶことなら何でも率先して行い、それが縁で夫・哲史とも出会っていた
それから愛娘の清佳を授かったルミ子は、躾を施し、清佳は礼儀正しい娘へと育っていく
ある台風の夜、ルミ子たちの住む家に倒木が起こり、その清佳と母は木の下敷きになってしまう
蝋燭が部屋に燃え移り、火の手が迫ってくる中、寝室に取り残された母と娘に手を伸ばす
その記憶は、ルミ子と清佳で大きな違いになっていて、その後、義母の家に移り住んだ二人には大きな試練が待っていた
義母はルミ子にきつく当たり、夫は何も口出さない
仕事に精を出して不在がちになった夫をよそに、ルミ子は懸命に義母の仕打ちに耐えていく
そして、清佳はそんな母を見て耐えきれずに口出しをしてしまう
だが、その清佳の口出しはルミ子をさらに追い詰めていくのである
テーマ:母と娘の関係性
裏テーマ:母性の正体
■ひとこと感想
湊かなえさんの「小説家やめていい」宣伝が記憶に新しい作品ですが、パンフレットの作者の言葉を読むとその意味がわかります
映画は「母性とは何か」ということを現在軸から回想する流れになっていて、「母の真実」「娘の真実」「母と娘の真実」という章立てになっていました
この中で、「母の真実」と「娘の真実」はある事件に至るまでの過程において、捉え方の違いが如実に表れています
本作はルミ子以外のキャラクターの名前がほとんど出てこない作品で、「お母さん」「義母」などのように「普通名詞」で呼ばれていましたね
清佳の名前も最後まで出てこず、おそらくは「誰にでも当てはまる」という普遍性を訴えたかったのではないでしょうか
母性に関する作者なりの結論があって、それが議論の下地になりそうな予感はあります
何分、女性特有の悩みでもあるので、男性ウケはなかなか厳しいでしょうし、論理的な議論を配偶者としてもあまり意味はないかもしれません
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
母性とは何か、という点で清佳なりの結論があって、それを同僚教師と話している場面がありました
清佳の現在軸で夫が姿を表さないという謎の流れになっていて、その子ども本当に夫(亨くん)との子どもですよね?と疑ってしまいます
とは言え、描かれている内容を家族に話してもこじれそうですし、ある女子高生の自殺を機に教師同士が話しているという点ではアリなのかなと思います
でも、この回想録を同僚に話しているとしたら、結構ヘビーな話ですよね
なので、ほとんどは脳内回想録だったのかなあと思ってしまいました
母性が先天的か後天的かというのは難しい議論ではありますが、個人的には先天的でそれが育つかどうかは個人次第かなと考えています
反射的に子どもを庇う母親の動きは本能的なものを感じますし、でも母親になった瞬間に社会的立ち位置が増えてバランスが崩れていくものなので、母性が上手に育つかは別問題のような気がします
■母性とは何か?
辞書などによると、「母性とは、女性特有の子どもを生み育てる資質」のことを意味します
妊娠、出産、育児という機能を果たす女性のことを意味し、それらの行動を「母性行動」と定義されています
具体的に言えば、妊娠の最中に胎児を無事に出産するために日頃の生活を改めるとか、出産を自己の生命より優先させるとか、無事に成長を果たすために必要とされる労力を厭わない、などが挙げられると思います
火災現場で「あなたが助けるのは私ではなく、この子よ」とルミ子の母がいうのはこの特性に起因していると言えます
映画では、母性の正体を描いているというよりは、母性の資質の有無を問うているように思えます
ルミ子の行動には「母性があるのか」などのような漠然としたもので、そのルミ子の正常性や異常性を、他の母親の有する母性と対比させていると言えるのではないでしょうか
ルミ子は「自分が母親(義母も含む)に娘として愛されること」を優先します
ルミ子の母は「自分が犠牲になっても、自分の命が受け継がれていく喜び」を優先します
哲史の母は「娘が自分の思うような母親になること」を優先し、それにそぐわない者への当たりが極端にキツイと言えます
この三者の娘への対応というものを日本の母性の代表格として登場させていて、それゆえに「観る側の母親がどんな母親だったのか」によって、感じ方が違うのではないでしょうか
母として当たり前のことをするという概念で育った子どもは、ルミ子の母の献身を支持し、哲史の母の暴挙を肯定できます
まだ娘ポジションにいる女性からすれば、この二人の母性は真逆に見えたりします
おそらくは、ルミ子の母の無償を支持し、哲史の母の暴挙を否定もしくは嫌悪するのかなと思ってしまいます
私個人は男性ですが、母性の定義は分かりますし、母親にあったかなかったかというのは判別できます
でも、その判別が正しいのかは何とも言えない部分があります
女性は言葉で定義できるほど簡略化されたものではなく、個別の背景、教育、環境によって、さまざまな反応を見せるものなので、概念といて大別できても、それを個々のケースに重ねるのは暴論であると感じています
個人的には父親(男性)にも母性的なものはあると思いますが、それはあくまでも主体(女性)を保護するとか、助力するという領域を超えてはこないと思います
でも、それがないと母親と子どもを守ることはできないので、第三者的だとしても、母性に対する自分なりの定義をしておくべきだと思います
そして、それらは家庭を築く上での価値観の基礎になると思うので、その共有は必須項目であると言えるのではないでしょうか
■母と娘の関係性について
私個人は母でも娘でもないので大それたことは言えませんが、男性から見るとこんなに不思議な関係性はないと思います
特に「成人しても母親と手を繋ぐ」という行為が理解できなくて、母娘関係から友人関係になっている母娘がいると錯覚してしまうくらいです
実際にどう思っているのかは聞きようがなく、ネットで転がっている知識を眺めながら、「ふ〜ん」と頷くしかないように思ってしまいます
個人的な周囲だと、「母と妹」「妻と義母」「妻の妹と義母」という3つの「母娘」の関係を知っていますが、似て非なるものという感覚が強いですね
「母と妹」は「強い母性VSなにそれ美味しいの」ですし、「妻と義母」は「弱めの母性&弱めの母性」ですし、「妻の妹と義母」は「強めの母性&強めの母性」のように思えます
同じ義母も「妻と妻の妹」との関係性においては、母性的なものの強弱があるように感じていますが、これはあくまでも第三者的な視点ではそう見える(表面上)というものにしか過ぎません
「母と妹」は敵対関係ですが、これは「母と娘の関係性」が原因ではなく、「母と弟」の関係性に対して、妹が「ないわ〜」みたいな感じになっているのでそう見えているということだと言えます
一方の義母と妻&妻の妹の関係は友好的で、手こそ繋ぎませんが友人関係に近い印象を持ちます
これはそれぞれの母性感が確立していて、お互いの価値観を尊重している風に見えるので、衝突が起こっていない状態である、と言えるのかもしれません
とは言え、本心は本人にしかわからないので、そこに割って入るのは地雷を踏む行為だと思うので、ほどほどにしておきましょうと付け加えておきます
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は女性目線の原作を女性目線で脚本になって、男性目線で映画化されるという構造になっています
これによってバランスが取れているのか分かりませんが、男性の描写が思った以上に容赦ないなあという印象を持ちました
男性視点でこの手の問題に対して価値観を全面に出すと火傷するのは明白なので、女性描写に関しては脚本及び原作のテイストを慎重に描いていると思います
一方で、唯一登場する哲史に関しては、「クズ中のクズ」という感じで配慮なき諸悪の根源という描かれ方がなされていました
元々、ルミ子が苦しんでいるのは哲史のせいであると思うのですね
いわゆるマザコンで何も言えず、妻を守ろうとしない夫なので、彼なりの言い訳があっても、男性目線だと「お前がしっかりすれば防げた」と言わざるを得ません
そのマインドが監督にもあるからなのか、原作者が「母性というテーマを使って、男のだらしなさを糾弾している」のかは分かりません
でも、哲史がこの世からいなくてこの状況になっているのならやむを得ないのですが、問題が起こっているのに逃げて都合の良い女と暮らしているというのはあり得ないでしょう
哲史からすれば、狂った愛を持つ三人を受け止められないということなんだと思いますが、同性目線だと「それでも男か」と言いたくなってしまいます
映画のラストでは、女性は「母と娘の二種類に分かれる」と言いますが、実際にはそんなに分かりやすく二分はされないのかなと感じました
それは、ある人物は様々な構成要素によって成り立ち、純度100%の構成はあり得ないと感じるからです
相手、場所、タイミングなどで「構成要素の濃度は変わる」と思うので、同じ人間の母性の表層化には段階があると思います
また、その場において、自分がどう見られたいかというのが多分に影響するのだと思います
映画で描かれる二択は、プライベートで接する際の母と娘の関係性に特化した質問になると思うのですが、濃度が変わることを知っている清佳としては答えようがないのかなと思いました
夫もしくは男性が見ている女性の母性というのは、自分に対してその女性が見せている母性の濃度であると思うので、清佳が同僚教師に見せる母性感と夫・亨に見せている母性感は違います
また、彼女が同僚の女性教師に見せている母性感というものも違うのではないでしょうか
このあたりの真相も心の中に秘められているものなので看過はできませんが、そうかもしれないねえ〜ぐらいでわかった気になって、口外しないというのが正しい選択なのかもしれませんね
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/379944/review/3cbbf78c-046c-4f91-a4eb-366d4a73d494/
公式HP:
https://wwws.warnerbros.co.jp/bosei/index.html