■弟と姉と言う序列には、どんな意味が隠されていたのだろうか
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■オススメ度
絶縁状態の家族の物語に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.9.21(京都シネマ)
■映画情報
原題:Frère et soeur(弟と姉)、英題:Brother & Sister(弟と姉)
情報:2022年、フランス、110分、PG12
ジャンル:絶縁状態の姉と弟の再会を描くヒューマンドラマ
監督:アルノー・デプレシャン
脚本:アルノー・デプレシャン&ジュリー・ペール
キャスト:
マリオン・コティヤール/Marion Cotillard(アリス:舞台女優の姉)
(幼少期:Louise Dupuydt Lutz)
メルビル・プボー/Melvil Poupaud(ルイ・ヴュイヤール:アリスの弟、詩人)
(幼少期:Dante Six Bonamour)
ゴルシフテ・ファラハニ/Golshifteh Farahani(フォニア・ヴュイヤール:ルイの妻、教師、ユダヤ教徒)
登場なし(ジャコブ:6歳で亡くなったルイとフォニアの息子)
ジュエル・キュドネック/Joël Cudennec(アベル・ヴュイヤール:アリスの父)
(若年期:Jeremy Zylberberg)
ニコレット・ピシュラル/Nicolette Picheral(マリー=ルイーズ・ヴュイヤール:アリスの母)
Cécile Benredouane(マリー=ルイーズの主治医)
パトリック・ティムシット/Patrick Timsit(ズウィ:ルイの親友、精神科医)
Francis Leplay(アンドレ・ボルクマン:アリスの夫、演出家、ルイの旧友)
マックス・ベセット・ドゥ・マルグレーブ/Max Baissette de Malglaive(ジョセフ:アリスの長男)
バンジャマン・シクスー/Benjamin Siksou(フィデル:アリスの弟、次男)
(幼少期:Nino Ferlay)
アレクサンドル・パブロフ/Alexandre Pavloff(シモン:フィデルのパートナー)
コスミア・ストラタン/Cosmina Stratan(ルチア:アリスに憧れを抱くルーマニア人のファン)
クレマン・エルジュ=レジェ/Clément Hervieu-Léger(ピエール:舞台のプロデューサー)
Sipan Mouradian(クリスティン:舞台監督)
Claire Duburg(事故を起こす若いドライバー)
Jonathan Mallard(ジャーナリスト)
Salif Cissé(薬剤師)
Jean Teixera(火葬場の従業員)
Gilbert Gilles(スタッドファームのオーナー)
■映画の舞台
フランス:ノール県
リール&ルーベ
ベナン:アモベイ/Amobey
https://maps.app.goo.gl/1Tcv6qQxocgKnPFf7?g_st=ic
ロケ地:
フランス:アリエージュ県
セイ/Seix
https://maps.app.goo.gl/kH3gE9d8FCc2jkTx6?g_st=ic
フランス:ノール県
ルーベ/Riubaix
https://maps.app.goo.gl/EZZDFhLf32jpHRMd9?g_st=ic
フランス:ノール県
リール/Lille
https://maps.app.goo.gl/JGWNaK8kU2j6c6XJ7?g_st=ic
■簡単なあらすじ
フランスのリーベ地方に住んでいる舞台俳優のアリストその弟で詩人のルイは、18年間まともに向き合ったことがないほどに嫌い合っていた
息子ジャコブと一度も会わなかったことを根に持っているルイは、息子の葬式に訪れたアリスとその夫ベルグマンを追い返してしまう
それから5年後のある日、二人の両親は出先で事故車に遭遇し、ドライバーを助けようとする際に、後続のトラックに轢かれてしまう
母マリー=ルイーズは意識不明の重体で、父アベルも満身創痍の状況だった
事故を聞きつけたアリスとルイだったが、病院でも顔を合わせることを拒み、すれ違いのまま過ごしていく
父はアリスに「憎しみに囚われすぎている」と諭すものの、アリスの中で言語化できない憎しみは肥大化していて、ルイとまともに向き合うことができなかったのである
テーマ:確執と年輪
裏テーマ:感情の単純化
■ひとこと感想
姉と弟がいがみ合っているという情報だけを入れて鑑賞
その理由は何なのかを探りながら鑑賞していましたが、それっぽいことはあっても、明確なものはなかったように思います
ある日突然「嫌いになった」のですが、その言語化が進まないまま、感情だけが明確になっていて、それが残っていましたね
そして、その感情への正常化バイアスがかかることによって、さらに原因がわからなくっているように描かれていました
後半にシナゴーグに来たルイが心当たりに気づくのですが、その後に訪れるシーンはそれを確かめようとしていたのかなと思いました
とは言え、明確な正解がある感じではないのですが、憎むまで到達する感情というのは、一つのことが原因ではないのかなと思いました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画では、見ただけで気絶をするぐらいに嫌っていて、倒れた姉を介抱することもなくルイは去ってしまいます
ルイは「ジャコブに会わなかったこと」を根に持っていますが、原因はさらに昔に遡ってあるように思えます
シナゴーグでは「近親者の裸を暴くな」というセリフが登場し、この言葉を受けて、ルイの心の中に「あること」が浮かんでいるのだと推測できます
それが正解なのかは分かりませんが、その後屋上の騒動の後に「姉の前で全裸になる」というシーンがあったので、それに近しいことが過去にあったように仄めかされています
シナゴーグの言葉を受けての行動ですが、自分を温めようと裸で抱きつくというのは、いくら仲の良い姉弟でも異常な感じに思えますね
これだけの憎しみがあるということは、それと同等の愛情があったと思うのですが、それは許されざるものだったのかもしれません
■答えづらい理由について
映画の中の翻訳では「答えづらい」となっているルイの言葉ですが、これは妻フォリアから「姉との仲違いの理由を聞かれた時の返答」になっています
鑑賞当時も「奥歯にモノが挟まったような言い方」になっていましたが、この返答からすれば「ルイには思い当たる節がある」ということになります
それでも、ルイの心当たりがアリスの憎しみに変わる理由がわかっていないので、実際には理解できているとは言えないと思います
パンフレットには解説があって、あの会話の原文を直訳すると「質問に答えることが倫理的なのかわからない」というもので、それを「答えづらい」と翻訳されているとのことでした
会話をよく聞くと「モラル」という単語はわかるので、「なんでモラルが答えづらいになっているのかな」と漠然としたものを感じていました
本当にわからなければ「わからない」で済む会話ですが、ルイの中には「心当たり」があり、それが道徳的にOKなことなのかどうかわからないという感じになっていました
ルイの妻フィリアはユダヤ教徒で、ルイの友人ズヴィもユダヤ教徒でした
シナゴーグでの言葉がルイにはわからなかったのですが、ズヴィの訳した言葉に反応するルイをわざわざ描いていたのには意味があると思います
感覚的には、アリスとルイの間には近親相姦もしくはそれに近い関係性があったのだと推測されます
アリスが自分の感情をルイに伝えた後、屋上での騒動があって、風邪を引いたルイが裸で抱きつくというシーンがありました
このシーンはそれを示唆していると思われるます
アリスがルイに嫌悪感を抱き始めたのは、ルイが成功してからでしたが、これは「ルイの詩集」が原因であると推測されます
新刊の帯にアリスが登場したことを激怒していましたが、当初は知名度の高い自分の名前を利用していたのだと思っていましたが、どうやら中身の方と結びつけられるのを嫌悪したのかな、と考えています
最終的にアリスは、夫を残してベナンに向かうのですが、その時に語られるモノローグが印象的でしたね
エミリー・ディキンソン(Emily Dickinson)の「嵐の夜に(Wild Nights – Wild Nights!)」という詩ではありますが、その内容を知れば、彼女の内面が伺えるのではないかと思います
翻訳はGoogleさんを使用して、筆者によって行われています
間違ってたら、ご容赦くださいまし
■レビ記 第18章について
レビ記(ויקרא)とは、「旧約聖書の一書」で、モーセ五書の内の3番目に置かれてきました
1章から27章まであり、18章は「厭うべき性関係に関する規定」のことが書かれてあります
18章は1節から30節まであり、映画で登場していたのは、7節から18節ぐらいまでの間だと思われます
そこに書かれているのは、「近親相関を禁ずるもの」で、「あなたの母を犯してはならない」から始まり、妻、姉妹などへと波及していきます
映画内では、「あなたの姉妹の裸を暴いてはならない」と言うふうに翻訳されていました
この会話が成されていたのはシナゴーグと呼ばれる、ユダヤ教徒の集会所であり、友人ズヴィと訪れた場所になっていました
旧約聖書を読んだりする場所で、そこに招かれたルイは「言われている言葉が分からずに」ズヴィに聞いていたので、彼は敬虔なユダヤ教徒ではないと言うことがわかります
ルイの妻フォニアはユダヤ教徒なので、ルイが改宗していれば結婚が可能となりますが、フォニアがそこまで強くは求めていないのかも知れません
もしくは、ルイもユダヤ教徒の家系だけど、そこまで熱心ではないと言うことなのかも知れません
映画でレビ記のこの項目を強調する意味は一つしかないと思います
「近親者の裸を暴いてはならない」は言葉をそのまま受け取ることも可能ですが、裸=心と置き換えることもできます
隠しているものを暴露すると言う意味合いになると思うのですが、それをルイの詩集に当てはめると、なんとなく意味が通じてくるように思えます
おそらくルイの詩集にはアリスとのこと、もしくはアリスのことを書いていたと思われ、それを世間に暴露されることを嫌悪していたのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画では、明確な「仲違いの理由」と言うものは示されず、それは意図的なものとなっています
何かしらの感情が芽生えた時、それを明瞭に言語化できる方が稀で、その感情だけが一人歩きすると言うことは起こり得ることだからです
そして、言語化できないものも、本当にできないものとしたくないものに分かれていて、言語化することで「怒りが収まることを恐れる」と言う心理も働いてしまいます
アリスの中で芽生えた感情は、彼女がそれを何とかしたいと考えるものではなく、そのまま持ち続けたいものだったため、あえて言語化や理由探しをしなかったのかも知れません
両親の事故によって再開することになったのですが、それまでアリスはルイとその家族に会うことはしませんでした
もし、近親相姦的なものの暴露が理由だと感じているのなら、妻フォニアに会うことは避けたい出来事だったように思います
なので、ルイに会いたくないと言う感情を有しつつ、フォニアにも会いたくないと言うものがあったのかも知れません
フォニアは強烈な人物で、アリスたちの両親の埋葬に参列したのですが、みんなが花を手向けていたのに、彼女だけは石を何個か拾って、両親の棺に投げ入れていました
ここまで怒りを露わにすることもないと思うのですが、アリスへの当てつけとしても、やりすぎな感じは否めません
アリスは母の遺品であるネックレスを渡されますが、そこに入っていた写真はルイの亡き息子のジャコブのものでした
彼女はこの時初めて、自分が犯してきた罪のことを知り、そしてルイとの関係を修復する方向に向かいます
ラストでは、エミリー・ディキンソンの詩篇のモノローグと共にベナンを訪れる様子が描かれ、「私は生きている」と言うセリフで締められています
これは、感情を打ち消して自然な状態に帰ったと言うことなのですが、そこに夫ベルグマンがいないと言うのは意味があるのでしょう
その本心は語られることはありませんが、姉と弟の間にだけ存在する共有の秘密なのだと思わされます