■映画に内包された違和感に気づけるかどうかで、どのような視点を持てるかが決まるのかもしれません


■オススメ度

 

事件について興味がある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日2023.9.21(京都シネマ)


■映画情報

 

情報2023年、日本、136分、PG12

ジャンル:実在の事件をモチーフにした同調圧力と無学が生んだ悲劇を描く伝記映画

 

監督森達也

脚本佐伯俊道&井上淳一&荒井晴彦

 

キャスト:

井浦新(澤田智一:朝鮮で日本軍の蛮行を目撃した教師)

田中麗奈(澤田静子:智一の妻)

 

【福田村の住人】

東出昌大(田中倉蔵:船渡しの間男)

 

コムアイ(島村咲江:夫を亡くした妻)

大久保鷹(島村行定:咲江の夫の父)

岩崎聡子(島村フネ:行定の妻)

 

MIOKO(下条トミ:夫の帰りを待つ村人)

岡崎叶大(出稼ぎしているトミの夫)

 

辻しのぶ(矢島ツネ:女衆のリーダー)

内田流成(矢島正吾:ツネの息子)

 

土井郁己(川本:村役場の兵事係)

竹口範顕(巡査/駐在)

遊屋慎太郎(三浦:巡査部長)

 

豊原功補(田向龍一:福田村の村長)

神野舞姫(田向スエ:龍一の孫娘)

 

柄本明(井草貞次:愛馬を愛する老人)

松浦祐也(井草茂次:貞次の息子)

向里祐香(井草マス:茂次の妻)

 

水道橋博士(長谷川秀吉:福田村在郷軍会分会の会長)

樋尾麻衣子(長谷川稲子:秀吉の妻)

 

川本三吉(石原:在郷軍人会)

水上竜土(岩田:在郷軍人会)

佐藤五郎(大橋:在郷軍人会)

 

趙博(栗原:田中村在郷軍人会)

たなか和宏(鈴木:田中村在郷軍人会)

谷垣宏尚(鵜飼:田中村在郷軍人会)

 

【讃岐の薬売り】

永山瑛太(沼部新助:薬売りの行商団のリーダー)

ミズモトカナコ(沼部ユキノ:新助の妻)

萩原真示(沼部晴康:新助の息子)

尾上千紗(沼部き多江:新助の娘)

森将栄(池端喜之助:ユキノの弟)

 

コガケースケ(坂下彌市:生まれる子どもを心待ちにしている薬売りの青年)

さいとうなり(坂下イシ:彌市の妻、妊婦)

馬瀬真羽(坂下照松:彌市の息子)

 

高橋雄祐(西村厚:薬売りの青年)

伊藤歌歩(西村ソデ:厚の妻)

松原創士朗(西村則カズ:厚の息子)

 

浦山佳樹(高畑朝明:血気盛んな薬売りの青年)

金井美樹(高畑サダ:朝明の妻)

 

杉田雷麟(藤岡敬一:大八車を引く若者)

 

生駒星汰(谷前信義:薬売りの少年)

葉山さら(川島ミヨ:信義の想い人)

 

【その他】

木竜麻生(恩田楓:千葉日日新聞の記者)

ピエール瀧(砂田伸次朗:千葉日日新聞の部長、楓の上司)

朝井大智(香原大輔:カメラマン)

 

カトウシンスケ(平澤計七:逮捕される思想家)

佐藤果穂(平澤ヨシ:計七の妻)

 

碧木愛莉(朝鮮飴の売り子)

林家たこ蔵(ハッピ姿のデモ拡散男)

 


■映画の舞台

 

1923年、

日本:千葉県

葛飾郡福田村

 

ロケ地:

京都市:右京区

鳥居本八幡宮

https://maps.app.goo.gl/znsraf5cmJZdq3s47?g_st=ic

 

京都府:南丹市

魔気神社

https://maps.app.goo.gl/YPhXPSHv54y15xg78?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

1923年、讃岐から関東に向けて、薬売りの旅団が出発をした

新助を筆頭に行く先々で口八丁で売り歩き、9月に入った頃には関東圏に近づいていた

 

その頃、朝鮮半島から帰国した澤田智一とその妻・静子は、列車の中で同郷に向かう未亡人・咲江と出会う

咲江はシベリアにて夫を亡くしていたが、村は英霊だ何だと褒め称えていた

だが、夫のいない間に間男の倉蔵と関係を持っていた咲江は、帰って来なくて良かったなどと陰口を叩かれていた

 

村では、新・村長に智一の親友・田向が選ばれていたが、村では在郷軍人会が勢力を強めていて、思うような政策はできていない

そんな折、関東大震災が起こり、日本国中で「有事に際して朝鮮人が悪さをする」というデマが拡散され、各自治体では自警団を設置せよと内務省から通達が走るのであった

 

テーマ:同調圧力と自己肯定

裏テーマ:変わらぬ国民性

 


■ひとこと感想

 

事件自体は詳しくありませんが、概要を知って気にはなっていました

でも、最寄りのミニシアターで「混雑してます」のアナウンスがあり、ちょっと躊躇してしまいました

パンフレットも売り切れてるんじゃないかとオンラインショップを覗いても品切れで、メルカリでは3倍以上の値段がついていましたね

良くも悪くも注目作ということで、パンフレット入手できなくてもやむを得ないとのことで敢行してまいりました

 

パンフレットに関しては、さすが京都のミニシアターということで、10冊以上の残っていてラッキーでしたね

パンフというよりはほぼ本のような感じで、後半には決定稿のシナリオが載っていましたね

 

映画は、何というか「ひたすら重い」という感じになっていて、その時が来るまでを綿密に積み上げているという印象がありました

事が起こると一瞬というのがリアルで、何気ない小競り合いから悲劇に発展していくのですが、思わぬ人物の行動が起点になっていて、これには驚かされました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は、どこまでが史実なのか、という問題はあるものの、それを自分で調べるということが、映画の趣旨に沿うのかなと思います

このタイプの史実系を発信者の鵜呑みにするという行為そのものが、大本営発表を鵜呑みにして暴走した村民と同じレベルになってしまうので、ある事実への取っ掛かりとして存在すると考える方が良いと思います

 

物語はいくつかの視点で描かれていて、刻々とその時に近づいていく伏線を張っていきます

中でも、細かく描かれていたのは、そこにいる女性たちの生活で、男性よりも綿密に描かれていましたね

この描写バランスが伏線となっていて、口だけ男性陣の横をすり抜けていったような印象がありました

 

事件は100年ほど前のことで、エンドロール後に「被害者遺族も口を閉ざした」とあり、色んな理由で表に出て来なかった事件であると言えます

全く縁のない場所にいれば、おそらくこの事実を知ることもなかったでしょう

そう言った意味において、本作のような「小さくて大きくて深い事件」というものの映像化には意味があると感じました

 


福田村事件とは何か

 

福田村事件」とは、1923年9月6日に起こった事件で、関東大震災後の混乱期に社会不安の情勢が生じ、香川県から来た薬の行商団が、千葉県葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀にて、福田村及び田中村(現在の狛江市)の自警団によって暴行され、9人が殺害された事件のことを言います

自警団の数は約200人、15人の行商団のうち9人が死亡しています

 

行商団は1923年の3月に香川県を出発し、征露丸などの頭痛薬や風邪薬を売りながら、関西各地を巡って、8月に千葉県に入りました

9月1日の関東大震災直後に、千葉県にも緊急勅命による戒厳令の一部規定が適用され、官民一体となって、朝鮮人などを取り締まるために自警団が組織されるに至ります

生き残った被害者の証言によると、関東大震災発生から5日後に、三ツ堀の利根川沿いにて休憩していた行商団を興奮状態の自警団200人くらいが取り囲んだそうです

そこで、「言葉がおかしい」「朝鮮人ではないか」と言われ、福田村の村長は「日本人ではないか」と言っても群衆は聞かずに、駐在所の巡査が本署に問い合わせに行くことになりました

 

巡査と本署の部長が戻ってきた時には、すでに子ども3人を含めた9名が殺されていて、その遺体は利根川に流されていました

本署の警察部長が説得し、6人の行商団が生き残ることになりました

被害者は被差別部落出身の10名で、1人は体内にいた胎児とされています

加害者は福田村の自警団4名と、隣接する田中村の自警団4名の合計8人が検挙されました

 

判決は、田中村の1名のみ「懲役2年、執行猶予3年」の第二審判決を受け入れましたが、後の7名は大審院で「懲役3年から10年の実刑判決」を出されています

なお、受刑者全員が確定判決から2年5ヶ月後の昭和天皇即位による恩赦にて釈放されています

事件の調査を行った石井雍大によれば、出所した中心人物の1人は、選挙を経て村長となり、村の合併後は市議会議員を務めたとされています

 

行商団の話す讃岐弁がわからず、標準語も訛りがあったために流暢ではなかったとのこと

地元の船頭との言い争いを聞きつけて、自警団が集まってきたとの証言があります

調査が始まったのが1979年頃からで、1980年代後半からようやく新聞などでも取り上げられるようになったとされています

2001年に追悼慰霊碑が建てられましたが、犠牲者の名前はわかっても、なぜ殺されたのかの説明は書かれていません

2023年は事件から100年目にあたり、野田市市長が公式の場で被害者に対して「初めて」哀悼の意を表したとされています

 


事件に至った背景

 

関東大震災が発生し、その混乱の中で朝鮮人の略奪や追い剥ぎが発生したと流布され、自警団が結成されるに至りました

「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」「放火した」などのデマが流れ、それを信じた官憲や自警団などが多数の朝鮮人や共産主義者を虐殺したとされています

推定犠牲者は数百人から約6000人と非常に幅が広く、論者の視点によって見方がかなり違うと言われています

 

震災の1日後には朝鮮人暴動の流言が流布していて、2日正午までには東京全市と横浜全市に伝わっていました

住民の伝聞だけではなく、官憲による措置もあり、警察の大袈裟な宣伝活動があったとされています

内務省警保局長の通信文もあり、その内容は「東京附近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加え鮮人の行動に対しては綿密なる取締を加えられたし。」と言うものでした

また、横浜での被害を伝える電文も加わり、これらが暴動をあたかも事実であるように信じされたとされています

これによって、朝鮮人や間違われた中国人、内地人であるところの日本人(聾者、方言を話す地方出身者)が殺傷される被害が発生しました

 

この他にも、社会主義や無政府主義の指導者を殺害した動きがあり、大杉栄、伊藤野枝などが殺された「甘粕事件」、社会主事者10名が犠牲になった「亀戸事件」なども起こっています

映画で殺されていた平澤計七はこの「亀戸事件」を抜粋したものとなっています

 

映画では、殺戮の口火を切ったのが、東京に出稼ぎに行った夫が朝鮮人に殺されたと思い込んでいたトミになっていますが、実際のところははっきり分からないと思います

裁判の資料などを紐解けばわかるのかもしれませんが、自警団に女性が入っていたと言う描写にはなっていなかったので、このあたりはフィクションなのでしょう

また、最初に殺されたのが新助ではなく、これは意図的なフィクション部分であるとパンフレットの対談にて書かれていました

騒動の勃発までは忠実でも、騒動に入ってからは解釈が入り混じる虚構も混じっているわけですが、この作品が描いているとこが全て真実である、と考えるのは御法度のように思えてきます

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、歴史上の事件を取り上げつつも、少しだけフィクションが混じる内容になっています

史実と言っても、生き残った行商団と自警団の言い分は180度違うでしょうし、行為が正当化できない故に実刑判決を喰らうに至っています

とは言え、虚言の流布を問い詰めることができないことも闇を深くさせていると言えます

 

映画では、千葉日日新聞が虚言の流布に拍車をかけていると描かれていて、これは関東圏の新聞なら右に倣えになっていたと推測されます

Wikipediaには東京日日新聞の報道の流れがビジュアル化されていますが、メディアが流す情報の風見鶏っぽさというのはいつの世も変わりがありません

これらの情報をどこまで信じるかは個人の感覚に委ねられますが、一般人は情報の裏側を取ることができないので、感覚的に対処していくことになります

でも、この感覚的な部分というのは、意外と当たっていることが多かったりします

 

本作を鑑賞していて思ったのは、どこまでが事実なんだろうかというところで、行商団のリーダーが「鮮人なら殺してもいいのか?」は思いっきりフィクション感が満載のセリフだと思いました

実際に言っていたとしても、自分の命の危機に際して、相手を煽るような言葉を発するかという疑問があり、大本営発表を信奉している軍人被れに言葉が通用するとは思えません

実際には、この言葉で反応したのがトミということになり、彼女の行動は自警団の理念と重なっているようには見えませんでした

 

これらの一連の動きはリアルに感じられますが、そこに疑問を持てるかというところは感性なんだと思います

物語の中で人間を描きつつ違和感を感じる描写であるとか、劇的に振りすぎている場面はどこだろうかなど、商業映画にはこのような演出というのが必ず存在します

この演出が史実を歪めるものから補足するものまで振り幅が激しく、それを見極める力というものが必要になってきます

関東圏での鮮人の放火騒ぎにしても、関東一円が火の海で自分がどうやって生き延びるのかを思案しなければならない時に、生きる資源となるものを燃やすという行為を「人間が取るだろうか?」という疑念なのですね(人間と思っていないから思えるのかもしれませんが)

これが火事場泥棒が多発しているから気をつけろレベルならば、家屋を失った人の暴発や便乗というものは見えると思います

でも、前述のように「石油を巻いて燃やした」という大本営発表があったとして、では犯人はこの地でどうやって生きていくのかという問題が浮上します

 

人間の根源欲求は「承認」よりも「生存」が優先されるわけで、元より生活困窮者である朝鮮人が、さらに生活を困窮させる手段に出るとは思えないのですね

なので、優しい人のふりをして、家屋を占拠して成り済ますとか、そういったことの方が信憑性があるように感じられます

 

映画もこの心理的な考察が有効で、人物が綿密に描かれていればいるほどに、新助という人物が妻子を含めて命が危うい場面において、自分たちの命よりも優先して「朝鮮人への偏見」を正そうとするのか、というのはかなり疑問のように思います

彼らは被差別部落の出身であり、朝鮮人よりも上か下かを語り合うほどにアイデンティティの地位の向上に固執しています

なので、あの場面で彼がもし何かを言うとしたら、「鮮人と一緒にするな!」と言うような文言になると思うのですね

正論を振り翳して相手が納得するかを考えると、それは一目瞭然なので、そこは自分たちが生き残るために「鮮人なら殺しても良いと考えている連中ならば、鮮人をさらに貶める言動をすれば溜飲が下がるのでは」と考えると思います

 

でも、その方向に持っていくと、行商団も自警団も同じ穴のムジナなのですね

自分たちの生命のために、差別を正当化して防衛力にすることに繋がるのですから

なので、映画としてはその方向に向かうことなく、行商団は清らかであったと言う風に描くことになっているのだと思いました

 

行商団は福田村に来るまでに潔白ではないように描かれ、どこか外国人のような衣装の色合いをしていて、このあたりの「変な連中」と言う刷り込みが前半でなされています

そんな彼らが死の瀬戸際に於いて正論を吐くことで、そのイメージの転換を行なっていく

このあたりが「思いっきり被害者目線」になっているのですが、これはやむを得ないことなのかなと思います

 

本作は、目の前に起きていることをどのように処理するのか、と言う一点が描かれていて、思考停止することが諸悪の根源のように描いていました

先入観と不確かな情報の思い込み、そして決定機となるのはある人物の感情で、それは自衛のためとは程遠いもの

この羅列される情報に対して、観客はどう向き合うのか

映画はあくまできっかけを提供し、答えを見せつける場ではないのですが、これが答えだと短絡的に思う人がいるのも普通のことでしょう

なので、少しの違和感を感じた人がいれば、可能な限り自分で調べて、その価値観をブラッシュアップしていければ良いのかなと感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

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公式HP:

https://www.fukudamura1923.jp/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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