■ゴンドラが運んだものは何だったのでしょうか?
Contents
■オススメ度
ファンタジックな映画に興味がある人(★★★)
無セリフ映画に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.11.7(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Gondola
情報:2023年、ドイツ&ジョージア、85分、 G
ジャンル:ゴンドラ乗務員の交流を描いたファンタジー映画
監督&脚本:ファイト・ヘルマー
キャスト:
ニノ・ソセリア/Nino Soselia(ニノ/Nino:ゴンドラ乗務員、夢はCA)
マチルデ・イルマンMathilde Irrmann(イヴァ/Iva:父を亡くして故郷に戻る女性)
ズカ・パプアシビリ/Zuka Papuashvili(威張り屋の駅長)
ニアラ・チチナゼ/Niara Chichinadze(未亡人/Widow:イヴァの母)
バチャガン・パポビアン/Vachagan Papovian(車椅子の男)
ルカ・ツェツクラゼ/Luka Tsetskladze(少年)
エレネ・シャバゼ/Elene Shavadze(少女)
ダレジャン・ゲペリザ/Darejan Geperidze(村人)
ニコ・パチコリア/Nino Pachkoria(村人)
ペリデ・カランディア/Peride Kalandia(村人)
■映画の舞台
ジョージア南部の村フロ
ロケ地:
ジョージア:
フロ/Khulo
https://maps.app.goo.gl/dNsC3HWc9tKm5tq9A?g_st=ic
■簡単なあらすじ
父の訃報により地元の村に戻ったイヴァは、不仲な母と袂を分かつように自分での生活を始めた
村にはロープウェイが跨っていて、そこには威張り屋の駅長と乗務員のニノだけがいた
イヴァはそこで働くことを決め、それから二人は、別々の車両の乗務員として、空中ですれ違うたびにメッセージを送り合っていた
二人は駅に着くたびに一手ずつチェスをしたりして楽しんでいたが、その様子が気に入らない駅長は意地悪をして盤をぶちまけてしまう
さらに車椅子の老人を乗車拒否したりと横暴な態度を見せ続けた
ある日のこと、ニノはヴァイオリンを弾いてイヴァに曲をプレゼントしたが、駅長は怒って、彼女のヴァイオリンを壊してしまう
悲嘆に暮れるニノだったが、イヴァは新しいヴァイオリンを彼女にプレゼントした
イヴァはトランペットを吹き、二人で演奏を始めると、村人たちも色んなもので音を出して演奏に参加してきた
そして、ある夜に、大規模なコンサートを計画することになったのである
テーマ:癒しを贈り合うこと
裏テーマ:交差を停止させる意味
■ひとこと感想
セリフがない映画ということだけ知って鑑賞
実在のロープウェイを使用しているとのことですが、よく撮影許可が降りたなあというシーンがたくさんありましたね
おそらくは、まったく同じものを使っての別撮りなんかもあったと思いますが、車椅子を吊り下げるシーンではヒヤッとしてしまいました
映画は、不仲な母のもとに帰ってきた娘みたいな感じで、そのきっかけが父親の死のように描かれていました
冒頭で下された棺が父親だと思いますが、どうやら不貞を働いていたようで、お見送りのシーンでは妻が花を投げ捨ててました
その後、どこで過ごすのかと思いきやロープウェイで働き出して、そこでニノとの交流が生まれます
本当にセリフがないので、背景から何まで想像するしかなく、あの未亡人がイヴァの母なのか祖母なのかとかもよくわかりません
駅長という設定も、駅二つあるけど駅長は一人なのかとか、余計なことを考えてしまいますね
おそらくはロープウェイの経営者ということなのだと思います
映画は、ちょっと不思議な物語というもので、セリフなしで挑んだ俳優さんたちお疲れ様でしたという内容でしたね
とは言え、一言だけセリフと呼べるものがあって、あれはわざとスルーしたのかセリフと見做していないのかはよくわからないところがありました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作にネタバレがあるのかはわかりませんが、一応は駅長への仕返しは済んで、車椅子の老人が新しい駅長になっていたように思えました
ひょっとしたら、単なる修理工で修理しただけなのかもしれませんが、威張り屋の駅長はあの事故で退場となっていましたね
映画は、二人の乗務員の交流が描かれていて、ロープウェイ以外の場所でも結構会っていましたね
てっきり最初から最後までゴンドラの中だけで話が終わるのかと思っていたので、意外と外の世界が描かれていてびっくりしました
セリフなしとのことですが、車椅子の老人を吊るした時だけ「OK!」って言葉が聞こえました
それまでほぼ無声だったので、何が起きたのかと思ってしまいました
その後は、車椅子のおっちゃんの唸り声なども登場し、音らしい音が復活していました
■サイレント映画の面白さ
本作は、いわゆる無声映画(サイレント映画)ではありますが、一箇所だけ「OK」という言葉が流れていました
意図的なのかはわかりませんが、つい出てしまって、編集をするのを忘れたのかと思ってしまいました
かつては技術的な側面で音声が流せないというものがありましたが、あえてセリフを使わない映画というのは絵本的のように思えます
映画は、視覚的にわかりやすく作られていて、駅長に復讐するための仕掛けを作ったあたりで「OK」という言葉が出ていて、本来なら消すことも可能だったと思います
あくまでも、言語だけを排除していて、演者の口の動きを見てもわかるように元からセリフというものを用意していないように思います
もし、シナリオが入手できたら、セリフがなくて延々とト書きだけが書かれているかもしれません
そこには、キャラクターがどんな感情を有しているかなどが書かれていると思いますが、キャラの物語が始まる前の状況と着地点さえ知っていれば、ト書きだけで何を表現したら良いのかはわかるのだと思います
駅長がヴィランで、ニノとイヴァが仲良くなって、村の人たちとも絆を結んでいくというものなので、そこまで深く考える必要はないのでしょう
サイレント映画を前提として制作すると、パフォーマンスで感情を表現することになります
喜怒哀楽などを全身を使って表現することになり、表情はそこまで複雑なものにはしていません
それは、俯瞰的なヴィジュアルを前提に映画が構成されているので、いわゆる顔芸というものを封じているのだと思います
人の行動をつぶさに観察するとわかりますが、人の動きの重さは心理状態を如実に表していて、地に足がつき過ぎていると、その重さに支配されていることがよくわかります
動きの重さというのは心の重さと比例していて、それはパーツの動く速度にも繋がっていきます
表情の豊さも心の重さと比例していて、本作の二人の喜怒哀楽もそれによって表現されていました
演技をする上では、このキャラの心の状態はどのようなものかということを考えることになりますが、同化することができれば、自然な反応として、演技を行えるのだと思います
心の重さは心の中に持つイメージと連動するので、これは実社会においても意識することで、自分のイメージを変えることにも繋がります
人に対してどのように見せたいかは、どのように見られたいかと同一のように思えますが、実際には無意識であることの方が多いと思います
人は全ての行動を意識で行なっているわけではないので、ふとした動きなどから装飾がバレるということがあります
なので、可能ならば、相手に心配させたくないと考えるならば、そう考えるのではなく、根本にある重さを変える必要があるのだと思います
わかりやすいのは問題を問題では無くすことで、解決のみがそれを成し得るのではない、ということは何となくわかると思います
■ゴンドラが運んだもの
映画では、いろんなものをゴンドラで運ぶのですが、そのほとんどは彼女たちが憧れを抱くものだったと思います
イヴァは母親の喪失を抱えていて、それを癒すためにニノがいろんな仕掛けを施しますが、実はニノ自身がここから出たいと思っていることに気づき、傷ついてしまいます
それでも、この場所は二人がいる場所ではないので、イヴァ自身も外に出ていくための準備をしていきます
そう言った感情がさまざまなものを運び続け、村の人たちもそれを応援していくようになります
そんな二人を引き留めようと考えるのが駅長で、彼はニノに執着を持っていました
彼は足の悪い男をゴンドラに乗せないなどを行う差別主義者で、ニノへの執着も男尊女卑の部分がありました
そう言った感覚は前時代的なものであり、彼女たちは新しい世界へと旅立とうとしているように思えます
未来に向かうためには古い体制や考えは捨てて、自分の魂に寄り添う生き方をする
そう言ったものをゴンドラは運んでいったのだと思いました
映画では、メルヘンチックに描かれていきますが、時代に取り残されている人にとっては残酷な物語になっています
でも、時代はどんどん変わっていくので、あらゆるものをアップデートしていかなければなりません
駅長がニノと結ばれないのも、年齢差だけではなく、価値観の乖離が激しいこともあったのでしょう
新しい価値観も時にはぶつかりますが、その先にある目的というものが明確なので、衝突すらも糧にしていくところが面白かったなあと思いました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作はケーブルカーを取り扱っていて、そのケーブルカーは複線となっていました
いわゆる交差する瞬間があって、そこで二人はコンタクトを取り合っていきます
どれぐらいの速度で運行しているかは分かりませんが、二人が会えるのは運行期間の一瞬であり、それを大事にしたいと考えていました
この一期一会に近い邂逅というものは、人生の中でもよく見かけるものだと思います
人は多くの人と出会い別れますが、特定の人との交わりがその中から生まれていきます
この関係性が生まれるのも、イヴァとニノと同じように瞬間的邂逅における魂の交差の積み重ねであり、そこにある種の快楽というものを感じていきます
このような刺激が慢性になって惰性になる場合もありますが、イヴァとニノはそうならないように工夫をしていきます
そして、そんな邂逅を間近で見ていた村人たちは、その邂逅を特別なものにしようと考え始めます
誰かと誰かの出会いは二人きりの世界のように思えますが、実際には多くの人間関係の交差の中で生まれていて、その接点を傍観している人もいます
その瞬間の意味を感じてあえて傍観する人もいれば、それを好ましくないと考えて邪魔をしようとする人もいます
駅長は「二人の邂逅を見ずに邪魔をする外野」であり、これは外の世界からわかったふうに思っている典型のように見えてしまいます
実際には、二人の関係を知れば知るほどに反発すると思いますが、そういった人は決定的なものを見たくないのであえて踏み込まなかったりすると言えます
映画は、とてもほのぼのとしたものですが、駅長の末路は結構キツいものがありましたね
その後、新しく駅長になるのが足が悪い男なのですが、彼はその意思を工夫によって乗り越えようとする人物でもありました
時代に置いていかれるもの、捨てられるものをはっきりと描いていると思うので、駅長にならないように自分自身をアップデートして行動を変える必要性を感じてしまう映画だったように思いました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100324/review/04447864/
公式HP: