■何かに憧れを抱く時、ただそこにあるのは「魂の共鳴」であるように思えてなりません
Contents
■オススメ度
バレエ映画に興味がある人(★★★)
差別問題に関心のある人(★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.11.8(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
原題:Neneh Superstar(ネネはスーパースター)
情報:2022年、フランス、96分、 G
ジャンル:人種差別に晒される黒人少女を描いたバレエ映画
監督&脚本:ラムジ・ベン・スリマン
キャスト:
オウミ・ブルーニ・ギャレル/Oumy Bruni Garrel(ネネ=ファンタ・シャオレ/Neneh-Fanta Gnaoré:エトワールを目指す12歳の黒人の少女)
マイウェン/Maïwenn(ミリアム・ベル=ハジ/Myriam Bel-Hadj=マリエンヌ・ベルラージュ:Marianne Belage:オペラ座バレエ学校の校長、元エトワール)
アイサ・マイガ/Aïssa Maïga(マルティーヌ・シャオレ/Martine Gnaoré:ネネの母)
スティーヴ・ティアンチュー/Steve Tientcheu(フレッド・シャオレ/Fred Gnaoré:ネネの父)
セドリック・カーン/Cédric Kahn(ジャン=クロード・カーン/Jean-Claude Kahane:バレエ学校の総監督)
アレクサンドル・スタイガー/Alexandre Steiger(アレクサンドル・ブシェ/Alexandre Boucher:バレエ学校の先生)
リチャード・サメル/Richard Sammel(ヴィクトール・マックス/Victor Max:バレエ学校の先生)
ナタリー・リチャード/Nathalie Richard(ジャンヌ=マリー・ムルソー/Jeanne-Marie Meursault:バレエ学校の先生)
Jean-Bohémond Leguay(バレエ学校のピアニスト)
Micha Lescot(バレエ学校の歌の先生)
Ilonna Grimaudo(イロナ/Ilonna:ネネの団地の友人)
Gloria-Divine Sazi(グロリア/Gloria:ネネの団地の友人)
Léna Légier Pillitteri(レナ/Léna:ネネの団地の友人)
Olympe Robelet Dassonville(オランプ/Olympe:バレエ学校の同級生、メガネっ子)
Lùna Da’Barbuto(ルナ/Lùna:バレエ学校の同級生、いじめっ子)
Iris Langevin(イリス・クリシュ/Iris:バレエ学校の同級生)
Salomé Berkovicz(サロメ・ロラン/Salomé::バレエ学校の同級生)
Romane Larsson(ロマン・ラハシュ/Romane:バレエ学校の同級生)
Julia Albos(ジュリア・ドビネ/Julia:バレエ学校の同級生)
Benjamin Milletre(ベンジャミン/Benjamin:バレエ学校の男子生徒)
Esteban Dhiser-Chabannes(エステバン/Esteban:バレエ学校の男子生徒)
Valentin Dalili(ヴァレンティン/Valentin:バレエ学校の男子生徒)
Marilyne Canto(エマニュエル・ブラック/Emmanuelle Braque:マリエンヌの記事を書く記者)
レオノール・ボラック/Léonore Baulac(本人役:バレエダンサー)
June Assal(レベット/Repetto:服屋の店員)
Marie Baconnet(アンリ先生/Mme Henri:ネネの個別コーチ)
Saliha Bala(フランス語の先生)
Laurence Benouiache(外科医)
Alexandra Jacqmei(看護師)
Paul Seknadje(眼科医)
Marlise Bété(マルティーヌの友人、ネイルアーティスト)
Nadine Mateky(マルティーヌの友人、美容師)
Clément Cholay(会場の係員)
Cécile Fargues(会場の係員)
■映画の舞台
フランス:パリ
オペラ座バレエ学校
ロケ地:
フランス:パリ
サントラル・シュペレック/Centrale Supélec
https://maps.app.goo.gl/EPQpW8o4JoD7eVQF8?g_st=ic
フランス:イル・ド・フランス
■簡単なあらすじ
エトワールに憧れる12歳の少女ネネは、父親の協力を得て、パリのオペラ座バレエ校の入試を受けることになった
独学で学んだ彼女だったが、その素質を認められ、校長のマリエンヌを説き伏せる形で入学を認められた
ネネの同級生は彼女を入れて7名しかおらず、入りたい子どもは山ほどいた
ネネは先生たちから厳しい指導を受けながらも、持ち前の身体能力にて頭角を表してゆく
だが、高慢に見える彼女の態度は教師や生徒の反感を食らい、沸点の低いネネはつい暴力的な行動や暴言などが飛び出してしまう
マリエンヌは学校の気品にふさわしくないと考えて退学を勧めるものの、総監督は彼女の才能を重視し、聞く耳は持たなかった
ある日のこと、両親から買ってもらったバレエシューズにイタズラをされたネネは激昂し、同級生のルナに暴力を振るってしまう
懲罰委員会が設けられ、ネネを退学にするべきだという教師がいる一方で、ルナの行為は悪質で擁護すべきとの声が上がる
総監督の判断で退学は免れるものの、ネネは厳しい処分が下された
そんな折、マリアンヌの取材をしたいという記者が現れる
彼女は拒否するものの、総監督は避けては通れない道だと良い、マリアンヌは仕方なく取材に応じることになった
記者はマリアンヌの出自に言及し、彼女は取材を中断させる
だが、そのことが記事として世間を騒がせ、学内でも動揺が広がってしまうのである
テーマ:才能と気品
裏テーマ:伝統と多様性
■ひとこと感想
黒人の少女がエトワールを目指すというもので、教師や生徒からハブられる様子が描かれていきます
その中でも、校長が一番の障壁になっていて、その理由が後半になって暴かれる内容になっています
とは言え、そこまで驚きのものでもなく、出自を隠すために色んなことをしてきたことがわかります
映画は、白人の演目を黒人ができるかというものですが、それ以上に伝統を重んじるという言い訳を持って、才能を認めないという流れになっています
ネネのバレエの技術が他の子と劣るかどうかは素人目にはわかりませんが、能力云々の前にネネの素行が悪すぎるように思います
それゆえに人種云々以前に応援しづらい雰囲気がありましたね
能力を過信して高慢な態度を示し、教師に敬意を払わない
才能があったとしても、それは単なる身体的なものに過ぎず、作品を表現する上で大きな足枷となると思います
なので、彼女を擁護する総監督は何を見て彼女を支持しているのかよくわからない部分がありました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
わかりやすい人種差別に晒されるバレエ少女の話なのですが、どうして素行が悪い設定にしたのかはわかりません
格式とか品格を重んじる場において、ちょっと踊りが上手いだけでは通用するはずもなく、人種差別の理不尽というよりは、素行の悪さが受け入れられていないように見えてしまいます
多様性=わがままみたいな構図になっていて、これではせっかくの設定も活かしきれていません
白雪姫を黒人が演じることに抵抗があるという問題に特化することもなく、それを論理的に反論するとか、伝統の正体は何かを突き詰めるのならば意味はあると思いますが、この内容では何ら心に響くものもありません
自信過剰で素行の悪い人でも才能があれば何にでもなれるというメッセージを込めているのならばそれでも良いと思いますが、さすがにそれを多様性問題と絡めるのはナンセンスのように思います
映画では、マリエンヌ自身がアラブ系の移民で成り上がったという設定がありますが、底辺から成り上がった彼女が1番の障壁になっているのは意味がわからなかったですね
総監督と立場が逆だろうと思いますが、マリエンヌ自身が多様性を認めない理由はよくわかりません
出自を隠してエトワールになったという感じになっていますが、そこに辿り着くまでにバレない方がおかしくて、その設定の違和感だけが募りました
■有色人種とバレエ
世界にはたくさんの有力人種のバレエダンサーがいますが、人種の壁はなかなか崩れないものとなっていました
特に、映画で描かれるような『白鳥の湖』だと、白で揃えるということを目的としていたため、有色人種のダンサーが白塗りで演じさせられるというものもありました
これは、クロエ・ロペス・ゴメスというフランス人有色人種ダンサーの告白で、彼女はベルリン国立バレエ団唯一の黒人バレリーナでした
屈辱的なことだが仕方がないとして白い粉を塗していたのですが、その目的が色彩的な統一感を生み出すためだったので、長年の慣習となっていました
今では、多くのバレエ団がこの慣習を廃止し始めていましたが、その動きの中でもロペス・ゴメスはそれを指示された(2018年)と言います
映画では、白人のダンサーに憧れたネネがエトワールを目指すというもので、マリエンヌは彼女の才能と芸術的志向の中で葛藤しながらも、形式的なものを重んじる決断をしていました
バレエ学校ではマリアンヌを支持する人の方が少なく、マリアンヌの理由では納得せずに退学を阻止するという動きになっていきます
また、生徒間の間でもネネの迫害が起きていくのですが、これは教師陣とは理由が異なっていました
教師は才能と伝統の折り合いに悩みますが、生徒たちは見た目以上に家庭環境や素行の方に目を向けていきます
この違いが生まれているのは、ネネが優等生だと子どもたちは差別をしないというふうにも見えてしまいます
先入観があるのは大人の方で、それでも生徒間でも差別を生まないといけない
映画では、そのような四面楚歌の部分をあえて作っているのですが、素行の悪さは擁護者を瀬戸際まで追い込んでしまいます
これでは、才能と伝統にせめぎ合うという純粋な苦悩が薄れてしまって、ネネを認めるかどうかという個人の問題になってしまいます
それが映画のテーマに即しているとするのならば、才能さえあれば出自、素行などは問わず、伝統はそれに屈するべきだ、みたいな感じになってしまうのですね
また、有色人種をあえて素行の悪い人間性にしているところにも、ある種の差別意識があるようにも見えてしまいます
■勝手にスクリプトドクター
本作は、現代的な問題を含みつつも、ここ数年で解消されてきた問題をあえて拾い上げているように思えます
演目に指定されているものを変えてまで劇を行う意味があるのかは分かりませんが、そう言った前提がなければ、そこにこだわる必要がないように思います
白鳥の湖に関しては、主人公のオデットが悪魔の呪いによって白鳥に姿を変えられていますが、白鳥であることに意味を持たせるのか、鳥に変わったことに重きを置くのかで変わっていきます
これは背景としての、白人社会での出来事として捉えるのか、普遍的な悲劇の物語として捉えるのかという解釈の違いによって生じる問題のように思います
映画では、そこには踏み込まずに、ネネにはエトワールになる資格があるのかどうかというところにフォーカスしていました
それはエトワールとしての才能を有するかという問題となっていて、それを主題とするならば、純粋にそのテーマを深掘りした方が良いと思います
ネネの素行が悪いという問題があって、それが家庭にあるのか彼女の性格なのかは描かれませんが、ある種の驕りのようなものもあると思います
でも、そう言った方向に向かうでもなく、単純な見た目や素行に対する抵抗のように描かれていました
この映画をテーマに即したものにするならば、純粋にバレエを愛する素行の良い少女という設定にした方が良いでしょう
クラスメイトは才能に嫉妬し、自分が成り上がるために抵抗をするし、純粋に才能と伝統の問題として向き合うことができます
ネネを選ばないことに「外的で余分なエクスキューズを用意する必要はない」のですね
それによって、演目に「白」が必要だとしても、その概念を覆す解釈というものを提示し、それを差別意識のあるところに投げ込むことができます
もし、本作が純粋な有色人種登用に対する問題提起だとしたら、これまでにそれをクリアした団体などの知恵の結集になったように思います
多くのバレエ団が抱えつつも克服したものは何なのか
有色人種だけを集めた安全圏で区別だと開き直るよりも大切な思想がそこにあって、それこそが本作が描くテーマだったように思います
それを阻害した要素がネネが善人ではないことなのですが、その設定はあまりにも稚拙だったように感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
何かをすごいと思ったり、ああなりたいなあと思ったことはたくさんあると思います
実在する人物から空想の世界まで、さまざまなものに憧れて、そうなりたいと思った時期もあるでしょう
でも、いつしか人はその方向に向かうことをやめてしまい、思っていたような人生を歩んでいない、ということは多々あると思います
個人的な世代だと、『キャプテン翼』が流行っていて、翼くんや岬くんになりたいという人はたくさんいました
そうなれると信じてサッカーを続けてプロになった人もいれば、「漫画の世界だから」という理由を見つけて諦めた人も多いと思います
人が何かを諦める時、あらゆる「できない理由」を見つけるのですが、その一つに「人種」というものがあるように思えます
憧れを持つ時、その瞬間には国籍とか人種とかは念頭になく、ただ自分が見たものを受け止めていて、その姿に自分を重ねていると思います
そこで描かれる憧れと同化した自分は、憧れと同じ人種になっていないし、国籍もそのままだと思います
でも、そう言った純粋なものに蓋をする概念というものがあちこちに転がっていて、その中に「人種」が潜んでいることもあるでしょう
個人的には好きなように生きてきましたが、その都度夢や憧れというものは修正されてきました
惚れやすさもあるので何にでも手を出してきて、その中で自分を諦めさせたものというのは、ある時は才能という名の怠惰であり、ある時は適性という名の怠惰でもありました
結局のところ、やってみて才能がないなと思っても、見切りが早すぎて、才能があるかどうかを確かめる前に辞めてしまっていることの方が多いように思います
それでも人は何とか生きていけるように、夢や憧れに固執しすぎない方が、無難な人生を歩めるのでしょう
それでも、限界突破をするような人生にはならなくて、あの時もう少し続けていればとか、色んな感情を有するようになるのですが、そう言った時は大抵、今の生活に満足していない時なのですね
そう言った時に「自分はもっとできたはず」というものを、目の前にあるものから目を逸らして、かつて中途半端だった夢や憧れなどを想起してしまいます
実際には何も変わらないし、それを今から始めることはできないのですが、それゆえに夢や憧れを継続することの困難さというものが身に染みてわかってきます
あの時にできない言い訳に使っていた今が、あの時にできなかったことへの想起が言い訳になっていたりする
本末転倒ではあるのですが、人間というのは面白いものなんだなあと再確認させます
純粋でいられるうちにどれだけ遠くを見ているかというのはとても大事なので、その渦中にいる人は、近くを見ずにその頂だけをずっと見ていた方が良いでしょう
そう言った人生を歩める人ほど限界突破を難なくしてしまうと思うので、それがやがて後世の誰かに火をつけることになるのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101218/review/04449985/
公式HP: