■閃光が彼方にあることは運命の連鎖に過ぎないが、その渦に逆らうよりは、発露を見極めて逃げるしか方法はないと思います
Contents
■オススメ度
太平洋戦争の余波について考えたい人(★★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.1.16(TOHOシネマズ二条)
■映画情報
情報:2022年、日本、169分、R15+
ジャンル:視力を失った少年が自称活動家とともにドキュメンタリー映画を作る様子を描いたヒューマンドラマ
監督:半野喜弘
脚本:半野喜弘&島尾ナツヲ&岡田亨
キャスト:
眞栄田郷敦(生田光:幼少期に視力を失った青年)
(71歳時:加藤雅也)
(幼少期:石毛宏樹)
池内博之(友部祐介:長崎在住の自称革命家)
Awich(豊崎詠美:被爆三世の女性、長崎)
尚玄(糸州:被爆三世の男性、沖縄)
伊藤正之(片桐:老年期の光の同居人)
渡辺真起子(光の母の声?)
早川大介(佐々木の声?)
原田桂佑(写真集の話をするカフェの若者)
山塚はるの(写真集の話をするカフェの若者)
安谷正敏(バーのマスター)
中村列子(ツタエ:詠美の祖母)
津波信一(飲み屋の店主、糸洲の先輩)
小橋川照馬(ミライ:糸洲の息子)
當間早志(?)
幸地ルシア(クラブの客)
真栄城美鈴(クラブの客)
■映画の舞台
東京:西麻布
長崎:長崎市
大浦町
https://maps.app.goo.gl/2QnPBaufrcsotpCA6?g_st=ic
長崎:長崎市
銅座
https://maps.app.goo.gl/nNwJSWrtNhch3ngt8?g_st=ic
沖縄:キャンプハンセン
https://maps.app.goo.gl/cgtfQ5rSSXEkcgpL9?g_st=ic
沖縄:キャンプシュワブ
https://maps.app.goo.gl/jQikaxg1ottBMM8q9?g_st=ic
ロケ地:
長崎県:長崎市
沖縄県:那覇市
本家亀そば港町本店
https://maps.app.goo.gl/imrgKRx4J79s4uqWA?g_st=ic
沖縄県:沖縄市
Cafe Ocean
https://maps.app.goo.gl/Nrj3T8ipAyAuTXwX9?g_st=ic
沖縄県:国頭郡
CLUB SHANGRILA
https://maps.app.goo.gl/8qbnLHdr5myo1omL9?g_st=ic
■簡単なあらすじ
10歳の時に視力を失った光は、手術を受けたものの色を感知できないまま青春期を迎えることになった
ある日、カフェのカップルの会話から「東松照明」の写真集「太陽の鉛筆」に興味を持った光は、それを手にし、そこに映し出されている場所に行きたいと考えるようになった
光は長崎市に向かい、そこで革命家を名乗る友部という男に出会う
彼はドキュメンタリー映画を作ろうと考えていて、光はその行動に同調することになった
友部は行きつけの飲み屋に出向き、詠美と合流し、光を紹介した
光は二人の仲に何かを感じながらも、友部の映画制作を手伝っていく
だが、彼の撮ろうとしているものはとても恣意的なもので、光の中で何かが燻り始めていたのである
テーマ:戦争とは何か
裏テーマ:語り継ぐべきもの
■ひとこと感想
事前に何も調べる暇もなく、配役から「青年期と老年期があるのだな」というぐらいしか知識を入れていきませんでした
169分の長さとほぼ本のようなパンフレットに身構えていましたが、まさかの太平洋戦争をどのように語り継ぐかという物語に驚いてしまいました
しかも、内容がかなり攻めているもので、よく公開できたなあと思ってしまいます
物語は、少年期のモノローグの後、青年期の日常に話が飛び、そこで東松照明というワードが飛び込んできました
戦争関連の写真集を撮影した写真家で、彼の存在を知らないと物語の前半は意味がわからないかもしれません
その写真集を起点に行動を開始する光を描いていて、長崎で自称革命家の友部と出会うことになりました
そこでは「恣意的なドキュメンタリーづくり」を手伝わされることになるのですが、本作のメインテーマは「沖縄編」になってからだと思います
そこで現地民・糸洲との会話を起点として、2070年における友人との会話が結びとなっていました
人は感情の生き物なんだなあと改めて再確認することになりましたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
ほぼ全編モノクロの映像で、それは光の見ている世界を再現しているというものでした
それが2070年の世界で色を帯びてくるのですが、色づいたことによって、過去の回想に命が漲ってくるところは感動的でもあります
「ああ、そんな色だったんだ」と思わせるもので、特に「赤と青」が強調されていたように思います
長崎編の「体験者の慣れた語り批判」から始まり、沖縄では糸洲と口喧嘩になっていくのですが、さすがにドン引きする内容になっていましたね
思っててもそこまでは言わないというところを関係なく掘り進めていったように思えます
映画は、「戦争とは何か」という命題があり、それを止めるためにどうすれば良いかということを考えさせられます
友部は理想論を語り、糸洲は体験を語り、片桐は感情を主体にしていました
その中でも「ダメなものはダメだ」という片桐の議論の余地なしというのが一番わかりやすいものだったように思えました
■東松照明について
東松照明は、1930年生まれの日本の写真家で、2012年に82歳で亡くなっています
愛知大学経済学部時代に「カメラ(CAMERA)」の月例コンテストに応募し、学内新聞にて発表した「皮肉な誕生」が反響を呼びました
卒業後、『岩波写真文庫』のスタッフとなり、1956年いフリーに転身、1958年 位「地方政治家」を題材にした作品群にて、「日本写真批評家協会新人賞」を受賞しています
1961年から、土門拳と共に広島、長崎の被爆者、被曝遺構などの取材を始めます
その後、雑誌『太陽』の特派員としてアフガニスタンで取材をして、それが1963年5月号にて特集が組まれます
1969年、今度は雑誌『アサヒカメラ』の特派員として沖縄を取材し、『沖縄に基地があるのではなく基地の中に沖縄がある』を出版しました
ちなみに、本作で登場する『太陽の鉛筆 沖縄・海と空と島と人びと・そして東南アジアへ』は毎日新聞社より1975年に発行されています
この頃から、荒木経惟らと「ワークショップ写真学校」を開講していて、『太陽の鉛筆』にて日本写真協会年度賞、翌年に芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞を受賞しています
1995年には紫綬褒章を受章、1998年から長崎に移住しています
その後も数々の写真集を出版し、多くの作品で様々な賞を受賞しています
そして、2012年12月14日に肺炎のため那覇市内の病院で亡くなりました
↓ Amazon「東松照明 写真集」での検索URLです
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■タイトルの意味
本作のタイトルは『彼方の閃光』なのですが、この「閃光」には色んな意味が含まれていると考えられます
長崎は被爆地ですが、戦争を語り継いでいる人たちは「爆心地から彼方にいたから」生き延びているということになります
また、後半の沖縄パートでは、地上戦が展開されていて、そこで放たれた銃弾も閃光であると言えます
こちらは、時空を超えた「現在」が「彼方」という意味合いになり、時代と共に風化しつつある過去への憂いというものが込められていると思います
そして、光は東京から来た人間で、当初は閃光を感じることができない人物でした
この東京と長崎、沖縄という物理的な距離も「彼方」であり、これは現在進行形の基地問題が「彼方の出来事」という感じに思えてきます
ラストでは、51年後ぐらいに光は色を取り戻し、この時間の経過というものも「彼方」であるように感じられます
幼少期の闇の世界からモノクロに変わり、そして鮮やかな世界へと変わっていくのですが、彼が色を取り戻すきっかけになったのが、片桐との生活になっていましたね
映画が始まって、モノクロで猟銃を構えているシーンからいきなりタイトルコールになり、そこで真っ暗なスクリーンの背景になり、何人かの声が聞こえてくる、という演出になっていました
おそらく母親と看護師か医師、それに佐々木さんが登場していたように思いますが、ぶっちゃけ誰が声を当てているかまではわかりませんでしたね
その後、手術を受けて目が見えるようになって、そこから延々とモノクロの世界が展開されます
長崎、沖縄の取材が全てモノクロで、友部や詠美との時間も全てモノクロで押し通していたのには意味があると思います
それが片桐に問う「戦争はなぜダメなのか」というものに続いていくのかなと感じました
この疑問を光がいつから持っていたかは分かりませんが、友部と行動を共にするとき、もしくは東松照明の写真集に出会った時からかもしれません
写真集は「彼方」を切り取ったもので、そこにある色というものを彼は想像してきたのだと思いますが、被爆三世の話を聞き、実際に戦争犠牲者の土地に来ても、色は取り戻せなかったのですね
それが50年を経過して、国家というものが滅びた時代において復活するというのは皮肉でしかありません
おそらくは、光の中で煮詰まった概念のようなものがあり、戦争から近くも遠くもない世界で過ごす中で、彼には見るべきものが見えるようになったのだと思います
それが何なのかは色々と想像できますが、友部と片桐との関係を考えると「愛」なのかなと感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、自称革命家とドキュメンタリー映画を作る中で、戦争被害者や末裔が当時のことを語るという内容になっていました
その中で、友部は「現地の人が諦めている」という趣旨の発言をして、「本気度が足りない」とまで言い放っていました
友部は「システムを変えなければ」と言い、戦争は経済活動の一環だと断罪し、現在の国家の枠組みや経済の論理をすべて変える必要があると訴えていました
資本主義経済と国力増強、他国への侵略と他国からの防御の歴史があり、その中で軍需産業が飛躍してきた歴史はあります
ネットなどでよく言われる兵器の消費期限のようなものがあって、それによって古い武器を使う方向で代理戦争が行われている、などという陰謀論もよく耳にします
また、それらを紛争地域に安く売り捌く武器職人がいて、その資金で更なる兵器開発をする、なんてものもあったりします
どちらも、ありそうと思えるものの、それを証明する情報には一般人はアクセスすることができません
結果として、そう見ることもできるという範疇を超えていないのですが、信じるか信じないかはあなた次第みたいな世界では、それを裏付けるような材料がたくさん見つかって、あたかも本当にそうなのかもしれないという思想誘導をしている場合も見受けられます
沖縄の基地問題に関しても、沖縄以外からプロの人がデモに登場しているとか、様々な憶測に似た情報が蔓延っているのが現状だと思います
実際問題として、地理的なリスクを考えると戦場になる可能性が高い地域なので、そこに基地を置く必要性はあると思います
問題なのは、そこで起こる米国軍人の行動に対して、地域住民を護ることができないことだと思います
経済的な支え、安全保障を盾にしても、そのトラブルには積極的に国が支援する以外に方法はないと言えるでしょう
映画は、そう言った問題に対して、報道以外の情報にどのようにアクセスすべきかということを描いていて、さらに「戦争とは何か」ということを考える機会を作る作品になっています
片桐のいうように「ダメなものはダメ」という論調は確かにわかりやすいのですが、その感情論で政治が動かないのも必然であるように思います
軍需産業を含めた事業の展開と政治が絡んでいる世界だとしても、犠牲になるのは無関係の人たちでしょう
一部の暴走によって犠牲になるのは民という構図は数千年変わっていないものなので、それに一般人が立ち向かうのは限度があります
なので、家族を守るために加担するか、逃避をするかしかないのが現実なのだと思います
感情論で戦争反対ということもできますが、戦争の起こりが感情論で、それに総意を取り付けることなく始まるのが現実なのでしょう
それを考えると、システムそのものが感情に支配されるという構図があるから戦争が起こるわけであり、友部の吐く理想論もまた、感情論の行く末に過ぎないと思います
人間の行動のすべては感情に支配されているので、その判断や行動を抑制するシステムの構築となると、第三者に委ねると言う結果になるのでしょう
でも、仮に第三者的存在のAIが生まれたとしても、彼らが学習するのは「過去の人間の感情」なので、同じようなことが起こるのではないでしょうか
やはり、有事を身近に感じて、その空気感からいち早く逃げ出すことしか、生き残る術はないように思えてきます
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/97994/review/03372804/
公式HP: