■何が「最悪」に見えるかで、日頃の価値観が試されているのだと思う
Contents
■オススメ度
映画制作映画に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.1.17(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Les Pires(最悪)、英題:The Worst Ones(最悪なもの)
情報:2022年、フランス、99分、PG12
ジャンル:訳あり地元民で映画を撮る様子を描いたヒューマンドラマ
監督:リーズ・アコカ&ロマーヌ・ゲレ
脚本:リーズ・アコカ&ロマーヌ・ゲレ&エレオノール・ギュレー
キャスト:
ティメオ・マオー/Timéo Mahaut(ライアン:劇中映画の主人公、ADHDの少年)
マロリー・ワネック/Mallory Wanecque(リリ:劇中映画の若い母親役、ビッチ呼びされている女性)
ロイック・ペッシュ/Loïc Pech(ジェシー:劇中映画の若い母親の恋人役)
メリーナ・ファンデルプランケ/Mélina Vanderplancke(マイリス:劇中映画の少年の姉役、レズビアン)
ドミニク・フロ/Dominique Frot(劇中映画の主人公の祖母役の老女)
Milan Hanquez(劇中映画の喧嘩相手の少年)
Nolhan Miny(劇中映画の喧嘩相手の少年)
【映画制作スタッフ】
ヨハン・ヘルデンベルグ/Johan Heldenbergh(ガブリエル: 映画監督)
エステル・アルシャンボー/Esther Archambault(ジュディス:助監督)
マティアス・ジャカン/Matthias Jacquin(ヴィクトル:音響担当)
Carima Amarouche(衣装デザイナー)
Sophie Bourdon(メイク係)
Nathalie Desrumaux(映画の記録係)
François Creton(クロヴィス:カマ野郎と罵られる撮影スタッフ)
Nicolas Dehedin(美術スタッフ)
Julien Bodart(ジョナサン:撮影スタッフ?)
【出演者の家族関係】
アンジェリク・ジェルネ/Angélique Gernez(メロディ:ライアンの姉)
Julien Bodart(メロディの彼氏)
Fabienne Dufour(ライアンの別居中の母)
Cathie Bomy(リリの母)
Nolan Trupin(ケンゾー:リリの亡き弟)
Freddy Boucher(マイリスの父)
【その他】
Victria Boukanger(リリを揶揄う同級生)
Ema Ledoux(リリを揶揄う同級生)
Karen Demarest(リリを揶揄う同級生)
Sana Bekhtagui(リリを揶揄う同級生)
Aurore Fay(ライアンのAVS:学校生活支援員)
Sylvia Fournier(ライアンのカウンセラー)
Virginie Cordier(地域コミュニティーセンターの職員)
Anaïs Germe(文句言う地域住人)
Leo Minne(リリの出会い系チャットの相手)
Thomas Doucloy(リリの出会い系チャットの相手)
Luc Delas(リリの出会い系チャットの相手)
Michel Dubois(ジャン=クリストフ:鳩の愛好家?)
Pascal Fournez(ハーヴェ:鳩の愛好家)
Joel Donfut(鳩の愛好家)
James Maly Of Waly(鳩の愛好家)
Florence Lefebvre(リリを取り調べる婦人警官)
Anne-Philippe Lasalle(ジャーナリスト)
Graziella Evrard(ピカソバーに集まる家族連れ)
Christine Merlier(ピカソバーに集まる家族連れ)
Marie-France Santer(ピカソバーに集まる家族連れ)
Rémy Camus(本人役:ラッパー)
■映画の舞台
フランス:
ブローニュ=シュル=メール/Boulogne-sur-Mer
https://maps.app.goo.gl/bDmbiKxjaHqg3TsD8?g_st=ic
ロケ地:
上記に同じ
■簡単なあらすじ
映画監督のガブリエルはフランス北部のピカソ地区にて、現地の訳あり少年少女を出演させた映画を撮ろうと考えていた
現地の若者をオーディションし、4人の少年少女が候補に選ばれた
出所したばかりのジェシーとビッチ扱いされているリリが恋人役を演じ、リリの息子役にADHDのライアン、その姉にマイリスが配役された
撮影は難航を極めるものの、少しずつシーンを重ねていく
ライアンは時に不安定になり、リリは音響担当のヴィクトルに恋心を覚えるようになっていった
撮影は地区でも噂になり、出演者を揶揄する声も上がり、家族の不安も増していく
そんな中、出演者のマイリスが降りることになり、映画は修正を余儀なくされてしまうのである
テーマ:悪名と可能性
裏テーマ:擬似空間と感情
■ひとこと感想
映画の中で映画を作る系は大好きで、本作の場合は「現地の問題児を集める」というハードルの高いものになっていました
彼らを集めた理由は最後まではっきりしませんでしたが、地区のアピールになるかどうかは微妙なラインだったように思います
映画は、映画撮影のドキュメンタリーを見ている感じに構成されていて、映画撮影の裏側を覗き見る感じになっていました
演者同士で微妙な雰囲気になったり、スタッフと恋仲になったりするのですが、撮影期間だけの特別な感情がそうさせていたことがわかります
制作される映画は最後まで意味が分からず、ライアンが妊婦になっているという、どう解釈すれば良いのか分からない内容になっていました
パンフレットには本作のシナリオが載っているので、細かいところがわからなくても読み返すことで理解が深まるのではないでしょうか
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
原題も英題も「最悪」というタイトルがついていますが、邦題の「子どもたちが最悪」というのとは意味が違うように思いました
誰の目線で見れば「最悪」になるのかと言えば、それは地元住民の目線ということになるのだと思います
地域のイメージに寄与するとは思えない配役で、物語も意味が分からないので、どうしてこの町でその映画を撮るのか、というものが疑問視されています
後半には、撮影スタッフのジュディスと地元住民、地域コミュニティー委員などが話し合いをしていましたが、どれだけの人が好意的に受け止めているのかは、なんとも言えない感じになっていました
映画スタッフに恋をするリリ、想いを伝えることもできずに距離を置くマイリスは対象的に描かれていて、マイリスの退場の理由は彼女以外は知らないと思います
リリの恋心とジェシーの想いも交錯することなく、ライアンはレミーのライブに行けて一番得をしたのかもしれません
ガチで演技素人を集めたのか、俳優さんたちに演じてもらったのかはわかりませんが、自然な演技を引き出すためにガチで喧嘩をさせたりするのは、ちょっと行き過ぎている部分があるのかなと思いました
■コミュニティと映画
本作は、日本でも稀に作られる「ご当地映画」に近いものがあると思います
大体はドキュメンタリーを制作することが多いのですが、今回はシナリオありの映画を現地民で作ると言う内容になっていました
物語はSFっぽい感じですが、キャストは「訳あり」を使っているので、それに地元民が反発しているように描かれています
地域を舞台にする映画の場合、その土地にまつわるものが多いのですが、本作内の映画は「地元にルーツのある物語」とは思えません
地場産業振興とか、現地で話題の学校が取り上げられるとかもなく、この地の伝説や伝承を映像化しているようにも思えません
なので、単に地元の子どもたちを配役しているだけの映画なので、逆に「映画をどうやってアピールするのか」と言うのがわからなかったりします
考えられる範囲だと「◯◯地区の子どもたちが映画初出演!」みたいなものなのですが、それだと「訳ありばかり集めている」と言うのは逆効果のように思えます
集められている子どもたちは、どちらかと言えば「ネガティブなレッテルを貼られた人たち」と言うことになるのですが、彼らのイメージが映画で上がるかどうかは未知数でしょう
前科持ちでも、ADHDでも、アバズレと呼ばれようとも、同性愛者であろうとも、と言うニュアンスになると思いますが、このマインドこそ失礼の極みのようなもので、この試みで映画を作ろうとしていること自体が「最悪」のように思えてしまいます
■劇中映画「北風に逆らえば」について
映画で引用される諺「北風に逆らって小便をすれば自分が濡れてしまう」は、「危険を犯して多数派に逆らってはいけない」と言うニュアンスで使われます
北部フランスでよく使われる表現ですが、引用元というものは調べても出てきませんでした
この言葉がタイトルに使われていることは意図的で、パンフレットの監督の言葉だと「映画とかけ離れたものにはしたくなかった」というものがあります
なので、劇中映画と本作は密接に関連していて、この映画のタイトルにつけることができるとも言えます
劇中映画は「姉の妊娠に動揺する弟」が描かれていて、パンフのインタビューによれば、ライアンが妊婦になって屋根の上に立っているシーンは彼が見ている悪夢のシーンだそうです
姉が身籠ったことによって、自分は捨てられるのではないかという恐怖を持っているという設定があって、その状況のライアンがあのような夢を見ているということになります
いわゆる「安全地帯の消滅」であり、それを好意的に捉えれば「挑戦」とも言えますね
逆に、その行動や事象を否定することは、挑戦に対して懐疑的であるとも言えるし、保守的なものの見方をしていることになります
劇中でも、地元民が杞憂しているシーンがありますが、それはこの映画全体を包んでいる空気のようにも思えます
劇中映画は「挑戦」の最たるものですが、それを行う人の素地というものに穿った見方をしているとも取れます
現地民は自分たちのイメージの下落について恐れを持っていますが、それは映画によって環境が変わることを恐れているようにも思えます
言い換えれば、「挑戦しない者」は環境の保持のために抵抗を見せているということになるのかな、と思いました
映画の完成は、演技経験ゼロの素人が作品を作り上げたということだけではなく、それぞれのキャラクターが持っていたイメージを変えることにも繋がります
これをよく思わないのは、そのレッテルを貼ったままの方が都合が良い人たちでしょう
その理由はいくつもあると思いますが、わかりやすいのは現在のヒエラルキーの維持になると思います
そして、そのヒエラルキーを覆す人物が「彼らであることに抵抗がある」と言う考えがあるのかな、と感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画の邦題は『最悪な子どもたち』なのですが、原題、英題ともに「子どもたち」を指す言葉はありません
英題の「Once」は「者たち」という意味ですが、これは子どもとは限定していないのですね
「子どもたち」を付けたのかは日本の配給側だと思いますが、映画の中にも「最悪な子どもたち」と言うものは出てこないのですね
そこに映し出されている子どもたちは、色々と難があるけれど、撮影に前向きになって、今までにしたことのないチャレンジを行なってきた子どもたちだったと言えます
途中でマイリスが映画から去ることになりましたが、心もとない言葉が「同じ出演者(挑戦者)から放たれたこと」が原因でした
「最悪」が何を指し示しているかと言えば、マイリスを退場させたジェシーの言葉のように、その人本来が持っている資質というものを揶揄う風潮でしょう
これはライアンが抱えているADHDも同じで、ジェシーとリリが抱えるものとは質が違います
ジェシーの前科者は彼の行動が原因で、リリのビッチも彼女の行動が原因となっています
元からあるもの、過去の行動というものを否定する、その思想は「最悪」とも捉えられるし、この特性を利用してフィルムに収めることも「最悪」と言える気がしないでもありません
監督のインタビューでも「行き過ぎた撮影スタッフ」に言及している部分があり、これは恣意的に行なってきたことだとわかります
その最たるものが「撮れる画を撮るために本当に喧嘩をさせる」というシーンで、これにはスタッフも困惑している様子が描かれていました
リアリティの追求のために起こす必要のないものを起こし、それによって元からあった火種に火をつけてしまう
これは、元からあった火種を利用している行為なので、これも「最悪」と言えるものだと思います
映画では、随所に大人の「最悪」が描かれていたので、どこをどう見たら「最悪な子どもたち」となるのかは理解できません
むしろ、このタイトルを採択していることも「最悪」と言え、「子どもたち」というタイトルと「ライアンの顔」によって印象操作をしているようにも見えてきます
映画はここまで意図したものにはなっていないのですが、海外版のポスターも同じライアンの顔写真が使われたりしています
海外の方は「子どもたち表記がない」ので、まんまライアンが最悪な奴なのかとミスリードしているのですが、それも踏まえた効果を狙っているのかもしれません
ライアンを最悪な者とした前提で映画を見ていくと、「おいおい、彼のどこが最悪なんだい?」という感じになってしまうのですね
そうすることで、本当の「最悪」に対するグラデーションを濃くしているのですが、そこには「写真を見た人の想像力」というものが入っています
なので、あえて「子どもたち」と付けなくても、そこにたどり着いていくものなので、邦題に関しては「蛇足」ということになるのかなと感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100427/review/03376043/
公式HP:
https://www.magichour.co.jp/theworstones/