■始まりの物語として、広がりを感じさせる内容になっていただろうか?


■オススメ度

 

アクション映画が好きな人(★★★)

原作ファン(★★)

 


■公式予告編

鑑賞日2023.4.28(MOVIX京都 ドルビーシネマ)


■映画情報

 

原題Knights of the Zodiac(黄道12星座の騎士たち)

情報2023年、アメリカ&日本、112分、G

ジャンル:現代に降臨したアテナを救う使命を持った戦士が聖闘士として覚醒する様子を描いたアクション映画

 

監督トメック・バギンスキー

脚本ジョシュ・キャンベル&マット・ストゥーンケン&リック・ナサンソン

原作車田正美『聖闘士星矢』

 

キャスト:

新田真剣佑(聖矢:ペガサスの聖闘士、コスモを有する青年)

   (幼少期:岩田琉聖

 

マディソン・アイズマン/Madison Iseman(シエナ/アテナ:現在に蘇った戦争の神アテナの化身、原作の城戸沙織)

ショーン・ビーン/Sean Bean(アルマン・城戸:シエナの育ての親、原作の城戸光政)

マーク・ダカスコス/Mark Dacascosマイロック:アルマンの右腕、原作の辰巳)

 

ファムケ・ヤンセン/Famke Janssen(ヴァンダー・グラード:アルマンの元妻、アテナを倒そうと暗躍する集団のリーダー、映画オリジナルキャラ)

ディエゴ・ティノコ/Diego Tinoco (ネロ:フェニックスの聖闘士、グラードに従事する戦士、原作の一輝

ニック・スタール/Nick Stahl(カシオス:グリードの部下)

 

Caitlin Hutson(マリン:イーグルの聖闘士、原作の魔鈴)

 

Taylan Teague(パトリシア:星矢の姉、原作の星華)

 


■映画の舞台

 

地上のどこか

 

ロケ地:

ハンガリー:ブダペスト

クロアチア

 


■簡単なあらすじ

 

幼い頃に姉パトリシアと生き別れになった星矢は、己の強さを求めて地下の格闘技場でしのぎを削っていた

闘技場1強い相手を圧倒する星矢だったが、そこにカシオスという輩が乱入する

これまでとは違う強さを感じながらも、星矢の内なる力が露見し、カシオスを倒すことができた

 

そんな彼の元に謎の男がコンタクトを取ってきた

それは富豪のアルマン・キドという人物で、彼は星矢の内なる力について知っている存在だった

そこに別の黒い甲冑を着た部隊が乱入し、星矢はアルマンを追って逃げることになる

 

彼が連れて行かれたのは要塞のような邸宅で、そこには一人の少女シエナがいた

アルマンは「彼女が女神アテナの生まれ変わりだ」と言い、「星矢はアテナを守るための戦士、伝説の聖闘士である」という

事態が飲み込めずに困惑する星矢だったが、シエナの超常的な力を目の当たりにして、聖闘士となるための訓練を始めることになったのである

 

テーマ:避けられぬ運命

裏テーマ:愛と欲望

 


■ひとこと感想

 

今更ながら聖闘士星矢の実写化をハリウッドで敢行するとのことで、どんな内容になるのかなあと遠い目で見ながら鑑賞

いわゆる「別物としてならOK」というギリギリのラインを這う作品で、聖闘士星矢だったのかはわからない内容になっています

 

突然訪れる運命に翻弄され、守るべき相手の価値がわからない中で、シエナの本質を知って感化されていくのですが、これがどの作品にも当てはまりそうなテンプレートになっている感じがしますね

映画だけで登場するオリジナルキャラ(だと思う)のアルマンの妻が登場し、原作の「みんな兄弟設定」はどこかに行っているようですね

 

映像的な迫力はありますが、ドルシネのとりあえず公開みたいな感じになっていました

普通に2D鑑賞でOKだと思うので、そこまでの特別感はないように思えました

原作を知らないとわからない部分が多いものの、全くの別物感があるので、なんとも言えない感じに仕上がっていましたねえ

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

アルマンこと城戸光政に嫁がいる設定で、離婚して別の組織を作って、育ての娘を殺そうとするという内容

最後の最後になって日和る感じになっていて、キャラ造形がブレブレになっています

この流れなら「黒幕はネロ(原作の一輝)」で、グラードは利用されていたとか、洗脳されていたでOKだったかもしれません

 

マリンの造形だけガチで、聖闘士に関しては『グラディエーター』ぐらいの年代の甲冑のような印象がありますね

『アイアンマン』のような最新鋭の機械にするわけには行かないので、太古の戦士のコスチュームになるのは良いと思います

でも、基本的にコスモで戦うし、それで防御もするので、甲冑感はさほど必要なかったかもしれません

 

とは言え、ビジュアルから「青銅感」があまり感じられず、黒っぽい質感になっているので、聖衣っぽく見えないのは残念ですね

あとは、必殺技を叫ぶのがデフォなので、「ペガサス流星拳!」はやってほしかったと思いました(本当にやったら陳腐な感じになるとは思いますが)

 


突然の抗えぬ運命とは

 

本作も物語あるあるの「突然、使命を言い渡される、実は特別な人」というものになっていました

原作の場合は「意図的に生産された個体」という側面があって、運命決定論の延長に位置していたと思います

映画では、偶然「地下闘技場に現れた青年」として描かれていて、それは偶然の産物だったように描かれていました

この運命も決定されていたけど、その運命を誰も知らないという状況になっています

 

これらの改変は特段問題はなく、むしろ原作の鬼畜設定の方が無理がある感じになっていましたね

星矢と星華は姉弟なので、同じ女性と2回したんかい!とという特別感もありますし、一輝と瞬にも同じことが言えました

星矢の場合は「男性が必要だったので再チャレンジ」で済みますが、一輝と瞬の場合は筋が通らないのですね

深く考える問題ではありませんが、青春期に「ネタバレ」喰らった時に「ただの好色のジジイだったのか」と衝撃を受けた経験があります

 

運命は定められているものかどうかは検証しようがありませんが、人生の中で「使命」というものに導かれていく感覚は少なからずあります

私自身が今現在こうしているのも、何かしらの「使命」があるのだと思いますが、世界を救うというような荒唐無稽のものではないことは確かです

運命には大きな道があって、それは死に向かう道であることは確かでしょう

でも、最後の到達地点に真っ直ぐな道があるわけではなく、少しずつ「色んなものが削られて露見してくるもの」だと考えられます

 

すべての人には「何らかの運命なるものがある」のですが、それに気づかないまま人生を終える人は少なくないと思います

そんな中で、ほんの一握りが「運命」のもとで苦悩しているように思えるのですが、実際にはすべての人が「気づかない運命の波及」に晒されているのですね

自分は何も成し得ていないし、誰かに影響を与えたとは思っていないかもしれません

でも、自分の人生を振り返ると、「意図せぬ何かの影響を受けた」という経験を思い出せると思います

 

これらを正しく認識するとしたら、それは行動の反復とその学習になると思います

私の自覚する使命とは、「何らかの事象の構造をわかりやすく伝える」ということと、「独自の観点を言語化する」というものだと思っています

これらの結論に至ったのは、これまでに生きてきた中で、多くのエピソードがこのような体験で埋め尽くされているからなのですね

個人的には、人生に2回泣いた(映画鑑賞とは別に)のですが、その二つの涙というのは、「自分の存在意義と根源欲求の確認」と「自分に降りかかった難題の理解」に寄与しました

 

もう少し噛み砕くと、「以前、働いていた時に認められた瞬間に泣いた」というものと、「妻が亡くなって、彼女の本心をあるものから知ったこと」ということになります

あまりにもナイーヴなことなので細かくは書きませんが、承認欲求というものが根源欲求の認知によって乗法に至るという感じになります

要は、自分の承認欲求を満たすものの正体を知り、それが根源欲求とイコールであると気づいた時に、承認欲求と根源欲求が同時に満たされる喜びに到達する、というものです

努力を認められたい人が努力を認められ、結果を認められたい人が結果を認められる

逆に、努力を認められたい人が結果を認められても満たされないということになっていて、このイコールがとても重要なのだと理解した、ということになります

 

こうした自己の内観が進んだ時、その特性が誰かの役に立つものだと自覚することになります

そうした時に「これらは運命ではないのか?」と思い始めるのですね

実際にはどうかわからなくても、他人ができないことをできる自分がいて、それによって根源欲求も承認欲求も満たされていく

そうした先にあるのが「運命の実感」と言うものかもしれません

合っているかどうかは問題ではなく、そうなった時に自分の人生を肯定できるようになる、と言う感じだと思います

 


勝手にスクリプトドクター

 

映画は原作とは別物だと認識して観ましたが、さすがに擁護できるレベルのシナリオとは言えません

良質のシナリオとは、「舞台設定をモノローグで語らない」「開始20分ですべてのキャラクターの認知ができる」というものがあります

英語の脚本だと「1ページ=1分」という原則があって、映画一本は120ページぐらい、と言われています

なので、最初の20ページの段階で、「世界観の説明」「登場人物の紹介」が終わっている、ということになります

 

世界観に関しては『スターウォーズ』のような字幕説明から、本作のように「ビジュアルとモノローグを駆使する」というのが一般的なのですが、このモノローグが速すぎたり専門用語満載だと観客は理解できません

本作の場合は、「シエナが黄金聖闘士に保護された」というところはわかりますが、その時に起きたことが後半で語られることになっていました

グラードがシエナにふれた時に両腕を失うというものがあって、それによってシエナは危険な存在だと彼女が認知しています

このグラードの行動原理をミステリーにしているというのがこのシナリオのダメなところだと言えます

 

そして、このグラードの行動原理の説明もないまま、どうやら傭兵を集めた集団を結成していて、その組織の目的がシエナを殺すことのようだというのが徐々にわかってきます

でも、シエナの覚醒が地球の崩壊につながるというのがグラードの妄想のようなものになっていて、実際に滅びるかどうかすらわからないものになっていました

シエナ(=アテナ)は戦いの神様ではありますが、地球を守る守護神でもあります

なので、守護神が地上を滅ぼすに至る理由とか、それが起こると確信した理由などの提示が必要になってきます

 

最終的には「その思い込みを正す」ということになっていますが、その正し方も「突然、思い出したかのように」というところが意味不明なのですね

いきなり母性を発揮したのか、何かが彼女から抜け落ちたのかわかりませんが、隣にいたネロが「この期に及んで何を言うてんねん」みたいな感じになっていたのはコミカルでしたね

ちなみにこのネロと言う人物は、原作のフェニックス一輝なのですが、彼が何者なのかは最後までわからないのですね

グラードも彼を一度も「ネロ」と呼ばないので、「呼ばれまくったマイロック」との違いが顕著になっていました

 

よくできたシナリオにある「冒頭20分で登場人物を全部出す」と言うのは、名前の認知もできると言う意味を含みます

なので、あらすじを頭に入れなくても、主要な人物の「顔と名前が一致する」と言う原則があって、名前を呼ぶかわかりやすくIDが提示されると言うのが基本になっています

なので、最後まで「こいつ誰?」で進んでいくシナリオと言うのは、基礎すらできていないと言え、それは「観客の映画に対する理解の順序」と言うものをわかっていないから、と言えるのではないでしょうか

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画はこの基本項目以外にもヤバいところが多くて、その最たるものが「起こりつつある問題」と「キャラクターの動き」の連動性のなさと言ったところですね

わかりやすいのが、「シエナが覚醒したら人類は滅びる」と考えているのに、何の前ぶれもなくグラードが作戦を中止するシーンになります

いきなり「育ての娘を殺せない」モードに入るのですが、シエナが覚醒したら人類滅亡で、多くの死人がすでに出ている状態で、その行動を瞬間的な感情で止めてしまう

この一連の流れが、自分が生んだ娘なら理解できないことはないのですが、自分の子どもじゃないし、自分の腕が無くなった原因なのに心変わりが起こってしまう

どうしてもグラードの行動を変えさせるのなら、ネロによる洗脳がシエナの覚醒によって解けた、と言うものになると思います

 

ネロがグラードと行動を共にしている理由とか、どちらが見つけ出したのかとか、様々な設定の説明が放棄されているので、このあたりの辻褄を合わせようがありません

グラードに子どもがいない理由とか、子どもを殺してでも為すべきことなどの背景も全くないので、彼女の動きだけを見ていると全く一貫していないように見えます

なので、唐突な中止に関しても、なんでそうなるのか?を理解させる間もなく、結局は止められずに覚醒に至っていました

グラードは被害者なのか加害者なのかと言うポジションも明確ではなく、単純に話を掻き回すだけの存在になっていて、「18年前に心に決めたことをずっと行動原理にする」キャラクターなのに、その崩壊には前ぶれがない

これでは、物語がどの方向に進んだのかも明確ではないように思えました

 

映画は、続編を想定された序章ではありますが、本作の後に「何が起こるのか」と言うところを仄めかさずに終わっています

シエナが覚醒したら世界が滅びるはずが、滅びることなく続いているように思えます

あの場所の半径数キロがどうなったかはわかっても、世界がどうなったのかまでの映像は見せないし、シエナ覚醒に気づいた「何か」と言うのもいません

 

流れとしては、シエナ覚醒によって「シエナと対抗する何か」「シエナの護衛をする何か」「シエナに感化されて目覚めるコスモ」など、様々なものがあったでしょう

そう言った「結末の影響」がほとんど描かれていなかったので、続編を作る気があるのかどうかもわかりません

一作目の成績で今後の動向が決まるパターンだと思いますが、それを準拠にすると、「最初で最後」なのかなと思ってしまいます

素材が良いだけに料理の仕方を間違えまくっているので、続編を作るよりは、別の誰かによって「作り直される」のではないかと感じました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/387057/review/cd65b773-67cb-49c8-85e1-48394139c8f4/

 

公式HP:

https://kotzmovie.jp/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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