■告白がもたらした異常自体は、猜疑心の果てに暴挙を呼び起こす
Contents
■オススメ度
ワンシチュエーションスリラーに興味がある人(★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.6.6(イオンシネマ高の原)
■映画情報
情報:2024年、日本、74分、PG12
ジャンル:過去を自白したことで歪む人間関係を描いたスリラー映画
監督:山下敦弘
脚本:幸修司&高田亮
原作:福本伸行&かわぐちかいじ『告白 コンフェッション(講談社)』
Amazon Link(原作コミック)→ https://amzn.to/4edUkwS
キャスト:
生田斗真(浅井啓介:元山岳部の部長)
ヤン・イクチュン/양 익준(リュウ・ジヨン:浅井の友人)
奈緒(西田さゆり:18年前に事故死した部員)
吉岡睦雄(山岳救助隊)
服部竜三郎(山岳救助隊)
賀家勇人(山岳救助隊)
宮原尚之(山岳救助隊)
サトウヒカル(山岳救助隊)
内藤聖羽(山岳救助隊)
水澤紳吾(山岳救助隊)
■映画の舞台
日本のどこかの山岳地帯(原作は尾張)
ロケ地:
長野県:伊那市
入笠牧場
https://maps.app.goo.gl/rMmSCp6FPh92d7hS8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
学生時代に山岳部にて仲間だった浅井とジヨンは、18年前に山で遭難したさゆりのための慰労登山を続けてきた
行き慣れたはずの山だったが、荒れ模様の天気とジヨンの怪我によって、山小屋に到達する寸前で、立ち往生してしまった
ジヨンは死を覚悟し、18年前の遭難の真相を語り始める
彼はさゆりに恋心を抱いていたが、彼女は浅井と恋人関係にあった
そこで酷い振られ方をしたジヨンは、彼女の首を絞めて殺してしまったというのである
浅井は冷静になって、18年前のことだからと気にしない素振りを見せ、今は生き残ることを考えようと言い始める
浅井は周囲を確認しに向かい、そこでようやく山小屋を見つけることになった
ジヨンを運び込んで救助隊を待つことになったが、ジヨンは死ぬと思って告白したことと、浅井の不用意な発言によって、二人の間に亀裂が生じてしまうのである
テーマ:墓場まで持っていく秘密
裏テーマ:告白がもたらす変化
■ひとこと感想
かなり昔の作品で、雑誌掲載時に読んでいた記憶があります
今更映画化するのかと不思議に思いましたが、ここまで改変すれば別物としてOKなのかなと思いました
3人の関係性はそのままに、告白する側を韓国人留学生という設定に変えていましたね
これによって、ジヨンの独り言が何を言っているかわからないという状況を生み出していましたが、字幕がなかった方が良かったように思えました
俯瞰して見る分にはあったほうが良いのですが、告白された側に同化した方がホラー的には面白いので、何を言っているのかわからない方が凄みが出たように思えました
ちなみに原作を読んでいても、ラストが大きく変わっているので初物を観た感覚になれますね
良いかどうかは置いといて、ワンシチュエーションを借りて、新しいものを作りたかったのかな、と思いました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
さすがにネタバレブログでもネタバレを書くのを躊躇う内容になっていますが、原作を読み返した上で、どのように変えたのかを楽しんでも良いのかな、と思いました
映画はほぼ二人の会話劇なのですが、途中の第一段階目のネタバラシで脱力した人が多数だったんじゃないかと思います
あれをやってしまうと、その後のシーンの信憑性も薄くなってしまうので、冒頭のちょこっとだけにした方が良かったように思います
浅井は想像を巡らせて先走ってしまうのですが、彼の中にある疑心暗鬼というものが増大しておかしくなっていく様をもっと克明に描いた方が良かったと思います
ちなみに個人的には、この改変はアリだと思いますが、原作の終わり方の方が好みでしたねえ
原作ネタバレをするのもアレなので、興味のある方はアマッてみてくださいまし
■告白によって何を得るか
本作は、死ぬと思って告白したら生き延びてしまって、それで気まずい雰囲気になるというものでした
その告白の内容は「かつての浅井の交際相手だったさゆりを殺した」というもので、ジヨンも彼女が好きだったけど、それが叶わなかったからという動機になっています
あの時にどんなことを言われたのかは再現されませんが、さゆりの酷い言葉は浅井には伝えず、自分の行為と心情だけを語っていたように思います
個人的には「キモい!死ね!」ぐらい言われないと殺意って芽生えないように思えました
ある意味、墓場まで持っていくべき話なのですが、ジヨンの中で死ぬまでには伝えないといけないことのようになっていたのですね
それで心が軽くなるのかは分かりませんが、言わずにはいられなかったということになります
結果として、その告白によって「ジヨンは違和感を感じること」になっていて、それが浅井のあらぬ妄想を生み出すきっかけとなっていました
告白とは、時間が経てば経つほどに言い出せなくなるもので、それは告白者の心の中でだけ肥大化するとも言えます
今回は「実は浅井がとどめを差していた」という事実があるのですが、十数年前のことを今更言われても、そこまで反応が変わらないように思います
浅井の中でさゆりへの想いが残っている間だと、ジヨンの行為に怒りを覚えたと思いますが、それは浅井自身でないと分かりません
むしろ、ジヨンの方がさゆりへの想いを募らせていたので、今回の告白に関して言えば、自分の方がさゆりを愛していた、と言いたげなようにも思えてしまいます
言いたいことを飲み込むことはよくありますが、今回のような秘密だと、罰を受ける気がないのならば、墓まで持っていくべきものでしょう
浅井としては「殺人者の告白を聞いたけど生き残ったという状況」だけが残り、それがあらぬ妄想を生み出しています
とは言え、実際には浅井も殺人者なので、あのような心理状況になるのかは疑問が残るように思えました
■告白によって何が変わるのか
本作は、告白によって心理的な立場が変化する様子を描き、双方の深層心理が浮き彫りになる状況を生み出します
ある事実の共有というのは、その事実に相対する双方の心理をあぶり出すのですが、今回の場合は、恋人が友人に殺されたのに無反応というところにジヨンの違和感が募ることになりました
十数年経っているのでそこまで執着があるのかは分かりませんが、無感情というのはおかしく見え、通常ならば「一旦は怒り、少しして冷静」という起伏があるように思えます
浅井が平静を装うことは、何かを隠しているという感じに見え、ジヨンは自分の知らない何かがあるのでは、と勘繰るようになります
告白を行うと、相手の反応に敏感になり、自分が想定していた反応と違うと違和感は感じるのは当然のことだと思います
怒られるのを前提で勇気を出して話すことになるので、そこでは何らかの反応を期待している場合が多いでしょう
許してくれるかどうかはわからないが、その事実だけは知ってほしいという心理があるのですが、今回の場合は、死の間際ゆえに「浅井にどのような感情が芽生えようが関係ない」とも言えます
なので、自分が死んだ後に「事実を知った浅井が苦しめば良い」と考えていたのでしょう
でも、その目論見は外れ、ジヨン自身が願ったことすら叶わないということになりました
告白は告白者の心を軽くする以外の効能はなく、本来ならば当事者が事実を知るという意味も強く存在するはずでした
そこで、浅井は「親友に殺された」という事実を受け入れざるを得なくなり、本来ならば強い葛藤を持って、その後を生きていくことになります
恋人もいないし、復讐する相手もいないので、かなり強い憤りを抱えたまま、この後を過ごすことになるので、ジヨンとしては「自分の恋愛がうまくいかなかったのは浅井のせいだ」という考えで復讐をしようと考えていたのかもしれません
でも、それが叶わず生き延びて、しかも浅井はノーリアクションに近く、別の妄想を抱いている
ジヨンからすれば、こんな奇妙なことはないと感じても不思議はないように思えました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、かなり昔の作品で、今更映画化という感じの作品になっています
原作を連載時に読んでいた記憶がありますが、その時は結構面白く感じましたね
どうなるんだろうという感じでドキドキできましたが、映画ではそこまでのものは感じられませんでした
原作とはほぼ別物になっていて、ジヨンにあたるキャラクターは石倉という日本人でした
また、登山に関しても慰霊登山ではなく、今回は他のメンバーが来れないために二人きりで登ることになった、という導入になっています
原作では、さゆりの死体は発見されていて、事故死として処理されていましたが、実際には石倉が殺人未遂、浅井による殺人となっていて、これは映画と同じ流れになっています
ラストについては違うので言及は避けますが、どっちが良いかは読んでもらってから判断してもらった方が良いと思います
本作は、石倉が韓国人のジヨンとなったことで言葉が通じない場面がある、という新しい設定がありました
これ自体は良いと思うのですが、中途半端に字幕が出ることで、浅井の感じる気味の悪さというものが半減しています
また、事故から十数年経っているという設定も微妙で、映画ではいまだに死体が見つかっていないというものになっていました
行方不明の捜索があって、ある程度場所も特定できているのにいまだに不明というのは釈然としない設定のように思います
また、時代が現代になったことでスマートフォン問題を避けて通れないのですが、単純に破損して使えないとかの方が良かったでしょう
原作では、わずかしかない硬貨で古屋の備え付けの公衆電話から電話をかけて救助を呼んでいたので、その流れをそのまま流用した方が良いと思います
時代設定を変えると、ガジェットが設定の大部分を占めるので、そこを変えるなら緻密に設定や展開を作り込まないとダメなのですね
なので、本作は原作の設定を借りて現代劇にしたけど、細部の作り込みが甘いのでおかしなことだらけになっている印象がありました
あとは、中盤に起こる「実は妄想でした」というのが観ている方の集中力を切らす結果になっていますね
この妄想部分が物凄く長くて、ほぼ半分ぐらいの尺を取っていたので、あの段階で「前半は全部嘘」をしてしまうのはさすがに厳しいと思います
もし、妄想を効果的に使うのなら、小出しにして、前半で何度も妄想を見ては我に帰るというのを繰り返して、観客側に「どこから現実で、どこから妄想か」というものを判断させるような作りになった方が効果的であるように思えました
全体的にこじんまりとした作品ですが、今映画化する意味はほとんど感じなかったので、なんで作ろうと思ったのかという理由が最大の謎でしたねえ
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101004/review/03900129/
公式HP:
https://gaga.ne.jp/kokuhaku-movie/