■タイトルに「この子」を入れたことで得られたものと失ったものがあったのかなと思いました


■オススメ度

 

一風変わったミステリーホラーが好きな人(★★★)

催眠系が好きな人(★★★)

南沙良さん目的の人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2022.9.1(T・JOY京都)


■映画情報

 

情報:2022年、日本、100分、PG12

ジャンル:事故を起こした後におかしくなった一家を描いたミステリー&ホラー映画

 

監督&脚本:片岡翔

 

キャスト:

南沙良(窪花:事故後に不登校になった女子高生)

(幼少期:川端夏奈

大西流星(四井純:花を知る高校生)

 

櫻井ユキ(窪繭子:別人のように思える花の母)

渡辺さくら(窪月:花の妹)

玉木宏(窪司朗:くぼ心理療法室の心理療法士、花たちの父)

 

桜木梨奈(花の脳裏に浮かぶ謎の女性)

石川葵(花の記憶にある謎の少女)

 

小宮一葉(四井理紗:純の母)

稲川実代子(純の祖母)

 

二ノ宮隆太郎(鮫川祐一:ベランダでおかしくなっている男)

鍛代良(プールの水を飲むおかしな男)

 

山内優花(金髪のゴミ屋敷の女)

広江美奈(広長紗枝:おかしくなっている女)

岡明子(戸村胡桃:おかしくなっている女)

 

成澤優子(麻田優:退行催眠を受ける四朗の患者)

 

山口詠士(生まれてくる赤ん坊)

 


■映画の舞台

 

山梨県:甲府市

 

ロケ地:

東京都:日野市

 

埼玉県:南埼玉郡

東武動物公園(メリーゴーランド:カルーセル・ウォーター・リリー)

https://maps.app.goo.gl/4iBKBXwqXdLeSLXm6?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

家族で遊園地に行った帰りに事故にあった花たちは、今では父は足に障害が残り、妹は顔面傷だらけで人前に出れず、母に至っては5年経っても昏睡から目が覚めずにいた

父は地元で心理療法を扱っていて、時折患者がやってくる

花は事故以来不登校になっていたが、父親は登校を強要しなかった

 

ある日、診療室を覗く男子学生は、2階の窓に白い仮面を被った少女を目撃する

父らしき男も彼に気付いたが、その日は何も起こらなかった

 

男子学生は近くに住んでいて、母は精神疾患でおかしくなっていた

祖母と二人暮らしだったが、母をなんとか治療したいと考えて、診療室が気になっていたのである

 

そんなある日、花たちの元に5年ぶりに母親が帰ってきた

父は「奇跡が起きた」と言うものの、花は母を見て違和感を感じる

父は5年ぶりだし、整形もしているというが、その説明では納得できない何かがそこにあったのである

 

テーマ:退行催眠

裏テーマ:魂と体

 


■ひとこと感想

 

ホラーミステリーで、人が入れ替わり系と言うことを認識した上で参戦

それ以外の情報はほぼ入れずに観ましたが、思った以上にオチが読めてしまう内容になっていました

 

タイトルの意味は最後までわかりませんが、概ね映画全体を表している秀逸なタイトルであると思います

問題は退行催眠があそこまで万能なものなのかと言うリアリティの問題でしょうか

 

それをどこまで許容できるかが評価の分かれ目になりそうですが、それを差し引いても役者の演技力で保っている部分は多かったように思えます

あまり書くとネタバレになってしまうのでアレですが、できるだけ情報を入れない方が楽しめるのは間違い無いですね

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

ガッツリかましてもOKでしょうか?

 

 

 

 

 

と言うわけで、いわゆる「嫌ミス系」と言うジャンルになってしまう本作は、退行催眠で魂を入れ替えると言うファンタジーに着地することになりました

鑑賞中もそれしか方法ないよねと思いながら、黒幕は「本当の家族を欲しがった花のしわざなのかな」とか考えていましたね

 

でも、中盤で子供ができた(瞬間種付けでしたねえ)と言う件で、ああこれは犯人の逃避ルートができたなあと思いました

映画はキャスト欄でネタバレしてしまうパターンなのでどう書くか悩みましたが、観た人ならわかるけど観てない人にはわからないギリギリのラインを攻めることができたと思っています

 

退行催眠が実際にあのような悪用ができるのかはわかりませんが、ちまたでも洗脳は話題になっているので、絶対に無理と言うラインではないところが絶妙なのかもしれません

 


そもそも退行催眠とは何か

 

映画に登場する「退行催眠」とは「催眠療法(Hypnotherapy)の一つで、年齢退行(Age Regression)と呼ばれるものです

Age regression therapy」と呼ばれるもので、子ども時代の記憶、思考、感情にアクセスすること心理療法のことを言います

患者の現在の問題の原点を探るというもので、過去のトラウマ的な事象を想起させるため、弊害も多いと指摘されています

でも、実際に患者の記憶を奥底まで辿ることができたとしても、ウサギに移し替えるというのは無理だと言えます

 

むしろ移し替えるよりは、嘘の記憶を記録していく方が可能性が高くて、「偽りの記憶(False Memoy)」を形成していくことの方がありえそうに思えました

映画を見ていた際には、司朗の持っている妻の記憶を偽・繭子に与えていて暗示をかけていたのかなと思っていましたが、実際にはウサギと交換だったのでズコーとなってしまいました

それを発展させて人と人の魂を交換したのが偽・繭子と偽・月ということになっていて、でも定期的に何かしらのメンテナンスを行う必要があるような表現になっていましたね

 

おそらくは、魂の定着に対する身体的な抵抗があるということなのでしょうが、そのメンテナンスも含めて「偽りの記憶の植え付け」にも見えてしまいます

そっくりそのまま入れ替えることができるのならメンテナンスが必要ないわけで、それはウサギになった純とその母が自宅に戻ったことが示しているように思えます

 

この映画では「魂を入れ替えることができる世界線」という認識で映画に臨む必要があって、そこは「実を食べたら腕が伸びる世界線」に似たようなものだと「思い込む」しかありません

映画は実写で、ありそうな演出と表現になっているように見えますが、行われていることは漫画的なことなので、これを許容できるかどうかが映画の評価の分かれ目になっているように思えました

 


心とは何か?

 

この映画では、心(魂)を定着させるためにメンテナンスが必要な世界ですが、心や魂は身体のどこに定着するのか論争というのは昔からあります

いわゆる「心は存在するのか?」というもので、多くの西洋医学的な思想では、「脳にある」という感じになっています

哲学者アリストテレスは「心は心臓にある」と考え、医学者ヒポクラテスは「心は脳にある」と言います

中世になって、哲学者ルネ・デカルトが「魂の存在」について言及し、哲学者ギルバート・ライルは「場所を議論することはナンセンス」という立場を取ったと言われています

 

実際にどこにあるかという議論の前に、心とは何かということについて考えることが重要かと思います

「心」を辞書で調べると、「体に対して、内部に宿る知識・感情・意志などの精神的な働きのもとになると見られているもの」という意味が出てきます

「心」を英語に治すと「Heart(心臓)」「Spirit(魂・生命力)」「Mind(精神・知性)」などの言葉が出てきます

心というのは特定に場所にあるように思えますが、実際には身体機能全ての場所にあって、集約されたものが脳に信号として届き、その反応を全身に巡らせるというイメージになりますね

個人的な感覚だと、心というのは「生命エネルギー」のようなものだと思っていて、人間の各器官全てを包み込むものであると思います

人が生きているのは、その生命エネルギーによるもので、その根源は細胞分裂だと思うのですね

なので、その一個一個に宿っていると考えていて、肉体の喪失などによって起こる「幻肢痛」なども、これが起因なのかなと思ったりします

 

人のDNAには正常な形というものが記憶されていて、それゆえに個々の差異はあっても、人は人を認識できます

人を人たらしめているのは心の存在があるからで、同じ形であってもダメですし、同じ動きをしたからと言ってもそうは感じません

そう考えると、個体の意識や意志によって動き、栄養素を取り込んで生命エネルギーに変え、それを遺伝子的な情報をもとに循環させて生きるというのが人間の身体の基礎なのかもしれません

さらに考えを進めると、基礎的な個体活動を身体が行い、それ以外の活動を定めるのが「心」というものなのかなと考えています

心は「生命エネルギー」をどう使うかという決定を行う器官のようなものですが、それがどこにあるかと考えれば「身体中にある細胞一つ一つ」ということになるのかもしれません

考えれば考えるほど面白いものですが、答えを出すのは難しい問題だと思いますね

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作のタイトルは「この子は邪悪」となっていて、このタイトルが秀逸だと思う一方で、ほとんどネタバレになっていると思いました

と言うのも、「この子」となった時点で、「邪悪なのは子どものうちの誰か」となります

映画で出てくる子どもは3名(最後にもう一人出てくる)ですが、「邪悪」というからには「現状を作り出している根源」ということになります

この映画における「現状」とは、家族が偽物であるという状況になり、それを作り出しているのは誰か?ということになるのですね

 

家族ではない純が邪悪であるとすると、彼が窪家をコントロールする理由が必要になります

映画の中でわかることだと、母親絡みであることは明白で、母親を治療に向かわせるために窪家をコントロールする必要がある、ということになります

この場合、司朗だけをコントロールできれば良いわけで、司朗をコントロールするために家族を先にコントロールして司朗からの関係を切り離す必要があります

また他に考えられるのは、花との関係性を自分のコントロールに置きたいということで、これも同様に花以外の家族をコントロールするという必要性ができます

花を自分の方に向かせるために家族との断絶を作るという方向に向かいますが、これはかなり手の込んだ状況を作り出すことになるので、映画内の純のキャラクターは実はそうだったというのは無理だと言えるでしょう

 

次に月が邪悪というパターンですが、これは月に能力があって、それによって司朗をコントロールして、月の望む家族を作らせるというパターンになります

この際に月が偽物か本物かでやることが変わり、元々自分の家族が嫌だった偽・月が窪家に理想を感じて、潜り込むというパターンになります

これだと、月が心理療法を受けながら、実は逆に司朗に催眠をかけていたとなってしまいます

ありそうな展開ではありますが、そいなると窪家に起きた事故というものの必要性がなくなってしまいます(事故を起こしたのも月というのはさすがに無理でしょう)

逆のパターンで、月は本物だけど「家族を制御したい」と考えた場合で、どの家族を引き入れるかということになります

となると、話の流れとしては「理想の母が欲しかった」ということになり、それを行うために司朗をコントロールし、花を騙すということになるのでしょう

そうなると、月の幼少期に実母との間に何かがあったことになるので、映画の流れを汲むと「母のせいで事故が起こった」となり、そのために「月は顔に怪我をしてしまい普通の生活を送れなくなった」という理由が存在することになります

このパターンもなくはないのですが、月の理想とする母像が何かというものが前半で示さないといけなくなり、月と花が母に対する印象が真逆であるというシークエンスが不可欠となります

この母への愛着の違いというものを花が感じないと、この方面には向かわないと考えられます

 

最後は花が邪悪というパターンで、これが壮大なミスリードになります

でも、花はこの状況に常に受動的で、偽の家族が欲しいという衝動が見当たりません

家族に対して違和感を感じている側なので、この前提から「全ての元凶が花にあった」に持っていくのは相当な荒技が必要で、そのわかりやすいパターンは「二重人格」などによるものでしょう

司朗はそれを抑えるために定期的に催眠療法を行なってきたが、それが通用しなくなった世界線ということになります

まあ、このパターンに行くのは無理ゲーのパターンになっていて、それは花に対するメリット的なものをほとんど感じないからなんですね

別の人格が理想の家族を欲しがるとするならば、家族に対する忌諱的な感情が時々露見するなどの演出が必要となりますが、本作ではその方面の演出はそれほど連続し関係性があるようには描かれていなかったように思います

 

となると、やはり「別の何か」ということになってくるのですが、察しの良い人は「偽・母の妊娠」で気づいてしまうのですね

そして、そこをサラッと流せばいいのに「タロットカードで男の子」とまでやってしまう

「勘の鋭いやつは嫌いだよ」と監督に言われそうな気もしますが、前半の異常者の動きがウサギであると気付くのはそう難しくなく、何かしらの催眠でウサギさんに仕立て上げている(これは純もなんとなく感じていたこと)と考えるのは自然なことかと思います

このような思考が映画鑑賞中に瞬間的に巡ってしまったため、「まさかとは思うけど赤ん坊に乗り移るとかオカルトに行くとか言わんやろうなあ」などとありもしなさそうなことを考えていました

 

実際に純の祖母に刺されたことで緊急避難をするのですが、映画の流れだと「患者や家族を通じて実験をしてきたサイコパス司朗」が、新しい妻を洗脳して作り出し、そしてその間に子どもを作らせたのかな、とか考えていました

その動機は司朗の身体問題で、不自由な体を元には戻せないので、新しい体を欲しがったということになると言えます

そして、それは全く別の個体ではだめで、自分の遺伝子が宿ったものという前提条件があるために、比較的魂の入れ替えやすい(退行がすぐに行える)赤ん坊をターゲットにするというのはアリかなと思っていました

 

映画はそこまでサイコパスな人間ではなく緊急避難になっていたのが微妙で、そう言ったものがなかったのは個人的には残念でしたね

赤ん坊に移し替えた後に元の司朗の体に赤ん坊の魂が乗り移ると後始末に困るとは思うのですが、それはそれでブラックユーモアなのかなと思ったりします

赤ん坊演技している玉木宏さんを観たかった訳ではありませんが、そうなった時に花たちが気持ち悪がって、それを殺してしまうとか、そもそも緊急避難にするのなら「真相を知って狂った花が司朗を刺し殺す」でもよかったかもしれません

最後に主人公が動かないのが微妙になっていて、真相がわかって花が逆上して司朗を殺したものの、司朗自身は赤ん坊として生き残ったという方が嫌ミス的には最大級の気持ち悪さになったんじゃないかなあと思ってしまいました

花には家族を壊された恨みもありますし、もっとエンタメ性を増すなら純との関係が恋人関係になりつつあって、それすらも壊されたという展開を作り出していれば、もっと絶妙な展開になったのではないでしょうか

全体的には面白いのですが、ラストシークエンスの祖母襲撃だけが陳腐に思えたので、少しばかり改善策を考えてしまいました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/381043/review/b85b359c-5574-40aa-a767-e50402c7c69c/

 

公式HP:

http://happinet-phantom.com/konokohajyaaku/

アバター

投稿者 Hiroshi_Takata

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA