■「熊がいる」と思わせたい人は、「熊の正体」をちゃんと理解しているのだろうか
Contents
■オススメ度
イラン映画に興味のある人(★★★)
ジャファル・パナヒ映画に興味のある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.10.3(アップリンク京都)
■映画情報
原題:خرس نیست(熊ではない)、英題:No Bears(熊はいない)
情報:2022年、イラン、107分、G
ジャンル:リモート映画を撮っていた監督が、現地の慣習に巻き込まれて立ち往生する様子を描いた社会派映画
監督&脚本:ジャファル・パナヒ
キャスト:
ジャファル・パナヒ/Jafar Panahi(本人役:イラン国内のとある村からリモートで映画を撮る監督)
ナセル・ハシミ/Naser Hashemi(村長:パナヒが滞在するジャバン村の村長)
バビド・モバゼリ/Vahid Mobasheri(ガンバル:パナヒが間借りしている家の住人)
ナルジェス・デララム/Narjes Delaram(ガンバルの母)
バクティアール・パンジェイ/Bakhtiar Panjeei(バクティアール:パナヒの映画の出演俳優)
ミナ・カヴァニ/Mina Kavani(ザラ:パナヒの映画の出演女優)
レザ・ヘイダリ/Reza Heydari(レザ:パナヒの映画の助監督)
Amir Davari(ソルデュース:慣習に逆らう交際を続けるカップル)
Darya Alei(ゴザル:慣習に逆らう交際を続けるカップル)
Javad Siyahi(ヤークブ:ゴザルの慣習上の婚約者
Yousef Soleymani(ヤークブの叔父)
Rahim Abbasi(村人)
Sinan Yusufoglu(シナン:村人?)
Ehsan Ahmad Khanpour(村の少年)
Iman Bazyar(村に滞在する兵士)
■映画の舞台
トルコ:イランの国境地帯のどこか
イラン:ジャバン村
https://maps.app.goo.gl/KpvrdddD3eGFPe93A?g_st=ic
ロケ地:
不明(おそらくイランのテヘランのどこか)
■簡単なあらすじ
国外に出られない映画監督のパナヒは、リモートにて、あるドキュメンタリードラマの撮影をしていた
内容は、トルコから国外に脱出しようとするカップルの物語で、偽造パスポートを手に入れようとするものの、女性の分しか用意できなかった
撮影は難関を極め、パナヒはトルコに近い小さな村に滞在しているものの、ネット環境は最悪だった
パナヒは村の様子を撮影し始めるものの、ほとなくしてトルコから助監督のラザがやってくる
監督がいないと撮影が進まないということで、偽造パスポートを用意できるか来てくれというものだった
だが、パナヒはそれを拒み、リモートでの撮影を続行する
そんな折、村の若者ゴダルが彼の元を訪れ、自分と秘密裏の恋人ソルドゥースの写真を撮ったのではないかと詰め寄る
パナヒは否定するものの、今度は村長や村人たちが押しかけてくる
聞けば、ゴダルには生まれながらにして許嫁がいて、他の異性との交流は禁じられているというのである
テーマ:慣習と個人主義
裏テーマ:国外退去のリスク
■ひとこと感想
「この映画を撮った後、監督は逮捕された」というコピーが強烈で、どんな映画を撮ったのかと思っていましたが、映画制作映画として、ちょっと複雑な構造になっていました
トルコのカップルが国外に逃げようとしていて、でもパスポートが1人分しかないという状況で、後から行くのでは意味がない、みたいな流れになっていました
Wi-Fiで通信していて、映像が乱れて、助監督とうまく連絡が取れなかったり、滞在中の村で気軽に撮影していたら、ヤバいものが映り込んだりしていましたね
小さな村の慣習にカルチャーショックを受けるというテイストになっていますが、こちらもどうやら仕込みのような感じになっています
映画として面白いかは微妙なところですが、構造とか、余談とかは話題が尽きません
それにしても、生まれながらに婚約者が決まっているというのは、いつの時代だよと突っ込みたくなってしまいますね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
トルコのカップルがカメラに向かって訴えた後、海で入水自殺をしたり、村の若いカップルも逃亡しようとして銃殺されたりと、なかなかエグい展開が待っています
そのあたりの直接描写はありませんが、村人とか周囲の人間の動きを見ていると、日常的なのだなと思わされます
映画制作映画として、リモート活用というのが今風ではありますが、Wi-Fiに頼るのは無茶だなあと思ってしまいます
インフラの整っていない村での撮影になっているのは舞台装置だからだと思いますが、テヘランのホテルでリモートする意味はなかったということなのでしょう
イスラムの慣習を目の当たりにすることになるパナヒ監督ですが、それは偶然ではないのでしょう
このようなしきたりは多くの場所で派生していると思いますが、部族を守るためにという体裁を繕いながら、男尊女卑が根底にあるのだと思い知らされます
■習慣と恐怖
映画はトルコにいる女優と俳優、助監督にリモートで指示を出す監督が描かれていて、その理由は監督自身が国外に出られないことと、イラン国内で映画制作が禁止されているからでした
映画内のトルコ人カップルの逃避行も、村で起きていることもフィクションではありますが、メタ的な構造は現実に即していることになります
助監督のレザは、本来はカメラマンとのことで、今回は助監督役を演じているという内容になっています
このトルコの撮影が行き詰まり、監督を偽造パスポートで来させようと考えるのですが、監督は寸前のところで思い留まるというのを繰り返していきます
彼は法を破ってその世界には出ないのですが、それは体制への反発を描く上で、国内に留まり続ける方が説得力があるからだと言えます
制限付きで制作される映画は、映画の背景を含んだ大きな意味になり、映画内のメッセージ性というものを色濃く写していきます
本作のテーマは「その場所からの逃避をするかどうか」ということになっていて、トルコ人カップルの逃避行、村の若者カップルの逃避行、そして監督自身がどうするかという3つの「逃避の判断」というものが描かれています
トルコ人カップルが逃避行するのは「国の体制からの逃避」で、そのために偽造パスポートという「法の網目を潜って」という体裁だけは持ち合わせています
国を騙して出国するということになっていて、それは「非公式ながらも国境を越える」という意味合いがありました
村の若者カップルが逃避行するのは「村の慣習からの逃避」で、全てのムスリムにあのような風習があるわけではありません
彼らは「この村ではないどこかへ」向かうことになりますが、その先が越境だったために、その夢は潰えてしまいました
これらと同じ逃避行でも監督の場合は少し違っていて、偽造パスポートを手に入れて、それで逃げられる寸前にまで来ます
レザに言われて思いとどまり、ラストシーンでも車のアラーム音の中突き進むものの、結局は越えることをしません
あのまま行けば出られたとは思うのですが、監督だけは「イランに残ってするべきことがある」のですね
なので、二組のカップルとは違う理由で逃避行の渦中にいながら、その選択をしないという流れになっていました
■熊とは何か?
映画の中の「熊」とは、監督が滞在している村の住人が話す「村の外側にある脅威」のことを意味しています
実際には「熊はいない」のですが、それは外の世界を知っている監督だからこそ、村人のテーゼに反論することができるのだと言えます
彼らが頑なに宗教を風習を守るのは、これまでにそうしてきたことで安住の地となり得たからであり、それを続けることで永続的なものだと思い込んでいるからだと言えます
この熊を誰が作り出したかと言えば、歴史であると言えるでしょう
これまでに外部との接触を行ってきた人々の顛末、それを許さなかった体制、そういったものが積み重なった結果、「子どもたちに伝達するため」に「熊」という表現を使うことになったのだと推測できます
外部への流出を恐れるのは、単純に「この地よりも良い安住の地の発見」によって、今を統治する人々にとって都合の悪い情報が流れ込んでしまうからです
慣習として根付く統治というのは、自然発生的なものもあれば、意図的に作られたものまで様々なものがあると思います
自然発生する場合は、体験が紡ぐ伝聞で、生き残った人の言葉がそのまま慣習になっているパターンでしょう
意図的な場合は、そう言った情報を都合の悪いものと解釈している為政者によって作り上げられ、虚実混じる情報をコントロールしていくことになります
そして、ある程度の体制が出来上がった後は、それを民意であるかのようにすり替えて、あたかも安住を守っている立場を演出することになります
そう言ったものを総称して「熊」と呼ぶのですが、その「熊」と戦おうとして敗れたものとして、若いカップルが描かれていたように思いました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、制限の掛かる中で映画撮影を敢行し、それによってイランの実情というものを映し出していきます
無論、イラン国内では上映禁止で、それは熊がいないことを恐れている体制が情報統制を敷いているからだといえます
彼らが映画の何を怖がっているのかは色々ありますが、監督のメッセージを虚構であると植え付けられるほど、体制が磐石ではないということの現れのようにも思えます
この手の映画が日本で作られたとして、虚実をどう捉えたかをアンケートを取れば、それはイランで取ったアンケートとは違うものになると言えるでしょう
日本だと、嘘でしょと思う人が一定数いて、それがマジョリティやマイノリティを産まないほどに拮抗すると考えられます
むしろ、映画そのものを虚構として捉えていて、ドキュメンタリーですら、制作意図による思想誘導だとバレている国でもあるのですね
なので、目の肥えた視聴者は騙されないし、虚実半々で物事を見て、自分なりに調べてそれがどちらなのかを分別することになると思います
おそらくイランでは、地方によっては、そこまでの熟知というものがなく、虚実混合を実であると捉えてしまう傾向があるのかなと思います
実際には、パナヒ監督が撮る映画は実がほとんどのため、それは周知されては困るものばかりだったりするのですね
なので、彼を逮捕して、これ以上好き勝手にさせたくないという思惑が透けていると言えます
実際には、それが毒となるか、薬となるかというのはやってみないとわからないところがあるのですが、体制批判の方が圧倒的に多いために、不都合な真実として扱われているのでしょう
そうした流れの中で、「あいつに映画は撮らせるな」となっていて、それはこれまでの彼のフィルムグラフィーが「体制にとっての不都合であること」にお墨付きを与えていることになります
そうした波及効果と負うものが強くて、虚構を虚構であると認識させず、現実であると見せていく手法は、物語を創作している分、体制的にはタチの悪い悪戯にしか思えません
そういった意味において、これ以上の作品作りをさせたくないという本音が、今回の逮捕にも繋がっていったのだと思います
映画は、現実っぽく見える虚構ということで、事実の側面を照らしつつも、虚構が嘘とわからないぐらいに混じって行きます
情報統制の難しさと同様に、虚構を現実に見せることは困難ではありますが、それは受けて側の渇望によってレベルが変わるとも言えます
現在のイランでは、虚構を現実と思い込みたいほどに渇望している状態なので、少しの刺激が一気に拡散されてしまいます
それを考えると、パナヒ監督が聖人化しない程度に扱うより他ないというのが、体制側の結論になっているのかもしれません
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP:
