■100%を「足る」と捉える女性はいないと思いますよ
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■オススメ度
青春日常イタイ系が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.10.2(アップリンク京都)
■映画情報
情報:2023年、日本、100分、G
ジャンル:高校時代から一途に想う相手がいながら色んな女性と付き合う若者を描いた青春映画
監督:川北ゆめき
脚本:いまおかしんじ
キャスト:
青木柚(ボク:体操部から映画研究会へと進路を取るまなみちゃんLOVEの青年)
中村守里(まなみちゃん:体操部時代のボクの部活仲間)
伊藤万理華(瀬尾先輩:体操部時代の先輩、クラブのマドンナ)
諏訪珠理(サトシ先輩:瀬尾先輩と付き合ってると思われてる体操部の先輩)
日下玉巳(安藤先輩:天パの体操部の先輩)
オラキオ(三橋先生:体操部の顧問、担任)
藤枝喜輝(町くん:背が高い高校時代からの親友、体操部)
下川恭平(熊野くん:高校時代からの親友、体操部)
菊池姫奈(カンナちゃん:高校時代に遅刻してフラれる元カノ)
新谷姫加(唯ちゃん:常に不機嫌でマンネリになっている今カノ)
宮﨑優(くろけいちゃん:三股で彼氏と別れる映画研究会の先輩)
詩野(すみれちゃん:ボクが撮る映画の女優)
トゥートルチェ山北(寺西:辞めない映画研究会のメンバー、カメラマン)
野島健矢(沢村:コンビニバイトの先輩)
髙橋雄祐(病室から出てくる知らない男)
濱正悟(藤井:新郎)
いまおかしんじ(政治について怒っているおじさん)
■映画の舞台
都心のどこか
ロケ地:
東京都:八王子市
中央大学
https://maps.app.goo.gl/9o17kpt4wAPyu2mEA?g_st=ic
東京都:豊島区
池袋シネマ・ロサ
https://maps.app.goo.gl/bWDvPaKMBRYYzf1d9?g_st=ic
神奈川県:小田原市
上府中公園
https://maps.app.goo.gl/ABR37jm4LAtYU82T9?g_st=ic
MarshMallow
https://maps.app.goo.gl/nPxTN8un3itpxEm48?g_st=ic
■簡単なあらすじ
彼女と同棲しているボクは、度重なる浮気が原因で、部屋を追い出されることになった
その日は友人の結婚式の日で、ボクは高校時代からの旧友、町くんと熊野くんとともにある場所へと向かっていた
ボクは10年前のあの日のことを思い出す
桜の満開の下で、まなみちゃんと出会った日のことを
10年前、ボクは親友ふたりと不純な動機で器械体操部に入っていた
同じ新入部員のまなみちゃんは経験者のようで、簡単な技ならサラッとやってしまう
ボクたちは必死に倒立をするところから始め、徐々に技術も増していった
ボクはまなみちゃんに惚れていて、事あるごとに結婚しようと言うものの、彼女はそれをはぐらかしていく
そうして2人は、何もないまま別の大学に行き、それぞれの青春を過ごしていく
そんな折、体操部の先輩でマドンナだった瀬尾先輩が入院したと聞かされる
そして、その病室にて、ボクは数年ぶりにまなみちゃんと再会することになったのである
テーマ:想いが100%に満ちるまで
裏テーマ:叶わないのは誰のせいか
■ひとこと感想
いちごではないし、1000%ではないのでエロはないのですが、キラキラ切ない青春系と言うことで注目していました
伊藤万理華と中村守里の透明感と、青木柚がどんな青春劇を奏でるのかなと思っていましたが、どうやら自伝のようですね
物語の端々に痛すぎるリアルが漂っていました
タイトルの意味は深読みすれば色々とあると思いますが、わかりやすいのは「100%は完全ではない」と言う事なのかなと思いました
溢れ出る何かが足りなかったために、ボクは関係性を進められないのですが、それは覚悟が足りなかったとまなみちゃんに見透かされていたのだと思います
エンドクレジットにもあるように、瀬尾先輩は実在の人のようで、彼女の死によって、ボクが一線を越えられるのかと思っていたら、そうではないところがリアルでもあります
虚構なら、彼女の死はターニングポイントになりそうですが、違う意味のターニングポイントになっていましたのは驚きました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画は冒頭がまなみちゃんの結婚式に向かう三人になっていて、そこに至るまでの10年間を振り返ると言う構成になっていました
冒頭の意味は最後の方で明かされますが、ボクが喜んで行きたい場所ではないことだけはわかります
かと言って不幸の場でもなかったので、想像がつかないことはないと言う感じでしょうか
物語は、おそらくほぼ自伝で、まなみちゃん(仮)とうまくいかなかった理由を監督なりに咀嚼しているのかな、と思いました
タイトルの『まなみ100%』は色んな見方があると思いますが、100%まなみちゃんを好きだとしても、1ミリも伝わっていないと言うことに繋がるのかなと思います
何度も一線を越えられる場面があるのですが、ボクはその線が怖くて越えないのですね
まなみちゃんが拒否しているから、と言う言い訳を自分に用意していますが、そこに踏み込めるかどうかを試されていたのだと思います
結婚を軽く口に出すから信用できないように思えますが、実際には「決意が態度に現れていないこと」が1番の問題なのでしょう
イタズラをして反省させられたシーンでも、客観的に自分のことを見れなかったり、相手が求める謝罪の意味に気付けなかったりします
先生の言うように、その意味がわからないまま無駄に時を過ごし、そして大事なものを手に入れらないまま、人生の半分が終わってしまった感じになっていましたね
■タイトルの意味
パンフを読むとノリでつけてそのまま採用されたみたいな話になっていましたが、この作品のシナリオを読んだ上での直感には様々なものが巡ったのだと思います
一見すると、まなみちゃんのことが100%好きという意味なのですが、劇中のボクは高校時代の遅刻で怒られる彼女(これは出会う前かもしれない)、三股部員、映画酷評今カノと3人の女性と関係を持っています
なので、100%まなみちゃんLOVEだったと言えるのかは、非常に難しいところだと思います
100%は文字通り「満たされている」という状態ですが、それは同時に溢れるまでではないという意味にもなります
なので、突き抜けるような愛情というものがなかったという風にも読み取れます
このタイトルは客観的な視点から付けられたもので、その視点は観客と重なる部分があるでしょう
それゆえに、まなみちゃんと結婚したがっているのに、どうして彼はそこに真っ直ぐに進まないのか?と思ってしまうのですね
100%を101%にできなかった後悔を描いているのですが、その1%の正体とは何か、というところが本作のメッセージであり、監督の敗戦の弁なのかなと思います
そう言った観点からすれば、1%は彼にとって、とてもハードルの高いもので、その正体がわからないまま、まなみちゃんは結婚することになっています
まなみちゃんは何度も「君はバカだね」と言いますが、前半の高校時代の「バカだね」と社会人になってからの「バカだね」は意味が違うのですね
この違いに気づけるかどうかが、1%を越えられるかどうかの分かれ目になっていると言えるでしょう
■先生の言葉について
劇中に登場する三橋先生は、様々な格言を引用する先生でした
聞き取れたものだと「面向不背」「無用の用」ぐらいでしたが、他にもいくつか引用していたと思います
「面向不背」は、「前後どちらから見ても、整っていて美しく立派である」という意味で、倒立を教える際に引用していました
「無用の用」は、「世間の役に立たないとされているものが、別の意味で非常に大切な役割を果たすこと」という意味で、「なんで勉強をするのか」というシーンで引用されていました
これらの言葉はボクにはさほど刺さっていなくて、俯瞰していると、無用の用が活きている瞬間というのが見えてきます
これは、無用を行なっている人にはその効果が見えていないからであり、その効果を感じているのは相手側の課題だからなのですね
メッセージは受け手が意味を決めるというように、ボクの行動の意味を決めるのはボク自身ではない
でも、そう言ったものを超越して、この無用は用になり得るのではないかと感じる瞬間があります
本作だと、病室で先輩にキスをするシーンがそれにあたり、、このシーンに至る前に「先輩にキスをしたい」とボクは話していました
その時はやんわりと拒絶されるのですが、単なる欲望だったものが欲望ではなくなる瞬間があって、おそらく先輩は自分に対して欲望を向けてくれる人はもういないだろうと感じていたのだと思います
そして、もしかしたら、自分に好意を持っていたボクならば、その施しを与えてくれるのではないかと考えるのですね
でも、実際には、そのキスは欲望の先にあるものではなく、慈悲に近い優しさだったと言えます
この時のボクは感覚的にキスしてあげることが先輩に対する優しさであると感じています
でも、先輩はそれをそのままの意味で受け取っていないし、想像以上に自分の置かれている状況というものを理解するに至っています
それを優しさと表現するか、厳しさと表現するかは人それぞれだと思いますが、とても美しくて儚いシーンだったと感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、監督の体験に基づくというもので、まなみちゃんのモデルの人はこの映画制作のことを知っているようですね
彼女が観てどう思ったのかは気になりますが、その声を聞くことはないでしょう
赤裸々に綴っているとは言え、どこかで誇張や一方的な視点が入るものですが、本作に関しては「一方的な視点で良い」というスタンスが貫かれています
おそらく、ほぼ全てのシーンでボクが登場していて、そこで描かれていることは「ボクが見た世界そのまま」なのだと思います
会うたびに「結婚しよう」と軽口を叩き、あっさりとまなみちゃんに拒否されるのですが、この拒否が絶対的な拒否ではないところに意味があるのでしょう
まなみちゃん目線だと、彼はいつ壁(100%)を越えてくるんだろうと思っていて、その1%の超越というものにはとても大きな意味があるのですね
覚悟といえばわかりやすいですが、要は「伝わるかどうか」という言葉の重みというものが、その1%の正体なのだと思います
映画内では、ボクの言葉には重みが感じられず、何度もいうことでさらに軽くなっていって、ほとんど漫才のつかみのような定例句に変わってしまいます
言葉には言霊が宿ると言いますが、それは言葉に心が宿っている場合だけなのですね
言葉の中に心が宿ると、やがてそれは相手にそのままの意味で伝わることになり、無用の用とはならないと思います
そういった意味において、無用の用となっている言葉や行動というものには不純物が混じっていると言えるのかもしれません
映画は、まなみちゃんが彼の心から消えていくイメージショットに繋がっていきますが、それを昇華と呼ぶのかは難しいところですね
彼の恋愛は上書きではないと思うのですが、本当のところは、最初からあの桜の下にはまなみちゃんはいなかったのかもしれません
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP: