■生と死の間にいる彼は、息子のために生きねばならなかった


■オススメ度

 

巻き込まれ系の実は凄いおっさん映画が好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.5.22(T・JOY京都)


■映画情報

 

原題:Entre la vida y la Muerte(生と死のはざまで)、英題:On the Edge(縁に)

情報:2022年、ベルギー&フランス&スペイン、100分、G

ジャンル:疎遠の息子の死によってトラブルに巻き込まれる地下鉄運転手を描いたスリラー映画

 

監督&脚本:ジョルダーノ・ジェデルリーニ

 

キャスト:

アントニオ・デ・ラ・トレ/Antonio de la Torre(レオ・カスタネダ:地下鉄の運転手)

マリーヌ・バクト/Marine Vacth(ヴィルジニー・リヴァージェ:事件の担当刑事)

 

オリビエ・グルメ/Olivier Gourmet(警視、ヴィルジニーの父)

 

Noé Englebert(ユーゴ:不審死を遂げるレオの息子)

   (13歳時:Hugo Quero

 

Fabrice Adde(カール:ヴィルジニーの同僚刑事)

Marie Papillon(マガリ:ヴィルジニーの同僚刑事、尾行する女刑事)

Christophe Seureau(フランソワ:ヴィルジニーの同僚刑事、ラルフとともに行動していた潜入捜査官)

 

Wim Willaert(地下鉄の職員、レオの同僚)

 

Nessbeal(ベン:レオを襲う謎の男)

Tibo Vandenborre(アルセン:ベンの仲間)

 

Alexandre Bouyer(ラルフ・シルヴァ:何者かに殺されている潜入捜査官、ヴィルジニーの恋人)

 

Pablo Andres(カルロス:ジャンクショップの男)

 

Lila Jonas(マリカ:ユーゴの恋人)

Vadiel Gonzalez Lardued(ファリド:レオの友人)

 

Sandra Zidani(ベリーニ:判事)

Mathieu Mortelmans(葬儀社の男)

Sophie Sénécaut(薬剤師)

Martin Angenot(スポーツ解説者の声)

 


■映画の舞台

 

ベルギー:ブリュッセル

 

ロケ地:

ベルギー:ブリュッセル

 


■簡単なあらすじ

 

ベルギーのブリュッセルにて地下鉄の運転手をしているレオは、ある勤務の日に息子ユーゴの死に遭遇する

レオが運転する車両に飛び込んだユーゴ、なんとか直前で止まることができたレオは、規定違反にも関わらず、すぐに彼の元に駆けつけた

 

事件の担当になったヴィルジニーはレオに取り調べを行い、彼の背景を探ることになった

だが、インターポールが情報提供を拒否し、彼の背景は全くわからなかった

 

尾行するものの、地下鉄構内で降りてどこかに向かい、警察の一歩先を行く

レオは独自に調査を開始し、息子の死の真相を追っていくことになるのである

 

テーマ:生かされていることの意味

裏テーマ:親子の絆

 


■ひとこと感想

 

どんな話かを調べずに参戦

巻き込まれた親父が実はヤバいやつという感じの物語で、想像の範囲内の話になっていました

地下鉄職員である設定はさほど大きくありませんが、翻弄される警察は間抜けなように描かれていました

 

何らかの事件に巻き込まれた息子の死の真相を探るというもので、息子から託されたものの先にあるものを追っていく流れになります

常に警察よりも一歩先を行くのですが、それが彼の特殊能力というような感じではありませんでしたね

主人公の正体は最後にわかりますが、それでも手際の良さは目立っていました

 

死体から隠しカメラを抜き取ったり、その遺体を池に流したりと、一般人がするような行動ではありませんが、それも納得できる範囲だったように思います

物語性はほとんどありませんが、暇つぶしに見る分にはちょうど良いのかもしれません

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

瀕死の息子が父親に助けを求める系の物語で、直接会うのではなく、線路に飛び込むのは驚いてしまいます

おそらくは監視カメラを避けての行動で、それほどまでに父を信頼していたのでしょう

過去パートでは厳しい父という印象で、母親との死別によって疎遠になっていました

そんな彼が変わり果てた姿で現れたのですが、その理由を探るのは当然のことのように思えます

 

映画では、ラルフにつけられていた隠しカメラの映像を解析することになるのですが、そこでイチャラブが映っていたのはほっこりしてしまいます

その後も、映像を頼りに犯人を追っていく流れはスリリングでしたね

 

警察側の動きに個人的な感情が絡んでいるところも人間臭さがありました

犯人を追うよりもレオを追った方が早いのですが、さすがの敏腕の本職ゆえに、警察の行動も筒抜けになっている感じになっていました

 


親子の絆

 

本作のメインテーマは「親子関係」で、退役して子どものために生きてきたレオと、職場の部下に娘がいる警視の2人が登場していました

どちらも「手のかかる子どもを持つ親」であり、意思疎通がうまく行っていないところも似通っていました

ラストの方でレオが警視と話す場面は印象的でした

警視は「なぜわかる?」と言い、レオは「あんたといると彼女が苛立つ」「俺の息子もそうだった」と続け、反抗的な子どもを持つ親同士の妙な連帯感というものが生まれていました

 

子を心配する親としては同じでも、その境遇は全く違うものになっていて、ヴィルジニーの場合は「常に危険がある」という職場環境、ユーゴの場合は「母親の喪失」による環境の激変というものがベースになっています

職場が同じ場合、特にエコひいきなどを疑われないように強くあたる傾向があるのですが、今回の場合は「部下と付き合うな」という「どっち目線」というものがありました

最終的に「親目線」であることがわかりますが、「なら、ほっといて」と言い返したことで平手打ちをかまされるという流れになっています

これは「危険」がある現場において、「選択」が生まれる瞬間があって、その責荷に耐えられるのか、という意味合いになります

恋人の怪我を見捨てても、事件解決への行動を取れるかどうかとか、部下と恋人が同じように苦しんでいた時に、どのような選択を取るのかを迫られる場面が訪れることを危惧していました

現場に出ている以上、恋人であるということは忘れる必要があり、それが彼女にできるのか

ラルフの監視カメラの映像を見る限りは、できないだろうなあと思わせる演出になっていて、父親の懸念は間違っていないということを示していたように思えました

 

レオとユーゴの場合は、「自分のために親が犠牲になっている」と感じていることが根本にあって、それゆえに「日常が重荷になっている状態」であると言えます

多少なりとも私生活を犠牲にしているのが親というものですが、一連の事件後に同じように接するのは無理であると言えます

母親の死の本当のところを隠すことでストレスが生まれ、そして、別の職業の中で死んだように見える父

様々な要因が重なって、距離を保つことになり、それゆえに破壊的な人生に足を踏み入れることになったように思えてなりません

 


ヴィルジニーの3つの顔

 

本作の敵役である刑事主任のヴィルジニーは、渦中で3つの顔を持ち合わせている人物でした

一つは刑事主任として、事件に向き合う強さを見せる面で、もう一つは恋人ラルフを気遣う女性としての面、さらに父親と向き合う娘としての面となっています

人は多くの人格を場面場面で使い分ける存在で、ヴィルジニーの状況にプラスして、「子を持つ親」「友人関係」などの日常は切っても切れないものだと言えます

これらの人格をうまく操れる人は良いのですが、そうでない場合は、一つのきっかけによって、全部がおかしくなるということが起きてしまいます

 

ヴィルジニーの場合は、ラルフと恋人関係になったことで、上司としての威厳が損なわれ、捜査チームの足並みというものが乱れてしまいます

他のメンバーがどうこう言う日常パートがないのは救いですが、主任と関係を持った同僚がメンバーにいると、一気にリスクが高まってしまうように思います

それは、冷静で正常な判断ができるのかと言う疑問が出てしまうことで、自分が犠牲になるのが「捜査のためではないかも知れない」と言う邪念が生まれてしまうのですね

ヴィルジニーの上役としても、チーム内で関係を持っていることが捜査に影響を与えることは理解していて、それが娘なら尚更やりにくく感じるのは当然であると思います

 

父と娘という関係で言うならば、娘の彼氏がどんな男なのかは気になるところでしょう

それが自分の部下であり、かつ娘の部下というのはやり切れない感じになってしまいますね

経済的な側面だけでなく、常に危険が伴う職場なので、巻き込まれて娘が悲しむ可能性はとても高いと言えます

別れろとは言えず、上司と親の立場が半々で反対しているという絶妙な説得力のなさが露見していたので、もう少し強く出ないとヴィルジニーには伝わらないように思えました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、原題が「生と死のはざまで」、英題が「縁に」なのに、邦題は「血の涙」というものになっていました

レオが血の涙を流すのはわずかな瞬間だけで、それがかつての事件における影響ということになっていました

過去の潜入捜査にて妻が巻き込まれて死んでしまい、息子を助けるための行動がレオを生死の間に置くことになったのですが、原題にはもう一つの意味が含まれていると思います

それは、「警察を辞めたレオ」が「半分死んだような状態」になっていることだと言えます

 

地下鉄の運転手を疎ましく思っているという描写はありませんが、犯人探しをしているレオは実に生気に満ちていて、その優秀さというものが行動の端々から出ていました

取り調べの際でも冷静を装い、刑事側を感情的にさせることで、本題を横道に外れさせたりしています

このあたりが熟練の技になっていて、現役刑事とは一歩も二歩も先を行っている会話術になっていました

取り調べにおいて、相手を煙に巻くような立ち回りは、経験者ゆえの独特な嗅覚によるもので、それ以外にも目的に向かって一直線に進んでいくので、頭の中にある地図というものはとても性格なものだったと思います

 

映画は、いわゆる「実は凄い一般人は元警察官だった」というオチなのですが、これ自体がサプライズではありませんでした

冒頭の海岸にて自殺を図るレオが描かれていて、それがどんなものだったのかというのがミステリーになっていました

それが運よく骨の間に弾が残っていて生きながらえたというものなのですが、そりゃあ無茶だろうと思ってしまいます

映画はファンタジーなので突っ込んだら負けなのですが、拳銃自殺をしようとしてああなるというのは、検証する意味すらないほどに、ファンタジックなものに思えました

それよりも、その事実を息子が知っていたのかどうかの方が気になってしまいました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/101389/review/03845949/

 

公式HP:

https://klockworx-v.com/tears/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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