■男女逆転、舞台変更によって、違う意味の湿度というものが生まれたのかもしれません
Contents
■オススメ度
柴咲コウの怪演を堪能したい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.6.20(MOVIX京都)
■映画情報
仏題:Le chemin du serpent(蛇の道)、英題:Serpent‘s Path(蛇の道)
情報:2024年、日本&フランス&ベルギー&ルクセンブルク、113分、G
ジャンル:ある事件を追う精神科医と患者を描いたスリラー映画
監督&脚本:黒沢清
原案:黒沢清『蛇の道(修羅の極道 蛇の道)』
Amazon Link(リメイク元:DVD)→ https://amzn.to/3RAx9mo
キャスト:(わかった分だけ)
柴咲コウ(新島小夜子:アルベールの手助けをする心療内科医)
ダミアン・ボナール/Damian Bonnard(アルベール・バシュレ:8歳の娘を失う男)
ヴィマラ・ポンス/Vimala Pons(ローラ・バシュレ:アルベールの妻)
Hhbne Caputo?(マリー:アルベールの娘)
マチュー・アマルリック/Mathieu Amalric(ティボー・ラヴァル:財団の会計係)
グレゴワール・コラン/Grégoire Colin(ピエール・ゲラン:財団の幹部)
スリマヌ・ダジ/Slimane Dazi(クリスチャン・サミー:財団の警護主任)
青木崇高(新島宗一郎:小夜子の夫)
西島秀俊(吉村三郎:小夜子の患者)
演者不明(吉村を悲しむ老女)
Michaël Vander-Meiren(ミシェル:ゲランの友人)
Tarek Haddaji(ジェイク:ローラの協力者)
Farid-Eric Bernard(路駐を取り締まる警官)
Ted Etonne(倉庫の管理者)
Oscar Zouzout(倉庫の護衛)
Simon Fuentes(倉庫の護衛)
Robin Le Prétre(倉庫の護衛)
Paloma Raytana?(小夜子の娘)
■映画の舞台
フランス:パリ
ロケ地:
フランス:パリ
■簡単なあらすじ
フランスにて、精神科医として働いている小夜子は、患者のアルベールの「ある事件の解決」のサポートをしていた
アルベールは、8歳の娘マリーを亡くしていて、その亡骸は残忍そのものだった
彼は犯人を突き止めて復讐したいと考えていて、小夜子はその気持ちに添うことになった
小夜子とアルベールは、関与が疑わしい人物を特定し、玄関先でスタンガンにて気絶させて誘拐してしまう
アルベールはその男に娘マリーのビデオを見せ続け、満足な食事も与えず、排泄すらもさせなかった
そして、とうとう彼の口からある男の名前が出てくる
二人は、連鎖的に出てくる人物を捕まえては拷問を繰り返すのだが、小夜子はアルベールがいない隙を見計らって、相手に「あること」を囁いていくのである
テーマ:復讐の道程
裏テーマ:罪を直視する意味
■ひとこと感想
オリジナル版は拝見していないニワカではありますが、柴咲コウが怖いとのふれ込みが気になって鑑賞することになりました
ある幼女殺人事件を追う一般人というテイストで、組織的な関与を匂わせる中で、最後まで私的活動に終始していました
彼らの行動は犯罪なので警察を頼ることはできず、心理的なテクニックを利用して、相手の情報を聞き出すという流れになっていました
飢えと尊厳の喪失によって人格がおかしくなっていくのですが、その変化があまり見えないような感じになっていましたね
このあたりはフランス人と日本人の感情表現の違いがあるように思えます
一応は、ホラー&スリラーだと思いますが、あまり背筋が凍るような場面もなく、ラストの肝心に思える映像は倫理的に避けていましたね
そこを表現するのは難しいのだと思いますが、映像を見ている相手のリアクションだけでは少々物足りない部分があったように思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画のタイトルは『蛇の道』というもので、小夜子に睨まれたら敵は動けなくなるという意味合いがあるのだと思います
人格攻撃を繰り返して、心理的な抑圧を与えた後に「安心」を与えようとするのですが、そこには小夜子の狡猾な仕掛けが施されていました
映画の中盤で、小夜子もその組織犯罪の被害者遺族であることがわかるのですが、アルベール自身もこの財団の行動に組み込まれていたのですね
そして、財団の創始者なき後も、アルベールの妻ローラとジェイクという男で継続させていたのですが、彼らがなぜそれを続けるのかはよくわかりませんでした
ラストは小夜子と夫・宗一郎とのスカイプ通話なのですが、宗一郎の表情だけで小夜子がどんな顔をしているのか想像できるところが1番のホラー要素だったように思えます
面白いかどうかは何とも言えないのですが、個人的にはあまりハマらない作品でした
■リメイク元について
本作のリメイク元は、同じ黒沢清監督によるもので、脚本は高橋洋が担当していました
娘を殺された宮下(香川照之)が謎の男・新島(哀川翔)の協力で復讐をするという内容で、ある組織の幹部を次々に拉致し、拷問まがいのやり方で真相を追っていく、という内容でした
捕まる幹部は3人で、それぞれが自分の保身のために罪をなすり付け合うという構図になっています
本作は舞台はパリになっていますが、本筋はほぼ同じという感じになっています
この作品はVシネマの『復讐』という作品の3作目『修羅の極道 蛇の道』ですね
捕まった幹部・大槻は映画のラヴァルに相当し、拘束され、トイレもダメ、ホースで水を浴びせられ、床にぶちまけられたご飯を食べさせられることになります
大槻は、ヤクザの組長・檜山の名前を挙げることになり、宮下はかつて檜山の下で働いていた人物であることがわかります
また、新島は塾の先生という設定で、この時に登場する生徒と意味深な会話をします
映画では、精神科医の小夜子が患者の吉村と話しますが、ここでの会話が全体とリンクしているのも同じ構造であると言えます
大槻と檜山に対して、新島は「誰か適当な人物の名前を挙げろ」というのですが、この流れも踏襲していましたね
アマゾンではDVDの中古販売を見つけることができましたが、現在はPrime Videoなどでの配信は無いようですね
本作の公開とともにラインナップに入るかどうかわかりませんが、なんとか配信してほしいですね
舞台が日本ということもあって、かなり湿度の高い作品になっていますので、その違いを堪能するには、いくつかのレビューを読むよりは鑑賞した方が良いと思います
■小夜子の仕掛けとその効能
本作において、小夜子は心理学的なアプローチにて、対象者を痛めつけるように描かれていました
暴力的な部分は少なく、拘束による人間性の崩壊というものを意図として、それを躊躇なく実行していきます
その裏側にて、アルベールに知られないように次の展開を用意し、彼自身がその組織の一員であることを暴露させるに至ります
さらに、捕まえた者たちに囁き、心理誘導を行いながら、全てを掃除するという展開になっていました
人を操る心理学はたくさんありますが、本作の場合はテクニックを使っているというよりは、極限状態に追い込んでから仮初の出口を見せるというものでしたね
尊厳をとことんまで踏み躙って、そこから逃れたいという欲求を強く植え付け、その為の行動は非常に簡単なものだったりする
それならば自分にもできるというもので、当初の「犯行自供」からすればハードルが低いものになっています
財団のパワーバランスはわかりませんが、トップに逆らうと殺されるレベルだと思うし、そもそも児童誘拐と臓器販売というタブー中のタブーに手を染めているので、その口外というのは相当高いハードルになっていたと考えられます
それに対して、「誰でも良いから名前を言え」みたいな「直接的に組織を売る」というものではないところが絶妙なのですね
一人ずつ誰かを吐かせることで、いずれは黒幕の名前を言わざるを得ない時が来る
それが想像以上に早く、3人目のサミーあたりでたどり着くことになっていました
それでも、物語はここで終わらないというところが面白いところでした
小夜子は、次々と関係者を吐かせることで、犯行が行われている現場へと辿り着きます
そこでは、黒幕の後継者たる人物が登場し、それがアルベールの妻だったことがわかります
この段階でアルベールの精神は崩壊していて、さらに自分自身が知らずに関与していたことが晒されるのですね
これによって、小夜子の復讐は終わるかのように思えましたが、実は最終関門が待っていた、というラストになっていました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、監督自らのセルフリメイクということで、パリを舞台にして、主人公の性別を変えて作られています
どこまで成功しているかは何とも言えないのですが、個人的には柴咲コウが蛇っぽいなあぐらいの感想しか残りませんでした
心理学的な要素がある作品で、心理学者を出してくると大体ハズレになるパターンが多いのですが、それは専門性のある心理学がそこまで登場しないことと、登場させても普通の人には理解できない作用の話になってしまうからだと思います
それゆえに、誰もが理解できそうな「心理学雑学レベル」でお茶を濁すようになり、その職業である必要があるのかがわからなくなってしまいます
また、性別が変わっていることが若干ネックになっている部分があって、それは同じことをしても、相手が男性か女性かで感じ方が違ってくるからなのですね
男性が男性をムチで殴る、男性が女性をムチで殴る、女性が女性をムチで殴る、女性が男性をムチで殴る
こう書くと印象が変わることがわかると思うのですが、男女を問わずに、同性同士の場合には、その懲罰なるものがキツくなるイメージになります
それは、同性だと一番キツいところがイメージしやすくなり、それが必要だとすればピンポイントに攻めていけるからだと思います
映画は、この改変をどのような意図で行なったかはわかりにくい部分がありましたね
児童殺人が絡んでいる中で、その被害者が犯人を見つけるという道程を描いているのですが、そもそも自分の子どもが殺されたことによる受け止め方や感覚というものも男女によって違うように思います
それゆえ、オリジナルのままの行動を取らせてしまうと、少しだけ違和感を感じてしまうのですね
この映画には、自分の子どもが被害に遭った女性が二人登場し、感情的になることなく淡々と謎を解く女がいるかと思えば、その犯罪を継承している女も登場します
このあたりがもの凄いネックになっている感じがして、犯罪の内容とその反応に違和感が残ったままだった、と言わざるを得ないのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101316/review/03944437/
公式HP:
https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=hebinomichi