■回り道のその先に、向かうべき道があるように思います
Contents
■オススメ度
守護霊的な話が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.12.18(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Sidonie au Japon、英題:Sidonie in Japan(日本にいるシドニ)
情報:2023年、フランス&ドイツ&スイス&日本、96分、G
ジャンル:日本語訳の出版のために来日したフランス人作家と編集者の交流を描いたヒューマンドラマ
監督:エリーズ・ジラール
脚本:エリーズ・ジラール&モード・アメリーヌ&ソフィー・フィリエール
キャスト:
イザベル・ユペール/Isabelle Huppert(シドニ・パーシヴァル/Sidonie Perceval:フランス人の作家、「影」の執筆者)
伊原剛志(溝口健三:寡黙な編集者)
アウグスト・ディール/August Diehl(アントワーヌ・パーシヴァル/Antoine Perceval:シドニの亡き夫)
人見有羽子(玉口典子:通訳)
オロール・カタラ/Aurore Catala(フランスCDG空港の受付)
北口ユースケ(日本の空港職員)
福地真澄(ホテルの宿泊客)
原桂子(ホテルの宿泊客)
勇家寛子(インタビュアー)
吉永真也(インタビュアー)
半田靖嗣(インタビュアー)
安部知子(インタビュアー)
高安美帆(インタビュアー)
大黒かか(インタビュアー)
澤田誠(インタビュアー)
信國明子(典子と間違えられる女性)
木田友恵(旅館の従業員)
村岡(旅館の受付)
長谷川大鳳(本屋の子ども)
森野忠晋(タダノブ:シドニのファン)
河屋秀俊(京都のホテルの客)
■映画の舞台
日本、
奈良県:東大寺
京都府:某所
香川県:直島
ロケ地:
京都市:東山区
ウェスティン都ホテル
https://maps.app.goo.gl/zTw7H6DCk7835NqV6?g_st=ic
晴鴨楼
https://maps.app.goo.gl/acjsijrFMxNrfsYx8?g_st=ic
京都市:左京区
南禅寺 八千代
https://maps.app.goo.gl/1ohGWuiW65zxnT1P6?g_st=ic
法然院
https://maps.app.goo.gl/tuLnf5jZRkFXo7sv8?g_st=ic
金戒 光明寺
https://maps.app.goo.gl/6zB8kuGcz3jHyQpW7?g_st=ic
京都市:中京区
書林 其中堂
https://maps.app.goo.gl/cCSEY1dAwty7dvBT7?g_st=ic
奈良県:奈良市
奈良公園
https://maps.app.goo.gl/ZvB9Vnca5YtxX1s27?g_st=ic
東大寺
https://maps.app.goo.gl/nAQXzFUZwxE3h6vp6?g_st=ic
奈良ホテル
https://maps.app.goo.gl/Ti5hLdZooui4m9Hf7?g_st=ic
香川県:直島
https://maps.app.goo.gl/zEF99QMVqck1AJFW8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
フランスのパリ在住の作家シドニは、デビュー作が日本で出版されることになり、来日することになった
初めての長旅に加えて、事故で亡くなった夫アントワーヌとの別れに区切りをつけられていなかった
そんな彼女を動かしたのは、日本人の編集者・溝口の手紙だった
日本に着いたシドニは、溝口とともにホテルにチェックインをする
だが、その宿では奇妙なことが起こり、やがてシドニは亡き夫の姿を見てしまう
どうやら彼女にしか見えておらず、唯一の理解者・溝口ですら、どうすることもできない
書店でのサイン会の日時が近づき、ナーバスになっていく中、シドニは溝口の身の上話を聞くことになった
彼もまた、家族を亡くした喪失を抱えていて、さらに日本には幽霊として近くに居続けるとも言う
シドニに起こる不思議な現象は夫の愛によるもので、そうしてシドニは転換期を迎えることになったのである
テーマ:愛の残像
裏テーマ:残像が実像と重なるとき
■ひとこと感想
イザベル・ユペールが作家役として日本を訪れると言う設定で、これは監督自身の体験談に重なると言います
日本観光映画のようでいて、日本の独特な世界観を感じる作品になっていて、主人公がその世界を理解していく、と言う流れになっていました
シドニの前に突如現れる夫はどこか面白みを帯びた存在で、彼女を驚かせようとはしていない感じでしたね
地縛霊ではなく、愛の対象に憑いている霊と言うことになり、感覚的には守護霊のようなものだと思います
霊体が対象を保護する期間と、その終わりに必要なものを描いていて、この二人がいっときだけの関係で終わらないことがラストで示唆されます
果たして、それは亡き夫が起こした忘却なのか、一歩を踏み出すためにシドニが残したものなのか
このあたりは観る人の判断に委ねられるように思えました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
シドニはデビュー作の日本語訳が出版されると言うことで来日することになりましたが、フランス語版自体はかなり前に出版されていた作品のようでしたね
「影」というタイトルの作品で、新しい作品を書こうとしても「影」がちらつくと言う感じになっていて、彼女の中でも、世間の中でもある種のハードルになっていたのだと思います
そのハードルはだいたい自分で設定したものの方が高いのですが、甘く見積もると見透かされると言う感じになっています
映画は「同じ喪失を抱えた二人の再生」と言うもので、シドニは夫を事故で亡くし、溝口は震災で亡くなっていると言う設定になっていました
しかも、シドニは同じ車に乗っていて助かっていて、溝口の方は別の場所にいたので助かったと言う流れになっています
それから、「なぜ自分は死ななかったのか?」と考えるようになり、自分の生の意味がまとわりつくようになっていました
こういった時に役割論と言う暴論があって、残された人には「やるべきことがある」みたいな感じで語られる場合があります
これだと亡くなった人にはやることがなかったみたいな感じになるので、それが当人をもっと苦しめてしまう要因になっています
役割というのは誰にでもあって、仮に生き残った人の役割が継続されたとしても、彼の周囲にいた人は亡くなっても当人に影響を与え続けています
役割というと何かした高尚なことのように思えますが、実際にはそんなものはなくて、単に避けられない関係が生まれた故に起きた予定調和なのではないでしょうか
■罪悪感が作り出す障壁
愛する人の喪失に向き合うとき、必ず直面してしまう感情があると思います
その最たるものが「罪悪感」なのですが、それがどのようなプロセスを経ているのかを考えたいと思います
一つ目は「後悔の感情」であり、「もっと何かできたのではないか?」と考えてしまうのですね
自分の行動に不備があって、それがその人の死に繋がったという場合に起こりやすいのですが、それ以外にも「もっと優しくしておけば」というような、過去の日常に対する後悔の念が生まれることもあります
二つ目は「生存者の罪悪感(Suvivor‘s Guilt)」と呼ばれるもので、「自分だけが生きていて良いのか?」と感じるものになります
事故や病気で急に亡くした場合に起こる感情で、溝口の方にこの強い感情が残っていると思います
三つ目は「喪失によって心のバランスが崩れる」というもので、愛する人は自分の一部だったという感覚が強い場合に起こります
この感情が強いのがシドニであり、彼女の一部は常にそばにいるという状態になっていました
四つ目は「感情が入り混じる悲嘆における自然なプロセス」であり、「喪失には段階がある」というロジックがあり、罪悪感はその中の一つであるということになります
喪失の悲しみ(グリーフ)の段階は、「否認」「怒り」「取引(もしも)」「罪悪感・鬱」「受容」となっています
このステップは悲嘆を受け入れるまでに誰もが通るものであり、シドニも溝口も4番目の段階に足を踏み入れたところ、というふうに見えてきます
これらの罪悪感を乗り越えるには、「自分の気持ちを話す(カウンセリング、日記、信頼できる人に話す)」「罪悪感は自然な感情であると理解する」「亡くなった人があなたに何を願っていたのかを考える」というものがあります
シドニは信頼できる友人とし溝口に話すことになりますが、その前段階として溝口の方から話すという流れになっていました
これは自己開示の一環になりますが、これがきっかけとなって、2人の罪悪感は共有されていきました
そして、新しい大切な人の出現によって、アントワーヌの役割も終わりに近づくことになりました
■幽霊は何のために存在するのか
本作には、シドニの夫アントワーヌの幽霊が登場するのですが、そもそも幽霊がなぜ存在するのかを考えていきたいと思います
一つ目は「心理的視点」としての「記憶と未解決の感情の象徴」であるという点でしょうか
大切な人を失った時、その人との関係性や感情は完結していないと感じることがあります
このような未完了な感情が見せるものが幽霊であるという考え方になります
会いたいと思う気持ちが見せる「幻視」、罪悪感や後悔が「見られているという感覚」を呼び起こし、言えなかった言葉が「声」として聞こえる気がするというものですね
幽霊は「人の心が作り出す感情の具現化」というもので、これは存在しないものとしての思考が根底にあります
二つ目は「宗教・スピリチュアル視点」による「この世に残った魂」というものです
多くの宗教では「死後も成仏できず、この世に未練や執着を持って留まっている魂」という考え方があり、無念の死、果たせなかった願い、愛する人を残したことへの心残りというものがあります
これらの魂は、「何かを伝えたい」とか、「見守っていたい」「自分を忘れないでほしい」という幽霊側の意識が可視化されていると考えられます
三つ目は「文化的視点」としての「語り継がれる記憶」というものです
多くの文化では、幽霊はその一部として存在しています
日本の怪談をはじめとして、シェイクスピアの作品やチベット仏教などにも登場します
これらは死者の記憶を語り継ぐための装置であり、過去の教訓や人の営みの痕跡を物語として保存しているものとなります
四つ目は「存在論的視点」としての「死をこえる存在の影」という考え方となります
哲学的な視点だと、「幽霊は生と死の間にある曖昧な存在」であり、「完全に消えたものではなく痕跡として残る」のであり、「人間の意識は死後もどこかに残っている」という考え方になります
哲学者ジャック・デリタ(Jacques Derrida)によれば、「幽霊は未来からやってくるものであり、その出現は生きている人間の無意識の真相にある問いを呼び覚ます存在である」と定義づけています
デリタの場合は、幽霊=共産主義と捉えている部分があり、本作に登場する幽霊とは異なる見解となっています
ヨーロッパに根付く共産主義の影を幽霊と表していて、「歴史や社会に表れては消える未完了な正義の兆候」として捉えていました
本作における幽霊は1、2の分類に近いものですが、「意味を持つ存在」であるとか、「未来のために存在するもの」という概念は近い印象がありますね
アントワーヌの幽霊に思惑があるとしたら、自分を忘れないでほしいという執着よりは、シドニにより良い未来を生きてほしいと願っているようにも思えます
そう言った意味においては、「意味を持つ存在」であり、「生きている者の未来のために存在している」ということは包括的な部分において合致しているのかな、感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作では、異国の地に来たシドニが、溝口という同じ境遇の男性と出会うことによって、未来へと前向きに生きる決意を結ぶ様子が描かれていました
シドニはアントワーヌを事故で亡くしていて、彼女は同じ車に乗っていたけど無事だったという過去があります
一方の溝口には、震災の場所にいなかったために助かったという状況があって、最愛の人を亡くしたという状況は真逆の性質を持っていると考えられます
どちらにも後悔が先立つのですが、生き残った人の力でできたことというのは限られていると思います
そんな2人が互いのことを話し合う中で肌をふれ合わせるのですが、孤独や喪失を埋めるために「人肌が必要」というのはわかる気がします
人は、体温と同じ温もりを感じると、「愛情ホルモン(オキシトシン)」を分泌させ、副交感神経が活性化するという効果を発揮します
副交感神経が活性化するとリラックスモードに入り、心拍の安定、筋肉の弛緩、深呼吸、胃腸の動きの活性化(=回復)という体の変化が起こります
また、人の肌には「C触覚繊維」という神経受容体があり、優しく撫でるような肌への接触に反応し、心地よさというものを脳に伝えることになります
心理的な効果としては「共感されている感覚」が温もりとして伝達することになる「実感」でしょうか
自分は1人ではないと感じられるし、そこに言葉は要らなくなります
子どもの教育においても「ふれる」ということはとても大事で、ふれられずに育った子どもは「愛着障害」や「不安傾向」を持ちやすいという研究もあります
この体験があることで、「ふれること=他者からの承認」というプロセスになっていて、これが大人でも同じことが起こると考えられています
肌をふれ合わせることによって存在を確認し、求められるべき存在であると感じる
そういった感覚を生きている人と行うことで、人は前に進むことができるのだと思います
映画は、それを端的に描いていて、アントワーヌの表情がずっと穏やかなことにも意味があったのでしょう
もし、アントワーヌにシドニへの執着が強くて嫉妬するような悪霊だったら、あのような表情にはならないのでしょう
なので、シドニに視えた幽霊とは、彼女の潜在意識が作り出した再生に向けての道標だったのかもしれません
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101219/review/04571767/
公式HP: