■相手を悪く言わないことで、どんどん追い詰める芸風は怖すぎる
Contents
■オススメ度
不条理系ホラーが好きな人(★★★)
ざわつく感じが好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.5.14(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Gaesterne(ゲスト)、英題:Speak No Evil(悪口を言うな)
情報:2022年、デンマーク&オランダ、95分、PG12
ジャンル:ある旅行で出会った家族の再会を描く不条理ホラー
監督:クリスチャン・タフドルップ
脚本:クリスチャン・タフドルップ&マッズ・タフドルップ
キャスト:
モルテン・ブリアン/Morten Burian(ビャアン:休暇中のデンマーク人家族の夫)
スィセル・スィーム・コク/Sidsel Siem Koch(ルイーセ:ビャアンの妻)
リーバ・フォシュベリ/Liva Forsberg(アウネス:うさぎのぬいぐるみにこだわるビャアンの娘)
フェジャ・ファン・フェット/Fedja van Huêt(パトリック:オランダ人家族、夫、医師)
カリーナ・スムルダース/Karina Smulders(カリン:パトリックの妻)
マリウス・ダムスレフ/Marius Damslev(アーベル:先天性失語症のパトリックの息子)
イシェーム・ヤクビ/Hichem Yacoubi(ムハジド:アーベルのベビーシッター)
イラリア・ディ・ライモ/Ilaria Di Raimo(アウネスのベビーシッター)
イェスパ・デュポン/Jesper Dupont(ヨーナス:ビャアンの友人)
リーア・バーストルップ・ラネ/Lea Baastrup Rønne(フィーイ:ヨーナスの妻)
エードリアン・ブランシャール/Adrian Blanchard(デレク:料理教室を熱弁する旅行客)
サリナ・マリア・ラウア/Sarina Maria Rausa(ハナ:デレクの妻)
Alessio Barni(旅行先のオペラ歌手)
Ilaria Casai(旅行先のオペラ歌手)
Martina Barreca(旅行先のオペラ歌手)
Andrea Benucci(旅行先のドラム奏者)
Sieger Sloot(レストランのウェイター)
■映画の舞台
イタリア:トスカーナ
ロケ地:
イタリア:
トスカーナ/Tuscany
https://maps.app.goo.gl/jGVs6njsW25CtegB7?g_st=ic
ニュージーランド:
フリースラント/Firesland
https://maps.app.goo.gl/1hFJ4tyDPcPmq5iH7?g_st=ic
デンマーク:
フュン/Fyn
https://maps.app.goo.gl/v2RS4gvS2nUM33fRA?g_st=ic
■簡単なあらすじ
オランダのトスカーナに旅行に来たデンマーク人一家は、そこでオランダ人一家と交流を持つことになった
オランダ人のパトリックとその妻カリンはデンマーク人のビャアンとルイーセを気に入り、社交辞令の如く、「一度遊びにいらしてくださいな」という言葉を受けた
旅行が終わりしばらく経った頃、パトリックの元に一通の手紙が届いた
パトリックは誘いに乗ろうかと思っていたが、ルイーセは娘アウネスのことで手一杯で、再び旅行をする気になれなかった
だが、友人たちと会食した際に、車で8時間もあれば着く距離だと言われ、彼らの誘いに乗ることになった
パトリック夫妻には先天性の失語症のアーベルがいたが、アウネスとは同い年で、関係性は悪くない
夫妻も優しい人たちで問題がないと思われたが、ルイーセには一抹の不安が募っていた
そして、1秒でも早くこの場所を去りたいと考えたルイーセは、真夜中にも関わらず、挨拶もなしに帰ることを決める
だが、道中でアウネスが大事にしているぬいぐるみを忘れていたことがわかり、ビャアンはやむを得ずに戻ることになったのである
テーマ:不穏の先にある異質
裏テーマ:見逃しすぎたサイン
■ひとこと感想
原題が「ゲスト」で、英題が「悪について話すな」で、邦題が「胸騒ぎ」という統一性のなさが不思議で、映画を見終わった後だと「シンプルすぎるる原題を公開国で印象付けるために工夫したんだなあ」ということがよくわかります
バカンスに行った先で現地民の祝福を受け、そして関係性が繋がるというもので、普通なら「ここまで邪悪な夫婦だった」ということは想定しないものだと思います
映画は、終始不穏で、場を支配したがるパトリックと裏で糸を引いているカリンの狡猾さというものが滲み出ていました
不穏さをどこで感じるかは危機察知能力に依ますが、本作の二人は察しが悪すぎる割には諦めも早いという絶望的な夫婦だったように思いました
物語性はなく、ただ不穏な空気感を堪能するという内容になっていて、ラストでは意味深な宗教画がドーンと構えていましたね
調べるのが面倒ではありますが、意味がるのだろうなあと思っています
とりあえず、パンフレットを読み込むところから始めたいのですが、持ち歩けないほどに超特大のサイズになっていましたねえ
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
友好的だと思われた家族の家に遊びに行ったものの、何かがおかしいという感じになっていて、その悪い予感が的中するという内容になっていました
その予感も「思っていた以上」というもので、ここまで無茶苦茶な相手とまでは想像できません
不穏さを感じて逃げたまでは良いのですが、そこで強行突破したことが裏目に出ましたね
仕事の用事が入ったとか、適当な言い訳をして、翌朝帰れば逃げられたように思えました
とは言え、彼らの目的を考えると、躊躇するのは間違いなのですが、この夫婦のように無抵抗というのはどうなのかなと思ってしまいます
相手が銃を持っているわけでもないのに、2、3発殴られただけで凹んでしまうし、その後も言われるがままに行動をし続けるのも変だと思います
家族を守るための思考と実行力が希薄で、その心の折れ方が脆すぎてびっくりしてしまいます
相手の家族も受け入れ難いサイコパスっぽさがありましたが、この程度で蹂躙されるというのもなんだかなあと思ってしまいます
■危機管理能力の高め方
本作は、旅先で出会った親切そうな家族が実はヤバい人たちだったというもので、それにどの段階で気付けたかというのが運命の分かれ道になっていました
旅先の段階で気づくのは難しく、社交辞令だと思って無視することもできました
でも、あの段階で危険を察知するのはほぼ無理で、失語症とされているアーベルから何かを引き出せるかどうかにかかっています
アーベル自身も何らかのサインを発することは可能ですが、それがバレるととんでもないことになるのはわかっているので、あえて口を噤むしかないと考えられます
パトリックの家に行ってからも決定的な違和感につながる事象は少なく、「あれ?」と思うのが「医者ではなかった」ということなのですね
エピソードを盛ったということもなく、全く違うところに違和感があって、相手が信用できる人間かを判別する第一歩のようになっていました
その後、ビャヤンとルイーセはあろうことか「他人の家でセックス」をしてしまうのですが、この時点で運命は詰んでいたと考えるのが妥当でしょう
娘が眠れず、親のところに行ったのに気づかれず、それが原因でアウネスはパトリックたちの寝室に行ってしまいます
この流れで「相手を信用できない」というのは逆ギレもいいところで、一般常識が欠けすぎていると言っても過言ではありません
結局のところ、この時の落ち度が最後まで尾を引く感じになっていますが、その後も彼らは何度も間違います
アウネスが彼らの寝室で寝ていることで夜中に逃げ出したり、なぜかぬいぐるみを探しに戻ったりするのですが、手紙が送られてくる関係になっている段階で「逃げる」というのは最悪の手段だと言えます
相手が自分の家に来る可能性もあるわけで、居場所を特定されている段階で、相手の神経を逆撫でするような行動は慎むべきだと思います
戻って見つかってもロクな言い訳もできないのですが、娘を寝室で見つけた時にそっと取り返して、翌日に「仕事が入ったので帰る」ができなかったのは思慮が浅すぎるように思います
嘘をついて、相手に関係をリードされる展開を作るのが愚の骨頂であり、自分の家でもないのに発情とか、こっそり逃げたのに戻るとか、まともな言い訳も用意できないという段階で、この夫婦にはまともな予後は訪れないことは明白のように思えます
ここまで頭が悪いと生まれ変わるしかないイメージがありますが、あえて言うなら「自分たちの行動を棚に上げて、アウネスが夜中に寝室にいたこと」で「激昂する親」を演出することでしょう
自分たちが「まだ良い人だと思われたい」と言う余計な感情が残っていることが恥ずべきことで、あの場面で決別を選んだのなら、それに沿う行動を起こすしかなかったように思えます
結局のところ、危機管理能力は「自分の立ち位置と能力を知る」と言うところに尽きるので、この夫婦はその前提にすら立てない存在だったと言えるのかもしれません
■石をぶつけられて殺された理由
映画では、子どもを奪われたビャヤンとルイーセが裸になって、石を投げられて殺される様子が描かれていました
なんで石なんだろうと思ってググってみたら、古代にあった「石打ち」と言う罪人に対する処刑法があり、それをなぞらえたのかなと感じました
石打ちに値する大罪として、「モレクに自分の子どもを捧げる者」「霊媒や予言を行う、相談する者」「自分の両親に災いの理由を求める者」「姦淫、同性愛、獣姦などの倒錯した性行為を行う者」と言うものがあります
この中の「モレクに自分の子どもを捧げる者」と言うのが、印象として近いのかなと感じました
「モレク」と言うのは、古代中東で崇拝された神様の名前で、人身供儀が行われたことで知られています
ラビ・ユダヤ教の伝統にて、生贄として子どもを捧げるものがあって、それを行ったものは「石打ち」の刑に該当すると言うものなのですね
なので、ビャヤンとルイーセは自分たちの行いの代償として、子どもを生贄にしてしまったと言う感じになっていて、それによって投石にて殺されることになったのかな、と感じました
実際の石打ちは地面に下半身を埋めて殴り殺すと言うものですが、そのような儀式を通じるのではなく、適当に投げられた石で死ぬと言うのは、最も酷なやり方のように思えました
彼らは「子どもを奪われた親」のはずなのですが、相手からすれば「親の行動の至らなさの犠牲になっている」と言うふうに見えています
それゆえに「あなたたちは子どもを生贄にした」と言うことを知らしめるために、あのような行為に至ったのかなと思いました
彼らが抵抗しなかったのも、自分たちの行為によって娘を失ったことを自覚しているためなのかなとも思いますが、それにしても不甲斐なく、救いようのない親のように感じました
ラストシーンでは口を噤むアウネスが描かれますが、彼女は舌を切り取られなくても、無言で過ごしたのかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作のタイトルにはデンマーク語では「ゲスト」と言う意味で、英語だと「悪口を言うな」と言うものになっていました
担当者の苦慮が目に浮かびますが、相手の素行がおかしくても悪く言えないと言う状況が、後手後手に回る状況を生み出していました
邦題は「映画から感じ取られる感情」を選んでいますが、その意味が通じないわけではありません
それでも、相手先での立ち振る舞いが原因となっているので、そこに着目しても良かったように思います
映画では、旅先で出会った家族が実は変だったと言うふうに見えますが、ビャヤンたちも相当変な家族のように思います
招待された家で、しかも娘がいるのにセックスする親と言うのは意味がわからず、これが文化的に普通のことなのかはわかりません
でも、ビャヤンたちのおかしな行動に対しても、パトリックは悪くは言わないのですね
これも映画のタイトルに通じる部分があって、ゲストとして招いた以上「快適な時間を過ごしてもらおう」と考えて、ゲストを悪く言わないと言うことになるのでしょう
相手を悪く言わないと言うことは、どちらの夫婦も行ってきたのですが、アウネスがパトリックたちの寝室にいたことで、その禁忌が破られてしまいます
それでも、パトリックとカリンは相手を悪く言わず、それによって、ビャヤンたちがそれ以上は言えなくなってしまうのですね
相手に罵声を浴びせて口論になった方が喧嘩別れしやすかったのですが、パトリックが「相手が機嫌を損ねたのは自分たちの配慮が足りなかったからだ」と言う姿勢を見せたことで、それ以上言えなくなってしまっていました
このあたりが作戦なのかはわかりませんが、あの状況を産んだのがビャヤンとルイーセの行動なので、それをコントロールすることはできません
パトリックたちはゲストに対するおもてなしをする中で、相手の行動に寛容的になっているのですが、相手のテリトリーで自由に振る舞うと言うことは実はリスクにつながるとも言えるのですね
そこは礼節をきちんと重んじるかどうかと言う人間性にかかっていて、ビャヤンたちは何度も何度もそれを疎かにしてきたと言えます
そう言った意味では、彼らが石打ちにあうのは必然のように思えるのですが、そこに行き着くまでの決定的な罪(理由)と言うものをどう定義するかに依るのかな、と感じました
印象的には合わせて一本のような感じで、累計方式でアウトになったように思えました
それにしてもエンドロールの宗教画は何の意味があったのでしょうか?
色々とググっても出てこないし、Chat GPTに質問してもダメでしたね
とあるYoutuberが画像を引用していて、それをGoogleレンズにかけても辿りつけず、全くもって歯が立ちませんでした
何がわかれば追記したいと思います
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101163/review/03821082/
公式HP:
https://sundae-films.com/muna-sawagi/