■紫の花をどこで見つけるかによって、映画のメッセージが変わってしまうと思いませんか?
Contents
■オススメ度
原作ファンの人(★★★)
ミュージカルが好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.2.9(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
原題:The Color Purple
情報:2023年、アメリカ、141分、G
ジャンル:虐げられた姉妹の反抗を描くミュージカル映画
監督:ブリッツ・バザウレ
脚本:マーカス・ガードリー
原作:アリス・ウォーカー『カラー・パープル(1982年)』
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キャスト:
ファンテイジア・バリーノ/Fantasia Barrino(セリー・ハリス=ジョンソン:二束三文で結婚させられる少女)
(少女期:Phylicia Pearl Mpasi)
シアラ/Ciara(ネティ:行方知れずのセリーの妹)
(若年期:ハリー・ベイリー/Halle Bailey)
タラジ・P・ヘンソン/Taraji P. Henson(シュグ・エイブリー:著名なブルースシンガー、ミスターの元妻)
コールマン・ドミンゴ/Colman Domingo(ミスター/アルバート・ジョンソン:セリーを買う男、農場経営者)
ルイス・ゴゼット・ジュニア/Louis Gossett Jr.(ミスターの父)
Jon Batiste(グレイディ:シュグののちの恋人)
ダニエル・ブルックス/Danielle Brooks(ソフィア:破天荒なハーポの妻)
コーリー・ホーキンズ/Corey Hawkins(ハーポ:ミスターとシュグの息子、酒場経営)
(若年期:Jamaal Avery Jr.)
Ailani Flowers(リル・キャット:ハーポとソフィアの娘)
H.E.R.(メリー・アグネス/スクィーク:ハーポののちの恋人)
Stephen Hill(バスター/ヘンリー・ブロードナックス:ソフィアののちの恋人、ボクサー)
デヴィッド・アラン・グリア/David Alan Grier(サミュエル・エイブリー:牧師、シュグの父)
Tamela J. Mann(シュグの母)
デーオン・コール/Deon Cole(アルフォンソ・ハリス:セリーとネリーの父、小売店店主)
Adetinpo Thomas(メアリー・エレン:セリーとネリーの母)
Aunjanue Ellis-Taylor(セリーとネリーの実母)
Elizabeth Marvel(ミリー夫人:市長の妻)
Charles Green(市長)
Tiffany Elle Burgess(オリヴィア:生き別れのセリーの娘)
Terrence J. Smith(アダム:生き別れのセリーの息子)
Aba Arthur(アビナ:アダムの妻)
MaCai Arrington Griffin(バブ:アダムとアビナの息子)
Emana Rachelle(コリーヌ:アダムとオリヴィアの養母)
Brad Raymond(ビッグ・スリム:アダムとオリヴィアの養父)
Jeffrey Marcus(入国管理官)
David Vaughn(エドモンド:郵便屋)
Whoopi Goldberg(セリーの助産師)
Chase Steven Anderson(映画館のチケット係)
Zakiya Boyd(シュグの執事、運転手)
James Carey(看守)
■映画の舞台
1909年〜1947年、
アメリカ:ジョージア州
アメリカ:テネシー州
メンフィス
ロケ地:
アメリカ:ノースカロライナ州
ソールズベリー/Salisbury
https://maps.app.goo.gl/jS28ibvuF6gDYBpQ6?g_st=ic
シャーロット/Charlotte
https://maps.app.goo.gl/HBbNrP3h8ie7MtqV7?g_st=ic
Wadesboro Courthouse
https://maps.app.goo.gl/Anhzxzo2J9VSwvxV9?g_st=ic
ライルズビル/Lilesville
https://maps.app.goo.gl/yUPDcxHsuhFaVs8T8?g_st=ic
アメリカ:カリフォルニア州
Mentryville
https://maps.app.goo.gl/yhWAGSFLac1CFhVV7?g_st=ic
■簡単なあらすじ
1909年のアメリカ・ジョージア州
そこに住むセリーとネティの姉妹は、父アルフォンソにこき使われる人生を送っていた
姉のセリーは父のレイプにて二人の子どもを授かるものの、それは生活の糧のためにどこかに売られてしまった
ある日、ネティを気に入ったミスターことアルバート・ジョンソンは、アルフォンソの元を訪れ、ネティと結婚したいと申し出る
だが、アルフォンソはセリーなら良いと言い、それによってセリーはミスターのものとなってしまった
セリーは奴隷のように扱われ、ミスターが抱える3人の子どもの世話をしながら、欲望の捌け口と化していた
そんな折、セリーの元にネティがやってきた
アルフォンソに襲われたために逃げてきたものの、ここでもミスターに襲われて行き場を無くしてしまう
セリーとネティはお互いに手紙のやり取りを約束するものの、ネリーは音信不通となり、行方不明となっていた
そんな時、ミスターの元妻でブルースシンガーのシュグが帰ってくるとの噂が町中に響き渡った
テーマ:抑圧からの解放
裏テーマ:人権と尊厳の獲得方法
■ひとこと感想
どうやらかなり昔の映画のリメイクかと思っていたら、スピルバーグ監督版の原作をミュージカル仕立てにした作品のようでした
黒人女性の不遇をこれでもかと突きつけてくる前半は、救いが無さすぎて、生理的に厳しいものがありましたね
これが黒人同士の間で起こっていて、後半で白人が登場すると「これ以上のヤバさがあるのか」と身構えてしまいました
映画は、ブロードウェイのミュージカルを映画に仕上げたもので、ほとんどのシーンで踊っているイメージがあります
クレジットのダンサーの数が100人近くいてびっくりしましたが、セリフ付きのキャラでも50人以上、ダンサー100人以上のかなり大掛かりな映画だったように思えます
物語としては、おそらくは原作準拠で、後半までは鬱屈とした抑圧の連鎖が描かれていきます
それを打破するのが「別世界を知っているシュグ」と、「生まれながらにして戦ってきたソフィア」という感じになっています
セリーは物怖じしてしまうのですが、彼女が変わると決めた瞬間は胸熱なシーンになっていましたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
1900年代前半をベースにして、家長制度と黒人差別が入り乱れるという、かなりヘビーな内容になっていました
父親にレイプされていたことが判明し、それが養父という落とし所にしたり、生まれたばかりの子どもを取り上げて売り払ったりと、かなり無茶苦茶な前半に唖然としてしまいます
かなり宗教色の強い作品で、セリーが子どもを取り上げられたことをシュグに告白するシーンでは、「神ではなく、人の仕業よ」と言ってしまうところに宗教観というものが如実に現れていました
ラストシーンもテーブルを囲んで宗教歌のようなものを合唱するという流れになっていました
セリーがどの段階で立ち上がるのかというのが物語のフックになっていて、それがネリーの生存確認とシュグとの冒険、ソフィアの常識打破というように畳み掛けるような感じになっていました
カミソリを首に当てるシーンはかなりヒヤヒヤして、ここで覚醒したらどうなってしまうんだろうと思ってしまいました
あの瞬間に、ミスターも雲行きの悪さというものを感じ始めたのだと思います
■時代背景について
映画の舞台であるアメリカのジョージア州は、1861年1月18日に合衆国から脱退し、その名前を保持しながら、2月にはアメリカ連合国に加盟しています
戦争当時、ジョージア州は何十万という兵士を送り出した土地でもありました
1863年、チカマウガの戦いがあり、西部戦線における南軍の最後の勝利の地となっています
ジョージア州アトランタでの戦闘が終わり、その後の進軍などの状況はマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』で描かれていた時代となっています
1865年の時点で、レコンストラクション(奴隷解放システム崩壊後の過程)が動き出し、当時のジョージア州の奴隷は46万人という状況になっていました
1867年に第一次レコンストラクション法が成立し、ジョージア州はジョン・ポープ将軍が指揮する第3軍事地区の一部となりました
その後、大統領選での紛糾などの様々な内的要因に晒され続けましたが、1880年頃から経済が立ち直り始めます
この頃に生まれたのが「コカコーラ」で、さらに森林業、テレピン精油製業、石炭などが産業を下支えし、海軍軍需品の主導的生産地になっていきます
映画は、これらの時代の直後を描いていますが、劇中に市長夫妻以外の白人は出てきません
あくまでも、黒人内の男尊女卑が顕著になっていて、黒人女性の人権は無いに等しい状況になっていました
とは言え、女性が全く声を上げられないかと言えばそうでもなく、シュグと一緒に渡ったテネシー州では1865年の段階で自主的に奴隷制度を終わらせていました
テネシー州は北軍の支配下に入っていたこともあって、南部のジョージアとは奴隷解放に進み方も違っていたように思えます
彼女たちは場所を変えることで生き方を変えることができるのですが、それが本作のテーマのひとつになっているように思えました
■人の仕業か、神の仕業か
劇中のシュグのセリフで、セリーが受けてきた不遇は「人の仕業である」と断罪するシーンがありました
敬虔なセリーは「なぜ、神様は不幸なことばかりを起こすのか」というふうに思っていましたが、実際には「神様は何もしておらず、その状況を作っているのは人であり、その中にセリーもいる」ということになっています
その人がどんな不遇な状況にあっても、そこにいることを選択していることで、それを受け入れている自分がいます
その場所で死にたくないと切に願うのであれば、環境を変えることを恐れずに飛び出すしかないと言えます
人間社会は神様の思惑などでは動いておらず、自分の立場を守るための闘争というものが繰り返されてきました
その最たるものが戦争であり、集団が生き残るために他の集団を駆逐するという歴史は古代からあるものだと思います
今では、その戦い方が変わっているだけで、結局のところ暴力に訴えるという手段に行き着くことの方が多いのですね
なので、その戦争を起こした者は神様などではなく、大きなうねりを派生させる人類の意志ということになると言えるでしょう
宗教色が強い映画だと、「祈れば変わる」という希望的観測が描かれますが、これは「気の持ちよう」に近い意味があります
神様が自分を守ってくれると思えれば戦えるし、そうでない場合は耐え凌ぐだけになります
自分に起こっていることは変えられず、それにどう対処するかが問われているだけなのですね
なので、その状況を変えられるなら変えればいいし、変えられないのならば、自分の理想に近い場所を探すしかありません
そう言った意味において、当時は「その場所に移動するしか情報を得られない」ので、動く以外には方法がなかったと言えるのかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作のタイトルは、『The Color Purple』というもので、これは原作者のアリス・ウォーカーが小説執筆のために田舎に行った時に、「想像以上に紫が多かったこと」に感銘を受けたから、とされています
映画でも、紫色の花を見つけて、それについて言及している場面はありますが、この場面だけではタイトルの意味にまでは辿り着いていないように思えました
特に、彼女たちの場合は、自分の住んでいる場所に咲いていた花を見つけて「紫色でも咲き誇っている」というもので、これは「これまでに見過ごしてきたものの中にも大切なものはある」という意味になっています
でも、原作者の観点からすれば、「自分の未踏の地にはこれまでに目にしなかったものがある」ということになるので、これが「外側の世界に行こう」というシュグのマインドに似ているように思えました
映画では、セリーとネティが紫色の花を見つけますが、本来ならば、あの場所を離れたセリーが未踏の地で見つける方が良かったと思います
あるいは、ネティからの手紙に紫色の花が添えられていて、シュグの話と同じように、新天地には自分の知らないものがたくさんあるという趣旨を受け取る、というものでも良かったでしょう
映画は、「恐怖心から飛び出せないセリー」が、シュグやネティの生存に鼓舞されて生き方を変えるというものなので、その場所で紫色が輝くという意味合いで引用することがナンセンスのようにも思えてきます
人の幸せは「自分の心の持ちよう」とは言いますが、理不尽な世界で居場所を見つけるよりも、外の世界に旅立つ方が効果的な場合があります
映画の世界では、奴隷の人権、女性の公民権などは程遠い世界に生きているので、それが変わるまで待つのか?という疑問が浮かびます
世界を変えるには、内部から立ち上がっていくことも大事ですが、あの場所から女性が全て消えてしまったら、という「もしも」を描いていくことで変わっていくこともあるのですね
その象徴的な人物が「ミスター」であり、彼は自分が捨てられることの怖さを体感し、生き方を変えていきます
衝突で変わるものもあれば、離別によって変わるものもある
本作は、その中で「離別がもたらす効用」というものを描いているので、その決意が生まれることが起点になる、というお話だったのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/96539/review/03465015/
公式HP:
https://wwws.warnerbros.co.jp/colorpurple/