■寓話に落とし込むことでしか、家族の物語を描けなかったのかもしれません


■オススメ度

 

スピルバーグ監督の原体験を知りたい人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.3.4(イオンシネマ久御山)


■映画情報

 

原題The Fabelmans

情報2022年、アメリカ、151分、G

ジャンル:スピルバーグ監督の映画との出会いから就職までを描いた自伝映画

 

監督スティーヴン・スピルバーグ

脚本スティーヴン・スピルバーグ&トニー・クシュナー

 

キャスト:

ガブリエル・ラベル/Gabriel LaBelle(サミー・フェイブルマン:映画作りを夢見る青年、モデルはスティーヴン・スピルバーグ/Steven Spielberg

 (幼少期:Mateo Zoryan Francis-DeFord

 

ミシェル・ウィリアムズ/Michelle Williams(ミッツィ・シルドクラフト・フェイブルマン: サミーの母親、ピアニスト、モデルはリア・アドラー/Leah Adler)

ポール・ダノ/Paul Dano(バート・フェイブルマン:サミーの父、コンピューターエンジニア、モデルはアーナンド・スピルバーグ/Arnold Spielberg

 

セス・ローガン/Seth Rogen(ベニー・ロウウィ:バートの助手で親友)

 

ジュリア・バターズ/Julia Butters(ジェジー/レジーナ・フェイブルマン:サミーの妹、長女、モデルはアン・スピルバーグ/Anne Spielberg

 (幼少期:Birdie Borria

キーリー・カルステン/Keeley Karsten(ナタリー・フェイブルマン:サミーの妹、次女、モデルはナンシー・スピルバーグ/Nancy Spielberg)

 (幼少期:Alina Brace

ソフィア・コッポラ/Sophia Kopera(リサ・フェイブルマン、三女、モデルはスー・スピルバーグ/Sue Spielberg)

 

ジャド・ハーシュ/Judd Hirsch(ボリス・ポドゴルニー:サミーの大叔父で、元映画労働者、サーカスのライオン使い)

ジーニー・バーリン/Jeannie Berlin(ハーディッシュ・フェイブルマン:バートの母親、サミーの祖母)

ロビン・バートレット/Robin Bartlett(ティナ・シルドラウト:ミッツィの母、サミーの祖母)

Crystal(ベニー:フェイブルマン家のペットの猿)

 

サム・レヒナー/Sam Rechner(ローガン・ホール:高校のいじめっ子)

Oakes Fegley(チャド・トーマス:高校のいじめっ子)

 

クロエ・イースト/Chloe Eastモニカ・シャーウッド:サミーの恋人、高校時代の同級生)

Isabelle Kusman(クローディア・デニング:ローガンの恋人、サミーの同級生)

Chandler Lovelle(レニー:赤毛の女の子)

 

Gustavo Escobar(サル:サミーのボーイスカウトのメンバー)

Nicolas Cantu(ハーク:サミーのボーイスカウトのメンバー)

Cooper Dodson(ターキー:サミーのボーイスカウトのメンバー)

Gabriel Bateman(ロジャー:サミーのボーイスカウトのメンバー)

Stephen Smith(アンジェロ:サミーのボーイスカウトのメンバー、途方に暮れる隊長役)

Lane Factor(ディーン:サミーのボーイスカウトのメンバー)

 

James Urbaniakグランドビュー高校の校長)

Connor Trinneerフィル・ニューハート:プラムの司会者)

 

Greg Grunbergバーニー・ファインCBSの社員、「Hogan‘s Heroes」作成者)

David Lynch(ジョン・フォード:サミーの映画製作に影響を与えた有名な映画監督)

Jan Hoag(ノーナ:CBSで働くジョン・フォードの秘書)

 


■映画の舞台

 

1952年

アメリカ:ニュージャージ州

Haddon Township/ハードン・タウンシップ

https://maps.app.goo.gl/fWbfJvX6dKDKwXyc6?g_st=ic

 

アリゾナ&カリフォルニア&ロサンゼルス

 

ロケ地:

アメリカ:ロサンゼルス

 

アメリカ:カリフォルニア州

ムーアパーク/Moorpark(映画館)

https://goo.gl/maps/Wf2N44aUpcuo2jii9

 

マリブ・パシフィックコースト/Pacific Coast Hwy(ビーチ)

https://goo.gl/maps/t2P5vC2WpWEvq8gQA

 

ブロードウェイの映画館(はじめていく映画館)

https://goo.gl/maps/gcRVPtNUFMNE54kC6

 


■簡単なあらすじ

 

エンジニアの父バートとピアニストの母ミッツィに育てられた怖がりのサミーは、家族みんなと一緒に映画館に行くことになった

その映画では「列車が車と衝突する」というショッキングなシーンがあり、サミーはそのシーンに心を奪われた

父に買ってもらった列車模型をクラッシュさせて遊んでいたサミーだったが、そんな彼を見て、母は父のビデオを渡して録画するように言った

サミーはそのクラッシュ映像を組み合わせて一本のフィルムにし、それが彼の映像作品の原点だった

 

サミーの家には度々父の助手であるベニーがやってきて、彼らは家族同然の関係だった

父の転勤に一緒についてきて、近しい関係を続けていて、その存在はかけがえのないものだった

 

ボーイスカウトに入ったサミーは、そこで仲間たちと一緒に映画を作り、それは見事に賞を獲ることになる

だが、そんな折、ミッツィの母ティナが他界し、父は母のためにキャンプ場で撮った映像を映画にしてほしいという

サミーは仲間たちとの映画を優先したかったが、母のためということでフィルムの編集を始める

だが、そこには彼の知らない家族の姿があったのである

 

テーマ:原体験と人生

裏テーマ:創作者の原罪

 


■ひとこと感想

 

スピルバーグ監督の原体験を綴った本作は、実名を出すことなく、架空の家族を登場させて、そこに家族を映し出すことになりました

ファミリー映画ということで、スピルバーグ監督の自伝というよりは、青春期の家族がどんなものだったのかを記録した映像と言えます

なので、スピルバーグ監督の「映画監督としての活躍や歴史」を知りたい人にとっては肩透かしの内容だったと思います

 

個人的には活躍期よりも原体験の方に興味があったので、本作はとても有意義なフィルムであったと思います

原体験がどのようにして職業につながるのかという中で、彼が過ごした青春期に何があったのかが紐解かれていきました

 

また、家族の在り方もしっかりと描かれていて、トップクレジットは母親役のミシェル・ウィリアムズさんになっていましたね

エンドロールの謝辞とともに、自分を育ててくれた両親に向けた映画だったのかなと思いました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

一人の少年が映画と出会い、そんな中で「どう説明したら良いかわからない要素」にのめり込んでいく様子を描いています

列車と車のおもちゃをクラッシュさせて、列車は壊れないことに興味を持つ不思議な原体験で、それは「ぶれない血筋」というものの暗喩のようにも思えます

 

映画の骨子は母の人生になっていて、父の友人バニーへの執着と、その関係を許容する父が描かれていました

父はエンジニアゆえに割り切った考え方をしていて、愛と生活を分けて考えていたりします

また、母の不安定さというものが最初から最後まで一貫していたので、このような特質も家系特有のように思えます

 

物語の主題は「大叔父ボリスのセリフ」にもある、「創作が家庭に及ぼす影響」でしょう

ボリスは映画制作に関わっていたこともあって、創作という魔物が家族を犠牲にすることを知っています

でも、本当の意味での「創作者の原罪」というのは、作品の中に自分のみならず、家族や友人の自分の知らない一面を切り取ってしまうことのように思えました

 


原体験とは何か

 

「原体験」とは、「人の生き方や考え方に大きな影響を与える幼少期の体験」のことを言い、映画に行けるサミーの原体験は「映画館で観たクラッシュシーン」ということになります

その後、クラッシュシーンを再現しようと考え、父に鉄道模型をねだっていましたね

母は「怖いトラウマ」というふうに捉えていましたが、サミーの疑問は「なぜ列車の方は壊れないのか」というものでした

 

映画監督としての原点は「クラッシュシーンの映像」になりますが、人格形成にも影響を与えているように思えます

個人的な感覚だと、サミーは列車の強さに惹かれていて、その理由を探っていくようになりました

映画の中で起きた出来事の再現をして、もし違うことが起こっていたらどうなっていたでしょう

模型が粉々に砕けて、車の中から人は投げ出されない

実際問題として、購入する鉄道模型の質によっては、映画の中と違うことが起こっていた可能性もありました

 

でも、サミーは一連の事象に関係性を見出し、それは「映画の中の世界は現実と同じ」という考えに発展します

後半でプロムで流されたローガンの映像、偶然映った母とベニーの関係など、サミーは「映像の中にこそ本物が宿る」と考えていきました

キャンプで作った映画でも、兵隊長を屍の上で途方に暮れさせるという演出を行いますが、これらの「本物性の追求」はこの原体験がベースになっていると言えます

スピルバーグ監督としては、自分を描く映画において、最も歪められずに描いてほしいことのひとつだったのかも知れません

 


創作者の原罪

 

映画において、大叔父ボリスは「映画は心をズタズタにする」という表現を用いて、映画制作の怖さというものをサミーに教えます

この映画の原案が20年前に存在したにも関わらず、映像化に向かわなかった理由も、映画の残虐性を感じていたからであると推測されます

特に映像コンテンツは虚構の塊のようなもので、ありのままを映しても、そこには撮影者と編集者の意図というものが付随してきます

 

例えば、花畑の映像を撮るとして、「選ぶ季節、時間、対象の花」を決める段階で、「ありのまま」ではなかったりしますね

桜並木を映像に残すとしても、咲き始め、咲き終わりなどの時期によって印象が違いますし、夏に桜の木を撮っても、一部のマニア以外には意味が理解できません

また、撮った映像をそのままノーカットで流すならまだしも、意図的な編集によって、事実とは異なる映像ができる場合もあります

 

そして、最たる相違というのは、被写体がそれを受容できるかどうかというところなんだと思います

ローガンは「どうして、俺をこんな風に撮ったんだ?」と言い、「ここに映っている自分は本当の自分ではない」と考えています

シーンはかけっこで勝つシーンですが、ローガン目線では「脚色された勝利」に見えるのですね

でも、実際には見えない努力の果てに掴んだ栄誉であり、その泥臭いものは全て美化されて消えてしまいました

 

また、母の不倫を仄めかす映像も、どこまで関係性を持っていたのかは分かりません

単に話を聞くだけの夫に飽きた末の話し相手かもしれませんし、実は兄妹の中の誰かの種が違うというところまであったかもしれません

母はこの映像を否定しますが、結局はベニーとの間に子どもを授かるまでの関係性には発展しています

なので、発覚前がどうだったかは、二人にしかわからない事実だったりします

でも、あの映像を観ると、二人は深い関係だったと思わせるだけの映像的な説得力があるように思えます

 

これらの作り上げたものに宿る本物感というのは、実際には受け手側が決めてしまうものなのですね

なので、サミーは自分の信じる事実というものを組み合わせて、ローガンや母の映像を編集することになっています

サミーからすればローガンは憧れの男性で、母は淫らな欲望に塗れていた人物ということになります

実際にこの視点が合っているかはわかりませんが、ローガンに関しては「みんなが思っているローガン像」というものを再現したに過ぎません

そして、母親もキャンプ場で抜け出して関係を紡ごうとしているので、その本性がそのまま映し出されているようにも思えました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作では、自身の原体験とは何かというものと、自分から観た家族の在り方というものを描いていきました

これらを自叙的な映画にまとめるという行為は稀なことで、通常の伝記映画というものは、本人の著書があっても、改変され得るものだと思います

本作の場合は、共同脚本になっていますが、自分自身を投影したキャラクターは監督本人が作り上げたものになっています

でも、タイトルは『The Fablemans』で、実名を使ったものではありません

 

このカラクリが何なのかを考えてみると、一つ目は予告編でも本人が言及する「自分の自伝には欠かせないもの」というこだわりがあるのと同時に、家族のことをあまり改変されたくないという願望があるのだと思います

この映画をもし他人が撮っていたら、善意と悪意の振り幅はわからないものの、もっとスキャンダラスなものになっていたように思います

なにせ、夫の助手と関係を持っていた母で、しかも度々自分の家族のように接していました

これだけ濃い不倫の物語も、スピルバーグが描くことで少しばかりマイルドなものになっています

そして、この映画がスピルバーグの自伝映画の基本となることで、彼自身が怖れるものが排除されるようにも見えてきます

 

また、映画で実名を使わずに、わざわざ「寓話という意味のあるFable」という言葉を使うところに、家庭の特殊性を一般化しようという狙いがあったように思えました

実際にどんな心情でこの作品と向かい合ったかは監督以外知るよしもなく、観客がどう思うかとは次元の違うところに心を追いやっているようにも思えました

本作は両親の死後に映画かされたもので、その理由は「生前に描くべきものではない」というものがあったのでしょう

そして、それらは誰の家族にも起こり得るものだよ、という警鐘を発しているようにも思えます

また、本作の隠された意図として「映像は本物を映している」というものがありますので、既成事実を作る意味もあって、母親のプライベートを晒したのかなと思いました

この辺りは単なる個人的な解釈ですが、そういった様々な見解と戦うことも、映画人として心が痛む部分なのかもしれません

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/384920/review/907dfa08-b10e-46db-b334-861cc56dda23/

 

公式HP:

https://fabelmans-film.jp/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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