■息子の視点に一度でも立つことができれば、いろんな逃げ道があったように思えます
Contents
■オススメ度
子どものことが時折わからなくなる親御さん(★★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.3.21(TOHOシネマズ二条)
■映画情報
原題:The Son
情報:2022年、イギリス、123分、G
ジャンル:様子がおかしくなった別居中の息子と過ごすことになった父を描いたヒューマンドラマ
監督:フロリアン・ゼレール
脚本:フロリアン・ゼレール&クリストファー・ハンプトン
原作:フロリアン・ゼレールの戯曲『The Son』
キャスト:
ヒュー・ジャックマン/Hugh Jackman(ピーター・ミラー:やり手の弁護士)
ゼン・マクグラス/Zen McGrath(ニコラス・ミラー:ピーターの前妻との息子)
(幼少期:Geroge Cobell)
ローラ・ダーン/Laura Dern(ケイト:ピーターの前妻、ニコラスの母)
ヴァネッサ・カービー/Vanessa Kirby(ベス:ピーターの現在の妻)
Felix Goddard&Max Goddard(テオ:ベスとピーターの子ども)
アンソニー・ホプキンス/Antohny Hopkins(アンソニー:ピーターの父)
Yolanda Nieto(マリア:アンソニーの家政婦)
William Hope(アンドリュー:ピーターの同僚の弁護士)
Danielle Lewis(ジェシカ:ピーターの秘書)
Nancy Baldwin(校長の秘書)
Akie Kotabe(ヤマ先生:高校の歴史の先生)
Geroge Potts(ピーターのセラピスト)
Gretchen Eqolf(救急医)
Alex Mugnaioni(マイケル:ピーターの担当看護師)
ヒュー・クァーシー/Hugh Quarshie(ハリス医師、ピーターの主治医、精神科医)
Isaura Barbe-Brown(ソフィア:ケイトの部下)
Mercedes Bahleda(マリー:ケイトの部下)
Joseph Mydell(ブライアン:上級議員)
Erick Hayden(アラン:ブライアンの事務所の政策秘書)
Rachel Handshaw(ブライアンのアシスタント)
Gabriel Ecoffey(フランスから来たインターンの青年)
Reza Diako(NYのレストランのウェイター)
■映画の舞台
アメリカ:ワシントン&ニューヨーク
フランス/コルス島(回想)
https://maps.app.goo.gl/UJvaUEPKNZuT5nybA?g_st=ic
ロケ地:
フランス:
La Ciotat/ラ・シオタ(回想の海岸)
https://maps.app.goo.gl/B478R7ES3qi6ksKb8?g_st=ic
アメリカ:ニューヨーク
ハドソン・リバー・パーク
https://maps.app.goo.gl/xjmCQC5EyPLHyvbc7?g_st=ic
アメリカ:ニューヨーク151番街
https://maps.app.goo.gl/K6CcRWq5fikpS2s97?g_st=ic
■簡単なあらすじ
ニューヨークにて、敏腕弁護士として活躍するピーターは、後妻ベスとの間に息子テオが生まれ、順風満帆な時を迎えていた
ある日、彼らの元に突然、前妻のケイトが現れ、息子ニコラスの様子がおかしいと言い出す
ピーターは「明日会いに行く」と告げ、ケイトを宥めた
翌日、ニコラスに会ったピーターは、ニコラスが母の元を離れたいと言い出して困惑する
かつて、ニコラスとケイトを捨ててベスの元に走ったピーターは、彼が自分と住みたいと言い出すとは思ってもいなかった
ピーターはケイトにその旨を伝え、翌日からニコラスは父とベスの家に引っ越してきた
高校も転校することになり、心機一転の日々が始まると思われた
だが、やはりニコラスはどこかおかしくて、ピーターにはその理由がわからず、ベスは彼の心の奥底にある闇を感じ始めていたのである
テーマ:思春期の難しさ
裏テーマ:父として生きること
■ひとこと感想
ヒュー・ジャックマンさんが演じる父親と不安定な息子という設定だけを知った状態で参戦
予告編では「急性うつ病」というところまで出ていましたが、その診断が降りるのは随分と後半になっていましたね
物語は、突如息子と同居することになった父を描いていて、理想の父になれなかった後悔とその修復の過程を描いて生きます
後半は怒涛の展開ですが、これは予期されるもので、そこに向かう不穏さというのは常に漂っていました
テーマは父とは何か?であるものの、思春期に起こる抑圧とうつ病について、真っ向から描いた力作だったと感じました
とにかく重すぎる話ではあるものの、どの家庭でも起こりうる事態を描いていたと思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
後半の「あるシーン」はとてもショッキングで、これを回避できる方法があったのかどうかを考えてしまいます
ある意味、必然のように思える帰結は、誰もが予想する最悪の方向へと舵を切っていきます
原因を特定するのは難しく、連鎖的な理想の人生という重圧は、誰にでも乗り越えられる重圧ではないことは確かでしょう
ニコラスがあの行動を取ったのは「人生を最高の瞬間で終わらせたい」というもので、その対比として「ピーターの回想」というものが組み込まれていました
このそれぞれが思い描く幸福像のズレというものが恐ろしくて、それが根底にある故に、無言の重圧と違和感が漂っていました
この映画に限って言えば、この結末は避けようのないものだったように思えてきます
■ニコラスの決断について
映画では、精神病院入院を逃れたニコラスが自宅にて自殺を図るシーンが描かれています
精神科医の忠告が現実になったもので、この流れは「観客のほぼすべての人」が、「それだけはやめて」と思いつつも「そうなるんだろうなあ」と感じたエンディングになっています
これを防ぐためには「猟銃を始末する」ということになり、猟銃をニコラスが認知しているのにそのままにしていたピーターの失策のように思えます
ニコラスには自傷癖があり、ピーターはそれを「構ってほしい」レベルで捉えていて、まさか自殺まではしないだろうと考えていたのでしょう
これは彼が致死に至るまでの行為をしてこなかったゆえに「自傷に慣れたこと」と、それによってピーターの中で起こっている心理的な変化が要因になっています
ニコラス自身が自殺に至ったのは、いろんな理由があるとは思いますが、映画の中で描かれることを基準とすると、「自分自身の未来を憂いて、最も幸福感を感じる瞬間に人生を終わらせようと考えた」ということになります
死の直前に「あの頃の3人になれた」という趣旨のセリフがあり、お互いが「愛している」と囁き合います
この「愛している」の言葉で締め括れる人生を、ニコラスは諦めてしまっているのですね
なので、このままだと人生は無茶苦茶になって、今後何かあれば見限られて精神病院に入れられると考えているでしょう
それを防ぐための最善の方法が「終わらせる」というのもので、この時点のニコラスの限界値と理想であったと言えるのではないでしょうか
■ピーターの回想と妄想について
このニコラスの自殺の後、部屋に訪れるニコラスがピーターの妄想として描かれています
「自殺ではなかったのか」とか、「空砲だったのか」と思わせる内容ですが、いきなり恋人を紹介するニコラスと明らかに別人のように描かれていました
これらの妄想は、ピーターの後悔が描かれているというよりは、彼自身のおぞましい本質になっていると思います
ピーターがニコラスを想起するのは、いつもコルス島でのバカンスだけで、年齢的には4歳ぐらいの頃のことでした
そして、ニコラスにそのことを語る時に「あの時は最高だった」という趣旨の言葉を発しているのですね
これを聞いたニコラスがどう感じるかということを想像できないピーターは、無防備に「今のニコラスを否定している」ことに気づいていません
ニコラスは父のそのマインドと、ベスと仲睦まじい関係を目の当たりにして、ここには自分の居場所はないと断定しています
ピーターは自己愛が強すぎるのですが、それは「これまでに父から課せられた難題をすべてクリアしてきた」という体験によって構成されています
彼がニコラスの水泳を何度も何度も思い出すのは、「自分と同じようにニコラスもすべてのものを克服できる」と思い込んでいるからです
なので、ニコラスはそのことを感じていて、「僕には父さんと同じようにはできない」と苦悩を言葉にしています
それでもピーターは「できる」と考え、ニコラスの治療すらも自分たちでできると勘違いしていました
結局のところ、精神病院に送ったことによって、「息子を見捨てた父にはなりたくなかった」という感情があったのですね
一度ならずとも、二度も息子を捨てることになり、今度は恒久の別れになる可能性もありました
でも、ピーターはニコラスの病気に関して無知だった故に、主治医の意見を無視して最悪の結果を引き起こします
この流れに関して、もしかしたら無意識下で「ニコラスの自殺を誘発しようとした」という見方も取れます
ベッドの下にナイフを忍ばして、自傷行為で病院に運ばれたのに、父からもらった猟銃に関しては放置なのですね
あの銃でニコラスがベスを殺す可能性もあったにも関わらず、それを放置していたのは、ニコラスが他者を傷つけない性格をしている、と感じていたからのようにも思えます
なので、わざと放置していたという線は拭えないのかなと思ってしまいました
もし、ニコラスの目的が「あの頃の3人に戻る」ではなく、「あの頃の両親を取り戻す」ならば、ベスとテオを殺すと言う行動が起きてもおかしくなかったと言えるのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作におけるピーターは、映画の中に登場する特殊なキャラクターではありません
彼のように、成功体験を誰にでもできると勘違いして、周囲にプレッシャーを与える人というのはどこにでもいます
口癖のように「なぜできないのか?」を連呼することで、ニコラスに壁を越えさせるという目的を度外視して、できない息子を下に見て優越感に浸っているのですね
「なぜ」と理由を聞く多くの人は、漠然としたものを認めない傾向があって、ニコラスのように「わからない」と答えることを良くは思いません
「なぜ」を何回も繰り返して、自問自答の末にクリアできた人は、同じことができると勘違いしているのですね
実際には「同じ思考回路をしていない」ので、同じ状況でも同じ答えになるとは限りません
でも同じであると信じていて、これが実に厄介なものになっています
コルス島の水泳の場面でも、ニコラスが泳げたとは言えません
単に、命懸けで手足を動かして、父が助けるまで浮いていられただけ、なのですね
それを泳げたと解釈するピーターは相当ヤバい感性の持ち主で、それが「最高の時だった」と結んでいます
彼としては、ニコラスが生まれて初めて難題を克服した時と捉えていますが、ニコラスからすれば「父に殺されかけた日」であるとも言えます
それでもニコラスが父を愛し続けているのは、父の有能さに憧れを持っているからだと思います
でも、離婚後はそんな「尊敬すべき父」は、母によってボロクソに言われてしまうのですね
母はピーターがニコラスに見せない部分を知っている存在で、ニコラスが両親の不和の原因を知るまでは、一方的に断罪される父の身代わりになっているようなものでしょう
尊敬すべき父を悪く言う母
そのどちらを愛していても、母の感覚はニコラスにはわかりません
でも、母の元を出て、父がしたことをベスとテオの存在認知によって理解する
この過程を経て、ニコラスの中にあるピーターの完全性と言うものが崩れていきました
この映画の根幹となる原因は、どう考えても「息子の思春期に身勝手な離婚をしたピーター」なのですが、その事実を理解しても行動を変えられないのが彼だったとも言えます
ニコラスは母からの逃避を考えて父を頼りましたが、この映画における最適解は「アンソニーの元に行く」というものだったと思います
アンソニーは「不甲斐ない父」を知っている人物で、私怨によってピーターを卑下はしません
むしろ、「あいつは不完全だったと平気で言うピーターの強化版みたいな存在」で、その対比によって「ピーターが尊敬に値するほどではない」と感じさせるには十分だったでしょう
本作におけるニコラスの苦悩は「肥大化した尊敬すべき父」と「どうしようもないクズの男」との間にある解離になっているので、そのどちらかを寄せるしかありません
ピーター自身が「ニコラスの偶像であること」を認めるタイプではないので、このキャラクターの関係性だと、逃げ場はアンソニーのところしかなかったように思います
彼のところには家政婦のマリアがいたので、第三者的にミラー一家を知ることができたと思うので、最初は大変でしょうが、後々のことを考えればワンチャンあったのかなと思いました
終わったことをあれこれ言うのもどうかと思いますが、もし同じ状況に陥りそうな親子がいるとしたら、近しい親戚に一時的に避難させると言うことを考えてもいいのではないかと思いました
個人的には、両親の不和の時期に「母の兄」の家によく行っていたので、そこで聞かされる知らない母親とか、父の家柄の話などは、第三者視点として貴重だったと言う体験がありました
あの時期を考えても、第三者的に「自分の家庭を知る」と言う経験は必要なものであると思います
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/386456/review/f33fc3f2-5d4d-477e-815c-b8054add4da9/
公式HP: