■摂りすぎると毒になるものもあれば、摂るだけでダメなものもあると思います


■オススメ度

 

韓国の親子関係問題について興味がある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.5.13(京都シネマ)


■映画情報

 

原題:독친(毒親)、英題:Toxic Parents(毒の両親)

情報:2023年、韓国、104分、R15+

ジャンル:ある女子高生の死によって暴かれる家庭内問題を描いた社会派ミステリー映画

 

監督&脚本:キム・スイン

 

キャスト:

チャン・ソヒ/장서희(カン・ヘヨン:娘に過干渉な母親、結婚情報会社勤務)

カン・アンナ/강안나(イ・ユリ:ヘヨンの娘、高校3年生、班長)

 

チェ・ソユン/최소윤(チェ・イェナ:ユリの友人、アイドル志望の練習生)

ユン・ジュンウォン/윤준원(キム・ギボム:ユリの担任、体育教師)

 

ソン・ヨンジン/송용진(イ・チャンフン:ユリの父、海外勤務中)

チェ・ウンジュン/최은준(イ・ミンジョン:ユリの弟)

 

オ・テギョン/오태경(オー刑事、捜査班のチーム長)

ソ・ヒョンギョン/조형균(ユン刑事、現場責任者)

ユン・ソジン/윤서진(チャン刑事、女性刑事)

キム・ヨンチョル/김인철(オ刑事の上司)

ヒュユン/희응(刑事)

チョ・オンチョル/전원철(刑事)

イ・チャンヒ/이찬희(刑事)

イ・テギョン/이대경(所轄の警官)

ソン・ベクイン/성백인(所轄の警官)

 

カン・ヒョクイル/강혁일(ジュンテ:自殺志願の男)

タクヤ/타쿠야(アン・チャンヒョン:自殺志願の男)

パク・ウンソ/박은선(パク・ウンソ:自殺志願の女)

 

アン・ヒテ/안휘태(サンボム:ギボムの兄)

イ・ジョンウン/이종운(ギボムの父)

イ・ホジュ/이호주(ギボムの母)

パク・ジヘ/박지혜(ジヘ:兄の婚約者)

 

ユ・チャンヒョン/유찬현(ヒョンチャン:男子生徒)

バン・ジョミン/방재민(ミンジェ:男子生徒)

チャン・ジョンヨン/장정연(ヨンジョン:女子生徒)

チョ・ギョンア/조경아(ユジョン:女子生徒)

チョン・ウンジ/정은지(ジウン:女子生徒)

シン・デヨン신대연(国語教師)

チェ・ユンジェ/최윤재(英語教師)

 

イ・チャンホ/이찬호(カフェの店長)

イ・セユン/이새윤(イェナの事務所の社長)

キム・ラギョン/김라경(イェナの弁護士)

イ・ソラ/이소라(練習生のリーダー)

イ・ユジン/이유빈(練習生のメンバー)

チョン・ヘジン/정혜진(練習生のメンバー)

キム・ヨングン/김용군(警備員)

 

イ・ミナ/이민아(結婚情報会社の客)

ユク・ギュリ/육규리(結婚情報会社の職員)

イ・ジョンウン/이정은(結婚情報会社の職員)

イ・ジェヒ/이재희(結婚情報会社の職員)

 

イ・スンフィ/이승휘(ニュースアンカーの声)

 


■映画の舞台

 

韓国:ソウル

 

ロケ地:

韓国:ソウル

ホンイン湖

 


■簡単なあらすじ

 

ソウルの進学校に通うユリは、母の期待に応え、言いつけを守る従順な少女だった

彼女の母ヘヨンは、良い大学を出て、良い企業に就職すれば良いと考えていて、そのキツすぎる性格から、夫は逃げ出して別居中になっていた

 

ある日、近くの湖畔にて、服毒自殺を思わせる3人の遺体が発見された

ユリと無関係に思える大人の男女の遺体

そして、彼女の爪から「もう一人いた」ことがわかり、殺人事件の可能性も残されていた

 

警察は事情聴取を重ねる中で、イェナというクラスメイトとの不審なやり取りと、担任ギボムとの関係性が疑われてしまう

ヘヨンはその二人が共謀して殺したと思い込み、告訴に踏み切ってしまう

そんな中で、オー刑事たちは、次々に浮かんでは消える事件のヒントをたぐり寄せることになったのである

 

テーマ:摂りすぎると毒になるもの

裏テーマ:愛情を取り戻す方法

 


■ひとこと感想

 

韓国で社会問題になっている案件ですが、日本でもここまででは行き過ぎてはいないものの、よく似たケースは多いと思われます

韓国はルッキズムに学歴至上主義の側面があり、子どもにかける教育費用も高く、親の期待を背負わされてしまう子どもの数も多い状況になっていると聞きます

 

そんな社会において、親の過干渉からの逃亡と思われる自殺も多いのですが、実際のところ「死んだ人の本当の気持ち」というものはわからないものだと思います

映画では、ユリはなぜ死んだのかを最後まで引っ張る流れになっていて、それまでの物語は「自殺か事件かで揺れる」というのを繰り返しています

 

母親の異常行動に「告訴」を入れたかったから「殺人事件」を引っ張ったのだと思いますが、早々と「自殺断定」して警察にキレるという展開の方がわかりやすかったように思います

タイトルで母親が異常ということはわかっているので、どのような理由でその決断に至ったのかを色んな角度で見せることの方が重要だったように思えました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は社会問題を取り扱う一方で、ここまで無茶苦茶な親がいるだろうかというバイアスがかかってしまうほどの毒親が描かれていました

母親の愛情が歪んでいたと言えば聞こえは良いかもしれませんが、実際には「不甲斐ない自分の人生を投影している」ので、救いようのない母親だったと思います

 

母親は、芸能人を目指している友人を見た目で不良と決めつけたり、その関係性に文句をつけたり、さらには相手の芸能事務所まで乗り込んで行きました

思い込みの激しさと行動力だけはもの凄いのですが、自分の行動を支えるものに迷いがないところが狂気じみていると言えます

成功した親がいうのと、失敗した親がいうのとでは説得力が違うのですが、母親は明らかに後者なのですね

なので、失敗続きの人生と選択なのに、よくもここまで傲慢になれるのだなと感心してしまいます

 

最終的にユリが選んだのが「母親の母親になって愛情というものを教えてあげたい」というぶっ飛んだものになっているのですが、彼女の考え方も母親に似通ったところがあるように思います

母親を排除しようとしない理由はわかりませんが、統計的には親殺しよりも自殺の方が多いのも、このようなカラクリがあるのかな、と感じました

 


韓国の教育事情

 

韓国に限らず、学歴格差というものはあって、それは経済状況に影響を受けることが示されています

それらは幼稚園に入る段階から始まっていて、貧富の差によって埋められないものが確かにあります

ユリの家庭はそこまで貧しくはありませんが、裕福というほどでもありません

生活水準は並で、大学受験のために無理をするところまでの困窮ではないように思えました

 

韓国に限らず、学校だけの授業で大学受験に向かうことは珍しく、何らかの私塾、通信教育などの「試験対策」というものを並行して行なっていると思います

高卒、短大卒、大学卒、大学院卒ではその後の給料に差が出て、大学卒を「1」とした場合の高卒の給与は「0.63」、大学院卒だと「1.4」という差が出ているという研究もあります

これらは至極当然の因果関係で、企業側の採用基準というものが設置されていて、どんなに適性があったとしても、高卒では相手にしない企業は存在します

学歴というのは、テストで良い点を取れる能力の高さというものではなく、答えのある世界での論理力の高さというものを培う場でもあると言えます

また、受験という対人との競争において、何かしらの特性を持って勝ち得たという事実があるので、それらは無視できないものとなっています

 

ちなみに韓国では「キラー問題」というものが社会現象化していて、これは「教育課程以外の問題」のことを言います

受験などに「学校で習っていない超難問が出る」というもので、それは私塾や対策などを講じている人に有利に働いてしまいます

本来の受験というものは、教育課程で習うべきものを理解しているかを問うはずなのに、そこで教えられていないものが問題に登場してしまうのですね

そして、これらのキラー問題への対策が貧富の差によって有利不利が出るという状況を生んでいました

私塾などでは「キラー問題」への対策がなされていて、そう言ったものに多くの費用を掛けられる人の方が有利になります

また、このキラー問題は配点が高く、これを解けるかどうかで合否が変わるとも言われていて、それ故に「労力と出資を惜しまない」という家庭も出てくることになりました

 

現在では「キラー問題」は排除の方向に向かっていますが、受験の趣旨から逸れているとまで言えないのですね

その対策をしても解答できるかどうかは本人の実力という意味合いもあるのですが、貧富の差が如実に現れてしまうことを排除できない以上、受験自体を歪ませていることには変わらないのだと思います

 


毒親とどう接するべきか

 

本作は、受験生ユリが「毒親」とカテゴライズされる母・ヘヨンとの関係に悩んでいる様子が描かれてきました

彼女は母親に従順でしたが、イェナに干渉したことが引き金になって、これ以上は許せないと決意を固めるに至ります

毒親は毒親自体に自覚がなく、間違っているとは微塵にも思っていない場合が多いですね

過干渉だけでも大概ですが、その範囲が自分以外に向いたことで、看過し難いものへと変わってしまいました

 

子どもは自分の親が毒親かどうかは比較対象がないのでわかりませんが、渦中にいる親は毒親であると考えていない場合が多いと思います

あくまでも客観的に異常に見えるというもので、親子愛のかたちはそれぞれの関係によって異なっています

同じような過干渉レベルだとしても、当人たちの歴史によって変わるし、性格と相性によっても様々である言えます

イェナはヘヨンを毒親だと言いますが、母親から感じる愛は確かなもので、その論理自体は間違っていないので、ユリが母を毒親だと認識しているかは微妙な感じになっていました

 

毒親で何であれ、子どものことを想うのが母親なので、危機管理の一環として、子どもが思う以上に過保護になるのは理解できると思います

それと同時に、母親の危機管理の範囲がかなり狭く、それを窮屈に思うのも自然でしょう

こう言った状況になったとき、母の愛を否定せずに息をするにはどうするのか

これが、毒親から身を守る術に繋がっていくのだと思います

 

個人的には毒親の真逆で放任主義だったのですが、それは「過干渉になっている暇がない親だった」からだと言えます

子ども3人を抱えるシングルマザーが過干渉になることはなく、掛ける時間が多く、接する時間が多いほどに、その傾向が強まるように思えます

それを考えると、自分に掛かる時間というものを減らし、接する時間を調節することで緩和を目指せると言えます

例えば、私塾に通うなら自宅から離れたところを探すとか、料理が好きな母親なら手の込んだ料理を作ってもらうとか、相手の好みや特性に応じて「相手が自分に提供したいものを凝る」というものでしょうか

 

元々与えたいと思っていたものを肯定することで、それに向き合う時間は無駄ではなくなり、そこで程よいリクエストを加えることが効果的になります

話題を自分から別のものに振り分ける機会を作り、そのベクトルが遠すぎないものをチョイスするのですね

これは毒親対策だけに通じるものではなく、今後社会で生きていく上で必要な能力を身につける機会にもなります

相手をいかに自分のために心地よく動かすかというところにも通じるので、その訓練だと思って考えると良いのではないでしょうか

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作では、ヘヨンの溺愛に耐えきれずにブチ切れたユリが、自身を抹消して、母の母に成り代わって歴史すら変えてしまおうと考えるに至っています

実際にこのようなことは不可能で、本気でそれを考えているとは思えません

でも、自分が生まれる前に問題があると考えているのは、あながち間違いでもないように思えてしまいます

 

このユリの本音に関しては、母親は「死ぬまで知り得ない」のですが、これは究極の復讐のように思えます

彼女の命日が来るたびに死について考え、それは自己保身に満ちた欺瞞のようなもので、一生掛かっても真実にすら近づきません

そして、本当のユリに近づくためには、母自身が最も遠ざけたがるものに接近しなければなりません

 

映画のラストでは、姉の喪失について理解していない弟が描かれ、いずれは姉が死んだことについて理解を示すでしょう

でも、母親は娘の死を説明できず、彼女から出る言葉の全てが嘘であることが息子にはわかります

そんな中で、姉とは違う過干渉を起こしていくのですが、ユリのように従順にはなってくれないでしょう

反発は必至で、もっとも嫌う息子像の方へと向かっていきます

 

母親はどうして自分の愛が伝わらないのかと嘆き、そんな中で息子は母が忌み嫌うイェリの方へと引き寄せられていきます

そしてある時、姉のあの動画を見ることになり、完全なる決別というものが訪れるのではないでしょうか

映画はそこまで描きませんが、あの関係のまま、母親が何の反省も変心もしないのであれば、訪れてしまう必然のように感じられます

毒親は変わることのない現実でしょう

なので、もしこの映画が自分に重なる部分があるとしたら、可能な限り逃げて、自由になれる日々を夢見てほしいと思います

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/101336/review/03818777/

 

公式HP:

https://dokuchin.brighthorse-film.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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