■ひとつの感覚でわかった気になっている、という罠に彼女はいつ気づけるのだろうか
Contents
■オススメ度
家庭内不和の物語に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.4.6(アップリンク京都)
■映画情報
情報:2023年、日本、82分、G
ジャンル:母の死によって再開した兄弟姉妹の軋轢を描いたヒューマンドラマ
監督:佐近圭太郎
脚本:末木はるみ&佐近圭太郎
キャスト:
森田想(熊野遥風:実家を飛び出した次女、ベンチャー勤務から独立へ)
中村映里子(熊野実和子:遥風の姉、実家の定食屋の切り盛り、出戻り)
中崎敏(熊野拓示:遥風の兄、次男、引きこもりのニート)
熊野善啓(熊野啓介:遥風の兄、長男、実家を守ろうとする頑固者)
松浦祐也(宮本司:実和子のことが好きな近所のリサイクル店の店主)
新谷ゆづみ(山下真実:実和子の娘)
堀春菜(松永明日香:啓介の恋人、実家の農園手伝い)
川瀬陽太(松永誠太郎:明日香の父)
カトウシンスケ(安藤雅治:遥風の元上司)
三村和敬(盛岡憲太郎:遥風の元部下)
小林リュージュ(坪川義輝:拓示が関係を持つ情報商材屋)
■映画の舞台
東京郊外
ロケ地:
東京都:国分寺市
シルクハット
https://maps.app.goo.gl/3s6ewYTBCosq9qc36?g_st=ic
フードセンター日吉
https://maps.app.goo.gl/2aEdLL5w2g7fTwK89?g_st=ic
参百圓食堂 日吉小町
https://maps.app.goo.gl/8hAgPAsL5i1GUcJx8?g_st=ic
清水農園直売所(この付近かも)
https://maps.app.goo.gl/Dbi9Y3KvUtRo7Fuy8?g_st=ic
スナック紫苑
https://maps.app.goo.gl/hX3y4pkjfeBZq8jr5?g_st=ic
丸信リサイクルショップ
https://maps.app.goo.gl/JtEqJmzaJqisj4TT9?g_st=ic
■簡単なあらすじ
新宿のベンチャーで働いている遥風は、企業の立ち上げと成長に貢献したことを自負していたが、経営者と折り合いが合わずに揉めて辞めてしまう
新しくベンチャーを立ち上げようと考えるものの、その資金の捻出は難しかった
そんな折、疎遠だった母が死んだこともあり、遥風は実家に帰ることになった
実家の定食屋&コンビニは長男・啓介と出戻りの長女・実和子が切り盛りをしていて、次男・拓示は引きこもって親の脛をかじって生きていた
遥風は、経営難の実家の惨状を見て、この家を売って新しい生活をしようと提案する
だが、誰もが動くことに消極的で、それぞれに未来がありながらも、その一歩を踏み出せないまま、実家にしがみついている
そこで遥風は、兄弟姉妹を焚き付けて、企業資金獲得のために、なんとしてでも売ろうと考えるのである
テーマ:自立とプライド
裏テーマ:孤立と衝突
■ひとこと感想
実家をかき乱すデキる次女に森田想さんを配するということで、迷うことなく鑑賞
ハマり役で、どれだけズバズバ言っても、最後は満たされない悲哀というものがそこはかともなく合っていました
実家暮らしの三人が固執する理由も分かりますが、あの惨状では先細りは目に見えています
それぞれが家庭を持てる時期にあって、あの実家はある意味で天国であり牢獄と言ったところでしょうか
両親とは疎遠で、兄弟と離れている遥風は、自分の思い通りに生きているように見えて、結局のところ「評価は他人がする」という虚しさを抱えていました
この難題は家族たちの独り立ちによって感謝の言葉に変わりますが、それで満たされないところに本作の骨子があるように思えました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
冒頭の、ベンチャーでのやり手だけど敵を作りまくるスタンスが巧妙で、その性格のまま兄弟姉とのバトルに突き進んでいく様子は見応えがありました
感情を逆撫でするのが上手いタイプで、相手が呆れるところまでがテンプレートなのですが、それで何かが前進するということはありません
実家の売却問題も、根底に自分の起業のためというものがあって、それが見透かされているところがありますね
言葉にはしないけど、追い出すことでメリットがあるというのは、彼女の行動原理を考えるとわかります
映画は、ようやく売却できたけど、その先にするべきことを失う遥風を描いていきます
憲太郎がどうなったのか気になりますが、それを敢えて明示しないことで、主人公の浅はかさを強調していたように思えました
でも、決着ついてない感じがするので、それが物足りないという声も出てきそうな気はしないでもないですね
■自分本位で物事を進める意味
遥風は自分の目的のために兄姉弟たちを動かしていきますが、それらはすべてマイペースで行われていました
相手に合わせると物事が進まないことがわかっていて、役割分担にこだわる性格をしています
仕事のやり方をそのまま家庭に持ち込んでいるタイプで、往々にして衝突するのは当たり前のように思えます
彼女がそうするのは、仕事で結果を出してきたからで、その行動に対して彼女は「メソッド」という風に表現していました
主体性がある一方で、相手の気持ちのことは一切考慮しないため、様々な問題に突き当たります
これが「相手を思ってのメソッド」なら、後々理解されるのですが、遥風の場合は「自分の企業のための資金づくり」というものが付随していました
それ故に「すべての行動がそこに集約されているように見える」ために、反発を産んでいく事になります
これらの問題は「兄姉弟たちが先送りにしてきたこと」で、それを促しているように見えている場合は良いのですが、結局は自分のためなのか、と悟られた瞬間に反発はさらに増していきます
彼女のような、マイペースで目的に真っ直ぐ向かうタイプは、仕事人間としては正解ですが、家族と起業には向いていない性質であると思います
家庭内では「そういう奴だ」として、距離を置きながらも付き合わざるを得ませんが、起業となるとついていくかどうかはその人次第になります
憲太郎の離脱は至極当然の結果で、彼は少しでも遥風の役に立ちたいと行動を起こしていますが、彼女としては想定外の動きをされることを嫌がるので、何度も出る芽を摘んでいたように思えます
遥風は「自分の想定内の出来事」に関してだけ憲太郎を信用していて、彼自身と会社を育てようなどとは思っていません
成功はすべて自分のおかげ、失敗は自分以外の人間の行動によるもの
これが彼女の職業観なので、修正されない限りは、どこに行っても通用しないし、起業してもワンマンで成長させることはできません
■他者評価によって確認する自分の存在意義
憲太郎が遥風について行こうと考えたのは、彼自身が遥風に特別な感情を抱いていたから、だと思います
それを明確に描いているシーンはありませんが、彼の行動は遥風にとっての追い風であり、そこには彼自身が投影されています
憲太郎自身が今のポジションにいるのは遥風の指導の賜物だと思われますが、その根底には「不要なものは切り捨てて当然」というものがあります
この「不要」に関して、遥風のボーダーラインというものが恐ろしく狭いのですね
ある意味、自分の想定する役割をそのままこなしてくれたら良い、というもので、彼女の中にある完璧性が余白を許してはいません
憲太郎は、その遥風の想定を超える活躍を以って、彼女に認められようと考えていましたが、彼女の中にその評価軸がないので、すべて「逸脱」と捉えられています
それが彼女のためになる行為だとしても、また結果が出たとしても、遥風は思い通りになっていないという感情論で、それらを排除する方向に向かってしまいます
このような思考だと人はついてきませんし、そのうちクライアントも逃げるでしょう
クライアントが彼女を道具として見ている間は良好な関係性が築けますが、道具と見做さないクライアントだと結果が良くても関係性は閉じられてしまうのですね
結果は良いけど、一緒に仕事はしたくない、というマインドが生まれると、クライアントとのポジショニングがズレた際に「同じくらいの結果を残すけど、人として付き合いたい担当」に仕事を奪われてしまいます
これを遥風は理不尽だと感じるでしょうが、それがビジネスというものなので、彼女ができる仕事は本当に社会の中にある「一部品としての有能さ」から出ることはできません
人は、他者評価をとても気にする生き物で、いわゆる「承認欲求」というものには限りがありません
今では「SNSにおけるいいね依存症」のようなものもあって、「いいね」を自分なりに解釈して、それが社会的な評価であると勘違いさせていくのですね
本当はそんなモノに価値はないと知りながら、誰もが自分の行動を褒めてはくれないし、認めてはくれないために、何かしらの代役的なものを探してしまいます
このブログでもGoogleアナリティクスなどの訪問者数などが表示されて、それなりの指標として見てはいますし、記事をアップした後のTwitterの「いいね」などを見たりもします
でも、これらは「偶然Twitterを開いた際に表示されたもの」に過ぎず、その記事に対する評価というものではありません
リプライがあって初めて、記事を受け止めた側の感情がわかり、そこで対話が成立すれば、記事に関する評価というものが少しだけ見えてきます
人は何かに反応する時、そこまで熟慮しているわけではなく、瞬間的に反応している場合の方が多いでしょう
そうした中で得られたものというものを「重視すること」は、本来の評価とは一線を画するものなので、勘違いを生みやすいと考えられます
相手の本当の反応は見えないものなのですが、ひとつだけ評価軸になり得るとしたら、「反応の時間」であると考えられます
その場合の目安になるのが、自分をフォローしてくれている人の反応の速さなのですね
この速さとそこから派生する連続性というものは、一定の評価基準に達していると考えるのですが、それも「相手が反応できる時間とそうでない時間を見極めることは重要だと言えます
そう言った生きた反応というものを抽出することで、これまでに見えなかったものが見えてくるかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画のタイトルは「わたしの見ている世界が全て」というもので、この視点は遥風によるものだけではなく、登場するあらゆる人物の視点を意味しています
家を売るという事柄に対しても、実和子は自分を想う宮本との関係の覚悟を意味しているし、拓示の場合は逃避の代償を意味しているし、啓介にとっては惰性からの離脱の覚悟を問われていました
遥風が「家を売る」と決めたことで、それぞれは「新しい生活」に向き合う必要が生じ、特に何もない拓示には生命の危機が近づいているとも言えます
それでも、遥風の実用性に誰も太刀打ちすることができず、その中で言われるがままに動かされていきました
啓介には明日香がいることで、「実家の継続と農園の継続」という選択が生まれています
実和子にも宮本がいることで、「出戻りゆえの居辛さからの解放」というものが生じています
拓示には何もなかったため、遥風が「せどり」を教えますが、彼女への反発心から、間違った方向と気づいていても、突き進むしかないという状況になっています
それぞれの行動の根源が「遥風を見返してやる」という単純なものなのですが、それぐらい遥風は「相手の神経を逆撫ですることに長けている」のですね
「見ている世界」とは、「五感のひとつだけに頼った情報」という意味があります
登場するキャラの誰もが「一方向でしか物事を見ない」という特性を発揮していて、それゆえに表面的な反発だけを繰り返していました
表面的なので傷は浅く思えるのですが、兄姉弟ゆえの一点突破の鋭さがあって、最大限のダメージを与える攻撃になっていました
これまでに多くの兄姉弟たちを見てきたものが立体となって、それゆえに急所が見えているので、初対面では起こり得ない致命的なボディブローというものが発せられていたと思います
この兄姉弟は本来は仲が良かったと思うし、多くのことを共有してきたと思います
でも、外の世界では同じように生きることができず、次第に世界が閉じていったのでしょう
でも、母の死によって再会した彼らは、「ずいぶん見ない間に隠すものが増えた」という状況になっていて、それが開かれるまでには多くの衝突が必要となっていました
最終的に「開くことができたのは遥風以外の三人」だったので、彼女はその役割を全うするために招聘された「兄姉弟たちへのギフト」のようにも思えます
遥風がその役割を担うことができたのは、彼女だけがうまい具合に成功だけを収めることができた運を持っていたからです
彼女が成功したのは、たまたま同じマインドの経営者がいて、それぞれが役割を分担してきたからであり、安藤がうまく接してきた部分がありました
それが崩壊したのは、企業の成長とともに安藤も遥風も役割が変わったからです
でも、遥風は変わらぬ自分でいたいと考え、独立することになり、それが決定的な運命を引き寄せることになってしまいました
この行動は結果としては失敗ですが、遥風は独立を計画の破綻だと思っていません
それゆえに「通過儀礼なので失敗ではない」というマインドがあって、それをそのまま憲太郎にも強いたためにおかしなことになっていました
兄姉弟とは特別な時間があったためになんとなくまとまりがついたように見えますが、憲太郎は家族ではないので、離脱という結果になるのは当然のことでしょう
実際には「家族との距離も以前よりも離れることになった」ので、遥風に残ったのは「起業に充てるだけの資金のみ」となっています
これを失敗と考えるかは彼女次第ですが、性格というのはそんなに激変しないものなので、「わたしの人生に家族はいらない」という思い込みを正当化して、通過儀礼のように扱うのではないかと感じました
そして、彼女は誰の助けを借りることもなく朽ちて、思いもよらない人生の幕引きに突入するような予感がしてしまいますね
それぐらい、彼女の自身のこだわりというものは「たったひとつの感覚に支配されていた」のだと感じました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/386025/review/97e03ccc-646d-47da-ad21-a6738d32796a/
公式HP:
https://tokyonewcinema.com/works/wataseka/