■監督の家のドアが7回叩かれたら、どんな顔をして姿を表すのだろうか
Contents
■オススメ度
シャマラン風味のスリラーが好きな人(★★★)
終末系の映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.4.7(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
原題:Kcock at the Cabin(山小屋のドアをノックする)
情報:2023年、アメリカ、100分、G
ジャンル:あるゲイカップルと養女のところに不可思議な4人が訪れるスリラー映画
監督:M・ナイト・シャマラン
脚本:M・ナイト・シャマラン&スティーブ・デスモンド&マイケル・シャーマン
原作:ポール・トレンブレイ/Paul G.Tremblay『The Cabin at the EndKcock at the Cabinof the World(2018年)』
キャスト:
ジョナサン・グロフ/Jonathan Groff(エリック:山奥に住むゲイのカップル、気弱)
ベン・オルドリッジ/Ben Aldridge(アンドリュー:山奥に住むゲイのカップル、好戦的)
クリステン・キュイ/Kristen Cui(ウェン/ウェンリン:エリックとアンドリューの養女、もうすぐ8歳、バッタ集めが趣味)
デイブ・バウティスタ/Dave Bautista(レナード・ブロヒット:ウェンに声をかける来訪者、元人権弁護士)
ニキ・アムカ=バード/Nikki Amuka-Bird(サブリナ・ギティンズ:来訪者、術後看護師)
ルパート・グリント/Rupert Grint(レドモンド/ロリー・オバノン:エリックと因縁のある来訪者、ガス会社勤務)
アビー・クイン/Abby Quinn(エイドリアン:来訪者、メキシカンレストランの料理人)
McKenna Kerrigan(アンドリューの母)
Ian Merrill Peakes(アンドリューの父)
Denise Nakano(TVのニュースキャスター)
Rose Luardo(PWTCのスポークスマン)
Billy Vargus(地震学者)
Satomi Hofman(レナードが真似るTVのニュースキャスター)
Kevin Leung(TVでインタビューに答える男)
Lee Avant(TVのニュースキャスター)
Odera Adimorah(国際放送のニュースアンカー)
Kat Muphy(TVで惨状を訴えるスコットランドの救急医)
Kittson O‘Neill(BBCのアンカー)
Lya Yanne(養子縁組センターの職員)
Clare Louise Frost(テレビ広告のホスト)
Hannna Gaffney(ウェイトレス)
Monica Fleurette(ダイナーで電話をかける女)
Saria Chen(車に乗り込む女)
M・ナイト・シャマラン/M. Night Shyamalan(報道機関のホスト)
■映画の舞台
アメリカ:ニュージャージー州
ロケ地:
アメリカ:ニュージャージー州
バーリントン/Burlington County
https://maps.app.goo.gl/HUEXr8DZ4763dERX7?g_st=ic
■簡単なあらすじ
ニュージャージー州の山奥で暮らしているゲイカップルのエリックとアンドリューには、もうすぐ8歳になる養女ウェンがいた
ウェンはバッタを集めて名前をつけて観察するのが趣味で、その日も山小屋近くでバッタを探していた
そんな彼女の元に大柄で不審な男がやってくる
彼はウェンと質問遊びをするものの、その都度周囲を気にしている
そして、その視線の先に3人の見知らぬ人がやってきて、ウェンは2人の父親に危険を知らせた
3人が山小屋に籠っていると、ノックの音が「7回」鳴って、呼ぶ声が聞こえる
彼らを追い払おうとするものの、武器を持っていて、それで窓を壊して侵入してきた
応戦するものの多勢に無勢で、エリックとアンドリューはあえなく捕まってしまう
そして、レナードは「世界を救うために家族の誰かを犠牲にしろ」と迫る
彼らは「神の啓示」を受けていて、彼らがひとり死ぬたびに、世界には不幸が訪れるというのである
テーマ:信仰と疑念
裏テーマ:救いと解釈
■ひとこと感想
シャマラン監督作は『エアベンダー』ですら映画館で観たガチ勢なので、迷うことなく初日に鑑賞
最近は失速気味かなと思っていましたが、設定だけは相変わらず冴えていますね
本作では「山小屋に住むゲイカップルとアジア系の養女」という色んな要素をぶっ込みまくった家族が「世界を救うために誰を犠牲にするのか」という難題を突きつけられます
彼らの元に訪れる4人はいずれも「啓示」を受けていて、それが本当なのかはわかりません
でも、ひとりひとりが自らの命を差し出すことで、信じる信じない以前に「何かをしなければ」と思ってしまいます
エリックとアンドリューとウェンの誰が犠牲になるか、ということは、ほとんど二択に近いのですが、原作では「斜め上」の展開になっています
映画では、そこをシャマラン流に変えることで、キリスト教圏における「終末」というものの意味を強調しているように思えました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
ラスト付近で「黙示録の四騎士」が登場し、ここで「落胆した人」と「アガった人」が存在したのかなと思います
ある程度のキリスト関連の諸事を知っていると、彼らの着ている服の色などで「匂わせ」が炸裂しているのに気付きます
また、レナードが山小屋をノックする回数が7回で、エンドロール後のノックの回数も7回になっていました
このあたりは引用ありきになっていて、知っていないと意味がわからないかもしれません
(パンフレットで解説されていますよ)
映画は、神の啓示を受けた来訪者を信じるか否かというもので、感化されることが弱いのか、それを跳ね除けることが強いのかという命題を突きつけてきます
自分に起こっていることをどう捉えるかというのが難しいところで、いわゆる「試練」というものの捉え方が、宗教への純度を測るバロメーターになっているのかもしれません
個人的には、「絶対意味あるんやろうなあ」と思いながら、「配色や音の数を見ていた」ので、そのネタバラシは「やっぱ、そっち系かい」とアガる方になっていましたね
でも、前半はとにかくかったるくて、何度も何度も眠気が襲ってきましたね
■黙示録の解釈
映画のラストあたりで、エリックが「彼らは『黙示録の四騎士』だ」と言っていました
知識がないと何を言ってるのかわからないと思いますが、これは「ヨハネの黙示録」に登場する「四騎士」のことを言います
正確には「馬に乗る人(Horseman)」のことで、「子羊(キリスト)」解く7つの封印のうち、「初めの4つの封印が解かれた時に現れる」とされています
以下が、『ヨハネの黙示録』の第 6 章の日本語訳となります
第1節 小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた 。
第2節 そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。
第3節 小羊が第二の封印を解いた時、第二の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。
第4節 すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。
第5節 また、第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。
第6節 すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」。
第7節 小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が「きたれ」と言う声を、わたしは聞いた。
第8節 そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。
第9節 小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。
第10節 彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」と。
第11節 すると、彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ、それから、「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と言い渡された。
第12節 小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、
第13節 天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた。
第14節 天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。
第15節 地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。
第16節 そして、山と岩とにむかって言った、「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。
第17節 御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」
このように、第1節から第8節までの封印を解いたことにより、「四騎士」というものが登場しています
ウェンたちの前に現れた4人も、それぞれが「四騎士」になぞらえれ、服装と瞳の色が該当すると考えられます
白いシャツを着たレナードが「支配」を表す第一の騎士、赤いシャツを着たレドモンドが「戦争」を表す第二の騎士、黒い瞳を持つサブリナが「飢饉」を表す第三の騎士、蒼い瞳を持つエイドリアンが「疫病」を表す第四の騎士であると考えられます
エリックの解釈は少し違っていて、「Guidance(案内)」「Malice(悪意)」「Healing(癒し)」「Nurtunring(育てる)」というものになっていました
特に女性2人の意味が反転しているのですが、この2人は「天の啓示に懐疑的だったから」という解釈ができます
本来「飢饉」を意味するはずのサブリナはウェンに食事を与え、それは彼女が持つもうひとつの意味「天秤」によるところがあるのでしょう
彼女の中で「啓示」に対する定まったものがなく、それゆえに役割を逸脱することになりました
それによって、4番目の騎士の意味も変わらざるを得なくなり、エイドリアンが「疫病」を有しながらも別の解釈が起こる隙間を作っていたのだと推測できます
■ラストも7回鳴った意味
映画の冒頭にて、レナードは「扉を7回叩く」のですが、これは「子羊が解いた封印の数」という意味があるのだと思います
レナードと最初に話したのがウェンで、彼女との会話によって、封印を解く準備ができたと言えます
いわゆる、子羊的な存在理由がウェンにあって、それによってレナードたちが家に侵入することになりました
この「7回のノック」はエンドロール後にも登場し、最後まで鑑賞した人は「ラストにも7回ノック音があったこと」を知っています
これは、物語の流れを考えると、エリックの死によって目的がなされ、四騎士の役割が終えたために「再度、封印された」という解釈で良いと思います
解いた7つの封印を閉じることで世界には平穏が訪れているので、いわゆる「神との対話はなされ、その役割を全うした」というハッピーエンドの意味になると考えられます
キリスト教における「7」という数字はたくさんの意味を持ちます
有名なのが『旧約聖書』の「創世記」における「神は6日かけて世界を作り、7日目に休息を取った」というものです
キリスト教では「7が一番大事な数字」とされていて、「3=神の世界、三位一体」「4=自然、四季、四方、4大元素」を足したものが「7」であると言われています
この他にも「7つの大罪」であるとか、7大陸7海洋なんてものもありますね
また、古代ギリシアの時代から「正七角形は定規とコンパスで描けない」というものもあるそうです
7回鳴った意味はさまざまな解釈がありますが、個人的にしっくりするのは「封印の数」ですね
「開かれて閉じた」という一番わかりやすいものになっていますが、同時に「不完全だったのでやり直し」という風にも聞こえてくるのが面白いところかもしれません(新たなレナードが別の場所に現れた、みたいなバッドエンドなどですね)
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、なかなか暴力的な内容で、ざっくりと説明すると「ゲイカップルの片割れを自分たちで始末したら、世界は崩壊しなくて済む」という物語になっています
キリスト教が同性愛を禁じていた時代の価値観をそのまま踏襲していて、原作がそうだからではないところに意図が隠されています
原作では、エリックとアンドリューが揉み合っている際に銃が暴発して、ウェンが死ぬとなっています(ネタバレごめん)
それは「選ばれたもの」ではなかったために、後味の悪いものになっていて、映画のような展開にはなっていません
ちなみに、映画に際して結末を変えたのですが、監督が原作者にお伺いを立てたところ、「それは最初に考えたアイデアだ」と言われたそうです(パンフの原作者のインタビュー)
一周回って、原作者の初稿に行き着くわけですが、小説ではそのエンディングを採択せず、明確な救済というものは描いていません
この意図はわかりませんが、原作でも同性愛者が選択を突きつけられるというものなので、その関係性を否定することになるエンディングは避けたのではないかと考えられます
でも、映画では「思いっきり思想信条がダダ漏れしている」エンディングになっていて、思うところをストレートにぶつけているのかなと思いました
良いかどうかは別として、キリスト教の原点に立ち返るとこうなるよね、というエクスキューズがあって、それが反発を抑える材料になっているのは巧妙かなと思います
ゲイカップルが「夫婦を偽装して養子をゲットする」という「それ、犯罪ですから」という流れもあって、ウェンを持つことも罪のようにも思えます
彼らが選ばれた理由は映画では描かれませんが、推測の範囲だと「教義に反する家族(犯罪も含めて)」なので選ばれ、人としての悪しき業を戒めるための「神による試練が起こった」という風に捉えることができます
この話がこのご時世に描かれることもすごいのですが、一応は「表現の自由」が許されているのでセーフなのかもしれません
映画はマジョリティが許容できる着地点を選んでいるので、反発があっても一部の声として埋没するし、神様の言うことだからと言う材料もあったりします
このあたりが巧妙ではありますが、内容が内容なだけに「無茶するなあ」と言うのが率直な感想でした
原作のような悲劇にするとキツイものがありますが、いろんな意味において、その方が平和なのかなと思いました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/386136/review/d84a5d53-8c99-4ee3-946b-e27bff78e4e5/
公式HP:
https://knock-movie.jp/